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Drunk

「ケースケくん、君の気持ちもわかるんだが――来月行われる、オランダでのサッカーの世界選手権に、君も出てくれないだろうか」

「……」

「今のままでは、日本は間違いなく負けるだろう。ユータもきっと戦犯になる。それはきっと、ユータを潰しかねない。あいつはいつか世界に出たいと言っているが、この大会で世界に自分の力をアピールすることは難しいだろう。むしろ評価を大きく落とす可能性が高い。君が入って何が変わるかは私にはわからないが――少なくとも私は、ユータの力を最大に引き出せることが出来るのは、君しかいないと信じている」

 そう言うと、今度はユータの父が、ソファーの前のテーブルに三つ指立てて、僕に深々と頭を下げた。

「頼む。あいつに力を貸してやってくれないか」

「……」

「こう言ったら、気分を悪くするかもしれないけれど、あなたのためにも、いいと思う」

 ユータの母が今度は口を開く。

「あれこれ悩んで解決法を模索するよりも、何も考えずに思い切り体を動かす方がいいって言う時もあると思うの。今のあなたはきっとそうなんじゃないかしら。今までおとなしくしていた分、派手に大暴れしてみるのもいいんじゃないかしら。大舞台で活躍すれば、自分に自信を持てるようになるかも知れないし。何よりお金がもらえるわ。勝ち進めば、多分大学で4年間勉強するくらいの学費は楽に稼げるんじゃないかしら」

「……」

 僕は目を丸くした。

「――何て言うか、意外です。あれだけユータがプロになることに反対していたのに」

 そう、この両親は、ユータを大学に行かせたがっており、プロ志向のユータと意見が衝突していた。その長い戦いを旗で見ていた僕は、今の両親の反応が意外だった。

「確かに、高校に入る前のユータのままなら、今も反対していたわ」

 ユータの母が言った。

「でも、高校であなたに出会って、あの子も変わったからね。好き勝手にサッカーをやるだけじゃなくて、チームのために何が出来るかとか、仲間の大切さとかが身に染みてわかったような気がするし、何より一人でやっているようだったサッカーが、今ではすごく楽しそうだもの。これならプロになって、サッカー漬けの人生になっても、続けていけそうな気がしたの。今まで付き合った女の子みたいに、簡単に投げ出して簡単にポイするような気持ちでプロにさせられなかったからね」

「……」

「はじめユータが埼玉高校に行くって言った時は、正直悪い冗談だと思ったけど、本当に私は、あなたが埼玉高校にいてくれて――おまけに甲子園球児レベルだった野球を捨てて、素人なのにサッカー部に入ってくれて、本当に感謝してるわ。ありがとうね」

 今度は母が僕に頭を下げる。

「いえ、そんな」

「だから、もう一度だけ、力を貸して欲しいの。あなたなら、世界大会で、セカイのクラブチームの前で、あの子の力を引き出して、あの子を世界中に売り込むことが出来るでしょう? あの子の長年の夢のために、あなたの力を貸して欲しいの。親バカかもしれないけれど、私達、あの子がプロになった以上、あの子の夢を応援したいの。この世界大会、あの子の夢にとって、これから大きなターニングポイントになる気がするの」

「……」

 沈黙。

 その時、コンコン、という音がした。

 誰かがこの応接間のドアをノックしているようだ。

「ケースケくぅーん……」

 鼻にかかる甘い感じの声――シオリの声だ。でも何だか様子がおかしい。

「ちょっと失礼します」

 僕は席を立ち、二人の横を通り過ぎて、応接間のドアを開けた。

 ドアを開けると、そこには目を潤ませながらも、ニコニコ顔のシオリがいた。

「うふふ……」

「どうしたんだ?」

「ケースケくーん」

 いきなり腕に抱きつかれた。

「え……」

 普段おとなしいシオリは、手を握ることさえ遠慮がちなのに、まさかこんな大胆な行動に出るなんて思わなかった。僕は当惑する。

 折節、ユータ達が3人でこちらにやってくる。

「あ、いたいた、シオリさん」

 ジュンイチが赤ら顔でふらふらしながら言った。

「お前達、シオリさんに飲ませたのか?」

「いや、薦めてはいないんだが、どうやらめちゃくちゃ弱い上に、じわじわ効いてくる体質みたいでな――気が付いたら、完全に出来上がっちゃって」

 ユータが頭を掻く。

「シオリって、語り上戸みたいよ。さっきまでサクライくんの何が好きなのかとか、ずーっとおのろけを喋ってて、もうお腹一杯だわ」

 マイが僕を見てニヤニヤした。

「な……」

「ケースケくん!」

 腕にしがみつかれたまま、強い口調でシオリから名前を呼ばれた。

「私を置いて、もうどこにも行かないよね!」

 怒っているような口調。

「は……」

 上目遣いで、お互いの顔はもう20センチも離れていないが、シオリの吐息はちっとも酒臭くない。だけど顔は首や耳まで真っ赤だ。

「ケースケくん……」

 間近に迫った顔で、名前を呟かれる。

「……」

 やばい、可愛い。

「酷いよ――よそででれでれしちゃってさ……」

 そう呟くと、今度はぽろぽろと涙を流し、僕を睨んで泣き出した。

「な――ちょ、ちょっと」

 傍で当惑する僕を見て、ユータ達は大いに溜飲を下げたような表情だ。これから僕のこの様を肴に飲み直そうという顔をしている。

「私だって、吹奏楽部の友達に、色々言われてるんだよ? 半年付き合ってて、キスもしてないとか……でも、触れるのだって、なんか怖いんだよ……気持ち、抑えられなくなりそうで、怖いんだよ……」

「……」

 僕がしばらく呆然としていると。

 いきなりシオリの足元が、がくりと崩れ落ちた。僕の腕からずり落ちるようにへたり込むシオリを、僕は腕を伸ばして背中に手を回して、抱きかかえるように支えた。

 顔を見ると、シオリは赤い顔のまま、小さな寝息を立てながら、眠ってしまっていた。

「……」

「何か、すげぇ酔い方だな」

 ジュンイチが言った。

「泣く、笑う、語る、絡む、寝る――全部出ちゃったぜ」

「だけど、どんなに酔ってても、ケースケくんのことばっかりなのね」

 マイが笑う。

「シオリがこんなに男の人を好きになるなんて……おとなしそうな顔して、心の中は情熱的なのかもね」

「……」

「しかし、幸せそうな寝顔だな。よっぽどお前の腕の中の居心地がいいのかな」

 ユータが言った。

「正直うらやましいぜ。そんな可愛い娘が、そこまでお前を想ってくれるなんてよ」

「……」

「さあさあ、あんた達は下がりなさい」

 ユータの母がユータ達をリビングへ追い返す。

「ケースケくん、とりあえず布団を用意するから、シオリさんを寝かせておいてあげましょう」

 ――そう言われて、僕は別室でシオリを敷布団の上に寝かしつけ、掛け布団を掛けた。普段の勉強合宿でも、白河夜船になったユータとジュンイチを布団まで背負って運ぶのは僕の役目だから、割と慣れたものだ。

「うーん……」

 シオリは気持ちよさそうに眠っている。飲んだ量もそれほどじゃないと想うから、すぐに正気に戻るだろう。

 というか戻ってくれないと困る。シオリも今日はユータのプロ初ゴール記念のパーティーだと言って家を出ただろうし、まさか男の家に泊めるわけにいかないし。おまけに未成年の嫁入り前の娘をこんなに酔い潰したとあっては、もう彼女の親に合わせる顔がない。

「……」

 だけど、やっぱり彼女の寝顔は愛らしくて。

 僕は、彼女の赤くなった額――寝かしつけるときに少し乱れた彼女の前髪を、手を伸ばして少し直した。

「幸せそうね、あなたも」

 布団を用意してくれたユータの母が僕を見て言った。この部屋は、今3人しかいない。

「久しぶりにあなたに会って、随分今までよりも表情や雰囲気が柔らかくなっていると思ったけれど、この娘の影響かしら」

「え?」

「ちょっと見ただけでも、すごくいい娘で、おまけにあなたを本当に好きなんだってわかるわ。同じ女だから。それに、あなたがこの娘に惹かれるのも、何だかわかる気がする。この娘の笑顔を見ていると、何だかほっとするもの。きっとこの娘の正直な笑顔が、あなたの心の奥にある棘を抜いてくれたのね」

「……」

 本当に、そうだな。この娘のその笑顔に、何度救われたか。

「もしかして、今まで雌伏生活をしていたのは、この娘を置いていきたくなかったから――っていうのもあるのかしら」

「……」

 どうだろうな。少なくとも数学オリンピック関係が落ち着くまで、丸1ヶ月彼女と会えなかった時は、さすがに心が痛んだ。帰ってきてから、マイに「シオリも無理している。あなたが有名になることで、私のことを置いていっちゃうんじゃないかって悩んでるよ」とも言われたし。

「そんなあなたに、ユータのことをお願いするのは酷かなぁ。でも、前向きに検討してくれない? 大会まであと1ヶ月で、そんなに時間はないけれど……お願い」



「ん……」

 シオリが顔を上げる。

「起きたか?」

 僕は顔だけ後ろを振り向く。

「え……え?」

 シオリは今の状況を見て、当惑する。

「あ、暴れないで」

 僕はシオリを制する。

 今僕は、シオリを背負って、夜の誰もいない街を歩いている。既に電車で所沢駅から、僕の故郷、川越に戻って、今はシオリの家に向かって歩を進めている。勿論、来た時に付けていたカツラを被って。おまけに絶対に正体がばれないように、ユータの母に分厚い化粧まで施された。鞄はユータの家に置いて、明日ユータが学校に届けてくれるらしい。右手で僕はシオリのパンプスを持っている。

「う……」

「頭、痛いのか? それとも気持ち悪い?」

「――ううん、平気……」

 シオリは状況を察したようで、僕の背中に体を預け直す。

「ねえ、私――眠ってたんだよね……どのくらい寝てた?」

「一時間半くらいかな。今は夜の10時半位だ」

「そう……」

 シオリの息遣いが、すぐ後ろでで聞こえて、何だか艶かしい。さっきからしおりの胸のふくらみを、背中に感じているし。

「――私、酔ってたの?」

「――覚えてないのか?」

「……」

 シオリは押し黙る。きっと今は、あらぬ自分の姿を想像して、酔った時と同じくらい、顔を真っ赤にしているだろう。

「君は大学に行っても、酒を飲まない方がいいな」

「――どんな酔い方してたの? 私……」

「別に普通だよ。深く眠っていただけ」

 ユータ達にもきつく口止めしておいた。どうやらシオリも、酔って僕の家族のことを口にしたわけじゃなかったようだし、誰も心配しないでいいためには、これが一番いい。

「うぅ……」

 何か硬いものが、僕の首にこつんと当たった。どうやら僕の背中に、自分の顔をうずめて顔を隠したようだ。

「――ごめんなさい」

 くぐもった、彼女の声がした。

「いいよ別に。それより家族に酔ったところを見せないでくれ、じゃないと僕、君の親に殺されちゃう」

 はは、と軽く笑うと、暗い道で目を引く、明るい自動販売機があった。

「何なら酔い覚ましに、お茶でも飲むか? 欲しいなら……」

 そう言い掛けて、言葉が止まる。

 シオリが僕の首に両手を掛けて、ぎゅっと力を込めてきたからだ。シオリの顔が、僕の肩に乗り、僕の頬が彼女の頬に触れ、彼女の髪のいい匂いがした。

「ごめん――家に着いたらすぐ離れるから……苦しいかもしれないけれど、しばらくこうしてて、いい? 何か、今日はあなたと離れがたくなっちゃって……」

「……」

 それは僕も同じだ。こうして密着しているからかな。

「あんまりあなたに甘えないようにと思ってたんだけど――今日だけ……」

「――ああ、構わないよ」

 そして、離れがたくなっているのは、もっと他のことも……

 自分がこれからどうしたいか。何をすべきか。

 当面の答えはもう出ている。

 だけど、それは、こんなどうしようもない男をこれだけ好いてくれる、そして、僕の恩人でもある女の子と、また離れなくてはいけないことを意味している。

「……」

 歩きながら、月を見上げる。

 梅雨の迫る空の月は、どこか水っぽく、滲んだような光で僕達を照らす。

 僕は酒を飲んでも、眠れない夜になりそうだ。

 今夜一晩、じっくり考えてみよう――


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