Commando
「ふふふ……」
二人の反応を待ち、緊張に強張っていた僕を、ゴローは笑った。
「サクライくんでも、そんな風に省みることがあるんだなぁ」
「え?」
「サッカーをしている時は、修羅さながらに戦うのに……」
「……」
「シオリちゃんの、男を見る眼は確かだってことですよ」
アユミがゴローを見て笑った。
「え?」
「私達、シオリちゃんからあなたのこと、色々聞いているんですよ。サッカーをしている時はあんなだけど、普段のあの人は、物静かで、優し過ぎるくらい優しくて、繊細な人だって言ってました。その意味が、今ちょっとわかった気がしますよ」
「……」
優しい――か。
あの夜――僕を救ってくれた夜も、同じことを言ってくれたな。彼女はずっと、力に取りつかれた僕を見ても、僕の奥底にある優しさを信じてくれた。
だから――僕は彼女の前では、とことん優しくなってやろうと思ったんだ。それが、彼女が僕を信じてくれたことに対する返礼だと思って。僕が今、優しくなっているのだとすれば、それは全て彼女のおかげだ。
「――あの、怒らないんですか?」
僕は首を傾げた。
「僕が言うのも変ですが、あんなできた娘さんじゃ、きっと色々お二人は気苦労が絶えないかと思っていたんですが」
「何だい? 会うなり僕が君をぶん殴って「出て行け!」とか言われると思った?」
ゴローは笑った。
「ははは、じゃあ5年後くらいに僕と君でファイトしようか。君がシオリを嫁に貰いたかったら、僕を倒して連れて行くんだね」
「バカなこと言わないの」
アユミは言った。
「それに――シオリちゃんがお嫁に行くなんてことになったら、あなた、絶対泣くくせに」
「え――う、うわぁ……そう思ったら、なんか急に凹んできた……シオリも彼氏とか家に連れてくるんだよなぁ……もうすぐシオリ、お嫁に行っちゃうんだよなぁ」
か細い声でぶつぶつと呟きながら、本当に落ち込みだした。
「ごめんなさいサクライさん、この人極端だから」
「……」
「でも――サクライさん。単刀直入に言えば、私達はあなたとシオリの関係に、口を出す気はないんで、安心してください」
アユミは言った。
「シオリは、小さい頃からとてもいい子でした。頭もよかったので、私達はシズカやシュンにばかり世話を焼いてしまって、あの子の事を、あまりかまっていなかったのかもしれません。それでもあの子は優しいから、自分が寂しかったり、甘えたかったりする素振りを、全然見せませんでした。私達は、小さい頃からあの子ばかりに無理をさせてしまったんです」
アユミのその口調は、まるで長年押し殺した感情を懺悔するかのように聞こえた。その切々とした語りが、僕の脳裏に小さい頃のシオリをイメージさせる。
学校ではその優しい人柄から、沢山の女友達がいて、吹奏楽部で部長も勤めるシオリだったけれど、それでもシオリは小さな頃から、ずっとひとりぼっちだったんだ。ひとりぼっちでも、笑顔でい続けたんだ。家族のために
「でも、今年に入って、あの子は初めて、自分の意志で何かをする、ということが多くなってきたんです。最近も、よく言うんです。私は、強くなりたい。大学に行って、自分がこれから何をしたいかを探したいって。あなたのサッカーをテレビで見ている時も、よく言ってるんですよ。ケースケくんも目の前の事を必死でやってるんだから、私も頑張らなくちゃ、って」
「……」
「あの子は、サクライさんと出会って、自分の意味とちゃんと向き合えるようになったんだと思います。それが私達はとても嬉しくて……」
「……」
「あの子がそうやって、自分のことを考えられるようになったのは、サクライさんのおかげなんです。私達はずっとあなたに直接、そのことでお礼を言いたいと思っていたんです」
「そんな……」
僕は恐縮してしまう。まさかシオリの両親からお礼を言われる展開なんて、全く想定の範囲外だったからだ。
「……」
沈黙。
「――まあ、その、何だ」
ゴローが何とも恥ずかしそうに気色ばむ。
「その――サクライくんから見て、シオリはどうかな?」
「え?」
「その――親の贔屓目かもしれないが、シオリはいい娘だと思う。お母さんに似て、器量も気立てもいいと思うのだが……今や君は、アイドルや女優とも付き合えるほどだからなぁ……やっぱりそういう人達に比べたら、シオリは見劣りしてしまわないかな」
「……」
「お、重いかもしれないが、やっと最近のシオリが、自分らしい表情を見せてくれるようになったことは、僕達としても喜ばしいことだからな。その――できれば君が、もっとシオリと一緒にいてくれたら、僕達も嬉しいんだが……君を我が娘一人に独占させるのは、さすがに親の贅沢だろうか……」
ゴローもいっぱいいっぱいになる。どうやらゴローも僕と対峙して、緊張していたみたいだ。
――ああ、そうか。きっとこの人達は、どんどん名を上げ、自分達とは別世界の人間になっていくような僕を見て、僕が遠くへいってしまうんじゃないかっていう、シオリの押し殺している不安に気付いたんだ。ほんの数ヶ月前、僕もマイに言われたからな――
初めからこの人達は、僕の本音を聞きたかったんだ。今の僕が、別の女に浮気でもしたら、シオリが激しく傷つくのがわかっているから。
「あの――シオリさんも、お二人も、多分勘違いしてるんですよ」
僕はいきなり体が緊張しだす。この返答で、何だか僕とシオリの今後が決まってしまいそうな気がして。
だけど――それと同時に、僕の心には、もうスロットルを全開に引き絞ったように、勢いがついていたことも事実だ。長い間懸念だったシオリの両親が、僕とシオリの交際に好意的だったことと、さっきから僕の心に渦巻く、シオリへの止められない想いが、いやがうえにも僕の心を急かした。
「僕の方が、シオリさんにべた惚れなんですよ」
だから僕は、その勢いに任せて、とんでもないことを彼女の親に口走るのだった。
「出来ればずっと一緒にいたいし、それに一生守っていきたいって……」
そして、僕はそこまで口走って、ようやく自分の口走ったアホな言葉が、自分を死地に追い込んだことに気付くのだった。
「……」
照れくさくて顔を背けてしまうが、必死にそれに耐え、顔を上げると、ゴローもアユミも呆然と僕を見つめている。
――ヤバイ、これ、本人に言うつもりで、言ってしまった――まだ高校生の親に聞かせるには、僕の気持ちはヘビー過ぎるだろ。いくら交際に好意的とはいえ、高校生としての節度は守らないと
体中が変な汗を掻く。
だけど――対人関係に慣れていない僕は、こうしてテンパってしまうと、妙に捨て鉢な気分になって、死地に特攻するような行動――平たく言うと暴走してしまって、話を余計にややこしくしてしまう傾向があるわけで――
「あ、あの――でも、僕、今日、この家に来て、まだまだ皆さんには敵わないなぁ、って、実感したんです。この家に来て、今まで見たこともないような、シオリさんの明るい表情をいっぱい見ましたから。まだ僕は、シオリさんのそんな表情を引き出す力はありません。皆さんに比べたら、まだまだ全然、力不足ですけど……」
――ああ、ヤバイ……完全に僕、パニックに陥ってるぞ。沈黙に耐えられなかったのも手伝って、勝手に言葉が口から出てくる。嫌な汗がまた体から噴出してくる。
「で、でも、シオリさんを心の底から笑顔にできる男になれるように、努力を惜しむ気はないんで――もしそれを、お二人が認めていいと思える日が来るまで、何年でも待つんで、その時は――」
そう言った時、僕は勝手にテーブルに手を突いて、深く頭を下げ、叫んでいた。
「シオリさんを僕にください!」
うわああああああああああ! 何を言ってるんだ僕は!
頭を下げたまま、顔を上げられなかった。さすがに二人もドン引きだろう。リビングは、耳鳴りがするほどの深い沈黙に包まれていた。
それは、ほんの5秒ほどの沈黙だったが、僕には10年分にも感じられるほどの、長い時間だった。
その沈黙を破ったのは、僕達の声ではなく、部屋の外から聞こえてくる、どたどたという、階段を駆け下りる音だった。その音の主は、すごい勢いでリビングのドアを開けた。
僕は音の方向を、頭を下げたままちらりと見ると、ドアを開けたまま、シズカが立っていた。
「何々? 今の何? 今、すごい言葉が聞こえたけど?」
シズカは目をキラキラさせている。さすが恋バナが好きな、年頃の女の子。
「あ――そ、その、あのね」
アユミのおどおどした声が聞こえる。
その声に、僕はようやく顔を上げる。
「……」
よく見ると、ゴローもアユミも、思いっきり照れている。頬を染めて、もじもじして、僕の顔を見られないという感じ。
「ほらほら、お姉ちゃん、何してるのよ」
そう言って、シズカはリビングのドアを開けたまま、もと来た廊下、階段の方を見て、誰かに話しかけた。
「サクライさんにあんなこと言われて、返答は?」
「え?」
シオリもあれを聞いていたのか? ――って、当たり前か。あんな大声で叫んじゃったんだし。
しかし、僕の背中に再び嫌な汗が伝う。その不安に耐え切れずに、僕はゴローとアユミを放り出して席を立ち、シズカの隣へと歩を進め、廊下を覗いた。
「あ……」
僕の見る階段の先――10段ほど上の2階の廊下に、白地に小さな花柄がプリントされたパジャマに身を包んだシオリが、僕を見下ろしていた。廊下のそれほど明るくない照明の中でも、シオリの顔は真っ赤で、何だか泣いてしまいそうなくらい、目が潤んでいるのが伺えた。
「……」
僕とシオリは、そのまましばらく沈黙した。
「あ、あの――」
シオリの声が震えていた。
「あ――」
かく言う僕も情けないことに、声が震えている。
しかし、シオリはそんな僕を見ているのが、これ以上耐えられなかったのか、苦笑いを浮かべながら、2階の廊下に走り去ってしまった。
「あ、ちょ、ちょっと待って」
僕はわけもわからず追いかけようとする。
しかし、僕はあまりに慌てていて、階段を駆け上がろうとした時、足の指を思い切り階段の段差の角にぶつけてしまうのだった。
「……っ」
その痛さに、息が漏れる。
僕の足が止まったと同時に、2階から、がちゃ、ばたんと言う音が聞こえた。
「……」
あぁぁぁぁ、何やってるんだ僕。しかも階段の角に足をぶつけるとか、めちゃくちゃかっこ悪いじゃないか。
「キャー!」
突然リビングから奇声が聞こえた。
今度は何だ……
「聞きました? 聞きました? お父さん!」
リビングに戻ると、奇声を上げたのはアユミだったらしい。テンションが最高潮になって、ゴローの肩を激しくゆすっていた。
「サクライさん、あんな無防備な表情で、シオリさんを僕にください! って! ドキドキしちゃった!」
「あ、ああ、そうだな……」
そんな女子高生のノリになっているアユミに激しく体をゆすられながら、ゴローは呆然とした表情を浮かべていた。
「は、はは――め、めでたいことなのはわかっているんだが、さ、サクライくんが僕の息子になるなんて……は、ははは……」
「……」
その様子を呆然と見ていた僕は、隣にいたシズカの小さな笑い声に目を向けた。
「ふふふ――サクライさん、顔真っ赤……」
「え?」
僕は自分の頬に手をやる。顔が火照って熱い。
「ふふふ――サクライさんって、年上なのにちょっと可愛い」
またくすっと笑う。
「お姉ちゃん、きっと今、照れてて顔を見せられないだけだと思いますから、安心していいと思います。お母さん達も、サクライさんのこと大好きですし、サクライさんの試合見て、この人が将来私達の息子になるのね、とか妄想してましたし、大丈夫ですよ」
「……」
――本当か?
「あーあ、でも、お姉ちゃんにちょっとジェラシー感じちゃうなぁ」
シズカは溜め息をついた。
「あのサクライさんに、顔真っ赤にさせて、あんなこと言ってもらえるなんて。案などストレートな告白、女の憧れですもん」
「……」
僕の告白に狂喜乱舞するアユミ、呆然とするゴロー、微笑ましく見つめるシズカ。
そんな三者三様の反応を、しばらく僕はアホみたいに見つめていた。