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 ジュンイチの値千金ゴールからまもなく、ホイッスルが鳴り、試合は5-5のまま延長戦に突入する。

『サクライは、再び担架に乗せられ、ベンチに戻ります。後半40分だけで、2ゴール2アシストと、鬼神の如き活躍を見せましたが、危険なタックルによって負った怪我と、40分間絶えず続いた激しいプレスによって、彼の足は悪化の一途を辿っていることは、ここからでもわかります。サクライの顔からは、もう余裕が全く感じられません』

『しかし、この選手の代わりは埼玉高校にはいませんからね……技術だけでなく、彼の闘争心溢れたプレーは、技術的に三國に遠く及ばない埼玉高校の選手を鼓舞してきました。彼がいたから、他の選手も三國相手にここまで持ちこたえられたのです。彼が抜けることは、得点源、チャンスメーカーという以前に、精神的支柱が抜けるということです。そうなると埼玉高校は一気に崩れてしまうでしょうね』

「――なあ。もうこの先を見るのはやめないか?」

 ピッチ外で担架から降ろされ、医者の問診を受ける僕の姿が映し出されるテレビを見ながら、僕は画面を指差した。

「ははは、さっきまで俺を辱めてたんだ。お前も少しは恥を掻けって」

 ジュンイチが僕を揶揄する。

「……」

 気が重いな。この先を見るのは……

「おじさん、おばさん」

 僕はユータの両親の顔を、それぞれ一瞥する。

「実は今日は、お二人に込み入った話があるんです。もし宜しければ、お話を聞いて頂けると嬉しいのですが……」

 実を言うと、今日のパーティーは、ユータを祝うことが主眼なのは勿論だが、僕自身がユータの両親にお願いがあったので、この家に来る口実として、会場をここにしたのだ。

 そのお願いというのも、実に情けないことではあるが、事態は既に予断を許さない状況に来ている。

 もう、背に腹は代えられない……

「なんだよぉケースケ、上手い逃げ口上作りやがって」


 ――ジュンイチがぶうぶう言いながらも、応接室に一人通された僕は、やっと一息ついていた。

 僕は酒が飲めるのだが、あまり強くない。さっきから頭が少しふらふらしていたから、静かな場所に来て、少し脳に酸素が入ってきたような気がする。

 だけど、あいつらと酒を飲んだことは何度かあるけれど、酒を飲むことが、楽しいと思ったことは、これが初めてかも知れない。以前の僕は、とめどない現実を自分で処理することに疲れて、何かを忘れてしまおうとするためだけに、酒を飲んでいたけれど、やっと楽しい酒の飲み方がわかってきたような気がする。

「酔っているのかい?」

 応接室に案内してくれた、ユータの父に訊かれた。

「――少しだけ」

「はは、しかし君は酒はそれ程強くないが、乱れないからな。その点は安心だ」

 折節、お茶を持ってきたユータの母が入ってきて、僕に急須で注いだ茶を差し出した。そして、僕と向かい合う形で、ソファーに座る。

「すみません。お時間を取らせてしまって」

「いいのよ。久しぶりにあなたと話したいと思ってたし、私達もあなたに頼みがあるから」

「……」

「でも、泣いているところを見られるのが、そんなに恥ずかしい?」

 ユータの母が、僕を見て笑った。

「……」

 ビデオの続き――延長戦、僕は痛み止めを打ってもらって強行出場したのだが、もう僕はボールを蹴るどころか、走ることさえ覚束ない程だった。試合中何度も削られたことで、蟹鋏タックルを受けた左足だけでなく、右足までが激しく痛んでいた。

 そのせいで、僕は大雨のピッチでシュートチャンスに入った際に、雨で濡れたピッチで足を滑らせ、ボールを奪われてしまった。すぐにジュンイチがフォローに入ってくれたけれど、そのジュンイチも足を滑らせてしまい、埼玉高校は最後の防衛線を突破され、相手フォワードに単独速攻を決められてしまった。

 ジュンイチが時間を稼いだ間に僕は起き上がり、相手フォワードの後を追った。もう僕の足以外に、守る術がなかった。

 何とか僕はその選手に追いつき、その選手からのボール奪取に成功したのだが、痛んだ僕の両足は、その瞬間に止まってしまった。

 ジュンイチの「後ろ!」という声が聞こえた直後、僕はすぐ後ろまで迫ってきていた、敵の選手に跳ね飛ばされ、ピッチに倒れていた。その選手はそのまま決勝ゴールを決めた。

 延長戦はまだ5分ほど残っていたのだが、僕は最後に跳ね飛ばされた時に、痛んだ足を捻ってしまい、起き上がろうとしてももう起き上がれなかった。そのまま僕は担架で運ばれ、監督のイイジマも選手交代を審判に言い渡し、無念の途中交代となった。

 担架で運ばれながら、僕はアドレナリンが無限放出状態だったこともあって、情緒不安定な程にみっともなく泣いてしまい、その様をテレビで全国に生放送されてしまったというわけだ。それが僕の人生最大の不覚だ。

「でも、あの涙もまたカッコいいのに。悲運のヒーローって感じで」

 結果埼玉高校は負け、三國高校が全国4連覇を達成したわけだが、僕が怪我をしなければ、三國は負けていたという声が圧倒的で、誰も4連覇を讃える事はなかった。埼玉高校は、僕達に今でも届くファンレター曰く「負け方がカッコよかった」ことで人気に火がついてしまい、今の無用の喧騒の基礎が作られてしまったというわけだ。

「まあいいわ。男の子は、泣くところを、人に見せたくないものだもんね」

 そう言って、ユータの母は僕の顔を覗き込む。

「ところでケースケくん。君はもう、二度とサッカーをやる気はないのかね」

 ユータの父が訊いた。

「ユータから聞いたが、先日君はユータと同じチームからの誘いを蹴ったそうだね。プロは小遣い稼ぎの場ではない。覚悟のない人間が立つべき場所ではない、と」

「はぁ……」

 僕は生返事をする。ユータが両親にそのことを話すのは予想できていたけれど。

「君が世間の評価もどこ吹く風で、滅多に表舞台に顔を出さないので、『臥龍』と呼ばれるようになって久しいが、それも同じような義理立てのためかい?」

「……」

 僕は一度言葉を咀嚼する。

「僕はまだ、現在の評価に見合うだけの力を持ち合わせていないと思っているので。若輩で、世間知らずですし、思慮も足りません。今のまま表舞台に出ても、自分でも気付かないような愚を演じて、醜態を晒すのがオチでしょうから」

「そんなことはないと思うけどなぁ」

 ユータの母が首を傾げる。

「……」

 ユータの父は、僕を一瞥してから目を閉じて、腕組みした。

「あ、ごめんなさいね。色々聞いてしまって。えっと、ケースケくんは、私達に話があるのよね」

 ユータの母が、沈黙に耐えかねたように仕切り直した。

「……」

 僕はこの期に及んで、この頼みを言うべきか言わざるべきか、迷っていた。

 出来ることならば、人としての筋を通したいと思ってきた。だがもう、自分では何が正しくて、何が正しくないのかわからない。そうして日を重ねるごとに、僕の状況はどんどん悪くなっている。

 もう、僕一人ではどうしようもない……

 僕は座ったまま膝に手を突いて、深々と頭を下げた。

「お願いします! 僕にお金を貸してください!」

「え?」

「非常識なお願いであると理解しています。もし無理なら、これからおばさんの家具屋で働かせていただけないでしょうか。お金は必ず返します。返すのにどれだけかかるかわかりませんが、絶対に働いて返しますから」

 これが僕の、ここ半年の最大の悩み。

 今の僕は、食うのにも困る程に、お金がないのである。

 半年前の全国大会で、僕は試合に負けたとはいえ、一躍時の人となってしまった。

 それまで僕は、実家から程近いコンビニで毎日アルバイトをしていたのだが、それ以来、僕がそこで働いていることが口コミで広まってしまい、僕の働く時間はコンビニが連日大パニックになってしまった。僕の人気は、学校にも機動隊が出動したこともある程なのだから、夜にそんなパニックを起こしたら、近所迷惑での苦情も殺到するのは必定だった。結局僕はコンビニのアルバイトを辞めた。無収入になったこともさることながら、それまで賞味期限の切れたコンビニの弁当やパンなどを貰って食いつなぐ生活をしていた僕にとって、それはライフラインの断絶に等しかった。

 その後もアルバイトを探したのだが、今の時期、僕を高校生時給で雇いたがる店などあるわけがない。数学オリンピックに出場したのは、それで好成績を収めて、国からの学業支援金を貰うためだ。今はその、雀の涙ほど出る支援金と、今までの貯金を切り崩して生活している。

 高校を卒業すれば、大学の奨学金が下り、もう少し余裕が出来る。それまで何とかしのげればいいのだが、僕と家族の関係は今更言うまでもない。衣食の面倒もなく、げんざいもおかねをはらっていえにおいてもらっている身だ。大学受験にかかる費用も考えれば、どう計算しても、残り半年を凌ぎきることは不可能だった。

現在は昼はユータ宛に女子生徒が届ける弁当のお余りを頂戴し、夜は勉強を教える名目で、ジュンイチやエイジの家に行ってはご馳走になるという有様で、明日食うものにも困っていた。

 時代の寵児と世間でもてはやされ、おまけに学校一の美少女を恋人に持つ今の僕だが、生活水準は以前よりも大幅に下がっており、サクライ・ケースケ共和国は、国家総動員法を既に発令している程に困窮していた。


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