表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
174/382

Believe

 喜怒哀楽なんて言葉があるけれど、昔の僕は、人間の心情なんていうのは、そんな4種類で大別できるものかと思っていた。

 実際そうだった。僕の感情のほとんどは、怒りや憎しみ――喜怒哀楽の「怒」の感情ばかりで、そんな簡単な感情以外は識別できなかった。

 でも、シオリに出会ってから、僕の感情はどんどん複雑になっていく。

 シオリと出会って、僕はこの半年で、色々なことを教えられた。それは勿論楽しいことだけではない。苦しいこともあったけれど、その苦しみも、今まで感じていた苦しみとは別の種類のものだった。自分が決して知ることのなかった喜びや悲しみ、楽しみが、彼女との暮らしの中に溢れていた。

 まるで誕生日ケーキのろうそくに、一つ一つ火を灯すように、真っ暗だった僕の心に、少しずつ、小さな光が灯っていった。それは時には優しさや勇気となって、僕を奮い立たせてくれた。

 そして今は、こうして僕は、彼女を抱いてしまいたいなんて、考えている。

 何故そんなことを思うのか、僕にもまだわからない。

 別に彼女の恥らう姿だとか、彼女の裸が見たいとか、そういうのともちょっと違うし、僕自身の体の事情というのも、ちょっと違う気がする。まあ、それが全くないとは言えないかも知れない。とにかくその感情がどこから湧いてくるのかは、僕には定義できない。最近僕の感情はどんどん成熟度を増してはいても、まだわからないことが沢山ある。

「――あ……」

 一体この気持ちが何なのか、僕は目の前にいる二人に、それとなく聞いてみようとした。

「ん?」

 ユータが僕を見る。

「――あ、いや、何でもない」

 僕は持っているマグカップに口をつける。

「ふふふ……」

 だが、そんな僕を見て、ユータは含み笑いを浮かべる。

「――何だよ、気持ち悪いな」

 苦いコーヒーを一息に飲み込んで、僕は溜め息をつく。

「いや、あのケースケが、恋をしてるんだなぁ、と思って」

「は?」

「最近お前、シオリさんの前での顔つきが変わってきたからな。男っぽくなったというか……何というか、男の本能が女を求めてる、そんな顔だな」

「……」

「シオリさんを抱きたいって、顔に書いてあるぜ、最近のお前」

「な……」

 僕の顔が紅潮する。

「ははは、ウブな奴だ。ちょっとカマかけただけで赤くなって」

 ユータはそんな僕を見て、いきおい破顔する。

「……」

 男としてどうかと思うが、基本僕は女性に対して免疫がない。AKB48のヘビーローテーションのPVですら卑猥に見えてしまうほどだ。

 だから女性を抱くなんて行為は、僕には最も不向きな行為だと思う。それでなくても僕は2年前、何となく付き合っていた彼女を抱いた時、彼女の覚悟を受け止めきれなかった経験がある。彼女を愛する自信が付いたとはいえ、同じ失敗をしたくないと思うと、その一線に関しては、今でも僕は臆病さを隠し持っている。

「――なあ、女の子と、その――そういう関係になるのって、どういうことなんだろう」

 僕は顔を上げる。

「は?」

 ジュンイチが目を見開く。

「いや――上手く定義付けできなくて」

 彼女と抱き合ったり、キスをしたり――特に初めてキスを交わしてから、愛する人と肌が重なり合うことは、決して無意味ではないのだということは、僕も何となく分かりはじめていた。

 きっと――彼女を抱きたいと思う気持ちは、その延長線上のものではあると思う。だけど、それはきっと、抱き合ったり、キスをしたりというのとは、また違うことのようにも思える。

 初めて女の子を抱いた時、僕はその女の子が、親にも見せないような姿を僕だけに晒してくれたことが、とても印象的だった。その娘の最も美しいところと、最も醜いところが全て詰まったような――そんな姿に、ただただ衝撃を受けた。

 シオリも、あの大好きな家族へも見せないような姿を、僕だけに晒すのだろうか――だとすれば、きっとその意味は、そう小さくはないのかも知れない。いずれにせよ、そう思うだけで、まだその場面に相対しておらず、経験の少ない僕には、まだ想像の範囲を出なかった。

「――大体そんなもんじゃねぇの?」

 ジュンイチが言った。

「みんなそんな定義とか、深く考えずによろしくやってるんだよ。その最たる標本がここにいらっしゃるじゃねぇか」

 ジュンイチはそう言って、ユータを見る。

「――まあそう言うなよ」

 ユータは苦笑いを浮かべる。

「しかしお前達はいいねぇ。まだ女の子の体には、男の夢と神秘が詰まっている」

苦笑いを浮かべたまま、ユータは僕とジュンイチをそれぞれ一瞥した。

「――何じゃそりゃ」

 ジュンイチが首を傾げる。

「ジュン、お前はもう、マイさんと済ませたんだろ」

 ユータはそんなジュンイチに訊いた。

「……」

 ジュンイチは、初め少し言い渋っていた。

「――ああ、まあ、な」

 だけど、しばらくして、恥ずかしそうに認めた。

「――いつの間に」

「ふふふ、ここ数日、帰国してすぐだろ。何となく様子見て分かったんだよね」

 さすがに百戦錬磨のユータだ。こういうことにかけての洞察力は、僕はとてもかなわない。

「この3人の中じゃ、お前が一番女に対する興味を持っていたからな。どうだった? 気持ちよかったか?」

 何ともストレートな訊き方だった。

「そりゃ、気持ちよかったさ。まあ」

 ジュンイチは今度はすぐ認めた。

「あぁ……やっぱりか」

 ユータは溜め息をついた。

「童貞をこじらせた男の悪しき典型かな」

「何だよ!」

 馬鹿にされたようなジュンイチを尻目に、ユータは僕を見る。

「快楽はぬくもりの副産物――そう考えた方がいい」

 そうユータは僕に告げた。

「……」

 押し黙る僕に、ユータはにっこり微笑んだ。

「ま、これからのお前に送る、俺なりの忠告だな」

「……」

「残念ながら俺も、どうやらジュンも、その逆のことをしすぎてきたみたいだからな。お前はその境地に辿り着いてくれよ。多分シオリさんもそう望んでるはずだぜ」

「……」

 快楽は、ぬくもりの副産物、か――

 ユータも、それを求めて、高校で沢山の女の子と浮名を流したのかもしれない。そんな境地に二人で辿り着けるような、そんな女の子を、ずっと捜して。

 でも――男はいつも、その前にある快楽に心奪われて、本当に大切なぬくもりを、脇に追いやってしまうのだろう。

 僕は――どうなのかな。シオリとそうなれたら、きっと僕も快楽に目が行ってしまうのだろうか。

「ま、10代のセックスなんて、いわゆる若さゆえの過ちって奴だよ。子供が出来る出来ないに関わらずな。快楽に心奪われてしまって、大事なことを見落とす。やりたいって本能がみんな多かれ少なかれあるからな、その本能が、邪魔をするんだな、色々と」

 ユータは達観したように語った。

「本能が邪魔をするから、その時までにいっぱい悩んでおいて、それでベッドに入った方がいいんだ。そうやって、自分に自制をかけておいた方がいいのさ」

「――お前は、いつもそうしてたのか?」

 僕はユータに訊く。

「まさか。俺の初体験は中学だったし、何も知らないで時を過ごしたことを、今じゃ後悔してる。それゆえに分かったことだな」

「……」

「俺も中学時代、本当に好きな娘がいた。もう3年も会えてないけどな。それを引きずってたのかな。その娘みたいな娘にもう一度出会いたくて、ふらふらしてしまった。結局、俺はそうして、そういう崇高な愛とはかけ離れた場所に行ってしまったってわけだ」

「いわゆる懺悔だな」

 ジュンイチは言った。

「そうだな。せめてお前達には同じ過ちは踏ませるまい、っていうところだ」

「……」

 ユータの言葉に、考えるところがあったのだろう、僕とジュンイチは、しばらく思案に耽った。

「しかし、なんか変な感じだぜ」

 そんな僕を見て、ユータは寂しそうな笑みを浮かべた。

「あの人を人とも思わなかったケースケが、こんなに女の子のために、一途な目が出来るようになって、今じゃ俺達3人の中で、一番真実の愛ってやつに近づいているのかなぁ、と思うとさ」

「……」

「ああ、そりゃわかるな」

 ジュンイチも頷いた。

「今まで人間関係があまりに稚拙で、俺達がお前の世話を焼いているつもりだったが、今じゃお前の人との向き合い方が、俺達には想像も付かない境地にいるのかもしれないな、と思うと、何だか嬉しいやら寂しいやら、って感じだ」

「……」

「見た感じ、お前はもう、生涯シオリさん以外愛せない、って心境に辿り着いているみたいだからな。そんな心境に、俺もたどり着いてみたいもんだぜ」

 少し羨ましそうに、ユータが言った。

「……」

「ま、その境地に辿り着いた奴に、俺達の快楽主観のセックスの定義なんかしても意味ないよ。だからよ、シオリさんのことに関して、敢えて一言言うんならよ。お前のその気持ちを信じろってことだな」

「……」

「お前のその気持ちは、世界中の誰に出しても恥ずかしくない愛の形であると、俺は思うぜ。だから、その心のままに、突き進めよ。そして、同じように、そうして想い続けるシオリさんのことも信じてやりな。多分、今のお前達は、それだけで十分だと思うぜ」

「……」

信じる――か。

そう言えば、僕がシオリに恋に落ちたのも、彼女の言葉を信じたからだった。

彼女の、稚拙だけど、一生懸命に言葉を搾り出して、自分の気持ちを人に伝えようとする姿に心打たれて……

何も信じられないような世界に生きてきた僕も、彼女の言葉だけは信じられる気がしたんだ。

 そんな彼女が、僕の喜びも、悲しみさえも、共に寄り添ってくれると言ってくれた。

 ――あれは、いつのことだったっけ……

 ――そうだ。彼女と桜を見に行った時、彼女の一番好きな花の、花言葉――

 竜胆の花だ。

「……」

 ああ、そうか。何故僕が彼女を抱きたいと思ったのか、少し、分かった気がした。

 僕も、あの時のシオリと同じ――彼女の喜びも、悲しみも、全部ひっくるめて、寄り添ってあげたいと、強く思ったからだ。

 そうして二人、強く、深く寄り添って、これからも生きていく――そんな二人になりたくて――憧れて。

 一度でもいいから、そうして強く、お互い寄り添ってみたかったんだ。

 あの言葉をくれたシオリから、随分遅れたけれど、やっと僕も、あの時のシオリの気持ちに追いついたんだ。

 今思うと、初めからシオリは僕よりずっと大人だったんだな、と思う。

 それに比べて、まだ僕は子供で、感情も稚拙だけれど――それでも、この気持ちを信じていれば、そんな稚拙なものを埋めて、二人繋がりあうことができるだろうか。

「まあ、今はまだ、その話は保留だ」

 僕はかぶりを振った。

「お前達とサッカーをやる機会は、もう残り少ないんだ。次の大会、頑張りたいしな」


ちなみにケースケが、AKB48のヘビーローテーションのPVを卑猥と感じたのは、作者が初めあれを見た時の感想です。だっていきなり下着姿になってたし…最近のアイドルは攻めてるなぁと、感心した作品です。

作者はAKBというと、この曲しか知らないんですが。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
もしこの話をお気に入りいただけましたら、クリックしてやってください。 小説家になろう 勝手にランキング
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ