Ominous-clouds
「――ユータ、ジュンイチ」
そんな思いが、他人に対して弱気な僕に、俄然勢いをつけた。
「僕は、少しはお前達の役に立てたか?」
「は?」
ベンチに座る僕を、二人が見下ろす。
「――この代表召集を受けたのは、あのままじゃお前達が間違いなく死ぬと思って、それを何も出来ずに見ているのが、耐えられなかったんだ。だからせめて、死ぬ時は一緒に死んでやろうと思って、僕はここに来たんだ。初めから、僕はそれ以外のことは考えていなかった。お前達を、何とかして守りたかったんだ」
初めて僕は、この代表召集を受けた真意を二人に語った。
「僕は出会ってから今まで、お前達の数ある好意の全てを踏みにじり続けてきたからな――今となっては、申し訳ないと思っている。そんな踏みにじり続けた好意の分を、少しでも返したかったんだ……」
そこで一度言葉が途切れた。
「その――お前達を、友と呼べるように」
僕はしっかりと、二人の目を見て伝えた。照れくさい台詞だったが、それ以上に僕の意志を、何とかして二人に伝えたかった。
言ってみて改めて実感する。僕は心から、こいつらと本当の意味で、友達になりたいと欲していることを
「……」「……」
二人とも、僕の性格を誰よりも知っている。その僕が、まさかこんなことを言うとは思ってもいなかったのだろう。呆気に取られたような表情をしている。
沈黙。
「あ、あの――」
沈黙が走ると、途端僕は何を言っていいのかわからなくなる。こういう時の僕の語彙の貧弱さは本当に嫌になる。
「あのさ――僕――お前達のこと、友達って呼んで、いいかな……」
何だか、感情が噴出して、言葉が途切れ途切れになりながらも、それを伝えた。
「ずっとお前達の心を踏みにじり続けてきた、駄目な奴だったけれど――この大会で、その恩の全部を返せたとは言えないかも知れないけれど――これからは、お前達が困っていたら、何を置いてもすぐ駆けつけるから。だから――」
そこで言葉が途切れてしまう。
声が出なくなる。泣き出してしまいそうなほど、今が怖い。
誰かに否定されるかもしれないと言うことが、これほど怖いとは思わなかった――いや、その怖さを僕は知っていた。それを受けることが怖くて、僕は今まで、誰とも向き合わずに逃げ続けてきた。
僕は世界一の臆病者なんだ。
「ふ、ふふふふふ……ぎゃははははは!」
途端、堰を切ったような笑い声が、中庭に響いた。
顔を上げると、ジュンイチが腹を抱えて大笑いしている。
「デ――デレが来た! 今までツン100%だったケースケが、初めて俺達にデレた! ぎゃはははは」
「……」
「し、しかし、固いって、ケースケ」
ジュンイチは笑いながら、僕の肩を叩いた。
「そんなの、言ってくれりゃいつだってこっちはウェルカムだったのによ」
「……」
「なあ、ユー……」
そう言って、ユータの方を振り返って、ジュンイチの言葉が止まった。
ユータがその場に呆然と立ち尽くし、ぼろぼろと大粒の涙をこぼし、溢れる涙を拭いもせずに、男泣きしていたからだ。
「ちょ、おま! 何泣いてんだよ!」
「だ、だってよ――」
サッカー以外では、いつも少し醒めた素振りのユータが、さすがに慌てだした。
「いきなりこんなこと、言われると思ってなくてよ――どれだけ聞きたかったか、その言葉……」
嗚咽に混じる途切れ途切れの声で、ユータは何とかその言葉を搾り出していた。
「……」
「ま、素直に嬉しいぜ。お前が俺達を、そういう風に思ってくれていたことはよ」
ジュンイチは、隣にいるユータの背中をさすりながら、僕に微笑みかけた。
「――ま、でも、今まで通り普通にしてればいいんだよ、お前も」
そう言って、ジュンイチは僕の肩に手を回して、僕の体を引き寄せた。ジュンイチを中心に、僕達3人は肩を組む。
「友達なんて、気が付いたらなっているもんだ。そんなもんでいいんだよ。ま、お前の今日の言葉で、俺達はより深い付き合いになった。それは喜ばしいことだと思うがな」
ジュンイチは僕に顔を近付けて、くしゃっと笑う。その笑顔は、半年前、埼玉高校が三國高校と戦い、後半ロスタイムで延長戦に持ち込む同点ゴールを決めた時と同じくらいのいい笑顔だったと思う。
「おいおい、ユータ、いい加減泣き止め。めでてぇ日じゃねぇか。俺達3人でゴールも決まって、ケースケの初デレも見られた。友情に花が咲いた日ってところだな」
「あ、ああ、すまん。もう大丈夫だよ」
ユータはごしごしと、腕で涙を拭った。
「……」
よかった――言えてよかった。
これで僕達は、また一歩先に進むことができる。
関係は劇的に変わったわけじゃないけれど、これでまたひとつ、深くこいつらと付き合えるようになった気がして、嬉しかった。
僕達はそのまま3人、ベンチに座って、中庭で夏の夜空を見ていた。オランダの空は、日本とは星の並びが全然違う。僕の知らない星座も沢山ある。だが、月だけは変わらず優しい光で、僕達を照らしていた。
「しかしケースケ、俺達を友達と認めてくれたのは嬉しいが、それよりも何か言ってやらなきゃいけない人が、お前にはいるんじゃないの?」
ジュンイチが言った。
「……」
僕は自分の右腕に、いまだに巻かれている、試合で若干泥の染み込んでしまったミサンガを見、着ている日本代表のウインドブレーカーのポケットから、試合中も、それ以外の時も、肌身離さず持っていた手作りのお守りを取り出した。
「そうか――もうすぐ会えるんだよな」
別に忘れていたわけじゃないけれど、改めて言われると、変に感慨深く感じた。
「……」
お守りを握り締めながら、僕は彼女のことを思った。
誰かの笑顔を見ることが、自分はこんなに好きだったなんて、今日初めて知った。
その感情に、何か、どこかで触れたことのあるような、そんな気がしていたのだけれど。
それはきっと、彼女が前に言ってくれていたことだ。
彼女は、僕の笑顔を好きだと言ってくれた。そして、僕の笑顔を見ていて、自分は誰かの笑顔を見ることが好きなのだと気付いたと言っていた。だから大学に行っても、音楽を続ける。私の音楽で、誰かを笑顔にすることができたら、嬉しいな、と。
――いつの間にか僕も、彼女の笑顔を見て、同じことを考えていたんだな、と思う。
彼女の笑顔が早く見たかった。美しいけれど、飾らず、慎ましく、ひっそりと素朴に笑う――彼女の好きな、竜胆の花のような、あの笑顔に、早く会いたいと思った。
「……」
そう思うと、途端胸が焦がれた。
この約1ヶ月、離れてみて、生活のふとした場面で、彼女のことを強く感じることがあった。
いるはずもない外国で、彼女の面影を探したり、彼女の言葉を思い出したり――
――もしかしたら僕は、今までより一層、彼女のことが好きになっているのかもしれない。
その気持ちを、早く会って確かめたかった。
離れてみて、色々気が付いたこともある。彼女と話したいことも、今なら沢山ある。
「ま、じゃあケースケが俺を友達と呼んでくれたことを記念して、俺から友達として、初のおせっかいを焼かせてもらうかな」
そう言ってユータは自分の財布を取り出して、何かを取り出し、僕の前に拳を突き出した。
怪訝な顔で僕が手のひらを開くと、ユータは拳を僕の掌に置いて、それを渡した。
「な!」
僕は思わず声を上げた。
ユータから手渡されたもの――それは、コンドームだった。
「はは、別に使えって言っているわけじゃないさ」
ユータが僕の反応に、初心な奴と笑った。
「ただ、久し振りに会って、感情が抑えきれないということもあるかも知れんと思ってな。これを持っていれば、それを抑えないでいい。彼女に自分の100%の想いを伝えられるだろ?」
「……」
確かに――この一ヶ月あまりで、僕と彼女の関係も、僕の想いもきっと微妙に変化しているはずなんだ。正直、会ってみて、僕が彼女にどんな感情を抱くかは、まだ想像できない。
だけど、これを持っていれば、どうあれ、彼女に遠慮なくぶつかることができる、か――
「俺は出来ればそれをお前が使うところ、想像したくないけどな」
ジュンイチが言った。
「シオリさんがキズモノに……想像したくねぇなぁ」
「……」
おいおい、友達の恋を応援する気はないのかよ。
「ま、いずれにせよ、俺もマイさんに早く会いたいぜ――お互いしばらく長い夜になるな」
「……」
試合を控えていた時は、考える暇もなかったけれど、試合が全て終わったと思うと、途端にその瞬間が待ち遠しく思えて、どうしようもなくなった。
――早く、会いたい。
「お、こんなところにいた」
ふと中庭に、声が響いた。
声の方向を振り向くと、日本代表のスタッフがそこに立っていた。
「あ、ども」
ジュンイチが会釈をした。
「ああ、すまん、めでたい席に興を削いで」
スタッフはそう言って、僕の方に駆け寄ってくる。
「なあ、サクライ」
深刻そうな顔で、名を呼ばれる。
「お前、今のところプロチームの交渉は、全部保留していて、日本に帰ってじっくり考えるって、伝えているんだよな」
「はぁ――そうですけど」
というか、スタッフだって知っているはずなんだ。オランダの合宿中、このホテルにも僕に各チームのスカウトが来て、スタッフの人達にもその対応をさせてしまったり、会見の段取りをさせてしまったりしていたし。
「しかし――お前、日本では、何でも中東のチームに入団するって。新聞にも載っているし、クラブのホームページで正式発表もされているぞ」
「――は?」
寝耳に水とはこのことだった。
「そんなバカな。ケースケには代理人もいないし、契約をしてもいません。だって、オランダではずっと俺達と一緒に……」
ユータが言った。
「ああ、しかしこれは事実なんだ。今日本のマスコミは、お前にこの真相を聞きたくて、お前を探している。取り合えずお前達の部屋に戻ろう」
僕達はスタッフに促され、自分達の部屋に戻った。
「これを見てくれ、日本のスポーツ新聞、現地時間の最新版だ。日本からコピーを送ってもらったんだ」
そう言って、スタッフは僕に一枚のコピー用紙を渡した。代表のユニフォームを着て、シュートを放つ僕の写真の横に『サクライ、中東へ?』という大見出しが付けられている。
『現在オランダで開催されている、U-21世界選手権に主将として出場し、アーセナルを初めとしたビッグクラブからもオファーが届いている天才MF、サクライ・ケースケ(17)が、中東のクラブ、バスコ・ダ・ガマと正式契約を交わしたことが明らかになった。サクライは表向きではプロ選手への転向に迷いを示していたが、家族には元々プロへの強い希望を明かしており、代理人の両親が各クラブのオファーを総合して決めたという。契約金は最低でも500万ユーロとされる』
「……」
――何だこれは。
僕の代理人が両親? 両親にプロ入り表明の意思を示していた? 何の冗談だ?
しかも――これじゃ今まで僕がプロ入りを拒んできたのは、契約金を吊り上げるためのデモンストレーションみたいじゃないか。
「ケースケ、どういうことだよ、これ」
「中東って――オイルマネーで金はあるけど、レベルは決して高くない。これが本当だとしたら、思い切り金目当ての入団だぞ」
「僕にもわからない――、一体どうなっているんだ?」
僕も頭が混乱していた。この記事だけでは、何もわからない。
ただ、ひとつだけわかっていることは……
この記事が本当なら、真相は、僕の家族が知っている可能性が高いということだ。
「すみません。僕はここで代表と別行動を取らせてください」
僕はコピー用紙を折りたたむと、すぐに荷物をまとめ始めた。
「今すぐ日本に帰って、この真相を確かめないと」