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Greed

 よく考えたら、わかることだ。浦和レッズは、僕の身近にいるユータを使って僕をチームに勧誘しようとした。そして最近、また僕を勧誘してくれと頼まれたと、ユータも言っていた。

 それなら、他のチームが僕の身近な人――家族を切り崩そうとするなんて、容易に想像できるじゃないか。

 何ですぐにそれに気付かなかった? さすがにこいつらでも、そこまではしないだろうと思っていたからか?

 僕を家から追い出せなかった理由もわかった。

 接待や裏金を受ける条件は、僕の説得――なのに僕が自分達と別々に暮らしていたら、各チームから、本当に僕を説得しているのかが疑われる。一緒に住んでいれば、説得をしているかどうかなんてどうとでも言える。金品を受け取ってしまえば、あとはどうでもいいってわけだ。

 あの時、僕の一人暮らしを拒んだ時点で、こうなることを想定していた? いや、違う。きっとあの頃からもう、国内のチームスカウトから、今ほどではないが、金品を受け取っていたのだろう。そう考える方が妥当だ。じゃなければあの時、僕がオランダで恥をかいたら、なんてことを心配するわけがない。あの言葉は、自分の甘い汁の供給が、僕の恥――つまり商品価値の下落と共にストップすることを懸念してのもの。そして僕がオランダに渡り、蓋を開けたら予想外の大活躍。僕の価値の高騰と共に、賄賂の額をどんどん吊り上げたってわけか。

 しかし――

ざっと見たものだけでも、これだけ貰ったら、きっと総額1000万は下らないぞ。他にも貴金属があるかも――これに実際の現ナマも加わったら、家族は一体僕がオランダに行っている間に、いくら袖の下に入れたんだ? 僕の日本代表での、ボーナス含めた総額くらい? いや、多分もっと……

「……」

 呆然とした足取りでリビングに戻りながらも、僕は拳を握り締め、歯を食いしばっていた。

 これが――これが本当に、人間のすることか? 家族を使ってやることなのか!

「こ――この……この馬鹿共!」

 腹の底から怒りの声が漏れた。

「貴様等はやっていいことと悪いことの区別がつかないのか!」

 壁を握り拳で、バン、と叩く。もうこの怒りは何かにぶつけても収まりそうになかった。

「うるさいなぁ」

 しかし僕の怒りなど、蛙の面に小便といった表情で、妹が言った。

「別にいいじゃん、向こうが出すって言うからもらってるだけだし。それに私もアンタの客にお茶とか出したりさせられたし、これくらいはその見返りとして……」

 バシッ!

 その口を僕は、妹を平手打ちすることで塞いでいた。

「何すんのよ!」

「お前は自分のしたことが何なのか、わかっているのか!」

 怒鳴る妹に、僕は怒鳴り返した。

「お前――その金は僕を説得してくれることを期待してお前に払った金だ。だがお前は僕を説得する気などないんだろ? それなのに説得をダシに金を受け取る――これは詐欺だ! 立派な犯罪だぞ!」

 そして、妹の後ろの家族にも目を向ける。

「お前等も同じ考えなのか……今まで散々僕をいたぶってたくせに、自分達より下に置けなくなって、憂さ晴らしの相手として使えなくなったら、僕を使っての利益は何でも吸い上げる。お前等には節操がないのか! 恥を知れ! 恥を!」

 許しを請うてほしかった。

 自分達のしたことが、悪いことであったと、わかってほしかった。

 だけどその思いは、如何に甘いものであったかを、もうわかっている。

 家族は皆、罪のありかをどこかに忘れたような顔をしている。

 それが、僕の怒りを更に加速させた。

「ケーちゃん。私達はそんなつもりはないわよ」

 祖母が笑みを浮かべる。

「私達だってケーちゃんを預けるのに一番いいチームを選んだ。一番あなたを高く買ってくれた――つまり、一番あなたを評価したチームと契約したのよ。結局人間、自分を一番評価してくれる人のところへ行くのが一番幸せなんだから。私達だって、あなたの幸せをちゃんと考えたわ」

「そういうことだ。それにそれだけ金が出たら、お前の一生は取り合えず安泰だろ? なのにこの好機をお前は綺麗事で逃そうとしているようだったからな――親として、わが子が道を踏み外すのを放ってはおけない。だから親の権限で、子供を正しい方向へと導いただけだ」

「……」

 屁理屈だ。だが、法廷論拠としては、十分通る言い分。

 大金を得る契約が、子供の将来を考えてと言えば、筋は通る。親権というのはそれ程強い。

「――金を出せ」

「あ?」

「僕と契約したチームから貰った契約金をここに出せ! 今すぐに!」

もうこうなったら、そのお金を全額返して、この契約を遡って無効にしてもらうしかない――

「ああ、それは無理ね」

母親が言った。

「表の張り紙見なかったの? 私達、店を閉めてこの家を出て行くのよ。もう引越しの準備も進んでいてね。東京の城南にある億ションを買って、一生遊んで暮らすの。その億ションの頭金でかなり使っちゃったからね」

「ふ――ふざけるなよお前!」

 あまりのひどさに言葉も失いかけたが、さすがにこれを聞いて僕も黙ってはいられなかった。気がついたら僕は既に母親に詰め寄っていた。

「はい、アンタには、これとこれ」

 しかし母親はおくびにもせず、僕に二通の封筒を取り出した。

 それは、僕の契約した中東チームの案内書と、退学届と書かれた封筒だった。

「アンタ、埼玉高校を退学して、来月から中東に行くのよ。契約は2年契約で、その間の給料は、こちらの口座に引き落ちることになってるから、必要な分だけ私達がアンタに送金するわ」

「は?」

「その先はもう好きにしなさい。2年契約が終わればアンタも20歳だしね。私達もあなたの親権が切れるあと2年、好きにやらせてもらうし、それが過ぎたらアンタに干渉しないし。アンタの望みどおりでしょ? アンタ、来月には私達と一緒に暮らさないでいいんだから」

「ちょっと待て!」

「何? 大丈夫よ、アンタの行くところ、アンタに最高級の歓待をしてくれるって言うし、身の振り方はクラブの人が何とかしてくれるわ」

「そういうことを言っているんじゃない!」

「ガキ、いい加減に静かにしろ」

 騒ぎ立てる僕を、親父が煙草をふかしながら、迷惑そうに見つめた。

「少なくとも、お前に今までかけた元手ってのは、大変なものなんだよ。お前が今騒がれるまでの実力があるのは、俺達のおかげだな。だったらお前は元々、俺達に恩を返す義務があるわけだ。なのに恩を忘れて、お前一人だけ美味しい思いを持ち逃げされたらかなわないからな」

「……」

 こいつ、実の親が子供に言うとは思えないような言葉を吐く。その理屈はもはや、人身売買と同じだ。

 本当の親は、子供の幸せを願うという。

 だけど、こいつは逆だ。この家族は、僕だけが幸せになるのが許せないんだ。

 こいつらは、いまだにこの不幸な家庭の中から抜け出せずにいる。心の安らぎも知らず、ただ金によってのみ運営される家庭。

 その最下層にいた僕が、一人だけ幸せになるのが許せないんだ。

 そして、未成年である限り、僕は完全にはこいつらからは自由になれない。

 久々に、この家庭に吐き気がした。

「だったら、その分を返せばいいんだろ……」

 僕はもう、こいつらとまともに会話をしたくなくて……こんな事を言うしかなかった。

「その分は必ず返す。何年かかるかわからないけれど、働いて……だから、もうこんなことはやめろ。人を騙して、お金を取るなんてことは、絶対に……」

「ふん、頼みごとか、よくわかってるじゃないか」

 そう言うと、親父は僕の前ににじり寄って、酷薄な笑みを浮かべて、言った。

「だが、テメエみたいな生意気な犬っコロも、ようやく利用価値が出てきたんだ。一番高いところに買ってもらって、せいぜいこっちもいい思いさせてもらうぜ」

「貴様!」

 僕はいきり立つ。しかし親父は、その姿を歯牙にもかけず、言った。

「テメエだって、今まで契約金吊り上げようとして、表に出なかったんだろ? その手伝いをして、お前を高く売ってやろうとしてやってるんだ、何が悪い?」

 そう言うと、母や妹、祖母も口を開く。

「アンタだって、何億も詰まれりゃサッカーやるでしょ」

「そうそう、アンタも高校、貧乏だったから、お金がほしいんでしょ?」

「もうこれ以上はいいわ。早くお金を稼いでちょうだい」

「お前等みたいな下衆と一緒にするな!」

 家族の言葉に、僕の全てを汚された気がした。

 僕が今まで、幸せになるために、この家庭で得られなかった『心』を取り戻そうと、積み重ねた、その幸せな時間。

 つい一日前まで、友のために必死に戦い続けたあの時間。

 それを、薄汚い私利私欲の戦術にまで価値を貶められた。

 金だけで繋ぎとめられている家族と、同類扱いされた。

 おまけにこいつが言っていることは、人身売買と何の代わりもない。高く売れれば、僕の意志も、売る相手の素性も関係ない、と言っているのと同じだった。

 湯が沸くように沸騰した紅蓮の怒りが、このままでは家族への憎しみに変わりそうだった。

 それを感じた時――

 ――ズクン。

 僕の心臓が、強く脈打った。

「……」

 僕は反射的に心臓を抑えた。

 憎しみが――僕の心を支配して……

 ――あ、駄目だ。戻っちゃ……

 潜在意識の警告で、僕は家族を放り出して、踵を返して部屋に入り、鍵をかけていた。

「はあ……はあ……はあ……」

 部屋に戻って、僕はスーツのまま、ベッドに倒れこみ、荒い息で深呼吸を繰り返しながら、僕は心臓を抑えていた。

 こんな気分、昔は当たり前のように味わっていたな……

 昔の僕は、良くも悪くも、それを自分の心の内に押さえ込んでいた。

 それが、たった一回こんな仕打ちを受けただけで、こんなに心が汚されるなんて……

 その時。

 真新しい僕の携帯電話が、スーツのポケットの中で鳴った。

「……」

 僕はそれを手探るように取り出し、耳に当てた。

「もしもし……」

「あ、もしもし、私――シオリです」

 鼻にかかるような、遠慮がちな彼女の声がした。

「――ああ」

「帰国したって聞いて、そろそろ帰ってきたのかなって、電話してみたんだけど……今、忙しいかな?」

「……」

「――もしもし?」

「……」

 半月ぶりに聞く、彼女の声が、とても愛しくて……

 弱った心が抱える、どす黒い気持ちを溶かしてしまう。

 彼女の声が、僕の澱んだ気持ちに、いつだって明かりを灯す。

 そうしたら、無性に心が痛くなって……

 気がついたら、静かに涙を流していた。

 受話器越しに、震えた息を漏らす。

「あの――泣いてる、の?」

「……」

「――ねえ、どうしたの?」

「――逢いたい」

「え?」

「――君に――逢いたい……」


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