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しかしそれでも、確実に僕の限界は近づいていた。戦意を取り戻した他の仲間が、ジュンイチの指揮の下、何とか持ちこたえてはいたが、それでも個人の能力には差がありすぎる。僕達が同点に返せば、三國に勝ち越しゴールを再び決められるの繰り返しで、埼玉高校は、攻めても勝ち越しゴールを奪えぬまま、5-4のスコアのまま、後半40分を回ろうとしていた。
『エンドウが後方から長いボールを入れる! ヒラヤマ、ディフェンスの裏を取った! キーパーと一対一になる! 足を伸ばす! しかしキーパー飛び出して至近距離でボールをはじく――いや! はじいたボールを猛然と突進してきたサクライが、ヒラヤマを飛び越えてそのままジャンピングボレー! あぁ、三國キーパー何とか触った!ボールはクロスバーの上を越えていきます!』
シュートに全精力をつぎ込んでいた僕は、着地に失敗し、そのままうつ伏せに雨に濡れるピッチに倒れこんだ。
このシュートは本当に完璧なタイミングで蹴った。蹴った瞬間同点を確信したのに、まさかキーパーがあれに触るとは思わなかった。僕はうつぶせになったまま、拳でピッチを叩いた。この時は、本当にもう駄目だと思った。
そんな僕に、同じくこの死闘を戦い抜き、既にぼろ雑巾みたいなユニフォームを着たユータとジュンイチが駆け寄って、僕に手を貸してくれた。
「この時、ケースケが言ったんだよな。ジュンを使うぞ、って」
ユータが言った。
「この土壇場なら、間違いなく相手は得点王のお前を警戒して、複数でマークしてくるに決まっているからな」
「それを聞いたから、俺はマークをおびき寄せて、ジュンにフリーでシュートさせるお膳立てを整えたってわけだ」
そう言って、ユータはジュンイチの方を見る。
「こいつ、お前がコーナーに歩いていく後姿見て、相当気合入ってたぜ。こんな男冥利に尽きる場面で、自分を使うって言ってもらえてさ」
ユータのその言葉通り、画面の脇、ニアサイドにちらりと映るジュンイチの表情は、いつもの飄々とした感じが消えていた。
もうこの時間帯になると、相手はフォワードまで含めた11人全員をゴール前に下げて、最後のピンチをしのぐ構えだった。こちらもゴールキーパーまで相手ペナルティエリアに上げて、なんとしてもここで同点に追いつかなくてはならなかった。中でもユータは既に6人近くが取り囲んでおり、素直に身動きもさせてもらえない状態だった。ニアサイドにいるジュンイチには2人が着いている。
僕がコーナーにボールをセットした時、ファーサイドにいたユータは、大柄ながら動きも速い。その素早い動きで何とかマークをはずそうという動きを見せていた。ジュンイチを使う、と言っただけで、自分の役割がデコイであることを理解した証拠だ。
あとは、僕の左足が上手いところにボールを入れられるか、という問題だけだった。この時僕の左足は、もうアドレナリンでは誤魔化しきれないほどに痛んでいた。痛みで思考能力にジャミングがかかり、キックの精度も落ちていたし、軽量をカバーするために、腰の回転を使って打つ、強いキックのショックにさえ、足が耐えられない状態に来ていた。
それでも、ユータがカバーを外してくれる以上、速い弾道で蹴るしかない。僕は助走を取り、思い切り腰を捻って左足を振り抜いた。
助走している間にユータはファーサイドからニアサイドに走り、ディフェンスは一気にニアサイドに流れた。そうして薄くなったファーサイドに、ジュンイチが飛び込んでいた。
ジュンイチは思い切り飛んで、叩きつけるようにヘディングすると、ボールはキーパーの手の横をすり抜けて、ゴールネットを小さく揺らした。
その瞬間、国立競技場がひとつになった。大歓声が沸き起こる。
ユータ、ジュンイチが揃って抱き合い、そのまま狂喜したまま、ゴール裏の立て看板を飛び越えて、スタンドに向かって雄叫びを上げるシーンがテレビに映される。スタンドの埼玉高校応援団も狂喜乱舞で、飛び込んだ二人は最前列の応援団にもみくちゃにされる。
「いい顔してるぜ」
ユータが缶ビールをあおりながら、ジュンイチの方を見た。
「マイさんがこの顔見て、ジュンに惚れたっていうのもわかる気がするな」
この時僕は、キックに全精力を集中していたため、ボールを蹴った瞬間バランスを崩して倒れてしまって、ゴールが決まった瞬間を見ていない。今日初めてジュンイチのゴールを目にしたのだった。
マイは、えへへ、と、照れくさそうに笑う。ジュンイチも二人の馴れ初めを改めて蒸し返されて、何だか所在なさそうに、目をしばたたかせている。
「……」
マイはこの試合の後、埼玉高校の体育館で行われた、祝勝会――のつもりでPTAやOBOGが用意したのだが、試合に負けたため、ちくしょう会になってしまった会の席で、僕達3人がたまっているところにやってきて、僕達がいる前でいきなりジュンイチに告白した。
このゴールを決め、観客席に飛び込んで狂喜する、マイ曰く『キラキラしたジュンくんの姿』に、一瞬で恋に落ちてしまったらしい。
「――くくく……」
僕は思わず、笑いを噛み殺した。
「サクライくん?」
マイが僕の顔を覗き込む。
「――ああ、すまない。君が告白してきた時の、ジュンイチの顔を思い出して……」
「ああ、あれか! 確かに――あれは傑作だったよなぁ。俺の携帯に写真があるぜ。ほら」
ユータはポケットから携帯を取り出してフリップを開けて、まず自分で写真を見た。
「ぷははは! この顔!」
「わ、忘れろよお前ら!」
ジュンイチは照れくさそうに狼狽する。
マイから「好きです。付き合ってください!」と告白された時のジュンイチは、まさに青天の霹靂に打たれたというやつで、顔の筋肉が蠕動したかのように、おかしな顔をしていた。激しく狼狽して返事も覚束ず、何とも女性に免疫のない、ヘタレた姿だった。
「でも、さしずめケースケのこのコーナーキックは、キューピットがマイさんに放った、ハートの矢ってところだな」
ユータが言った。
「――僕は一人の男を幸せにしたが、一人の女性をとんでもなく不幸にしたかもしれないな」
「そんなことないよ」
マイは言った。
「サクライくん、あの時、サクライくんが、私達のために歌ってくれた歌、私、多分一生忘れないわ。あの歌があったから、私は今もジュンくんとこうしていられているんだと思うから」
「……」
マイから告白されたジュンイチを見て、その時も僕たちもジュンイチの顔を見て大笑いした。
だけど、同時に僕は、それがすごくめでたいことのように思えた。僕達3人の中で、一番彼女を欲しがりながらも、三枚目キャラになっていたジュンイチに春が来たのだから。快楽主義者だが、心優しく、情に篤いこいつのよさに気付く女性が、やっと現れたのだから。
僕とユータは、そのめでたい席に、何かを祝いたくて、まだ返事もしていないジュンイチを置いて、体育館のステージに上り、祝いの管弦代わりに、ギターを弾き、歌を歌った。
その壇上から、ジュンイチとマイが手をつないでいるのが見えて、僕は何だか嬉しかった。今まで他人に無関心で、他人を不幸にしか出来ないと思っていた自分が、初めて誰かを幸せな気持ちにさせることが出来た気がして。
ジュンイチとマイは、僕が初めて自分の力で笑顔にさせることができた人だ。口にするのは照れくさいから、一度も言えたことはないけれど……
僕はいつも願っている。この二人がいつまでも、仲睦まじくいてくれることを。