Light
抽選会が終わると、僕は埼玉高校に戻り、そのままサッカー部の練習に合流した。
帰国して初めて、僕はサッカー部の全体練習に合流する。その噂を知ってか知らずか、今日も埼玉高校のサッカーグラウンドの前は、沢山のファンが警備員に押しとどめられていた。
学校に帰ると、皆はもうアップを終えてしまった頃――僕は部室で一人着替え、皆より30分遅れて練習に合流した。
僕がグラウンドに姿を表すだけで、ファンは大騒ぎだ。これじゃよっぽど大きな声を出さないと、グラウンドで出す声はかき消されてしまう。
「集合だ!」
イイジマが号令をかけ、皆はベンチへと集まる。
既にユータ、ジュンイチも練習に参加している。二人とも取り合えず今日、中間テスト分のテストを受けた。すぐ1週間後に期末テストがあるのだけれど。
「皆、久し振りだな」
僕はチームメイトに挨拶する。帰国して、練習には参加していないものの、顔見せくらいはしていたのだけれど、今日から練習参加ということで、改めて挨拶する。
「ケースケ、初戦の相手はどこだ?」
ジュンイチが興味津々そうだ。後輩達も、首を伸ばす。
「――ああ、初戦は加須高校か、朝霞学院の勝者とだ。去年の冬、決勝で当たった武栄高校とは反対のブロックだ」
おぉ、という反応。
「それと、僕達の試合は全試合、NACK5スタジアム、駒場スタジアム、埼玉スタジアムのどれかで行われることになった。どうやら観戦希望が多くて、収容しきれない可能性があるからだと」
「マジかよ!」
ジュンイチが声を上げる。他の部員、特に一年生は、高校サッカーの初陣だ。初戦からそんな豪華な設備での試合に、目を輝かせる。
「それだけ僕達に、沢山の人の期待と注目が集まっているというわけだ」
円の中央にいる僕は、顔を上げる。
「こういう手前味噌な物言いは好きじゃないが、このチームは強いよ。はっきり言って、全国制覇に最も近いチームだろう。だが、それは学生のクラブ活動としては、大した意味は持たないと、僕は思う」
僕は後輩の方に目を向ける。
「こうしてお前達と会うのも一ヶ月以上ぶりだが、お前達は僕を今、どう思っている? 肝心な時に長い間部活を空けて、戻ってきて早々キャプテン面されて、気に入らないか? 世界大会でベストイレブンになった僕や、得点王になったユータがいれば、このチームは普通に勝てるなんて思っていないか?」
「……」
「そう思う奴がチームにいる中、僕やユータが無双して勝ち得た全国制覇は、お前達に何をもたらす?」
そう、それが僕はずっと引っかかっているんだ。
このチームは、春にユータがプロとなり、プロと普通の高校生の混成軍となった。世間の注目も高く、沢山のギャラリーが連日詰め掛け、プロと高校生が比べられてしまう環境にあった。他の部員は、惨めな思いを抱える者もいたはずだ。
その風潮を、今回の世界大会での成績は一気に加速させたはずだ。沢山のギャラリーが集まっても、注目されているのは僕達3人だけで、あとはおまけのような扱いを受けるのでは、後輩達のモチベーションが上がらないのも無理はなかった。
「僕達がオランダでやってきた大会は、勝つことが最優先の試合だった。だけどこの大会は違う。負けてもお前達の人生に、少しでもプラスになるものを得られる方が、全国制覇よりもずっと価値がある。勿論勝つこともそれなりに大事なことだけど、僕達3年生は取り合えずこの大会で引退だ。後輩のお前達に、何か今後の伸びしろとなるものを残したいと思ってる。お前達は初戦からでかいスタジアムに沢山のギャラリーが詰め掛けても、自分のことは誰も見てないから、少しくらい手を抜いても、僕達がフォローしてくれると思ってしまうかもしれないが、僕達チームメイトはそれを皆見てるぞ。自分のプレーに何も意味がないなんて考えるなよ」
「……」
そう言ってから、僕はにこりと笑って、神妙な顔で黙り込む後輩の緊張を和らげた。
「ま、砕けた言い方すれば、お前達、少しはノッてくれ、ってこと。僕もこれに気付いたのは、今年の正月だから、偉そうなこと言えないけどさ、でかい舞台で、仲間がいて、思い切り走って、最高の結果出せたら、すごく楽しいんだ。だから、もし全国制覇を目指すんであれば、お前達にもそういうの、味わって欲しい。それに僕は帰国から少しは調整やってきたからいいけど、ユータとジュンイチはずっと勉強漬けで、期末試験も苦戦するだろうし、大会開幕あたりは明らかに調整不足だ。大会が4回戦くらい進むまで、僕達3人は疲れも考慮されて、全試合フル出場はしないと思う。だからお前達の力が必要な時は必ず来る。これでも僕、皆に期待してるんだぜ。それに応えてくれるなら、バンバン皆にいいパス出しちゃうぜ。どうだ? この大会、お前達も頑張ってくれるか?」
「はい!」
後輩達は引き締まった顔で返事をした。
「よし、じゃあ気持ちも改まったところで、練習再開しますか!」
そして一週間後、埼玉県予選がスタート。
初戦はNACK5スタジアムに、1万5千人が詰めかけた。これはJリーグの公式戦並みか、それ以上の観客数だ。ほぼ全員が僕達のサポーターだった。
すごい……ユータはともかく、僕とジュンイチは、高校の試合以外でサッカーを見れる機会がないからな。
初戦はユータ、ジュンイチがベンチスタート。埼玉高校は、しばらく僕達3人のうち、一人か二人はベンチに置いて試合を始める。万一選手が怪我した時のこともあるし、交代枠をいくつか残すためだ。
僕はこの予選、基本的にユータを消耗させないようにと考えていた。ユータには、このチームの他に、浦和レッズでの試合もある。オランダの大会で、世界の強豪相手に得点王争いしたユータを、プロの監督は早速自分のチームで使ってみたいと考えるはずだ。ユータはそのチャンスを生かせば、プロでのレギュラーをぐっと近づけることになる。今はそれに専念させてやるために、下手に試合に出すよりも、きっちり調整して、ベストコンディションにして、プロの試合に臨ませてやりたかった。
「お前は予選は出なくてもいい。出ても、沢山集まってくれた観客のためのファンサービスと、相手への礼儀だな。後半残り15分くらいでいい。それでもちゃんと予選は突破してやる。お前の夏を終わらせたりしないから、僕を信じろ」
ユータ自身はプロの試合も高校最後の試合も、どちらも出たいとはじめ言っていたけれど、そう言って言いくるめたら、納得してくれた。どうやらユータは本当に僕を信頼してくれているみたいだ。それが改めて嬉しかった。
グラウンドの脇で、一人リフティングでボールの感触を確かめる僕。オランダの大会の時のボールは、ジャブラニのような特別製だったから、感触とか、フリーキックの曲がり具合も相当違うのだ。この一週間、そのボールの感触の違いを元に戻すのにちょっと苦しんだ。しばらくはフリーキックの精度が落ちているかもしれない。
「サクライくーん!」「こっち向いてー!」「勝ってねー!」
女の子の声援がさっきからずっと僕に飛んでいる。遠くからでもカメラの音が聞こえる。
さっきから観客の一部は、僕が動けばそれに合わせてスタンドを移動している。ゴルフじゃあるまいし、サッカーでこんな現象が起こるなんて。
はぁ……いっそ言ってしまいたいな。僕には大好きな彼女がいる、って。
僕はユニフォームの短パンから、お守りを取り出す。オランダの大会の時のままでいいと僕は言ったんだけど、もう泥だらけだからって、シオリが新しいフェルトのお守りと、ミサンガを作ってくれた。
それを握り締めながら、僕は埼玉高校のゴール裏――生徒が集まる観客席に目をやる。
僕のいるベンチから、4~50メートルほど距離があるけれど、シオリ達は吹奏楽部で応援に来ているから、最前列だ。楽器も持っているし、よく目立つ。
観客席でフルートを華奢な手に持って、吹奏学部の顧問の女教師、タカヤマ先生の指示で音を出しながら、チューニングをしている。
フルートから口を離すと、僕が見ているのに気が付いたのか、シオリは僕に小さく手を振った。
「……」
一週間前、後輩達に、サッカーの楽しさを味わって欲しい、と言ったのは、部員を奮い立たせる建前じゃない。僕の本音だ。
サッカー初めて2年、全く志なくサッカーをやってきた僕が、周りにいる仲間、本気で守りたいと思うものの存在に力をもらえるようになって、本当にサッカーが楽しくなった。もっと早く気付いていれば、と思う。無益な2年間よりも、今年の正月からの半年は、ずっと密度の濃い時間だった。
この大会も、そうなればいい……
予選の埼玉高校は、初戦から相手を13-0というスコアで破ると、それ以降も異次元の強さを発揮した。
僕とジュンイチは日替わりで先発メンバーから外れたけれど、それに他の部員も奮起した。ジュンイチがチームを盛り上げてくれたのも大きい。あいつの気さくさは、代表とか、そういうものを忘れさせてくれる効果がある。
僕達は当然の如く決勝まで進み、去年の冬、僕達と全国大会行きの切符を賭けて戦った武栄高校を、フルメンバー先発で8-1で下した。
埼玉高校は、終わってみれば7試合で54得点という驚異的なスコアで勝ち進み、僕はその中で17ゴールを決め、当然の如く埼玉県予選の過去最高記録での大会得点王を手にした。準決勝以前はほとんど出場機会のなかったユータも、何だかんだできっちり10得点していた。だが、今までチーム得点の8割を僕とユータで叩き出していたのに、今大会は、半分の27ゴールを、他の部員が決めてくれた。僕は自分の得点王よりも、その方が嬉しかった。
――「じゃあ、カンパーイ!」
そして全国大会出場を決めた夜、僕達は部内の簡単な祝賀会に参加した後、エイジ達の根城であるあの廃倉庫に集まって、夜遅くまで騒ぎ続けた。
この予選の期間、ユータは埼玉高校の試合にほとんど出ていないが、その間に浦和レッズの試合が3試合(公式戦2試合、ナビスコカップ1試合)あった。その中でユータは3戦3ゴールと結果も残し、監督からも今後は先発起用すると、直々に言われたそうだ。
エイジ達も、今続けているボランティア活動も、色んな媒体に宣伝されて、今では数百人規模の団体になっているらしい。来月8月に、エイジ達の仲間の数人が、リーダーのエイジに続こうと、高卒認定試験を受けるし、皆それぞれ頑張っている。
だから、今日は色々なお祝いと、色々な壮行を兼ねた、雑多な会だったけれど、皆はそれでも大笑いした。名目なんてどうでもよくて、今の僕達の周りには、めでたいことがどんどん続いている。
「俺達マジ強ぇー!」
ジュンイチの雄叫びに、皆の笑いが廃倉庫に響く。
「……」
僕はそれを脇で眺めながら、とても幸せな気分に浸っていた。オランダから帰って、僕は勉強もあるユータとジュンイチの負担を減らそうと、炎天下の中、ほとんど全試合フル出場だったけれど、その疲れも吹っ飛びそうだった。
そこで僕の携帯が鳴った。中は騒がしいから、僕は倉庫の外へ一度出て、受話器を耳に当てる。
「はい――あ、そうですか。わざわざありがとうございます。はい」
僕は要件を聞いて、電話を切る。
「誰から?」
後ろから声をかけられる。振り向くと、シオリが倉庫の外に出て、待っていた。シオリの白い肌も、連日サッカー部の応援に来ていたから、日焼け止めを塗ってはいるのだろうけれど、腕とかは日に焼けて黒くなっている。
どうやら宴の途中で抜けた僕を見て、心配になったのか、追いかけてきたらしい。
「ん? 弁護士だよ」
「弁護士?」
「ああ、今日、ようやく裁判所が、僕に対しての債務強制徴収命令を受理したらしい。その報告」
「――そっか」
シオリは空を見上げる。
「これであなたの悩みが、ひとつ片付くんだね」
そう、この命令が受理され、執行されれば、あの家族の隠し持つ金は没収される。中東へ行くこともなくなるし、改めて僕はまっさらな状態に戻ることが出来るわけだ。
別に僕もいくらかお金を返すことに鳴るだろうし、完全にまっさらというわけにはいかないけれど、何だか肩の荷がひとつ下りたようだった。そのお金さえ返してしまえば、僕はもう、あの家族からも完全に自由だ。そう思うと、何だかほっとする。
「――幸せだね」
ふと、シオリは言った。
「え?」
「こうして、皆で集まって、誰かの喜びを、皆で分け合って――すごく、満ち足りた気持ちになる」
「ああ」
「ずっと――ずっとこうして、皆でいられたらいいね」
「……」
沈黙。
「なーに二人でいちゃついてんだよ!」
いきなり僕はジュンイチに後ろからヘッドロックをかけられる。
「ケースケ、お前、何か一曲やってくれよ! 景気づけにさ」
ユータも倉庫の外に出てきて、言う。
「――ああ、いいよ」
そう言って、僕は廃倉庫に置いてあるエレキギターを持って、アンプに繋ぎ、倉庫の一番奥で、ギターをかき鳴らす。
「みんな、ケースケが歌うぞ! みんなも歌え! 騒げぇ!」
エイジが皆を盛り上げる。
飲み込んで吐き出すだけの 単純作業繰り返す
自動販売機みたいに この街にボーっと突っ立って
そこにあることで誰かが、特別喜ぶでもない
でも僕が放つ明かりで 君の足元を照らしてみせるよ
きっと……きっと……
誰が指図するでもなく 僕らはどこへでも行ける
そうどんな世界の果てへも 気ままに旅して廻って
暗闇に包まれた時 何度も言い聞かせてみる
今僕が放つ明かりで 君の足元を照らすよ
何にも縛られちゃいない だけど僕ら繋がっている
どんな世界の果てへも この確かな想いを連れて
シオリも、ユータも、ジュンイチも、マイも、エイジも、その外の皆も笑っている。
皆、幸せになれる。
そんな気がした。
僕は――皆を照らす光になれたのかな。
シオリが僕を照らしてくれたように。
まだまだ僕は、力が足りないけれど、こいつらの足元を照らす光になりたい。
それを強く願いながら、僕は連日の試合で声を出しすぎて、少ししゃがれ気味の声を張り上げ、歌を歌った。
もう7月の半ばを過ぎ、明後日には終業式を迎えようとしていた。
もうこの時、僕の足元は、照らされるどころか、既に暗闇に向かって崩れかけていたんだ。
終業式の日――その日が、僕とシオリの、長い別れの日となるなんて……
作者は一応東京六大学出身なんですが、現日ハムの斉藤祐樹投手が早稲田に進学して、1年生の時に斉藤投手が登板する試合に神宮球場に行ったんですが、その時は本当にスタンドの一部の観客が、斉藤投手がブルペンに移動したり、外野でキャッチボールしたりする時にスタンドのファンがぞろぞろ移動してたんですよね。だからケースケの動きに合わせて、観客も動くというのは、その時のことを参考にしました。
作中に出てくる歌詞はMr.childrenの「World's end」という曲です。アルバム収録曲で、シングルじゃないんで、あまりメジャーじゃないのか?一応PVがあるんですけど。一応、ケースケはそこらにある自動販売機のように、誰かを特別喜ばせる存在じゃなかった、無価値とも思える自分だったけれど、誰かのことを照らす光になりたい、っていう気持ちに辿り着いたということで、その心情に一番近しいと思うこの曲をチョイスしてみました。
さて、ここで皆さんに警告です。この後数話すると、恐らくものすごく残酷な描写が出てしまうかもしれませんので、ご注意ください。その時の話は前もって前書きで警告を出しますが…