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Morning-gathering

「オス」

 部長のヒラヤマ・ユータが一人、既に部室にいた。背もたれのビニールがはがれ、中の黄色い綿が飛び出し、今にも足が折れそうな、さび付いたパイプ椅子に座って、スパイクを履いているところだった。こんな部屋に一人溶け込んでいるユータの姿は、本当にアヘン中毒者のようにも見える。

 僕も、オス、と言った。空いている椅子に鞄を置いて、シャツとスウェットを取り出し、着替える。

「お前もマメだよな。バイトもして、朝練にも出るんだから」

「……」

 マメだとか、サッカーが好きだとか、そんなことを思ったことは一度もない。家にいる時間を極力減らしたいだけだ。

 自分のことは自分でやっている。掃除も洗濯も、料理だって自分でやる。勉強だって県立に入って、自分で出すようになった。あの家族に養われている、という現実が嫌なんだ。向こうにも、養ってやってる、と思われたくないし。

 僕の家族のことは、家の外では誰にも話したことはない。理由は二つある。

 一つは面倒だから。何が面倒かって、口に出すだけでも忌々しいのにわざわざあんなものを家の外で思い出す僕の所作と、話した相手が取るリアクションを見届けるのが。

 特に問題なのは後者。甘ったれるな、と言ったり、同情するフリをしたり。解決の助けにもならないくせに、返答が癇に障る場合が多い。

 もう一つは、僕自身いまだに家庭から抜け出せないなんて、そんなガキっぽい悩みを溜め込む自分に呆れているからだ。わざわざ話して、惨めの上塗りを公表することもない。高校生にもなって、親がどうとか言い訳しているような奴になりたくなかったからだ。そのせいもあって、僕は随分と強くなれたような気がする。

 これは僕自身の問題だってことは自分でもわかっていた。それを決めた時に、僕の人格は既に完成していたのだろう。無駄なことを話さずにいることで、口数も減った。

 その分頭の中での自問自答が増えた。外に吐き出さない分、自分の中で怒りをやっつけなくてはいけなくなった僕の感情は、悪魔の大鍋みたいな感情のるつぼと化している。

 呑気な同級生に呪いの言葉を吐いている時間が増えた。それを言わないのは、そういうことを言って自分を使い減らしたくないから。僕の性格では、言わないでいいことを決めると他のこともろくに喋らなくなる。それが一番楽だから。

 僕は皆の前でいつも黙っているが、懐にいつもナイフを隠している。憎悪という名のナイフ。暴力の象徴。そして、ナイフを封じる鞘のタガが、少しずつ外れていくのを最近よく感じている。

「生活のリズムを崩したくないんだ」

 我ながら心にもないことを言った。最近、言い訳をよく考えるようになったと思う。

 朝練と言っても、ユータが作り出した、有志が好きな時にやるもので、強制ではない。進学校のこの学校で朝連を強制すると、成績偏重気味の教師連が渋い顔をする。基本的に強制の朝練があるのは、野球部だけだ。

 結局僕とユータしか来なかった。というか、大体この二人しか集まらない。それだけ僕とユータが暇で、他の連中が人生においてサッカーより楽しいか、大事なことを知っているのだろう。それはきっと幸せな人生だと思う。サッカーなんて、やれば絶対疲れるわけだし、楽して楽しめるものがあるなら、それをやるのが一番いい。僕だって暇じゃなかったら、練習なんて来ないだろう。

「そういえば」

僕は思い出した。ユータにも、女という退屈しのぎがあった。

「ユータ、昨日彼女抱いたか?」

 ユータはそれを訊いて少し沈黙したが、少し照れ笑いしながら答える。

「ああ、部活帰り、流れでそうなっちゃった・・・・・・」

照れくさそうに舌を出した。

 やっぱり。

 でも僕は、もう彼女の名前も覚えていない。

固有名詞を僕は進んで覚えない。クラスメイトの半分の名前が曖昧なくらいだ。あのでかい胸を持っている時点で、ユータをそそらせる女の子であったことは確かだ。彼女の情報は、名前より胸が優先された。僕はあの時それを峻別したのだろう。それだけわかれば十分だと。

 昨日の活躍をそのままいい流れにして、彼女に考える暇も与えずに、ベッドに誘い込んだユータの姿を思うと、ユータはうまく女を抱いていると思う。僕が同じ立場でも、絶対彼女をベッドには運べないだろう。そういう、流れ――さりげなさが、僕には明らかに不足している。

 賭けに負けたジュンイチの悔しがる顔が目に浮かぶ。こんな簡単に金をもらっていいのかと思う。

 高校生にとって500円は、リーズナブル且つユーズフルな額だ。一食飯を食うことも可能だし、カラオケなんかで十分遊べる。賭け金が札になると、途端切実になる。五百円はそういう意味でも絶妙な遊びの額だ。それ以上の額の賭けだったら、途端に後処理が面倒臭くなる。高校生の大部分はそれくらいの金銭感覚は持っている。

「しかし参ったよ。彼女、煙草吸ってたんだなぁ。ずっと気がつかなかった」

「今度から、付き合う女を注意深く見ることだな」

 僕は心ばかりの忠告を餞別した。僕は一目でそれに気がついたけれど。

 人生というのは手品ショーに似ていて、タネを見抜く眼力に優れている程面白くないものだ。まさに今のユータと僕はそういう感じかも知れない。簡単な手品のタネにも気付かず、え~! とか言っていられる奴の方が、きっと人生は楽しいのだろう。別に手品のタネを見切れたって、自分の益になる事なんて何もないんだから。

 グラウンドに行くまで、ユータは昨日の彼女のことをつぶさに語っていたが、僕はそれに、へえ、と、どこぞのテレビ風の反応を続けていた。話の内容も、僕にまったく関係ないものだったと思う。だから聞き流していた。

 しかし、アップ代わりに軽く走りだしてからは、女の話はぷっつりと途絶えた。遊び人のユータに僕達が文句も言わず部長として従っているのは、その技術以上に、サッカー一筋のこのスタイルによるものなのだ。

 別にこいつのフォローをする気はないが、ユータはカッコつけない。自分の素のカッコよさを自覚して、必要以上に脚色しない。ボサボサ頭は酷く無造作だし、服のセンスも奇を衒わず。体力が落ちる煙草は勿論やらない。ピュアというよりはナチュラル――静かなること林の如く。自然体に佇んで、本能の赴くまま、感じるままに動く男。単純で軽い奴だが、付き合ってみると深みが見えてくる男。まるで野生の動物のよう。

 こいつがフォワード向きなのが、何となくわかる気がする。ユータは野性の勘のようなものがずば抜けている。あの三国志の乱世の奸雄、曹操の長所もその勘の鋭さだったと言われている。サッカーのような瞬時の判断を問う戦いに向いている。こいつは野球だったらここまでの選手にはならなかっただろう。

 適当に二人でボール回しをする。さすが芝生。もう水を吸い込んで、虎刈りの芝生は毛先に雫を持って、僕達が動く度、それを飛ばしている。こんなグラウンドが毎朝二人の貸切なんだから、こんな贅沢なことはない。

 二人でいつもする練習は、大抵決まっている。僕がクロスを上げ、ユータがシュートを決める、至極単純なものだ。このチームでプレースキックを蹴るのは全て僕なので、それから始まった練習だ。色々な角度、高度のクロス、センタリングを僕が上げて、ユータがそれに合わせる、という練習を繰り返す。

 この朝練以外で、僕がプレースキックの練習をする機会は、極めて少ない。しかしこの朝連で、ユータが的確に注文をしてくれるおかげで、僕のキックの精度は上がった。フリーキックは既に超高校級と、イイジマからも太鼓判を押されている。

 約150本、ボールを上げた。何度も蹴ってはまた次を蹴る。それを二人でやるのだから、練習時間の半分はボール拾いで終わる。片付けに時間をかけないためには、僕が決めやすいクロスを上げ、ユータがゴールに決めればボールが散らばらないで済む。その意識も僕達の上達を早めた。

 8時を過ぎると、登校してきた生徒がぞろぞろとグラウンドの横を通る。通るというか、暇な女子生徒は昨日の試合同様、外の金網越しにユータを見物するのだ。確かにこうやって見ると、私生活はどうあれ、いかにもサッカー一直線のスポーツマンだ。僕はここでは引き立て役。如何にカッコよくゴールを決めさせてやるかを重視したボールを蹴る。

 朝のHR15分前になると、200球近いサッカーボールが、グラウンドのここかしこに散らばる。これを二人で全て片付けてから部室に運び、着替えて教室に戻らなくてはいけないが、最近では両方の精度が上がり、半分以上はゴールの中だ。

 部室で急いで着替え終わった時には既に八時二十八分だった。部室を弾丸のように出た僕達は学校一、二の俊足コンビ、マラソン大会では陸上部も相手にならない。去年はラスト500メートルのデッドヒートでユータに五秒引き離されて二位だった。

 正門前はもう人はほとんどいなかった。もうこの時間で間に合わなかった奴は、わざとゆっくり来るだろう。下駄箱で靴を乱暴に入れて、上履きを出す。

「大丈夫か? ラブレター入ってなかったか?」

なんてユータは言う。

「入ってたら、またぶたれればいい」

僕は適当にとって返す。

 ははっ、とユータが笑った時に、チャイムが鳴った。僕達二人は三階に向かう。ユータは大きなストライドで階段を二段飛ばしで駆け上がる。

 教室の後ろの戸を開けると、ちょうど担任のスズキが出席を取っているところだった。クラスメイトは全員揃っていて、視線が僕達の方へすべて向けられる。教室の真ん中より奥の三番目に座るジュンイチが笑顔で軽く手を上げた。僕に五百円取られるとも知らずに。

「すいません、遅刻しました」

ユータは頭をかく。その影から僕は顔を出して会釈。

「練習してたのが見えてたからいいよ」

スズキはハンカチで侵食された額を拭った。

「あ、どうも」

「しかしヒラヤマ」

スズキは間を置かずに口を開いた。

「お前赤点3つも取ってるの見た翌日だろう? 少しは勉強しろよ……サクライみたいに朝連やれる身分じゃないぞ」

 席に向かいかけたユータは足を止めて、オーバーに教室を見回した。

「えぇーっ! ちょっ……こんなところで赤点の数公表はないでしょ先生」

 そこでクラスから、くすくすっと笑いが漏れた。

「もはやお前の赤点数に、誰もリアクション示してないじゃないか」

 まだ教室の引き戸から一歩踏み入れたところで止まっていた僕は、鞄を肩に吊ったままそうつぶやいた。

 クラス中が爆笑。その中心でユータはしかめ面をした。

「お前が赤点3つも取るってのが、こんなに皆の日常として受け止められてるんだな」

「ほっとけよ」

ユータは怒ったような声を出した。

「いつも追試期間中はいっぱいいっぱいなんだぜ。少しは同情でもしてもらわなくちゃ合わないってもんだ」

 またクラス中が笑いに包まれた。僕は若干胸をいかめしく張る仕草をした。

「少なくとも僕が赤点を3つ取ったら、お前みたいにシケた反応を皆にさせない自信があるよ」

 それを言った僕を見て、ユータはわざとらしく後ろにのけぞるリアクションをした。

「――何も言い返せねぇ」

 ここで今日イチの笑い。そういう勝ち誇り方があるか? ということ。僕の成績による裏打ちと、聞く人間の最低限の知識があって成立するジョークだ。

「お前が赤点3つも取ったら、もうニュースだよ」

 自分の席から、ジュンイチが合いの手を入れた。僕はジュンイチの方を首だけ向けて、皮肉っぽい笑みを作る。

「当たり前だ。僕の場合、成績をとってるのが一番目立たないんだ。僕は目立ちたくないから、テストで点を取っておくのさ」

「まったく、あれだけ授業サボってるくせに、ふざけやがって」

 ジュンイチはニコニコ顔で親指を突き出し、それを自分の首の前で横に引いた。

 僕達がこうしてHRを遅刻すると、いつからか、フリさえあれば二人でアドリブコントをやるのが常になっていた。

 一番の問題発言としていまだに残っているのは、ユータが皆の前でスベった時に、僕が後ろから肩を叩いて「大丈夫、お前がスベっても、いざとなったら僕がキスでもして笑いに変えてやるよ」と言ったことだろう。その時ユータは「ここでスベるより、そっちの方が大事故だわ」と言った。結果クラス中の空気がそれで持ち直したからいいじゃないか。

「お前たち、毎度毎度いい加減にしろ」

スズキは困惑したように言った。

「何だ。先生、俺に話をフッたんじゃないんっすか?」

 ユータが悪びれずに言うものだから、スズキはもうその後に二の句も付けられなかった。クラスメイトが、どちらかと言うと軽蔑の対象である担任に一泡吹かせたことで、声を殺したような笑いをあちこちで漏らした。

「サクライ」そしてスズキは僕に目を向ける。

「お前がサッカー部に勉強させないでどうする? 副部長なんだろ?」

「……」

 僕はその言葉に、条件反射みたいな速さで、怒りが脳天を突き抜けた。

 些細なことかもしれない。この男だって、悪気があって言ったわけでないことくらい知っている。

 僕はこの男を尊敬もしていない。そんな奴にさえ僕は見下されている。僕の気持ちなんか無視しても厭わず、当然の如く押し付け仕事を任せてくるような、その言葉の意味を理解したのだ。いや、理解、というより、感知、という速さのレベルで。

 気がつくと、僕はスズキに歩み寄り、黒板に追い詰め、スズキの顔のすぐ横に手を伸ばす。黒板が僕の掌で、バン、と音を立てる。

「成り行きで副部長をしているが、僕は部員の世話係じゃない。サッカー部の成績を、僕が引き受けたつもりも、引き受ける義理も義務もない。僕を便利屋扱いするな」

 僕の舌鋒に、クラスが凍りついた。担任の顔は、呆然とした表情になる。

 しまった、と思い、僕はクラスメイトを、横目で少し伺う。

 恐怖を感じた顔だ。暴力に対して身構えながら、腰が引けている顔だった。僕の姿が、それほど鋭い殺気を放っていたのか。

「ケースケ、どうしたんだよ」

 ユータが二人の中に割って入る。僕の言い方がよっぽど冷たかったのか、何かを察したらしい。僕はユータの諌めを受け入れて、スズキの目を一瞥すると、目をそむけて踵を返し、もうどうとでもなれ、と思い、今までの不満を叩きつけるように、無造作に自分の机にスポーツバッグを叩きつけた。

「・・・・・・」

 ガン、という音が反響すると共に席に着いたが、僕の剣幕にクラス中が退きまくっている。居心地の悪い空気の中、ユータも怪訝そうな顔をして、すごすご自分の席に向かっていくのが見えた。

 スズキはなんとか持ち直して、一つ唾を飲んでから声を出した。 

「マツオカ、それと・・・・・・」

 スズキは、シオリの名前を言った後に、おずおずと、頬杖をつく僕の方を見た。

「サクライ。今日、事務所に奨学生の手続きに行け」

「はい」

「……」

 シオリは返事をしたが、僕は何も言わなかった。

 僕とシオリは、学年で二名選ばれる奨学生だ。奨学生とは、月に一万円の奨学金が、無償で生徒のところに届けられる。それだけのものだ。強いて付け加えるなら――学校内で、少し名前が売れるくらいだろう。

 その金は、僕の場合、親に没収されているのだが――


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