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Confidence

「け、ケースケくん、とりあえず、顔を上げて。ね?」

 僕の耳に、当惑したユータの母の声が聞こえる。

 そりゃそうだよな――高校生が赤の他人に「金を貸してくれ」だもんな――怒られないだけまだマシかな。

 僕は顔を上げる。

「えっと――何て言えばいいか……」

 ユータの父が、数秒目を泳がせる。

「あなたのご家族は、忙しいのか、サッカー部の父母会でも、半年前の準優勝パーティーでもお会いしたことがないのだけれど、そんなにあなたにお金を出してくれないの? 最近何度かテレビで拝見したけれど、あなたに理解を示した、優しそうな方達じゃない」

 その間に、ユータの母が僕に聞いた。

「……」

 虫唾が走るのを堪えながら、僕は無言を貫いた。下手なことを口走って、この人達に心配をかけたくない。この人達に心配をかけたら、いずれユータ達にもそれが飛び火する。

「――まあ、家庭の事を聞くのは野暮じゃないか。それはいいよ」

 温和なユータの父が、妻をなだめる。

「しかし、新聞や雑誌で見たが、君の市場価値はどんどん上がっているんだろう? CMで君を起用したら、数億円の経済効果を生むとか何とか……君がちょっと顔を出すだけで、君は今、大金を手にすることが出来るのでは?」

「はい、恐らくそうでしょう。しかし僕は現在、自分が表舞台に立つ資格がないことで、多くの人の期待を裏切らざるを得ない状況です。そんな僕が、自分の利益のためだけに、のこのこ表舞台に出るのは、多くの人に対しての不義でしょう」

「……」

「といっても、こうしてお二人にお金を無心するのも、決して褒められた行為ではありませんが……」

 僕の声は次第にトーンダウンする。

 一体自分は何をしているのだろう――臥龍なんて言えば格好はいいが、実際はこの様だ。自分を食わせることも、人としての筋を通すことさえ叶いやしない。

「――もうひとつ、いいかい?」

 ユータの父が、しばしの沈黙の後、僅かに前かがみに座り直す。

「ユータにお金を借りようとは思わなかったのかい? あいつは正直プロ契約の際、相当の額の契約金を手にした。それは君も知っていただろう? 君が窮していれば、あいつは喜んで君にお金を貸しただろうと思うが」

「はい……正直それも考えました。ですが、それは出来ませんでした。僕は、あいつとずっと友達でいたいので……そう考えると、こんなことを言って、あいつに何て思われるかが、怖くて……」

「……」

 沈黙。

「はは」

 ユータの父が笑った。

「いい男だなぁ君は。斜に構えたように見えて、心はどこまでも一本気で透き通っている――君のように、悪いことの出来ない人間が、我が子の友達でいたいと言ってくれるだけでも、私にとっては値千金だよ」

「……」

 意外な反応だった。もっと当惑されると思っていたのだが。

「しかし、君も損な性格だなぁ。そんなつまらないことで悩んでいたなんて」

 そしてそのまま僕を一笑に付した。

「え……」

「こう言っては何だけれど、君は山野に雌伏なんて柄じゃない。そう言って自分を抑えつけてはいても、心の底は、もっと広い世界を見てみたいという好奇心と、自分の力を試したいという好奇が煮えたぎっていると見るね。ユータもそう思っているからこそ、君をしつこくプロへと勧誘しているようだが」

「……」

 この半年、ろくに会えなかった僕のことが、どうしてここまでわかるのだろう。ユータがそれだけ僕のことを正確に捉えているのだろう。この二人の今の情報は、マスメディアが流すわずかな情報と、ユータからの話しかないのだから。

 この数ヶ月、僕は臥龍の名の如く雌伏生活をしていたが、ユータたちがサッカー世代別代表の世界大会予選を勝ち抜いてからというもの、損な自分に迷いを抱いていたのも事実だ。

このまま予選と同じサッカーをしていたのでは、ユータ達は本戦で十中八九惨敗し、国中のサッカーファンから批判され、針の筵のような軽蔑の視線に晒される。友がそんな死地に赴こうとしているのに、僕は今の場所から立ち上がることさえ出来ない自分は、まさに懊悩の塊だった。

「ねえ、ケースケくん」

 ユータの母が口を開く。

「大人と子供の違いって、何だかわかる?」

「……」

 考えたこともない定義だ。僕は押し黙る。

「大人には、全ての行動に責任が付きまとうけれど、子供にはそれがないってこと」

「……」

「あなただってまだ子供なのよ。なのに一人で何でもかんでも背負いこみ過ぎ」

「……」

「初めてあなたに会った時から、あなたには子供らしさがこれっぽっちもなかった。無理して大人になろうとして、いつだって苦しそうだったけれど、それでも全て背負い込んで、他人に自分の中に一歩たりとも踏み込ませはしなかったわね」

「……」

 それは仕方のないことだ。僕はそうしなければ、生きていけなかったから。

 親に逆らったことで、僕の子供時代は終焉を迎え、僕はその時から、自分で自分を生かすしかなかった。僅かな甘えも許されず、誰も助けてくれなかった。

 無理をして大人になろうとしていた――確かにそうかもしれないが、僕自身は無理をしているつもりはもうなかった。それが当然のことだと思っていたし、それ以外の価値観を知らなかった。

「私は正直、あなたを可哀想な人だと思って、ずっと見ていたと思う。あなたが新しい力をひとつ手にする度に、あなた自身がより孤独に、不幸せになっていくような……会う度に、表情の裏に隠した疲れが色濃くなっていくような、そんな気がして。とても青春を謳歌する高校生の若い顔じゃなかったわ。それでも、その時の私はあなたに言えなかった。あなたの目が、それを言うことを強く拒絶しているような気がしたから」

「……」

 そうか――この人が昔から僕に優しかったのは、きっと、同情だったんだな。

 家族に連日折檻され、怒りと憎しみだけで力を付けていく。そんな痩せ細った野良犬みたいな僕を見抜いていたんだ。

「そろそろ気を張ることをやめたら? 私はもう十分だと思う。たとえあなたがまだ人間として欠落した部分が会ったとしても、まだあなたは子供なんだから、そこまで気にすることはないと思うわ」

「……」

 生返事ひとつ返せずに、僕は考え込んでいた。

 言っていることは、昔よりは少しは理解できる。

 でも――何故僕は、それが出来ないのだろう。辛いのがわかっていても、迷っていても、そこから逃げ出すことが出来ないのだろう。

 もう十分だと言われても、自分にはまだ、納得の出来ない部分が多過ぎる。

 どうして……

「ケースケくん、これも、ずっと前から思っていたことなんだけど……」

 その懊悩を、ユータの母の言葉が止めた。

「昔のあなたは、まるで十字架を背負った罪人みたいだって、よく思った。久しぶりに会って、その十字架が随分小さくなったように見えたけれど――でも、まだそれが消えてないように思えて。あなたの誰とも深く関わりを持たない孤独な生き方は、まるで罪を背負った人が世間から隔絶されて、一人ぼっちで贖罪を続けるような、そんな姿に見える時があった」

「……」

「今あなたが言った、筋を通すということも、私はあなたなりの、何かへの償いのように聞こえたわ。どう? 違う?」

「……」

 償い――

 そういえば、シオリにも同じことを言われたな。2ヶ月前、二人で夜桜を見に行った時に。

 あなたは優しい。過去の悲しみ、そこから背中を押してあげた私達に恩を感じて、あなたは私達にどこまでも優しくなる――過去の悲しみが消えない限り、あなたはそうして、私達に恩を返そうとし続けると。

「私はあなたに何があったのか知らないし、言いたくないのなら無理には聞かないけれど、あなたはその誰もがうらやむほどの力を持ちながら、いつも心細そうだわ。自分のことを必要以上に否定して、卑下して、それを少しでも償おうとしているような――そんな風に見えるの」

「……」

 それは過去の自分も言っていたことだ。他人をいたぶって、いい気分になりたがっている自分が嫌で、わけもわからず何かを償いたくて……

 それが苦しくて、シオリにそれを吐露した。シオリはそんな僕を肯定してくれた。

「もう少し、自分を肯定してみたらどうだろうか」

 ユータの父が言った。

「君ほど勤勉で一本気で、前途有望な少年が、そんなことで表舞台に出られないのは実に不憫だ。少しくらい間違いがあってもいいじゃないか。大人になれば嫌でも自分の責任と向き合わなくてはいけないんだ。今のうちに子供の特権を使っておかないと、後々辛いぞ」

「……」

「九品蓮台に至らんと思う欲心なければ、八萬地獄に落つべき罪もなし――子供のうちはそれでいいじゃないか。それで十分今は人としての筋を通したことになる。もっと気楽に考えてみてはどうかね。今の君に必要なのは、力を磨くことじゃなく、自分で自分を少し認めること、自信をつけることじゃないかね」

「……」

 自分で自分を認めること――自信をつけること。

 これまで、僕は沢山の人から存在を否定され続けてきた。家族や、今日会った小学校の頃の旧友もそうだ。誰も僕の存在を認めてくれなかった。僕自身もそう思っていた。自分のことをクズだと思っていた。それゆえに人としてのわれを捨て、退廃的、破滅的思考に生きてきた。

 そんな僕に、シオリは初めて、生きていい、と言ってくれた。僕を肯定してくれた。

 だけど、僕自身はいまだに、僕を肯定できないでいる。

 人としての筋を通したいと強く思っていたのも事実だが、きっとそれは、自分に自信が持てないから。そうして罪を償うことで、少しでもましな人間になったと思い込もうとしていただけかも知れない。そうして自分と向き合うことから逃げていただけかもしれない。

「ケースケくん、それを踏まえた上で、私達の頼みを聞いてくれないだろうか」

 ユータの父が、賓客を前にするように、背を正した。


九品蓮台に至らんと思う欲心なければ、八萬地獄に落つべき罪もなし…

戦国武将前田利益、通称前田慶次の生き様を示す「一夢庵風流記」に出てくる有名な一節の一部分。現代風に訳すと「天国に行こうとも思わないが、地獄に落ちるような罪も犯してないぜ」といったところでしょうか


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