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Leader

 夕方の長いミーティングを終えて、一度小休止のため、部屋に帰る。ホテルに用意された食事を摂り、食事の後は一度部屋に帰ってそれぞれシャワーを浴びるなり、一時間の休憩。それから対戦相手のビデオを見て、戦術討論が残っていた。

 夕方のミーティングでは、選手全員が勝つために真剣な議論を交わした。合宿途中の練習試合の時からそうなったが、このチームはようやく勝つために一枚岩になることができたようだ。

「あー、つっかれたぜぇ」

 日本からの長時間移動のため、今日は練習はなかったのだが、ミーティングが長く続いたため、3人とも気だるい疲労を背負って部屋に戻り、手近のソファーやベッドに座った。

「誰かシャワー浴びたければ、浴びろよ」

 僕が言った。さすがにオランダのホテルに大浴場はない。部屋の小さなユニットバスしかないのだった。

「いや、いいや」「俺もまだいい」

 だが二人とも現時点ではシャワーを浴びなかった。どうせこの後少し休んだら、また対戦相手のビデオとにらめっこなのだ。なら少しでも体を休めておくことを選択したようだ。

「……」

 沈黙。

「ひとつ訊いていいか?」

 僕の座る椅子の目の前のベッドに座るユータが僕に話しかけてきた。

「ん?」

「もしかして、あの合宿でお前がサポーターを指揮してやった試合って、単に他のみんなの問題点を指摘するだけじゃなく、このグループリーグを想定してのことだったのか? 大勝しか狙わせない状況を作り出して、本戦での相手の考えをトレースさせてやる目的で、あの試合をやったのか?」

「ああ、そうだよ」

 僕は言った。

「彼を知りて、己を知らば百戦して危うからずとも言うし、まず相手が日本戦、どんな気持ちで臨むかを疑似体験させてやろうと思ってな。一度相手の気持ちに立つと、相手の嫌がることも色々想像がつくだろ? おかげで今日のミーティング、みんな結構戦術の意見が出た。きっと予選、そこそこ皆いい試合すると思うぞ」

「――そこまで考えていたのかよ」

 ユータは呆れ顔だ。

「マスダさんがお前にキャプテンを譲った理由もわかるぜ」

「……」

 僕は嘆息した。

「――僕自身は、自分は人の上に立つ人間としては適さないと思っているけどな」

 僕はユータにそんな返事を返す。

「人の上に立つ人間は、少しは夢想家である方がいい。下の人間に夢を見せることが、人の団結を生むからな。だが、それに比べると僕は思考や言葉が現実的過ぎる――基本的に僕は副将タイプだと思うぞ」

 そう、僕を知る人間は、僕が一応頭がそれなりに切れることを知っている。

だから僕が未来の予測を立てたりすると、それが酷く現実的に聞こえてしまうようだ。僕の言葉は、人に夢を見せる力に欠けている。周りの人間を不安にさせるには十分の力があるのにも拘らず、だ。

 本当は、そんな夢想家のリーダーの理想論を、現実的思考に立つナンバー2が支え、理想を形にするという形が、組織が成り立つ上での一番の理想であると僕は思う。そして、最も重要なのは、リーダーがが猜疑心の弱い人間であること、特にナンバー2の人間の野心を疑わないことだ。その条件が揃えば、組織というのは大体が上手く成り立つと思う。

「ま、お前の尊敬する諸葛孔明も副将タイプだしな」

 ユータの隣のベッドに座るジュンイチが言った。

「孔明か……」

 僕はその名前を口にする。

 卑しくも僕はその孔明の通り名『臥龍』を受け継いではいるけれど――

「僕は、歴史上の人物にたとえれば、石田三成に似ていると思うよ」

 僕は言う。

「能力も高い、志もある。だが歯に衣着せぬ物言いが他人に好かれず、多くの人に嫌われ、誤解される――」

 石田三成は関が原の西軍の総大将だ(実際の西軍の総大将は当時の実力者、毛利輝元だったのだが、戦場に毛利が参陣しなかったために、発起人の三成が総大将となった)。兵力では東軍の徳川家康以上の頭数を揃えていたものの、戦っているのは一部の武将のみで、他の武将には日和見を決め込まれてしまった。西軍には家康に内通している者も多く、最後は味方の裏切りで敗れた。

 三成は、主君の豊臣秀吉が死に、後継者の豊臣秀頼が幼かったことで、豊臣家の未来を真に案じた人間だった。なので、秀吉が死んだ後、野心を露にする家康と対立したが、その志あっての行動が、多くの人に理解されなかった。理解されないまま、奸臣の烙印を押され、味方に裏切られ、関が原に散った。

「僕みたいな憎まれ役は次席の方がいい。無理に上に立とうとすると、周りが混乱する」

「――確かに。お前は三成に似ているかもしれないな。人付き合いも下手で、立ち回りの駆け引きも知らない。お前がリーダーに向いていないっていう自己分析も、ある程度同感だな」

 ジュンイチは言った。

「だが――それがわかっていても、今回キャプテンを引き受けたのは、何故だ?」

「……」

「現実派のお前が、味方を鼓舞しようと、周りに夢を見せようと、夢想家の振りなんて、キャラに似合わん無理までして」

 ――ジュンイチは気付いていたのか。僕がこの代表に参加した時から、少し自分を演じてでも、周りに希望を与えようとしたことを。

「優し過ぎるんだよ、お前」

 僕が頭の中で答えを言語化する前に、ジュンイチが言った。

「お前の将来が不安だぜ、俺は。この大会の後、お前が何を思っても、お前の力に夢を抱く奴は必ず出てくる。その時お前はどういう立ち振る舞いをするのかね」

「……」

「お前はリーダーには向いていない。俺もそう思う。だがお前の言うような理由じゃない。お前は甘いから、他人に心配をかけないように、何でも自分ひとりで背負い込もうとしすぎ――今回みたいに短い期間ならまだしも、ずっとそんな立場にいるとしたら、いつか疲れて、潰れちまうぞ」

「……」

「かといって、お前を副将として使いたがる奴なんて、そうはいない。お前の力を引き出せる器量のある主なんて、そうそういるもんじゃないだろうし、むしろお前が下についたら、そいつはお前にその気がなくても、お前の野心に恐々として過ごさなくちゃいけないだろうからな。奸臣扱いされて、遠ざけられるのがオチだ。どちらの道を選んでも、お前の苦労は絶えないだろうな」

「……」

 それは僕もわかっている。まだ僕には、足りないもの――知らないものが多過ぎるんだ。それがある限り、たとえ力があっても、この世界で何かを成し遂げるのは困難だ。世の中は、そうやって煩わしくできているのだ。

 できればそれが何なのかわかるまで――自分がどの道を歩み、どうやってこの力を、僕の望む未来のために生かすのか、それがわかるまで、もう少し大人しくしていたかったところだが……

 だが、今はそうも言っていられない。友の窮地だ。今の僕にも、何かできることがあるだろう。そのためには、多少の負担くらい厭わない。

「ま、何にしてもだ」

 難しい話の流れに、しばらくついて来れなかったようだが、ユータが場を仕切り直した。

「お前が自分がリーダーに向いていないことを知ってまで、今こうして俺達と同じ戦場に立ってくれて、慣れないことまでしてでも、勝つために必死でやってくれている――俺は今はそれで十分だと思うよ」

 そう言ってから、ユータは隣のジュンイチを見た。

「ジュンも結局はそうなんだろ」

「まあな」

 ジュンイチもユータの単純な論に同意した。

「お前が何を思ってここに来たかは知らんが、お前が来てからこの代表で充実した日々を送れている。お前がいなかったら、今頃負け戦だとわかっていて戦場に行く、暗ーい気分だっただろうしな」

 そうジュンイチが言うと、ユータとジュンイチが僕の方を向き直し、背を正して、同時に頭を下げた。

「ありがとう」

 そう言った。

「……」

 二人の下げられた頭を見て、僕はなんだか、出鼻をくじかれたような気持ちになった。

 この二人はまだ知らないだろう。今の僕が、どれだけお前達に感謝しているか。

 ――この場で言ってしまおうか、僕も。

 いや、まだだ。

 まだ足りない。今まで僕がこいつらに受けてきた恩に比べたら、僕はまだそれの、数分の一も返していないから。

「――まだ僕に頭下げるなよ」

 僕の口から、意地を張った声が漏れた。

「僕達の人生はまだ長い。若いうちから黒星発進はしたくないだろう」

 僕がそう言うと、二人は顔を上げた。

「だから、勝つぞ。絶対に」

「――ああ、そうだな」

「よっしゃ! 勝って勝って勝ちまくって、世界に俺達3バカトリオの力、見せてやろうぜ!」

「ああ、ついでにそれでユータを世界のサッカークラブに売り込めりゃ、最高だな」

「ついでかよ」

 そう決意を新たに、僕達は笑った。

 ――だけど、この時のジュンイチの言葉は、数年後――大人になった僕に、何度も突き刺さるんだ。

 その時の僕は、もう……



 ――それから4日後、僕達はアムステルダムのスタジアムで行われた開会式から明けて一夜、滞在するユトレヒトのスタジアムで、グループ初戦、メキシコ戦を迎えていた。

 ロッカールームで戦術を確認。そして、今は僕を先頭に、日本代表は選手入場口にスタンバイしている。僕の青い日本代表のユニフォーム、その右腕には白いキャプテンマークが巻かれている。

「Hey! You’re pretty girl! Shall we dance?」

 隣にはメキシコ代表の選手達がいるけれども、どうやら僕が女に見えるらしい。そんな声を何度かかけられた。確かに僕は身長、体重共に、女性でもおかしくない体格だ。外人が見れば、余計にそれが際立って見えるのかもしれない。

 僕の目の前には、フラッシュの焚かれる満員のスタンドと、まだ誰にも踏み荒らされていない、綺麗な緑の芝生が広がっている。

 けたたましい音楽と共に、選手入場口からでも、耳を劈く完成を合図に、僕達はピッチに入場する。

 フラッシュが多過ぎて、スタンドまで距離があるのに、目がちかちかする。

「サクライー!」「サクライくーん!」「頼むぞー!」

 わざわざオランダまで、この代表の試合を見に来ている日本人も多い。僕の名前を呼ぶ日本語が僕の耳にも届いた。この試合、僕の背番号10の初お披露目だから、嫌でも目立つのか。

 君が代を聴いて、イレブンの記念撮影を終えた後、僕はセンターサークルでコイントスを行う。コインは表を向いて、僕達にボールが与えられる。

 それから僕達は自陣で円陣を組んだ。

「いいか! もう勝つとかそんなことは二の次、相手の名前も忘れてしまえ。僕達はここに戦いに来たんだ! 戦って、戦って、負ける時は全員ここに屍をさらすのみ――だが、皆一人じゃない、死ぬ時も生き残る時も、全員一緒だ。苦しい時は周りを見ろ! 仲間の名を呼べ! 今この場で定めた、自らの運を信じろ!」

 僕の言葉に、選手が、おお! と大喝する。

「よし、行くぞ!」

 僕の号令で、選手はピッチに散る。

 僕もトップ下、自分のポジションに立つ。

 そこでひとつ深呼吸。試合開始は午後6時――サマータイムが導入されているから、時計が少し進んでいる。空はまだ薄暮が残っているけれど、日はほとんど沈んでいて、スタジアムは照明に煌々と照らされている。6月下旬だというのに、空気は涼しいくらいに爽やかだった。

 そして、僕は自分の右手首に巻かれている、3色のミサンガに目をやる。

「……」

 サマータイム時のオランダの18時は、日本でいう夜中の1時だ。

 多分日本でもこの試合はテレビで放送されているだろうが――彼女はまだ起きているかな。

 ――きっと、彼女は起きているだろうな。明日学校があるだろうに、それでも試合終了までこの試合を見て、ほとんど寝ないまま、学校に行くんだ。

 何故だか知らないけれど、僕はそう確信した。もしかしたら今この瞬間、彼女が誰かと浮気しているかもしれないとか、そういうことはこちらに来て、連絡が途切れても一度も考えたことはない。

 僕はミサンガを巻いた右手を胸に当て、自分の心臓の鼓動を確かめながら、軽く空を仰いで、目を閉じた。

 ――きっと、この試合を君に見ていて欲しい、きっと見ているだろうなんてのは、僕の単なる願望。

 君がこの試合を夜更かしして見ているか、もう眠ってしまったかはどちらでもいい。

 ただ……

 この試合が終わるまで、君のその花のような笑顔が、どうか色褪せぬように。

 どうか、どうか――

 それだけを数秒祈って、僕は目を開けた。

 彼女の笑顔を守れるだけの力が欲しいと、僕は強く願った。

 その3秒後に、ホイッスルが鳴る。

 キックオフを受けたユータは、ボールをまず後方へ戻す。

 それと同時にユータは、一直線に前に走り出した。

 後方に下げられたボールをジュンイチが受ける。そしてそのままペナルティエリアのやや前方を狙って一気にロングボールを放り込んだ。

 その頃にはユータはもう落下地点まで走りこんでいる。メキシコのディフェンダーを二人背負って、ユータは高くジャンプし、ボールを後方へを落とす。

 そのこぼれ玉は、ユータと同じくキックオフと同時に前に走り出していた僕が、バイタルエリア、トップスピードに乗ったままトラップすると、ユータと一緒にジャンプしたディフェンダーが着地をしている間に、ドリブルで一気に抜き去った。

 キーパーと一対一になる。キーパーは慌てて僕に突っ込んでくるが、僕はそこからキーパーの頭上を越えるループシュートをふわりと放った。

 ボールはキーパーの頭上を越え、無人のゴールに転々と転がっていった。

 まだ試合開始と同時の歓声も収まっていない中、スタンドは再び歓声に包まれる。試合開始から僅か8秒――電光石火の先制点だった。

「しゃあああああああ!」

 僕も柄にもなく、大きく叫んだ。

 ゴールを決め、僕は日本サポーターのいるスタンドに向け、笑顔で右手を突き上げた。サポーターが歓喜に沸く中、僕は駆け寄ってきたユータとジュンイチに後ろから抱きつかれ、ピッチに倒された。

「うおおお、ケースケェ!」

 ジュンイチが僕の頭をくしゃくしゃにした。

 いままで敗戦濃厚と思われた日本が、あっという間の攻撃で点をもぎ取った。

 勿論この奇襲は、事前に示し合わせてのものだ。相手はこの試合、大量得点しか考えておらず、まだ守勢に回ることは考えていない。おまけに僕という、データ不足の選手がいる。どうしても僕に対しての守備は、序盤は探り探りになるはず――

 だから、奇襲をかけるには、試合開始直後が最良だと思った。序盤で相手のゲームプランをぶち壊し、僕達が優位に立つには、この試合開始直後のゴールを狙うのが、一番確率が高いと判断したのだ。

 このゴールは、世界を驚かせるのにインパクト十分のゴールだった。

 そしてこのゴールはオランダで、日本チームの快進撃の狼煙にもなるのだった。


ちなみに、このグループリーグの組み合わせを、フランス、チェコ、メキシコにしたのは、いわゆるサッカーの盛んな西欧、東欧、南米からそれぞれ1チームバランスよく選んだだけで、別にこれらの国を差別するわけではないので、ご了承ください。

結構この小説は、実在の地名や国名も出てきますが、それが人種などの差別だと思って書くことはありませんので、あらかじめご了承ください。

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