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Atrocity

「は? ケースケが退学?」

 ジュンイチは首を傾げた。

「ありえないでしょ。全国大会直前だってのに」

 ユータもスズキのつまらない冗談だと信じて疑わない顔だ。

「……」

「――ケースケ?」

 だが、黙りこくる僕を見て、二人は少し空気に違和感を感じたようだ。

「家族はまだ、学校に?」

 僕はスズキに訊いた。

「あ、ああ――今校長室にいる」

「そうですか。じゃあ、無視して構いませんよ」

 僕は一笑に付した。

「え……」

「僕に退学の意志はないし、もう学費も今年分全額納めてるし」

「いや、しかしちょっとお前の家族、尋常じゃない雰囲気だぞ。それだけで済む話じゃ……」

 スズキはそれだけ言い終わると、ひっ、と息を漏らした。小柄で小太りの体が、後ろから来た、ニコチンで染色したようなどす黒い肌の大男が、ヤツデみたいな大きな手でスズキの体をドアから押しのけて入ってくる。怯える子羊のようなスズキは、まるで世紀末救世主でも待つかのような目で僕を見た。

 男――親父はくたびれたポロシャツ姿で入ってくる。自営業とは言え、せめてスーツくらい着てこいよ、と思う。親父の後ろから、化粧を施した、小奇麗な格好の母親も入ってくる。中学時代、ブルジョワな学校に通っていたため、恥を掻かないようにブランドで固めることを覚えている分、幾分マシな格好だ。しかし、その服も僕の虎の威を駆って、サッカークラブから寄贈(ていうか詐取)されたものだと思うと吐き気がする。

「……」

 顔を合わせるのは、多分20日ぶりくらいだろうか。帰国した翌日から、僕はもうこいつらとは会っていない。20日前にみた時は、なんとも左団扇で景気のいい顔をしていたが、それに比べると、幾分憔悴した表情だ。どうにも穏やかな物腰を装ってはいるが、目にはぎらぎらした殺気が篭っている。

 教室のクラスメイトも、しんと静まり返る。見ず知らずの大男が教室に乱入したら、そりゃ皆黙るだろうけれど、きっとそれだけじゃない。早くも皆、この二人の持つ異常な雰囲気に気付いたのだ。

「――何のつもりだ」

 まず僕は、様子を見る。しかしこの答えに大した意味はない。こいつらがバカ面で答えている間に、どう対処するかを考える時間稼ぎ。

 そう訊くと、まず母親がその化粧で飾った顔をにっこりと綻ばせた。

「さあ、ケーちゃん、もうお友達とお別れは済んだでしょう? 言ったじゃない。来月には埼玉高校を退学して、中東に行くって」

「……」

「ま、ケースケ、お前の気持ちも分かるよ? 全国大会直前の退学――きっとチームメイトや後輩に顔が立たないだろうと思って、俺達が矢面にたって誤ってやろうと思ってな」

 親父も強面の顔に笑顔を作る。

「――その気持ちの悪い喋り方をやめろ」

 僕は二人をきっと睨んだ。

「お前達が僕を名前で呼んだことなんて、もう10年以上ないだろう」

 それを言った時、ユータ、ジュンイチ、マイ――クラスにいたほとんどの級友が僕の顔を見た。

 僕の家族は、僕が有名になりだしてから、しばしばテレビで僕のことを語り、仲睦まじい家族だと印象付けていた。顔くらいは知っている級友もいるだろう。それが、一度も僕を名前で呼んだことがない?

「それに、中東との契約は取り消された。つい最近、分かりやすい形でお前達にも通知されただろう。今や僕が退学する理由は何もない」

 僕の言う通知とは、裁判所の債務徴収の強制執行のことだ。2日前の夜に受理され、僕にも弁護士から通知が届いた。もうこいつらにも通知は行き渡っているはず。裁判所がもう動いているなら、もうこいつらの口座は凍結されているはずだ。

「――何で分からないかなぁ」

 親父が呆れたような顔で首を振った。

「お前の幸せを考えれば、今はサッカーをしているのが一番幸せなのに」

「……」

「別に中東じゃなくてもいいんだよ。オファーは山のようにあるんだし、とにかくお前はサッカーをやってくれれば」

 なんともフレンドリーな口調だ。

 だが、こいつら、まだ僕にサッカーをやらせることを諦めてないのか?

 だとしても、お前達が学校に乗り込んで、校長室に退学届けを突き出すまでならまだ分かる。だが、こうして教室まで来たのでは、自分達の状況が悪くなる。自分達が僕にしてきたことがばれるかもしれないのに、どういうつもりだ?

 ――まずい、これは……

「――おい、ケースケ」

 冷や汗を掻く僕の背中に、ジュンイチが声をかける。

「まさか、お前の中東との契約って……」

「……」

 まずい――勘付かれた。ジュンイチは人間観察に長けている。こいつらの優しげな言葉の裏の悪意に気が付いたのか。

「な、何だよ、どうしたんだよ、ジュン」

 狼狽するようなユータの声。

 そのユータの声に、僕はただならぬ気配を感じ、ジュンイチの方を振り向いた。

 そして、見た。

 いつも優しく陽気そうなジュンイチのどんぐり眼が、烈火の如く怒りを孕んでいるのを。眉間に皺を寄せ、血管が浮き出るように顔の筋肉を蠕動させている。

「――あの中東の契約は、このオッサン達が、ケースケを売り飛ばそうとしたってことだよ。金のために」

 ジュンイチの怒気を孕んだ声。初めて聞いた。

 クラス中にざわざわと動揺が走る。

「……」

 ――ばれた。

 ユータとジュンイチに、全部ばれた。

 そして、それがばれてしまえば――今までの僕の不審な行動の全てにつじつまが合ってしまう。

 部活をやりながら、バイト三昧の日々。学校では期限の切れたコンビニ弁当しか食べなかった。高校3年間、地元にあるのに一度も二人を家に連れていかなかった。ずっと僕が、何か得体の知れないものに苦しめられていた。

その不審な行動が全て、一本の線に繋がる……

「おいおい、人聞き悪いこと言うなよ」

 親父がそんな怒りに燃えるジュンイチに、脂で黄色く染まった歯をむき出して笑った。

「そんな証拠、どこにもないだろうが。坊主、あまり人聞きの悪いことを言うと、名誉毀損になるぞ」

「だが、そうじゃない証拠もないだろう?」

 ジュンイチはそれでも噛み付く。

「俺の考えでは、あんた達がケースケの代理人として、中東と契約したってのも疑わしいんだ。オランダで中東のチームと契約されているのを見て、驚いているケースケの姿を見ているだけにな」

「――うるせぇガキだ」

「!」

 まずい、親父の口調が変わった。

「血迷ったか、お前!」

 僕は大声で、話の主導権を握った。

「こんなところまで来て、状況が読めないのか!」

 これを言った時点で、僕がこいつらから何かされていたことを自白したに等しいけれど、こいつらにとっても、僕にしてきたことがばれるのはマイナスのはずだ。これでビビッて帰ってくれればいいんだけれど。

「アンタこそ、状況見なさいよ!」

 後ろにいた母親が怒鳴った。

「裁判所にお金の徴収までさせて! もう全額返せるわけないじゃないの! アンタがサッカーをやらなきゃ、私達もアンタも借金背負うのよ! なのにサッカーをやらないなんて、バカじゃないの!」

「……」

 本性を現しやがった。

 というか、もう隠す余裕もないってことか。

「分かってるさ、だから返しきれない分は僕が働いて返すよ。あんた達は中東から貰った金を最大限返してくれればいいんだ。それなら文句ないだろう」

「ダメだな」

 親父が言った。

「もう家も売っちまった。商売もできねぇ。裁判所に金を取られたら、もう俺達は路頭に迷うんだ。テメエには嫌でもサッカーをやってもらうしかねぇんだ」

「……」

 しまった――裁判所の命令なら、こいつらも逆らいようがない。これ以上裁判所や警察にマークされないように、息を潜めると思っていたけれど……

 こいつらはもうイカれてる。金に目がくらんで、もう常識や良心さえも吹っ飛んでしまっている。

 裁判所に財産を没収されて、懲りるどころか、借金を負って、追い詰められた結果、人生に捨て鉢になり、人としての道を踏み外したんだ。

 こいつらの目的は、再び莫大な金を手に入れるために、僕を脅してでもどこかのサッカーチームと契約させることだ。

 一生遊んで暮らすという青写真が現実のものとなった矢先に、お金を全て没収された上、老後も覚束無くなるほどの借金を背負うこととなった。一度夢を見てしまった以上、もうお金を返して、質素な生活などには戻れない。だからもうなりふり構わず、大金を得るために、手段を選ばなくなった。

 僕がこいつらの言うことを聞かなければ、死なばもろとも――僕を殺して、自分達も死ぬ。僕一人だけが幸せになど、断じて許さない。そう考えたんだ。

 ――腐っている。金のために、ここまで人間としての感情を見失うなんて。

「さあ、もう分かったろう。帰るぞ。これからお前は他のプロチームと契約してもらうからな」

 そう言って、親父は教室にずかずか入り込み、僕の方へ歩を進めてきた。そして僕の右手を大きな手で掴もうとした。

 だが――

 その親父の丸太のような腕を、一人の男が先に掴み、動きを止めた。

 ジュンイチだった。


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