Sibling
「うおおお! すげぇ!」
子供達が声を上げる。
僕がマウンドから、全力で投げたストレートの速さに。
僕は中学時代には、既に遠投は80メートルを超えていたし、肩と守備には自信があった。今は背筋力もついたから、全力で投げれば140キロは出る。
とはいえ小学生相手にそんな球は投げない。一度本気で投げてみて、と子供達に言われて、デモンストレーションで投げただけ。キャッチャーが捕れなくても困るので、投げ込んだのも、ホームベース後ろにネットを立ててだ。
父兄チームはもう全員が炎天下にバテバテで、ピッチャーがいなかったので、僕がピッチャーをすることになった。
僕はさっきの球とは半分くらい――70~80キロくらいに球速を抑えて投げたが、その分コントロールに気をつけて投げた。小学生達は、打ちごろのスピードだが、微妙なところにボールが決まるので、凡打の山を築いていく。
「駄目だよ、ボールを打つ時、踏み込む足を外に開くから、バットの先っぽにしか当たらないんだ。内側に踏み出すくらいの気持ちで次踏み込んでみな」
凡打する度に僕は小学生一人一人に原因を解析し、身振り手振りを入れて指導をした。
チェンジになる度に、僕は奥様方から世話を焼かれた。写真も所望されたけれど、今僕はとてもややこしい立場だ。写真が流出すると、この人達も巻き込む大変なことになりかねないので断った。
僕が参加したのは4回表からだったけど、結局僕は自分のバットで決勝点を叩き出して、保護者チームを勝利に導いた。
試合が終わると僕は子供達に囲まれて、サインや握手をねだられ、大変だった。
「あの、メダル持っていたら、見せてください!」
子供達の一人に言われる。
「あぁ――忘れてた。はい」
僕は自分のスーツのポケットに入っているメダルケースを取り出し、蓋を開け、皆に見せた。
「うおお、すっげぇ!」
「触ってもいいし、噛んでみてもいいよ」
「いいんですか? やったぁ」
「俺も俺も!」
子供達は僕のメダルに群がる。
一度僕はベンチに戻り、シオリのところに戻る。
「お疲れ様」
シオリは僕に、麦茶の入ったコップを差し出す。
「さすがに疲れたな」
ちょっとはしゃぎ過ぎた。オランダでイングランド戦をこなしてから、日本にとんぼ返りして、一睡もしていないのに。
「いや、サクライさん、ありがとうございました。子供達もあんなに喜んで」
保護者達が僕の許にやってきて、揃って頭を下げた。
「いえ、僕も楽しませてもらいましたから」
僕も礼を言う。
さっきまで少し落ち込んでいた僕だが、子供達の笑顔に少し元気を貰い、今は気持ちが少し晴れやかだった。
誰かの笑顔を見るのが、僕は本当に好きになっているんだな、なんて、実感できることが、少し嬉しかった。ついさっきまで、自分の心が闇に突き落とされたようで、そんな気持ちを見失ってやしないか、少し自信がなくなっていたから。
保護者の方に、慇懃にお礼を言われた頃には、夏の夕日がオレンジ色に染まって、河川敷の向こうにかすかに見える川面をキラキラと照らしていた。多分夕方の5時くらいだろう。
「シオリ姉」
不意に、そう呼ぶ声が僕達の背後でした。
振り向くと、少し小柄だが、切れ長の目に薄い唇の、少し大人びた、ユニフォーム姿の美貌の少年が立っていた。少年は野球帽のひさしを上げる。
「シオリ姉、まさか本当にサクライさんと知り合いだったなんてな」
少年はそのままシオリに言った。
「ふふ、見直した?」
シオリは少年に、得意げになって胸を張る。
「――俺は別に、シオリ姉が嘘ついてたなんて、初めから思っちゃいないぜ。シズカ姉は少し疑ってたみたいだがな」
小学生だろうが、随分醒めた少年だ。と言っても、小学生なんて、こうして少しツッパリたい時なのかもしれないけれど。
「あ、紹介するね。私の弟なの」
シオリは僕の方を見て、少年の方に掌を開いて促した。
「はじめまして。マツオカ・シュンです。小6です。お会いできて光栄です」
そう言って、野球帽を取り、頭を下げた。綺麗な丸顔に、爽やかな短めの髪が、歳相応の幼さを醸し出した。
「ああ――サクライ・ケースケです。ご丁寧に、ありがとう」
僕はさっきまで一緒に野球をしていたというのに、今更ながら挨拶する。
僕が手を差し伸べると、瞬時は少し戸惑ったような表情を見せたが、しばらくして僕の手を握り返した。
「テレビで言ってた通り、相当バットを振ったんですね」
僕の手を握りながら、シュンは言った。
「手を握っただけでわかるのか? すごいね」
「いえ」
さすがシオリの弟だ。聡明で飲み込みも早い。
「君は確か、セカンドを守っていたね」
「覚えてたんですか?」
「ま、僕も中学時代、主にセカンドだったからな」
「でも、すごいですね。あんな遅いボールで、4回からパーフェクトに抑えるなんて。僕もインハイのボール球に手を出して、サードフライに打ち取られちゃいました」
「はは、大人気なかったか?」
「いえ、勉強になりました」
どうやらシュンは僕に好印象を持ってくれたみたいだ。話し方は淡々としているが、話の端々に幼さを感じる。
そう思った時、僕の腹がグーッと鳴った。
「あ……」
「ケースケくん、おなか、空いてるの?」
シオリに訊かれる。
訊かれて少し考えていると、オランダでの3位祝勝パーティーで、食べ物を少しつまんで以来、機内食も手に付かなかったし、もう丸一日何も食べていない。思い出すと、急に空腹を感じ出す。
「あぁ――少しな」
僕は夕日を見上げる。
腹が減ったと言っても――これからどうしよう。
今日はとてもこのまま家に帰ろうという気にはなれなかった。
彼女を食事に誘うか? せっかく久し振りに会えたのに、ちょっと予定が狂ってしまったし、二人きりでもうちょっといられたら……
「ねえ、ケースケくん」
そんなことを考えていると、シオリが僕に声をかけた。
「もしよかったら――今からうちに、ご飯、食べに来ない?」
「え?」
予想外の展開。
「ケースケくん、今はどこに行っても、人だかりができちゃうよ。疲れてるだろうし――それだったら、うちに来ない? 少しはゆっくり出来ると思うんだけど」
「どうかな――五月蝿いのがいるからな」
シュンが首を傾げる。
「でも、俺ももっとサクライさんと話したいし、是非来てくださいよ。俺達もシオリ姉に付き合って、あなたの試合、全部見てたんですよ。おかげでうちの家族、みんなサクライさんのファンになっちゃって」
「……」
「それに――シオリ姉もこの1ヶ月、あなたがいなくなってずっとうじうじしてましたし」
「シュン!」
シオリが怒ったような声を出すと、シュンは近くにあった自分のエナメルスポーツバッグを担ぎ上げた。
「じゃ、俺は一足早く帰りますんで。後から二人、ごゆっくり」
そう言って、足早に土手の方へ向かい、逃げてしまう。
「もう……」
その後姿を、苦々しげにシオリは見送っていた。
「面白い弟だな」
僕は言った。
「面白くなんてないよ――私をからかうのが、昔から好きなの」
シオリは膨れ面だ。
「……」
それでも、シオリが僕を待って、あまりにうじうじしているからと、外に連れ出してくれたのも、あの弟だ。
醒めたように見えて、実はシスコンかな。というより、割といい奴ってところかな。
「――折角だし、お呼ばれしようかな」
「え?」
「君の家に。君の妹さんにも、会ってみたいし」
「――なあ、やっぱこのスーツだと、失礼じゃないかな? ちょっと泥付いてるし」
僕とシオリは、夕焼けに染まる街を、並んで歩く。リュートも一緒だ。
「ケーキとか、買っていった方がいいかな?」
情けないことだが、僕はシオリと共に、彼女の家に向かいながらも、今更ながら緊張していた。
「ふふ」
シオリはそんな僕を見て、可笑しそうに笑った。
「あの戦力差で、日本代表を世界3位にまで導いたキャプテンが、随分強張ってるね」
「そりゃそうさ――恋人の両親に会うなんて、経験ないからな」
僕は彼女にとっていい彼氏とは言いがたい。親の目から見れば、普通そう思っても無理はないと、自分でも思う。この半年の間に、二度も彼女を置いて好き勝手してきてしまったし、その上どちらも土産のひとつも買ってきていない有様だ。
兄弟ならともかく、親――しかもこんな器量のいい娘の親だ。どうしても、半端な男は玄関先で塩でも撒いて追い出すような人達を想像してしまう。
「僕が君の親なら、男が来たら、無理難題を言って追い出す気がするな。火山の火口の中にある指輪だとか、燕の子安貝だとかを持ってこいとか」
「大丈夫よ。うちの親、むしろ賑やか過ぎるくらいの人達だから」
「……」
そんなわけで、僕は手ぶらのまま、シオリの家の前に到着する。
僕はそれでもまだビビッていて、玄関前で一度立ち止まり、深呼吸をした。
「疑り深いなぁ」
シオリは呆れ顔だ。
「……」
て言うか、何で僕はシオリの家に来ることになってるんだ?
しかも、シオリが自分から家に誘うとか。女の子が自分から、自分の家に来て、なんて、そうそう言うものじゃない。シオリみたいな奥手な女の子なら尚更だ。
――まあ、そのおかげで、しばらく家に帰らなくてよくなったわけだけど。
シオリはどうやら鍵を持ってこなかったようだ。インターホンを鳴らす。
「はーい」
女の子の声がして、擦りガラスのドアの鍵が開く。
「お帰りーお姉ちゃ……」
そう中にいる女の子が言いながらドアを開けたが、少しドアが開いただけで、ぴたりとドアが止まる。
そこには、タンクトップにホットパンツという、イケイケな格好をした女の子がいて、じっと僕の顔を見ていた。
「え? え? ウソ!」
僕の顔を見て、途端女の子は狼狽して、次の瞬間、開きかけたドアをばたんと閉めてしまった。
「……」
「ちょ、ちょっとシーちゃん! どうしたの?」
シオリが困ったような顔で、ドアをノックする。
「ま、待って! うぅ――何でよぉ」
ドアの向こうから、女の子の泣きそうな声が聞こえる。擦りガラスの様子を見ると、ドアの前でへたり込んでいるようだ。
「何やってんだよ、シズカ姉」
ドアの向こうから、シュンの声がした。
シュンがドアに近づいてきたようで、ドアがまた開かれる。
「サクライさん、来てくれたんですね」
シュンは僕の姿を確認するなり、微笑んだ。
「すいません、姉が粗相しまして」
ドアを開くと、シュンの横に、さっきのイケイケな女の子がへそを出して、シュンの横に立っていた。シオリより背が少し高く、胸も少し大きい。足がすらりと長く、綺麗な女の子だった。
「えっと、紹介するね。私の妹」
シオリは、シュンの時と同じように女の子を紹介する。
「はじめまして。サクライ・ケースケです」
僕は挨拶するが、女の子は僕を見るともじもじして、目を俯けてしまう。
「はは、気にしないでください。こんな恥ずかしい格好でサクライさんの前に出たんで、照れてるだけですから」
シュンが隣の女の子を見ながら、呆れるように笑った。
「――シュン、アンタ何でサクライさんが家に来ること、言わないのよ! 知ってたんでしょ?」
それを聞いて、女の子はシュンに怒ったような、泣き出したいような声で問い詰める。
「シズカ姉は男前を見るといいカッコしたがるからな。初めから恥かいておいた方が、今後無理しないでいいと思って」
「この――」
「二人とも、喧嘩しないで」
シオリが玄関で、二人を諌める。
「ケースケくん、妹のシズカ。私はシーちゃんって呼んでるの」
シズカに代わって、シオリが改めて紹介した。
「何だ――よかった。初めドアが閉まった時は、来てはいけなかったのかと心配したよ」
「そ、そんなことないです!」
シズカは僕がそう言うと、思わず声を上げた。
「来てくれて、すごく嬉しいです。あの――こんな格好で、ごめんなさい。マツオカ・シズカです。中3です。よろしくお願いします」
「よろしくね」
僕は手を差し伸べる。シズカははじめ恥ずかしそうな顔をしていたけれど、やがて笑顔になって、僕の手を握り締めた。
「わぁ! 私、サクライさんと握手しちゃったぁ、すごーい!」
シズカは嬉しそうに僕に微笑む。
「あぁ――でも、こんなことならメイク落とさなければよかったぁ」
「……」
格好を気にしているようだけれど、スタイルがいいから、僕の方こそ目のやり場に困った。すっぴんを気にしているようだけれど、全然問題ない。
しかし――シオリの妹とは思えないくらい元気な娘だな。化粧とかの知識もシオリよりありそうだ。服の趣味や、性格嗜好もシオリと随分違いそうだ。
やれやれ――マツオカ家の人間は、ひと癖もふた癖もありそうだ。
そんなわけで、新キャラクター、マツオカ家の人々、登場です。
3兄弟全員、「し」で始まる名前にしてしまったのは、正直嫌がらせです。作者は名前を考えるのが苦手で…本当はみんなカッコいい名前にしたいんですけどね。
ただ、キャラの名前を覚えやすいように、簡単な名前にした方がいいのかな、とも思ったり…
最近の子供の名前はすごいですからね。ああいうカッコいい名前を考えられる親のセンスに脱帽ですね。作者はとても真似できません。