Wizard
チームメイトも笑って僕を出迎えた。チーム一体の小さい僕はもみくちゃにされる。
「まだまだ! これから相手は目の色変えて攻めに来るぞ! 気を抜くなよ!」
僕は自陣に戻りながら、声を出し、気持ちを切り替えさせる。
センターサークルでは、メキシコの選手が早く攻めたくて仕方がないという顔で、既にボールをセットしている。
審判が試合再開を指示すると、メキシコの選手は余裕を失った顔で、キックオフする。
やれやれ、まだ90分もあるのに。一点取られて焦る時間でもないだろうに。
ま、それも計算していたんだけどね。この代表チームっていうのは、20歳以下の選手しかいない。つまりそれだけチームに若さ、青臭さが出やすいんだ。まさか開始10秒も経たないうちに、自分達が先手を取られるなんて思っていなかっただろうし、ましてそれが攻めたがっていたチームなら尚更だ。こういう大勝狙いのチームには、1点でも2点3点の重みとして感じられるものだ。
メキシコは、南米といっても身体能力で勝負するチームではない、スピードのある連携で勝負してくるチームだ。キックオフの後、すぐにサイドにボールを振って、僕達のサイドラインを抉ってくる。
「いらっしゃいませご主人様ぁ!」
しかしそのスピードに乗った攻めを、ジュンイチが苛烈なスライディングではじき返し、ボールはサイドラインを割った。
「へへっ」
「――何だよ今の変な声は」
近くに駆け寄った僕がジュンイチに手を貸し、体を起こさせる。
「へへ、いい機会だから、この際日本の文化をサッカーを通じて伝えようと思って?」
「……」
お前みたいな日本人がいるから、日本文化に間違った解釈をする外人が減らないんだ。
だけど――
「ま、悪くないな」
僕は言った。
別にその日本文化が、という意味ではなく、常に高いテンションで試合をすることは、悪くはない。
スローインからメキシコの再攻撃が始まる。中央にボールを預け、そこから次の攻撃の展開を狙う。
「よし、来い!」
後ろのマスダが声を上げる。
足を目一杯伸ばして、マスダはペナルティエリア近くで相手の攻撃を跳ね返した。
こぼれ玉をジュンイチが拾う。
「ケースケ!」
ジュンイチがボールを前方の僕に預ける。もう一度こちらのカウンターだ。
相手はワンボランチ――僕を待ち構える。
「いらっしゃいませー!」
僕も声を上げていた。
序盤からアドバンテージを貰い、まずは日本の意地を世界に示した。
これからの頑張り次第で、僕達は世界中を驚かせることができるかもしれない。
さっきまで僕達を馬鹿にしていた奴等に、一泡吹かせることができるかもしれない。
そんな、負け戦をひっくり返すようなスリルが、僕のアドレナリンを活性化させていた。
今日は思い切りサッカーを楽しめそうだ。
ボランチの選手を、ルーレットをかけてかわす。春風ルーレットと呼ばれる僕の得意技だ。
日本は僕が加入するまでは、コミュニケーション不足からか、連携が伴わず、速い攻撃ができなかった。だが、ふたを開ければいきなりスピードを生かした攻撃をされ、相手は今まで研究してきたチームとは、別のチームを相手にしているような感覚に襲われている。ボランチも、こんな一瞬で抜かれるとは思っていなかったのだろう、ほとんど反応さえ出来なかった。
ディフェンダーも、体勢を立て直そうにも、ボランチが一秒たりとも僕の足を止めてくれなかったために、あたふたしている。研究していたチームでは、自分達がまさか開始早々ここまで守勢に回るとは思っていなかった証拠だ。
ユータに目で合図を送る。
僕はディフェンダーの間を通すように、グラウンダーのパスを出す。僕がボールを蹴ると同時にユータはオフサイドギリギリでディフェンスラインの裏へ抜け出し、完全にフリーでボールを受けられる体勢を作っていた。
しかし、相手ディフェンダーはユータに裏を取られたことで、もう一点を確信したのか、横をすり抜けるユータのユニフォームの裾を思い切り引っ張って、ユータを止めた。ユータはそのまま仰向けに倒される。
当然これはファールだ。おまけにディフェンダーにはイエローカードが出る。日本はゴール正面22メートルという絶好の位置でのフリーキックを得る。
日本サポーターは、確実に一点入っていたという状況にも拘らず、大歓声だ。
「一点損したな」
僕はユータの許へ駆け寄り、ボールを貰う。
「だがサポーターは、それでも一点を確信しているようだぜ。お前のフリーキックのな」
そう、埼玉高校での僕は、「サクライに25メートル以内のフリーキックを与えたら、一点を取られたも同じ」と評価されている。サッカー雑誌の統計では、角度を問わず、僕にゴール25メートル以内のフリーキックを与えたら、8割は得点が入るという記録が出たらしい。
僕はボールを置く。代表合宿で、僕は左利きという利点もあり、代表でも近距離でのフリーキッカーを任された。
壁は五枚、だが僕には関係ない。
僕のフリーキックは無回転で宙を舞い、野球のナックルボールのように不規則に揺れ、そのまま急降下して、キーパーにろくに反応させないまま、ゴールネットを揺らした。
オランダの夜空に、長い笛が響き渡る。
その瞬間、日本の選手達はそれぞれに喜びを爆発させた。
僕も、ユータ、ジュンイチと握手を交わした。
結局僕達は、4-1でメキシコを下し、僕は初戦でハットトリックを決めた。
惨敗確実の日本が強豪の一角に快勝したことで、このグループは波乱の幕開けとなった。
――日本はその余勢を駆って次戦のチェコにも3-0で勝利し、最終戦、フランス戦を待たずして、2勝同士のフランスと共に決勝進出をほぼ確実なものとした。
そして、最終戦――既にフランスも2勝していて、決勝リーグ進出は確実なものとしていたから、それに備え、主力を温存しての日本戦だったが、そのフランスにも僕達は3-1で勝利。結果グループ全勝の首位で予選リーグ突破を果たした。
いくら主力温存とはいえ、歴代の名選手を多く排出し、ワールドカップ優勝経験もある国の代表を破ったことは、日本中を大いに驚かせた。
というか、代表選手達も、自分達のその快進撃に、信じられないという面持ちをしながらも、日に日にサッカーをするのが楽しくて仕方がない、サッカーに飢えている環境というのが出来上がっていき、チームの士気も上向いていった。
予選リーグを突破した頃、JFAには、今までこの代表を酷評し続けていたサポーターから謝罪の手紙が殺到し、ネット上も謝罪文で溢れかえっているという噂を、報道陣から聞いた。
だが、日本の選手達はそれに浮かれることなく精進に励んだ。
そして、決勝トーナメント、僕達はベスト16でコートジボワールを3-2で下し、ベスト8のイタリアも、1-1で何とかしのぎ、PK戦で運よく勝利を掴み、ベスト4へと駒を進めることができた。
ベスト4に残ったのは、開催国オランダとイングランド、アルゼンチン、そして日本という顔ぶれで、僕達はベスト4で開催国オランダと当たることとなった。
しかし、僕達は強豪オランダのパワーに押されてしまい、2-2まで粘って延長戦まで持ち込んだものの、最後は相手にゴールデンゴールを決められ、ベスト4で敗れた。僕達は数日後、同じくベスト4で破れたイングランドと、3位決定戦に進むこととなり、日本がこの大会でメダルが取れるかどうかは、最後のこの試合へと持ち越されることとなった。
「へぇぇ、ユータ、またオファー来たのかよ」
「ああ、昨日クラブのGMから電話があって。セビージャが今オフの練習に参加しないかって」
オランダ戦の惜敗から一夜明け、僕達はユトレヒトの郊外の練習場で、軽めの調整を行っている。怪我をしないようにという名目で、ある程度自由な練習が許され、上半身裸のユータは同じく上半身裸のジュンイチに体を押され、ストレッチで疲労した体の筋を伸ばしていた。
大会前には注目度ゼロだった日本代表だが、今大会の快進撃を受けて、今は現地の人まで応援に駆けつけてくれている。ゴールを決めればハイテンションで喜び、プレーでは闘争心を露にする姿は「サムライジャパン」と称され、海外でも高い評価を受けた。
昨日の試合、オランダに後半30分、3点目を決められ、3-1とされてから、日本は捨て身の攻勢に出、1点差にまで差を詰め、同点まであと一歩のところまでオランダを追い詰めた。さぞ現地の人から恨まれると思ったが、どうやらヨーロッパの自由な気風は、いい試合をしたチームには敬意を払ってくれるらしい。言葉はよくわからないが、さっきから好意的な応援の声が耳に届いていた。
「しかしすごいなぁ、これでオファー何件目だよ」
「――ま、上には上がいるけどな」
そう言ってユータは目の前で、上半身裸になってバットを素振りする僕の方を見た。
「ん?」
「昨日のうちにPSVからもオファーがあったんだろ。アヤックスとフェイエノールトからも前に話があったから、オランダ3大ビッグクラブ制覇だな」
「……」
「お前、この大会中に、どれだけオファー来たんだよ」
ジュンイチが訊いた。
「――さあ、とりあえずこれだけかな」
僕は手近に置いておいた自分の鞄から、一冊の手帳を取り出して、ある一ページを開いて、二人に見せた。
「どれどれ――ブレーメン、ニューカッスル、フィオレンティーナ――げっ! アトレティコマドリーや、リバプール――うおっ! アーセナルまであるじゃねぇか! チームも20以上話が来ているのかよ」
「大袈裟だな、話をしたいっていうだけで、契約に前向きかどうかは現時点でわからないんだ」
僕には代理人がいないため、大会終了まで、オファーの話は保留にさせてもらっている。所属チームもないため、基本入団交渉をするスカウトマンは合宿上のホテルに訪れる。ヨーロッパだけでなく、中東や南米のクラブからのオファーも数多くあったが、現時点では訪れたチーム名を記録しているだけで、どのチームとも移籍交渉の説明段階にも至っていない。
ユータはここまでの6試合で6得点を挙げ、大会得点王に1点差の2位タイに付けている。その得点能力と、恵まれた体格に似合わない素早い身のこなしが、世界の注目を浴び、海外クラブからのオファーも何件か届いたと、日本の所属クラブから連絡があったそうだ。
「ま、今回のケースケの大会の活躍じゃ、それだけオファー来てもしょうがないさ」
僕はここまで全試合に先発出場し、途中交代も2試合あったものの、5得点6アシストを記録しており、日本代表の攻撃の要である。同時に、パスカット数は参加選手中一番の成績を収め、守備の貢献も高かった。
この体で、フィジカルに難があるために、一対一の守備では時間稼ぎくらいしかできなかったけれど、持ち前の先読み技術でパスコースに先回りし、ボールをカットしたり、セカンドボールを拾いまくったりすることで、フィジカルの弱さをカバーして余りあるボール奪取率を見せていた。先読み技術を駆使してチームメイトに指示を出し、カウンターを食らっても瞬時に体勢を立て直す日本のディフェンスは、世界レベルで見れば体格には劣るが攻撃をよく持ちこたえており、そのせいで僕のキャプテンとしての評価もうなぎのぼりだった。
オランダの地でも、僕は「リトル・ウィザード」。小さな魔法使いと称され、人気を博した。新聞では「日本のイニエスタ」なんて紹介も受けた。
「僕はどのクラブにも所属していないから、移籍金がかからないからな。オファーの数はその分集まりやすい。お前も移籍金がかからなければ、大会得点王争いに絡んでいるんだ。僕以上にオファーは来ているさ」
僕は言った。謙遜ではなく、ユータと僕ではオファーの条件で圧倒的な差があるのだ。移籍金がかからない僕は、格安で交渉ができる、いわばお買い得選手なのだから。
「はぁ、しかしお前、どうするんだよ」
ユータがストレッチをしながら訊いた。
「お前、その調子じゃ大会終わっても、サッカーはとてもやめられないぞ。もうオリンピック代表候補のリストにお前の名前も挙がっているだろうし、下手したらA代表召集も近々あるだろう」
「……」
「実は俺も昨日、うちの社長から電話で言われてさ、もう一度サクライくんを説得してくれないか、って。入団してくれたら、最高の環境を用意するから、ってさ。日本でも今その有様なんだ。日本に帰ったら、お前、どうするわけ?」
あとがきがものすごく多くなりますが、一応サッカーを知らない人のために…他に判らない用語があったら聞いてください。
PSV、アヤックス、フェイエノールト…オランダリーグ、通称エールディヴィジの3強と言われる名門クラブ。
アトレティコマドリー…スペインリーグ、通称リーガエスパニョーラの強豪クラブ。日本ではAマドリーと略される。スペインには超名門クラブ、レアルマドリーがあり、こちらはRマドリーと略される。両者ともマドリードを本拠地としており、この2チームの試合はマドリードダービーと称される。
ブレーメン…ドイツリーグ、通称ブンデスリーガの有力クラブ。
ニューカッスル…イングランドリーグ、通称プレミアリーグの中堅クラブ。
フィオレンティーナ…イタリアリーグ、通称セリエAの有力クラブ。
リバプール、アーセナル…チェルシー、マンチェスターユナイテッドと国内4強を形成するプレミアリーグの超名門クラブ。
イニエスタ…アンドレス・イニエスタ。スペインのFCバルセロナに所属する世界的サッカープレーヤー。小柄だが、攻守の能力に優れる。
リオネル・メッシ…2011年現在、世界最高峰と称されるバルセロナ所属のサッカー選手。幼年時代、成長障害により、身長が伸びないと言われていたが、クラブがその治療費を出してまで入団させたという経歴のある小柄な選手。
バロンドール…ヨーロッパ年間最優秀選手に贈られる賞。