Secret-meeting
その後、僕はシュンの部屋に通され、布団を用意された。シュンは部屋に用意されたベッドで寝、僕は布団で寝た。
シュンの部屋は6畳ほどの小さな部屋だが、よく整頓されていた。シュンの几帳面さが現れているように、物が少ない。
どうやらシオリとシズカは8畳の部屋を二人で使っているらしく、二段ベッドで寝ているらしい。おかげでシュンは、弟の癖に一人で一部屋を使うなんて贅沢だと、いつもシズカに文句を言われているらしかった。
電気を消してからも、シュンは僕と話をしたがった。自分のしている野球のこと、勉強のこと、来年中学に上がるために、しなくてはいけないこと――何かを僕から盗み出そうと、熱心に話をしていた。おとなしそうに見えて、なかなかに激情家だった。
だが、それでも小学生だ。11時半頃になると、急に口数が減り、そのまま眠ってしまった。シュンもこの炎天下、野球の試合をしていたんだし、疲れていたのだろう。
僕は沈黙の流れるくらい部屋で、携帯電話で時間を確認しながら、この家から一切の物音が消えるのを待った。
そして、12時半を回った頃、僕は静かにシュンの部屋を出た。
足音を立てず、電気も点けずに、携帯の明かりで足元を照らしながら、僕は階段を下り、彼女が待つ部屋――僕が最初、シオリに招かれ、眠っていた部屋に辿り着く。
ドアが分厚いから、ノックをしようか迷った。だから、シュンの部屋で既に打っていた『もう部屋の前にいる。開けてもいいかな?』というメールを送信。すると20秒で返信が来る。もう携帯はバイブも切っており、完全にサイレントだった。
僕は出来る限り物音を立てないようにドアを開けると、部屋の中は明るかった。
中に入ると、さっき見たのと同じパジャマに身を包んだシオリが、夕方、僕の眠っていたソファーに座っていた。
「――こんばんは」
小さな声で、シオリは言う。
「――ああ」
僕は静かにドアを閉める。
「……」
沈黙。
あのアホな告白を、シオリも聞いていたから、まずは予想通り。
「あ、あのさ」
なので、声を少し殺しながら、僕は話しかける。最初に話す内容も既に決めてある。
「この部屋、防音なんだよな。普通に話しても、大丈夫だよね」
「う、うん、大丈夫」
この質問なら、シオリも答えざるを得ない。
「ただ、あまり大きな音は出せないけど」
「そうか」
「――うん」
シオリはこっくりと頷く。
「――座って」
シオリは二人掛けのソファーの、自分の隣を僕に促す。僕はそこに座る。
ソファーの前のテーブルには、水滴の沢山付いた、淡い茶色の液体の入ったグラスが置いてあった。
「ごめんなさい、ミルクティーを入れたんだけど、氷、融けちゃったね。淹れ直そうか?」
「いや、大丈夫だよ」
僕は言う。
「……」
深夜、防音の密室、二人きり……
隣に座ると、シオリがそのせいか、緊張しているのが、手に取るように分かった。
「ごめんなさい、疲れてるのに、こんな夜中に」
「いいさ、どうせ時差ボケだし、昨日までこの時間はまだ夕方だからな」
僕は何とかシオリをリラックスさせようと、笑顔を作って見せる。いまだに意識して笑顔を作ろうとすると、顔がぎこちなく歪むんだけど。
「しかし、君が僕を呼び出すなんて、初めてだな」
僕は笑った。
「僕、少しどきどきしたよ」
「本当?」
シオリは僕の方を振り向く。
「……」
同じソファーに隣り合って座っているので、顔が近い上に、上目遣いで見つめられる。
僕は何だか照れてしまう――
「ご、ごめんなさい」
シオリも照れてしまったらしく、僕から軽く視線を逸らす。
「――で、でも、ちょっと二人きりで、話したくて」
「……」
そういわれて、不覚にも少し胸がきゅんとした自分に隠れて自嘲した。
一体僕はいつからこんなめでたい思考になったんだろう。僕は自分に呆れてしまう。
「今日はごめんなさい。うちの家族、あんなで騒がしいでしょう?」
「いや、楽しかったよ。料理も美味しかったし、皆優しいし」
勿論お世辞ではない。
「すぐに話を大袈裟にしちゃう人達だから」
「でも、いい家族だと思うよ。僕は」
僕はシオリの顔を見て言う。
「――でも、あなたから見たら、大抵の家族はいい家族に見えるんじゃない?」
「あ――せ、説得力なかったか?」
「ううん」
シオリは頭を振る。
「理想的な家族だと、私も思うわ。この家族に生まれて幸せだと、私も思う」
そう言ってから、少しだけシオリは顔を俯けた。
「だから、私はあなたの苦しみを、ちゃんとは理解できないのかも知れないね」
「……」
何だ? 何かシオリの様子がおかしい……
――当然か、あれを聞いてしばらく部屋に閉じこもってしまっていたわけだし、精神状態に少しの異常があっても仕方がない。
「で、でも、随分よくしてもらっちゃったよな」
僕は話を変えようと、起点を作る。
「飯をご馳走になって、風呂まで貰って、しかも君の家に泊まることになるとは」
「その方がよかったでしょう?」
僕の言葉を、シオリの凛とした口調が止めた。
「え?」
明らかに纏う空気の変わったシオリに、僕は少し逡巡する。
「……」
シオリは僕の目に、強い視線を向ける。それは、僕がその視線から目を逸らすことは許さない、嘘をつくことは許さない、と言っているかのような目だった。
「――あなた、初め電話した時、様子がおかしかったもの。普通じゃなかった」
「……」
「ずっと、今日様子が変だったから、今はあなたを一人にさせられないと思ったの。だから私、この家に呼んだの」
「……」
僕の頚椎が、びりびりと痺れるように緊張が走る。
「――家族と何か、あったのね」
断定的な口調で、シオリは僕を問い詰める。
「……」
視線を逸らせないまま、僕は唾を飲み込む。
しまった――たまに来るんだ。こういう時のシオリは本当に強いんだ。僕はそのシオリに、一度も勝てたことがない。
「やっぱりプロ契約が、関係しているの?」
黙りこくる僕に、シオリはさらに追い討ちをかけてくる。
「どういうことなの? 中東って――しかも、家族があなたの代理人をしていたって……」
「――そこまで知っているのか」
「……」
沈黙。
「――ばか」
そう声がした。
シオリは僕をじっと睨んでいる。何だか少し、泣きそうな顔にも見える――その言葉を言い慣れていないせいか、言っても全然迫力がなかったけれど、確かに言われた。『ばか』と。
「何で黙ってるの? 辛いなら初めから言ってよ。黙っていないでよ」
「……」
「あなたのことなら、辛いことだって、私には全部大事だよ」
「……」
もうこれまでだと思った。
「――ごめん」
僕は自然とそう口に出していた。
「あまりに酷いことで、君を傷つけるのが嫌だったんだ。久し振りに会えたんだし、ずっと楽しい気持ちでいたかったから」
「……」
「――話すよ。全然楽しい話じゃないけど……」
――僕は全部話した。家族のしてきた愚行や、現状、全て。僕一人の力では、未成年故に、あの家族に法的制裁を加えることも出来ないことも。
「――これで、全部」
話すだけで気分が悪くなった。初めて他人に話してみて、想像以上に胸糞の悪い話だということを、改めて実感した。
しかも、それを聞かせるのがシオリだと言うのが、僕をこの上なく苦痛に苛んだ。
「……」
そのシオリは、さっきから相槌ひとつ打たずに僕の話を聞いていた。
「……」
僕は話している間、シオリの事を見ることができなかった。動揺するだろうシオリの顔を見るのが耐えられないと思って。
沈黙。
その時。
「――シオリさん?」
僕はその異変に気付いた。
シオリの体が、がたがたと小さく震えていた。
「シオ……」
横顔を窺って、僕の声は止まる。
シオリが泣いていたからだ。泣き虫な彼女が、顔を俯けて、口を真一文字にして拳を握り締め、その小さな握り拳に、大粒の涙が落ちていく。
「――酷い」
か細い声で、シオリが言った。
「――それが――それが親の――家族のすることなの!」
そして、そのまま激した声を上げる。
「……」
真夜中で、家族が起きてしまうとか、そんなことはもうどうでもいい。
ただ、シオリがここまで怒りを露にした声を出すのは初めてで、僕はその声に気圧された。
「――泣くなよ」
僕はシオリの顔に触れ、指で涙を拭う。
「――何で君が泣くんだよ」
「――だって……」
シオリは目を真っ赤にして、悲しそうな目で僕を見つめた。
「……」
僕はシオリの頭に手を伸ばし、髪を撫でた。
「泣き止んでくれ。君の泣き顔、見るの辛いから」
「――ごめんなさい」
シオリは顔を俯ける。
その間、思慮にふけっているようにも見えたのだけれど――
「――ねえ、ケースケくん」
やがて、力のない声で、僕の名を呼んだ。
「――あのMDを使って、世間を味方につけたら」
「――え?」
「ほら、私に預けている、あのMD」
「……」
――そうか、それがあったか。
僕はシオリと結ばれてすぐに、一枚のMDを預けている。
それは、僕が家族から心を切り裂かれるような罵倒を浴びせられ、殴られ蹴られ、暴力を振るわれる音声の入ったMDだ。
――そうか――それがあれば、家族の息の根を完全に止められるだろう。
でも……
「いや、いいんだ」
僕はかぶりを振った。
「あれは、この状況では使わない」