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Duel

「……」

 僕は、浴槽のお湯の中に、顔を沈めた。照れくさいような、罪悪感のような、何だか胸に詰まる何かを飲み込んだような思いに、支配されながら。

 ――この言葉を言えるか? 僕は、彼女に。

 この家に来てから、家の至る所に、彼女の面影が見えた。

 そして、それと同時に、目の前の彼女が、僕の前では決して見せない素顔の数々も。

 それが僕には、とても嬉しくて、その後、たまらなく、悲しかった。

 まだ僕は、この家の家族よりも、彼女を笑顔にはさせられていない。それがはっきりとわかったからだ。

 そんな僕が、まだ「愛してる」なんて、口にしていいのか――

 でも――そう思っても、彼女のことを、欲張りなほどに求める自分がいる。

 彼女を誰にも渡したくないし、もっと触れたい。もっと話したいし、優しくだってしてやりたい。彼女が喜ぶこと、全部してあげたい。不安を抱える彼女のことを、包んであげたい。

 そんな馬鹿げた――だけど切実な感情が、どうしようもなく、僕の胸を満たしにかかる。

 たかが17歳のガキが、そんなことできるはずがないと、わかってはいても、心に溢れて来るんだ。

「愛してる」が。

「……」

 僕の理性はものすごく強い。酒に酔っても、感情に理性がブレーキをかける。

 だが、今の僕は、産まれて初めて、感情が理性を超えようとしている。

 もう胸のうちで抑えておくには、この気持ちは大き過ぎて、どうしようもなかった。



「あら、お父さんのTシャツ、ぴったりですね」

 風呂から上がってリビングに戻ると、キッチンの洗い物を片付けているアユミが、僕に声をかけた。リビングにはゴローもいて、夜のニュースを見ていた。

「おお、サクライくん、さっぱりしたかい?」

「はい――お風呂までご馳走になって、本当に……」

「ま、もしよろしければ、座ってください。お父さんが買ってきたケーキもありますし、私達もサクライさんとお話したいと思っていたんですよ」

 アユミはにこりと笑う。

「……」

 その笑い方は、娘のシオリとそっくりだ。顔立ちもとてもよく似ているから、何だかシオリの数年後を想像してしまう。

「お父さん、お父さんの分のケーキもありますからね」

「お、それじゃいただこうかな」

 ゴローはテレビを消して、ソファーから立ち上がる。

 好きなケーキを選んでいいと言われ、僕は取り合えず、一番甘くなさそうなティラミスを取った。ティラミスなんて食べたことないから、味は知らないけど、色的に一番甘くなさそうだと思った。

「……」

 僕はこの時、どきどきしていた。

 この胸に溢れるシオリへの想いを、この人達が知ったら、どう思うのだろう――そんなことを考えていたから。

「サクライさん、これ」

 席に着いた僕に、アユミは何かを差し出した。

 それは、オランダに出発前、シオリが僕達にくれた、手作りのお守りだった。ずっとスーツのポケットに入れていたし、洗濯をしてくれる時に落ちたのだろう。

「あ……」

 僕はそれを受け取る。

「サクライさん、それ、ずっと持っていたんですね。泥だらけですもの」

「いえ……」

「テレビで見ていたから知っているんですよ。シオリちゃんの作ったミサンガも、ずっとつけていましたよね」

「……」

 ――シオリが作ったってこと、もうこの人達も知っているのか。

「シオリちゃん、あなたの試合をテレビで見ていて、ずっとキャーキャー言ってましたよ」

「え?」

 それをアユミから聞いて、僕は本当に驚いた。あの大人しいシオリがそんな風に試合を見ているなんて、僕にはまだ想像できなかった。

「私達もあんなシオリちゃん、初めて見ましたよ。でも、それに輪をかけて、真夜中や早朝に騒いでいたのが、この人で……」

 アユミはゴローの方を見る。

「いやぁ、だって、あんなわくわくする試合、滅多に見られるものじゃなかったからね。特に君のプレーはすごかったな。その小さな体で、闘志をむき出しにして、本当に若々しい、清々しいプレーだった。ゴールを決めた後、君と仲間の二人で喜び合う時の、君の笑顔も印象的だったな」

 ゴローはまるで子供のように目をキラキラさせて話す。

「ごめんなさい、この人、ちょっと子供っぽくて――」

 アユミが苦笑いを僕に見せる。

「でも、サクライさんの笑顔って、本当に素敵ですよね」

「え?」

「何というか――本当に幸せそうというか、今自分がここにいることを、一つ一つ噛み締めるように笑いますよね。なんだか、見ているこっちも幸せになるような」

「そうでしょうか」

 自分では、まだ笑顔がぎこちないと思っているのだけれど。サッカーをしている時は、難しいことをあれこれ考えることができなくなるから、その分感情が高まりやすいのだけれど、普段の僕は、まだ感情の変化が、前よりはマシになったとはいえ、まだ乏しいような気がする。

 だから、自分の笑顔を褒められるなんて時が来るなんて、思っても見なかった。

 でも――考えてみると、半年前の僕は、今のこの姿を想像できていただろうか。自分に、自分の命を賭けてでも守りたいと思える親友がいて……

 何より、この僕が、誰かをこんなにも愛することができるなんて……昔の僕は、愛だ恋だとほざくガキが本当に嫌いだったのに。

 僕はティラミスにフォークを伸ばす。初めて食べたけど、やっぱり甘かった。

「だけど、サクライさんって、何だかテレビで見る時と印象が随分違いますね」

 アユミが言った。

「テレビでも言われてましたけど――戦闘モードのあなたの激しさと、普段のあなたの物静かな感じ――そのギャップが、今沢山の人の心を掴んでいるんでしょうね」

「はぁ」

「インタビューでも、肝心なことはあまり喋ってないし――いうなれば、謎の多い少年だね、君は。女の子にもてる要素が君は揃いすぎてるなぁ。男前で、勉強もサッカーもできて、ギャップもあり――同じ男として、羨ましい限りだ」

 ゴローもにっと笑った。

「ちょっとお父さん」

 その言葉に、アユミはご立腹だ。

「わぁぁぁ、ご、ごめんなさい、悪気はないんだ。アユミさんは、最高の嫁です」

 慌てて訂正するゴロー。

「――まあ、サクライさんが今、女の子にもてるっていうのは、事実ですけどね」

「……」

 ――これ、もしかして、娘の彼氏としてどうなのか、けん制されてる?

 穏やかな空気だが、もしかして今、僕は死地にいるのか?

 ――だとしたら、ここで僕は、何かをこの二人に刻み込まなくちゃ。

 シオリへの想いは嘘ではない。それを少しでも、わかってもらわなければ。

 この人達に伝わらなければ、きっと、シオリにも伝わらない。

 ――勝負、かけるか……

「緊張してます?」

 そうして自分を追い込んで、顔が少し強張っていたのか、アユミが僕に笑いかけた。

「そりゃ、彼女の両親なんて、君の年頃じゃ一番会いたくない人種のひとつだろうなぁ。同じ男として、気持ち、わかるよ」

 ゴローが僕をフォローする。

「――でも、ちょっと今、ほっとしてます」

 僕は顔を上げた。

「彼女から聞いていたとおり――この家は、とってもあったかくて、優しい人達ばかりで。さっきシズカちゃんとシュンくんとも話しましたが、二人とも本当にいい子だと思いました」

「そうかい? そう言ってもらえると、私達も嬉しいよ」

 ゴローは感慨深そうに頷く。

「――正直、僕は今まで、お二人には申し訳ないという気持ちでいっぱいでしたから」

 僕は背を正した。

「え?」

「その――大切な娘さんと、その――付き合わせて頂いているのに、あまりいい彼氏とは言いがたいことばかりしていますから」

 そう、数学オリンピックと、今回の大会、この半年で、僕は2度も彼女を置いて、好き勝手やりに遠くへ行ってしまっている。正月の高校選手権で負傷して、しばらくまともに歩けなかったこともあるし、この半年、一緒にいられた時間の方が少ないくらいだ。

 会うとすれば、早朝、リュートの散歩ばかり。遊園地や買い物もろくに行ったことがない。おまけにマスコミに追われる僕は、彼女の存在をひた隠しにしている。誠意を疑われても仕方がなかった。

「本当に、お二人にはなんとお詫びしていいやら……」


連載が遅れ気味で申し訳ないです。

この度、もう一度この作品を読み直して、誤字脱字を直して行こうと思い立ち、その修正をしていました。現在50話ほどまで進んでいますが、もしよろしければ、少し時間を置いて、また読んでみて下さい。


しかし、我ながら誤字がかなりありますね…こんなのを読者の方に沢山読ませてしまい、申し訳ないです。そして、既に600000文字を越えるこの作品を読み直すことがこれほど大変とは…これを全部読んでくれた読者の方への感謝の念が湧いてきました。どうもありがとうございます。


なにぶん文字数が多いので、洗い直しても誤字を見落としていることもあるかもしれませんが、今後ともよろしくお願いいたします。

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