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Accomplishments

 2時間目の英語Wの授業。英語教師のイワムラは、教え方は丁寧なのだけれど、顔がヤクザのようなのが、玉に瑕である。あまりボリュームのない髪が、リーゼント状になって、眼鏡は金縁。このいでたちは、笑いを取りたくて、わざとやってるのか。

「everは最上級、比較級を強調する用法もあるから注意しろ。普段肯定文では用いんからよく出る」

 頬杖をついて、イワムラ教諭の英語の説明を聞いては、頭はどんどん夢の世界に誘われていた。

 僕はサポートの少ない県立の進学校で、3%に満たない人口である、塾、通信添削、その他一切の学習施設を使っていない部族で、それでこの成績は奇跡だと言われている。マツオカ・シオリも塾に行っているらしいし、ユータもジュンイチも部活が厳しく塾に行く時間はないが、通信添削を一応使っている。

 僕はほとんど授業を聞いていない。授業中ずっと寝ていることも多い。と言うか、授業に参加する方が珍しいくらいだ。

 僕は中学時代、全国有数の中高一貫私立進学校に通っていた。その学校では、中学で高校2年までの課程を全て終了させ、高校3年間で実戦練習や、文系、理系に分かれ、数Ⅲ、数Cなどの、特別な必要科目を学習するスタイルだった。

 だから、この学校でやっている高校課程は、僕はもう中学校で全て終わっている。

 1年の時は、僕が中1でやったような内容を繰り返すものだから、授業が退屈で仕方なかった。バイトもしていたし、授業は専ら昼寝タイムと化していたが、教師に注意されたのをきっかけに、僕は授業をサボるようになった。

 サボる場所はたいてい音楽室か屋上、図書室のどれかだ。音楽室でピアノやギターを弾いたり、図書室で自主的な勉強をしたり、屋上は昼寝もできて気に入っている。

 音楽室での授業中での生演奏は、授業ボイコットだと、今でも教師からの苦情が絶えないが、生徒達からは、固めのクラシックからアニソンまでを弾きこなし、「うまいからもっと聴きたい」という声が殺到し、今では音楽室に私設私書箱のようなものが出来、僕に弾いてほしい曲のリクエストコーナーとなっている。

 まったく、僕をジュークボックスか何かと勘違いしてないか。とにかくその生演奏が、一年生の五月には学校内で秘かな話題となっていた。あれを弾いている人は誰だ、と、まるで幻のCMタレントのような騒ぎとなり、それが僕だと知られた頃には、ファンレターのようなものが僕に殺到した。

 それによって僕の名は徐々に広まっていったが、一年の一学期からそんな生活だったから、皆が「あいつは落ちこぼれ」と揶揄していた。しかし僕は一年一学期の中間テストで学年で1位と1点差、3位と87点差の2位となった。

 次に僕が名を売ったのは6月の体育祭。

部活別の2000メートル対抗リレーの選手に選ばれた僕は、アンカー手前走者となり、トップと20メートル差の6位だったサッカー部を、200メートル区間で一気にぶっちぎり、トップになってしまった。それをアンカーのユータが更にぶっちぎって、結局ダントツトップでゴールしてしまった。

 そしてそれを学年別リレーでも再現してしまった。下位にいた当時の一年E組を、僕だけでトップに押し上げ、ユータで逃げ切った。そんな奇跡が二度もあったものだから、午後に行われた100メートル走の決勝戦は当然のように僕とユータの一騎打ちとなった。僕は写真判定も必要な程の差でユータに負けてしまったが、二度の神風を起こした、と、僕の名前は強烈に先輩にも印象付けられた。

 サッカー部でもド素人が持ち前のセンスだけでレギュラーになり、生徒の応援している前でアシストなんか決めたりするから、一躍有名人になった。決勝に行った頃には、僕はド素人だという触れ込みで、ボール奪取率県内2位、3ゴール3アシスト。その時点で7ゴールを決め、一年生で既に県内得点王だったユータ、同じ一年生で、ボール奪取率1位を記録したジュンイチとともに、台風の目となったルーキー三羽烏として、スポーツ雑誌や県内の新聞記者のインタビューも受けた。

 その風評がどんなものだったのかは、僕自身はよく知らない。今でもよくわかっていない。だから、自分の評判はよく知らないが、それがきっかけだろう。去年の秋に、ひとつ上の先輩3人に呼び出され、生意気だと集団で制裁を受けた。

 しかし、相手が弱かったのか、僕が強かったのか、僕は一人でその3人をボコボコにのしてしまい、三人とも全治一週間の怪我を負わせた。僕自身もかなりのダメージを負った。相手の一方的な呼び出しに正当防衛ということが認められたものの、僕も3日の謹慎処分が下された。

 3日後、僕は頭やら腕やらに包帯を巻いて登校した。優等生の多いこの学校で、それを見て、僕に話し掛ける者は誰もいなかった。ただ、ユータとジュンイチが大笑いして僕を迎えただけだ。

 入学当時からそんな調子だったから、僕は今でも学校一の問題児扱いをされている。ただ、成績だけはいいので、教師達も怒るに怒れない。僕はその立場を使って、いまだに授業をサボるなど、好き勝手に過ごしている。

「なんだ、誰もわからないのか?」

 退屈な授業だ。大体何で今日は珍しく、授業に出ようなんて思ったんだろう。

 ――あぁそうか、昨日バイトの帰り、勉強するはずが、疲れていたから寝てしまって、すぐには眠れそうにないからだ。この退屈な授業を聞いて、適当に眠気を誘っておいて、次の時間からはいつも通りフケて、屋上で放課後まで一気に昼寝する予定だったのだ。

「……」

 こんな学生生活、早く終わればいい。

 僕は自分の頭脳を過大評価も過小評価もしない。僕はこの自分の頭脳を無駄にしたくない。僕は大学に行き、勉学を極めた上で将来仕事をしてみたい。自分の頭脳をもっと大きなステージで試したかった。高校はその通過点に過ぎず、僕にとっては、大学受験資格を得るための、永遠のように長い怠惰な時間に過ぎなかった。

 それが僕の生き方を迷わせている。生きるだけであれば、身の振り方はどうにでも出来るが、僕にはそれだけで満足出来なかった。すぐにでも働いて金を稼ぎ、家を出たいところだが、この力を無駄に使うことも、あの家族の言いなりになるのと同じくらい許せなかった。

現状に満足するわけでもないし、まだ伸びしろはあると思う。僕が大人になり、大学に行き、この力が正当に評価されるようになれば……

 そうしたらあの家族から抜け出せる――屈辱的人生から解放されるんだ……

「サクライ」

 そうは言っても、実際の僕はどうだ。いつも心の奥底にある敗北感。

 いくらやっても状況は改善されない。文句さえ誰にも言えない。親の批判なんて、誰が真剣に訊いてくれるというんだ。まだ僕には、正当に他人を批判するだけの力も名声もない。お前はそれほど偉いのか、で片付けられるのがオチだ。僕はそれもよくわかっている。『子供』という肩書きの脆弱さは、子供の本分を全うするだけで補うことは出来なかった。

 もっと有意義なものに身を投じたい。そもそもこんなことで僕が悩むこと自体、馬鹿げてる。このクラスにいる同窓どもは、両親の起こした追い風を受けて、未成年の帆船を海原に走らせているというのに。何で家族が荒れているというだけで、僕がこんな目にあわなくてはいけないのだろう。

「サクライくん」

隣の席の女子が、僕の肩を叩いた。

「え?」

 そこでやっと現実に戻る。僕は思わず声が出た。クラス中の視線が僕に向く。誰も笑わなかった。朝から僕の様子がおかしいことが、もう噂になっているのだろう。

 どうやら僕は、さっきからイワムラに当てられていたようだった。僕の上の空の様子に、イワムラはうっすら笑った。

「こらサクライ、たまに授業に出たからには、しっかり授業を聞いていけ。お前Wは学年トップだけど、油断するなよ。お前は全国を相手にしなきゃいけないんだからな」

「……」

 僕は英語Wの成績は、マツオカ・シオリを抜いて、学年トップだった。他にも、数学B、現代文、古典が学年トップだった。今回の失敗は科学で、95点を割ってしまい、また1点差で彼女に負けていた。

 軽く会釈しながら、内心はざわついた。僕は全国を視野に入れて戦うなんて、一度だって宣言した事がないのに、どうしてそれが決まっていることのように言われるのだろう。

 いつだってこうなんだ。頑張っている目的は別の所にあったのに、いつの間にかそれがすり返られ、取り違えられて、僕は何もかもが有耶無耶にされたレールをいつの間にか走っている。自分の部屋に帰ると、誰かに部屋を掃除されて家具の配置が変わっていたような感じ――僕がその部屋に入ると居心地が悪く、不愉快な気持ちを覚える感じに似ている。

「目的語に不定詞、動名詞の両方を取るが、意味が違ってしまう動詞、全部わかるか?」

 イワムラは僕に問い直した。

「Remember forget try regret meanの5つ」

僕はぶっきらぼうに答える。

「ほほう」

イワムラは怖い顔を緩めた。

「正解だ。即答とは、さすがに芸が細かいな。さっきまでずっと、上の空だったことは、これで見逃してやろう」

「……」

 クラス中から、すげー、というささやきが起こる。僕はその羨望の目の中心にいる。

 芸……

 正確に言えば、勉強で培ったものだから、そう遠くはない形容かもしれない。

 だが――僕はどれだけつまらない人間なのだろう。どれだけつまらない人間に思われているのだろう。

 僕は他の高校生とは違う生き方を強制された。だからこんな生き方を選ぶしかなかった。一人で生きるためには、力がいる。勉強はそのための手段だった。だったはずなのに。

 それが今はどうだ。こんな動詞の意味を知っている――それが、僕の芸……

 言っていることは立派だが、結局僕はこの先の存在価値が見出されていない。生きるための手段だった勉強が、いつしか僕の全財産になってしまった。周りからもそう見なされてしまった。これだけ必死になって掴んだものが、こんなつまらなくて、『芸』なんて陳腐な言葉でまとめられて。

「いいか。このクラスにいるお前達はこの学校のエース達なんだからな。もうこれくらいのこと、二年のうちからやっておかなきゃ来年受験に負けるぞ。サクライやマツオカにはもう届かないと思ったら負けだぞ」

 イワムラ教諭の、僕達を鼓舞しているつもりなんだろう檄が飛んだ。

 大きなお世話だよ。


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