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Soldier

「……」

 ホテルの大広間は静寂に包まれる。

 選手達は皆それぞれが、憤懣やるかたない思いを、奥歯を噛み締めて、じっと耐えているしかなかった。

「しかし、あなた方は、さっきの試合、あれで全力だったのか?」

 その静寂の中、僕は問題を提起する。

「さっきの試合は20分ハーフ――あなた方が普段やっている試合時間の半分もないのなら、もっと走れただろう。何故もっとボールを取りに走らなかった。なぜ僕達にプレスをかけてこなかった」

 はっきり言って、相手が僕達のボールを無理やりにでも取りに来ていたら、僕達はひとたまりもなかった。プロがアマチュアの選手からボールを取られるのは当たり前で、それは戦術ではどうしようもできない。

「僕が立てた作戦を、僕が否定するのも変な話だが、僕達のチームには隙が沢山あった。元々戦力差が歴然なんだ。少しの工夫でもっといいサッカーができたはずだろう。なのに、初手から後手に回っちゃって……」

 僕の説明した作戦は、勿論相手が何を考えているか想定し、その上で練った作戦だったが、相手がもっと執念を見せていれば、決して破れない代物ではなかった。

守備だって、もっと早くに各選手が自分の考えをほかの選手に伝える努力をしていれば、40分で3点もとられはしなかっただろうし、攻撃もあれこれ考えずに、もっとボールを散らして攻めれば、僕達がいくらカバーしても、穴の全てを塞ぎきれなかっただろう。

「今日みたいなサッカーをもし本番でしたら、きっとすごく後悔するだろうね」

「……」

 辛らつな言葉を浴びせ続けられ、選手達は押し黙ってしまう。

 僕はため息をつく。

「このチームの予選の試合を見たが、どの試合も、一度チームに動揺が走ると、それがとめどなく広がって、そこから一気にチームが崩れるんだ。互いに声をかけない、それを止めることのできる選手もいない――だから今日も、僕達の攻めに疑心暗鬼を勝手に広げて、どっちつかずの守備になってしまっただろう」

「……」

「僕達のボールを積極的に奪いに来なかったのも、失敗してピンチを作ったら、自分の評価が下がってしまう、という自己保身からだ。このチームからはもう、自分が本戦メンバーに残ればいい、自分のレギュラーが安定していればいい――そんな自己保身に満ち溢れている。味方まで敵視しあうチームで、コミュニケーションも形だけ。自分が失敗しても、他の選手がカバーしてくれるという信頼がないから思い切ったプレーができない」

「……」

「このチームの最大の弱点がそのふたつだ。メンタルの弱さと、互いのコミュニケーション――信頼関係の構築不足。今日の試合はそれをあんた達に判らせるためにやった。どうだ、少しはそれを自覚できたか?」

 そう言って、僕は壇上から選手達を一瞥する。

「……」

 だが、選手達は相変わらずのむくれ顔だ。最年少の新参者にここまでボロクソ言われ、おまけにサポーターから殺意さえ感じるブーイングまで受けたのだ。自己保身に徹する彼等にその現実は厳しすぎた。

 沈黙。

「――ま、長々偉そうなことを言ったけれど」

 僕は壇上で、にこっとはにかんで見せる。

「別に今日の試合を全てだと思い込む必要はないよ」

 いきなり空気を変える言葉に、選手達は疑問をはらんだ顔で、俯いた顔を上げる。

「あの試合は子供だましみたいなものだし、そもそも正規ルールじゃない。もしあのチームで90分戦っていたら、まず僕達が大敗していただろうし」

 そう、20分ハーフの試合にしたのは、僕たち寄せ集め集団が90分走る体力がないと判断したからというのもあるが、それ以上に、短い時間であれば、相手がこちらの目論見に気付く前に試合を終わらせることができるからだ。さすがに相手もプロだ。90分戦っていれば、自分達が僕達の掌中で踊っていたことに気付くだろうし。

「別に僕だって、あんた達が弱いって言うつもりもないし、僕があんた達より優れていると言う気もない。まして僕なら今日率いたチームで世界と戦えるとか、そういうことを言いたいんじゃない」

「……」

「初めから僕も、僕ひとりで試合に勝てると思ってここに来たわけじゃないさ。今日は20分ハーフだったから、僕も攻撃に守備にあそこまで走れたが、さすがにあのペースで90分走るのは無理だ。ジュンイチだって1対1の守備ならすごいが、得点能力はさほど高くない。ユータは一人でもチャンスは作れるレベルにいるフォワードだが、それでも世界と戦うには、それだけで勝てるほど甘くないだろうし、ユータ一人で守備はできない」

「……」

「世界と戦うためには、僕が今日率いたチームじゃ駄目なんだ。あんた達じゃなくちゃ戦えない。これでも僕はあんた達の力を当てにしているんだ」

 今まで慇懃無礼の極みだった男が下手に出たことに、選手達は各々表情に狼狽の気を見せた。

「忠告しておくが、この先本戦に自分さえ生き残れればそれでいい、と考えている奴は、オランダで間違いなく死ぬ。そして、チームが惨めな惨敗をすれば、自分だけが生き残る道はないと思った方がいい。負ければ全員がサポーターからブーイングを受けるんだ。一人の例外もない」

「……」

「それが怖くて、サッカーのプレーでも足が竦んで動けなくなるのであれば、あんた達ももう、代表だとか、国の威信だとか、そんなものは全部捨てちゃえよ」

 僕は提案した。

「僕は記者会見で、国の威信を賭けてサッカーをやる気はない、サッカーを楽しみ、その上で勝つことを考える、と、確かに言った。それがあんた達は気に入らなかったようだが、実際僕はまだサッカーをはじめて2年だし、まだ17だ。そんなでかい物を背負えるほど器用でも出来た人間でもない。あんた達だって、ここにいるのは最年長でも20歳そこらだろ? そこまでの器量がなくて当然だ。無理してそんなものを背負う必要なんてないじゃないか。自分達が出来る最大限のことをやればいい。それで負けたらしょうがないさ。あんた達がオランダで死んだら、僕だって一緒に死んでやるからさ――それでいいじゃないか」

 そう言って僕は、自分のポケットから一枚の半紙を取り出し、手近にあるマグネットでホワイトボードにそれを止めた。

 その半紙には、細い毛筆で、先ほど僕が言った、戦う者の心得が記してあった。


『運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり

 何時も敵を我が掌中に入れて合戦すべし

 死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり

 運は一定にあらず、時の次第と思うは間違いなり

 武士ならば、我進む道はこれ他なしと、自らに運を定めるべし』


「死ぬは一定、だが、死んだとしても、志を残すことはできる。僕がこのチームに残したい志は、この言葉に集約されている。だから僕はこの場を借りて、この言葉をもう一度あんた達に贈る。この言葉をあんた達が胸に留めて、このチームが強くなれば、僕がここにきた意味はある」

 僕は自分の胸に手をやる。

「この中の何人かは、この合宿で確実に落ちる。その決定が下る最後の一秒まで、自分の志をこの場に刻み付ける努力をしろ。その上で、こいつになら自分の志を託してもいいと相手に信じさせろ。たとえ落ちても、本戦で試合に負けても、一片の悔いの残らない戦いに興じろ。それが真に戦う者の心意気というんじゃないのか。それを一度、あんた達に考えてもらいたい」



「ふあぁ――夕食、みんな暗かったよなあ」

 ユータがベッドに寝転がって、腹が膨れた後の大欠伸をした。

「大丈夫かね。みんなお前の言葉が、ずっしり来ているみたいだけど」

 ユータは体を軽く起こして、僕に問いかけた。

「まあ、あれで奮起できなかったら、このチームは初めから負けるべくして負けるチームだったんだろう」

 僕は左手で、携帯のフリップを開け閉めしながら答えた。

「おいおい――じゃあオランダはどうなるんだよ」

「まあ、死屍累々、僕達もオランダで無残な死骸を晒すのみ、ってとこだな」

「はは――笑えねぇぜ」

 ユータは肩を竦めた。

「俺はこの大会の後、オリンピックにも出て、世界に名を売るんだ。こんなところで足止めされる気はないぜ」

「……」

 ――わかっているよ、ユータ。

 だが、お前のその夢を叶えるためには、どうしてもあの連中の力が必要なんだ。

「だぁぁ、ちょっと静かにしてくれ!」

 僕の隣にいるジュンイチが持っているシャープペンの芯が折れた。

「人が数学と格闘してるって時に、横で談笑してるなよ」

「悪い悪い」

 ユータが苦笑いした。

 僕達はミーティングの後、ホテルでビュッフェ形式の夕食を、チーム全体で取った。しかし夕食はまるでお通夜のように暗く、誰一人言葉を発することがなかった。試合に勝った僕達は早々に退散し、今はこうして僕達の部屋に3人でたまりながら、僕はここに来る前の約束どおり、ジュンイチの勉強を見てやっているというわけだ。

「ったく、飯食った後に勉強なんて、どんな催眠術より強力だぜ」

 ジュンイチは欠伸を噛み殺す。

「しかし、お前があそこまでこのチームに説教かましてくれるとは思わなかったぜ」

「本当本当、今まで代表辞退していた奴が、やたらと気合が入っているじゃないか。どういう風の吹き回しだよ」

「……」

 僕は元々、この二人をむざむざ敗戦の戦場に立たせたくないからここへ来た。本戦メンバーになるとか、そういうことは二の次、三の次だ。

 このチームは負け癖がついている。手ごたえの感じられない練習に、日増しに高まるサポーターの批判など、様々な外的要素に潰されかけている。だからまずはそれを断ち切らなければならない。それをしなければ僕がいくら一人で奮戦しようと、100%二人が無駄死にするからだ。

 別にこの二人を守るのは、僕でなくてもいい。チームが勝ちを目指せるチームになれば、僕でなくても他のチームメイトが二人を守るだろう。だから、このチームの負の螺旋さえ断ち切っておけば、僕がこの合宿で落ちても、最低限の僕の目的は果たせる。

「さっき言った通りだ。僕はこの合宿でメンバーから外れてもいい。ただ、このままじゃ本番で負けるのは目に見えているからな。せめてそれを指摘することで、このチームに僕の爪痕を残したかったんだ」

「なるほど、じゃあ、もしあの人達が、お前の言葉を受け入れなかった場合は?」

 ジュンイチが訊く。

「その時はその時――あとはもう意地のために戦うのみだな。死ぬ直前まで特攻かけて、生き様見せて、死んでやるさ」

「ふ――意地のためか。悪くねぇな、それも」

 ジュンイチが肩をすぼめて笑った。

「ユータ、その時は俺とケースケで、お前が世界に名を売るために体張ってやるよ。お前の後ろは俺達が守ってやるから、お前はただひたすらゴールを狙え」

 そう言ってから、ジュンイチは僕の方を見る。

「だろ? ケースケ」

 さすがジュンイチだ。もしそうなった時の、僕達がすべきことをよく心得ている。

「――ああ」

 僕は胸を張って笑った。

「しかし、それでもやっぱり他のチームメイトの協力はほしいところだぜ」

 ジュンイチは天を仰ぐ。

「確かにあの上杉謙信の名文句は、うちのチームに今必要なことばかりだと俺も思うよ。お前の言った言葉、俺もみんなに届いて欲しいと思う」

 歴史好きのジュンイチが言った。

「何時も敵を我が掌中に入れて合戦すべし――なのに今日の試合、あの戦力差で初手から後手を踏んで負けてたしな。あれじゃ勝てるわけない。それに死ぬことを恐れて全く仕掛けないもんな、生に執着する今のままじゃ、オランダで俺達は全員討ち死にだぜ」

「……」

 そう言ってジュンイチはシャープペンを指でくるくると回した。

 3人とも、こうなったらもう、運命を天に委ねるしかない、というように、部屋の天井を仰いだ。

 僕はそのまま、自分の右手に握られている携帯電話を軽く手の中で弄んだ。

 シオリと別れる直前、シオリはこの合宿中、僕に連絡は取らない、と言った。

 彼女だけは、僕がこの合宿に参加した真の目的を知っている。

 友のために、全力を尽くすことで、失った自分への自信を取り戻すため――

「あなたは世界の強豪と戦うんじゃない。自分自身と戦いに行くんだよね。なら私、今はあなたが自分と精一杯向き合って欲しい。その邪魔はしたくない」ということだった。

「……」

 その時の僕は、彼女と離れるということに耐えることが、どういうことか、よくわからなかった。

 やるべきことはわかっていた。今はそれに集中すべきなのだと思った。

そして、まず当初の目的は果たした。

 だが、これが正しい行いだったか、自分に自信のない僕は、早くもよくわからなくなっている。

 今の僕は、彼女の目にどう映るだろう。

 そんなことを考えていた。

「……」

 僕の心の真ん中に、いつも君がいる。

 今になってそれを、強く感じた。

 この半年の間、僕は君の大きな愛に包み込まれていたんだ。

 こうして一人になると迷ってばかりの自分を知って、ふとそんなことを実感する。

 間違った道を歩んでも、君がそれを止めてくれるからと、僕は安心して道を進むことができたんだ。

 ――ありがとう。

 心の中で、そう呟く。

 携帯を弄ぶ手を止める。

 今は、君の声を欲する時じゃない。

 これからは、一人でも正しい道を見つけなければならない。

 そのために、一歩先へ踏み出す勇気を、自分の中に蓄えなければ。

 自分を信じるための勇気を持たなければ。

 いつか僕が、君を幸せに導けるように。

 僕が照らす明かりで、君や友の足元を照らせるように。

 ――ドンドン、という音がした。

 数時間前に聞いた音と同じ。部屋のノック音だ。

「はいはい」

 この部屋の住人ではないユータがそれを出迎える。

「入るぞ」

 そう言って、一人の男が入ってきた。

 マスダだった。

「……」

 ユータ、ジュンイチを尻目に、マスダは僕と正対する。

 その眼は、先程に比べて僕への嫌悪感は消えている――ように思える。

「お前――お前はフェアじゃねぇよ」

 しかしマスダは、いきなり僕にそんな言葉を投げつけた。

「チーム全体として、直さなくちゃいけないことが山積みなのは、みんなわかっている。だから今、みんな色々ない頭絞ってんだ」

「……」

「――言いたいことだけ言って、飯食ってさっさと部屋に帰るな。みんなに全部の責任押し付けるなんて、フェアじゃねぇよ。お前だって、チームの一員だろうが」

「……」

 僕は横にいるユータとジュンイチを見る。

 二人はマスダのその素直じゃない物言いに、笑いを堪えていた。

 それを見て、僕もふっと肩の力が抜けた。

「そうだな。悪かったよ」

 僕はマスダににこりと笑いかけた。

「さて、僕も食堂で皆とない頭絞りますか――」



 その次の日から、日本代表の練習風景は一変した。

 どんな練習でも声がよく出て、どこを見ても、選手同士が自分達の戦術について互いに真剣な議論を交わしていた。練習後も、消灯まで皆でサッカーのことを話し、次第にぎすぎすした空気が消え、果ては笑い声が絶えなくなった。

 そして、合宿の中日に行われた、ウルグアイ代表との練習試合では、2-1、合宿最終日のセルビア戦では、4-0で日本は勝ち、チームの状態は大きく上向いていった。チームもようやく自分達のサッカーに手応えを感じられるようになり、大きく自信をつけた。

 その2試合、ともに先発出場した僕は、1ゴール2アシストの成績を収め、マスコミから絶賛された。ユータ、ジュンイチの間に僕が入ることで、中央の連動性が増し、チームのまとまりがそこを中心に生まれ出したと、専門家は分析した。

そして僕は、合宿後に発表された本戦メンバーに、ユータ、ジュンイチと共に選ばれた。

 しかも、本戦で僕は、エースナンバー10を着けることとなり、同時にチーム最年少ながら、代表のキャプテンに命じられてしまったのだった。


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