Braver
半年前の全国大会では、初出場の埼玉高校の下馬評は最低だった。3年生がおらず、スポーツ推薦もなく、進学校で練習時間も短い。県立なので設備もない。褒める要素が、中学時代からプロからも注目されていたユータしかないチームだと思われていた。そのユータが気まぐれで埼玉高校に行き、個人技で得点王を取ったことで、何とか県内を勝ち抜けた、ユータのワンマンチームという評価だった。
だが、蓋を開ければ1回戦で、優勝候補を4対0で葬り去ると、続く2回戦は、なんと8対0という野球のスコア並みの圧勝で勝ち抜け、あれよあれよと決勝まで進んだ。決勝までの5戦で、埼玉高校の失点はジュンイチの活躍もあって僅か2、得点は僕の7得点に、ユータの13得点をはじめ、26もあり、勝ち方がどれもド派手だったから、勝ち進むにつれてファンも増え、新聞にも取り上げられ、一気に人気チームにのし上がった。
ユータはこの時点で2位の僕と6点差を付けていたから、得点王を既に確定させていた。そんなアゲアゲの状態で、決勝戦、全国大会の常連で、現在3連覇中、今大会も大会前からのぶっちぎりの優勝候補、長崎県代表、三國高校と戦うこととなった。
「後半だけでいいや。前半は俺達、いいところなかったし。時間的にもな」
ユータがそう提案した。
確かにユータの言うとおり、決勝戦の前半の僕達のサッカーは、本当に酷かった。
決勝の日は雨で、ピッチコンディションは最悪。1月の雨は氷のように冷たく、僕達から容赦なく体温を奪っていった。
そして雨の日のサッカーは経験がものを言う。雨の試合の経験が少ない僕達は、百戦錬磨のサッカーエリートの揃う三國高校とは、その点で大きな差があった。慣れない滑りやすいグラウンドで、屈強な相手のプレスを受け続け、埼玉高校の選手は濡れたピッチに何度も叩きつけられた。体温と体力を奪われていくことで、厭戦気分は蔓延し、士気の上がらないこと甚だしかった。
試合前から味方の士気は下がりっぱなしで、前半は僕もボランチに下がって防戦一方に回って試合を落ち着けるしかなかった。だが、個人能力の差が激しく、僕とジュンイチ以外の守備陣は、相手の攻撃の前に簡単に突き崩され、前半だけで2失点を喫してしまった。
ハーフタイムでのベンチの暗さも半端ではなかった。三国時代の英雄曹操が赤壁で惨敗しての敗走も、冬将軍のために飢えと寒さで多くの配下が倒れたとされているが、寒さはそれだけで大きく敗軍の士気を削ぐ。皆がストーブの前で濡れそぼったユニフォームを脱いで震えている有様だった。
――チャプター切り替えが終わり、ヒラヤマ家のリビングの大きな液晶テレビは雨でも超満員の国立競技場の歓声を伝える。
『さあ、今年の高校サッカー選手権決勝戦、埼玉高校は準決勝までの猛攻と鉄壁が影を潜め、王者三國に前半から2失点を許してしまいました』
『見たところ、もう埼玉高校の選手は戦意を喪失していました。高校生ですから、一度切れた糸をこのハーフタイムで戻すのは難しいでしょう』
解説陣も、この時点では、埼玉高校の惨敗を信じて疑っていなかったようだ。
「あ、俺達の入場か」
「ああ、こりゃ酷いぜ。みんな死んだような顔して。この顔じゃ、勝てるわけないよな」
ユータとジュンイチがテレビを見ながら苦笑する。
僕達のキックオフで後半開始のホイッスルが鳴った。
ユータ、僕、ジュンイチとつないで、ジュンイチがサイドにボールを展開したが、サイドハーフの選手は三國の選手に少し体をぶつけられただけで、味方はあっさりボールを取られてしまう。
僕はハーフタイム、士気を挙げるために檄を飛ばしていたのだが、どうやら何の意味もなかったようだ。埼玉高校は前半、三國の選手に何度も体を吹っ飛ばされ、水浸しのピッチに何度も叩きつけられ、ぼろ雑巾のような有様だった。既に、もう吹っ飛ばされたくないと腰が引けていて、僕達3人以外の味方はあっさりボールを取られてしまう。
『また早くも埼玉高校、ボールを取られた! 三國、笠にかかって全員でゴールに襲い掛かる!』
だが、解説が悲鳴を上げた頃には、既に三國の選手はドリブルボールをカットされていた。
『あっと、鋭いスライディングで10番のサクライが、ゴール前でボールを奪い返した! そしてすぐさまボールを拾って、カウンターをかける!』
画面の中の僕は、三國の選手をどんどんドリブルでかわしていく。2人、3人――
『は、速い速い! サクライ、強引なまでの中央突破! 一騎駆け! 味方ゴール前から相手陣地、約60メートルを、一人でボールを持ち運びます! ああ! これにはたまらず三國ディフェンス、ファールで止めてきました! サクライをスライディングで倒し、ゴールから約25メートルの距離で フリーキックを与えてしまいました』
「いきなりドリブルのリズムが変わったな。ありゃ対処できねぇよ」
守備を得意とするジュンイチも呆れ顔だ。
この大会、僕はフリーキックだけで4得点を決めていて、「サクライに25メートル以内でのフリーキックを与えたら、失点を覚悟しろ」と、相手チームを恐怖のどん底に突き落としていた。
僕の得意なキックは、鋭いカーブをかけて高い軌道から落とす、現在『ドラゴンダイブ』と言われる軌道のキックなのだが、画面の僕はボールにカーブを書けず、まるで弾丸のようにゴールに向かう、速い球筋のキックで、ゴールの最短距離にボールを叩き込んだ。
『ゴール! 開始まだ僅か2分で、埼玉高校、反撃の狼煙を上げる一発! 今大会、彗星の如く現れた小さなファンタジスタが、たった一人で強豪三國から豪快なゴールを上げました!』
歓声に沸く埼玉高校ゴール裏の応援団の嬉しそうな表情の後、テレビの画面には、周りを見渡して、何かを怒鳴っているような僕の表情が映される。
「はは、この時ケースケ、しっかりしろ! って怒鳴ってたんだよな」
ユータが僕の表情を窺う。
「しかし、さすがにあれ見たら、気合も入ったよ」
その言葉の通り、この一発を機に試合の流れが変わり始めた。
表情の変わったジュンイチが、三國からボールをむしり取り、僕にパスを出す。
『また抜いた! 高校ナンバーワンの三國ディフェンス陣が、ボールに触れることも出来ない! 圧倒的なスピードと、強引な突破に、全て振り切られます! あの小さな体で、屈強なディフェンスにプレスをかけられても、びくともしません!』
そのまま僕はドリブルで持ち込み、前方で前を向いているユータが手を上げているのを確認し、スルーパスを出す合図を眼で送る。僕が蹴り出すと同時にユータは相手ディフェンスの裏へ走り出し、ディフェンスを振り切りながら、僕の出したパスをそのままゴールへ流し込んだ。
『ゴール! なんと埼玉高校、後半開始僅か5分で試合を振り出しに戻しました。今大会ゴールを量産した、ヒラヤマ、サクライのコンビ、この2人はさすがの三國も止められないか?』
「しかしこの試合のケースケは、本当にすごかったな」
テレビの画面に釘付けになりながら、ユータが言った。
「この大会が始まった時から、急にプレーのキレが格段に増したが、この後半はもう一段階ギアが上がった。すごい豹変振りだったぜ」
「……」
実は僕は、この試合に関して、覚えていることはほとんどない。
この全国大会の、ほんの数日前――僕の心はシオリによって救われた。心が自由になったことで、重かった体は一気に軽くなり、散漫だった脳の動きも活性化していた。
この大会中、僕は、今までの感覚が、そんな生まれ変わったような自分の体に追いついておらず、なかなか上手く自分をコントロールできずにいた。
だが、それでも僕はこの大会、勝つことにがむしゃらだったように思う。
入学した時からずっと、僕を信じてくれていたユータやジュンイチに、今まで全く目を向けていなかった分、待たせた分を何とかして返したいと思っていた。そのために優勝をして、僕達のこれからに、花を添えてやりたかったからだ。
この決勝戦の後半は、ビハインドを背負ったことでその思いが高まり、僕を100%ゴールに集中させることとなった。最近僕の一番の能力といわれる『先読み』も、この試合で初めて使えるようになった。そして、最近精度が増していると言われる『先読み』だが、この試合の精度にはまるで及ばない。この半年、僕はこの試合の感覚を普段でも出せるように試行錯誤している。それくらいこの試合は、集中力が高まっていて、僕の限界以上の能力が発揮できた試合だった。
『またパスカットだ! サクライ、三國の攻撃パターンを完全に読んでいた! エンドウとワンツーパスをつなぎ、二人で三度ゴールに突進! さあ、このまま逆転ゴールを決めるか?』
実況のボルテージが上がる。この時点で僕も、逆転を既に信じて疑っていなかった。
しかし、僕は後ろから屈強なディフェンダーにスライディングをかけられ、しかも足を蟹鋏にされ、倒された。僕の体は勢いが付いていた分、強くピッチに叩きつけられる。
「うわっ……」
あまりにひどいタックルに、ジュンイチが声を上げた。
『あーっ! これは危険なプレーだ! サクライの足を両足で取るスライディング! サクライ、倒れたまま左足を押さえている! 大丈夫か?』
「こうして映像で見ると、ひでぇタックルだ」
「ああ、結局この試合、三國が勝つんだが、このタックルで完全に三國は悪者になっちまったな。優勝したのに、負けた俺達の方が騒がれる原因になっちまった」
ジュンイチの言葉通り、このプレーで三國のディフェンダーはレッドカードで退場となり、埼玉高校は数的有利に立ったのだが、このプレーで負った足の痛みで、僕のプレーが先程までのようなキレを生み出せなくなり、結果流れがどちらにも向かないこう着状態を生み出すこととなった。
担架で一旦ピッチの外に出された僕の足は、この時点で重度の捻挫と打撲を併発していて、医師からもプレー続行はまず無理と言われたが、僕は出場し続けた。埼玉高校に僕の代わりなどいない。僕を欠いたら、三國に一気に攻め立てられ、大差で負けることなど、誰が見ても明らかだった。
お互いに余裕がなくなったことで、それからの試合はノーガードのシュートの打ち合いとなった。
『三國高校は、3人がサクライにつきます。完全にサクライを潰す作戦です』
この時は、何とか足の怪我の痛みを悟られないように必死にやっていたが、こうして自分で改めて映像を見ると、足の引きずり方や、表情の余裕のなさがよくわかる。この様子じゃ、怪我に付け込んで僕を潰しに来るのは当然だ。
それからの試合は、僕が何度もボールを受けては、三國に潰され、何度もピッチに叩きつけられる光景の繰り返しだった。
『あ! サクライ、足を蹴られてバランスを崩した! しかしファールはない! 三國、ここからカウンターだ!』
僕が倒れた時、スタンドからブーイングが起こった。
三國の選手は全員で埼玉高校ゴールに攻めかかる。センターサークルを超えて、バイタルエリアに侵入し、そこからフォワードへスルーパスを送る。
『ああ! しかしもう既にサクライが戻っている! ペナルティエリア深いところでスルーパスを拾い、クリア! スローインに逃れました! サクライ、怪我をした足で味方の最深部まで戻っていました』
国立競技場の大歓声。
それから画面は、膝に手をついて、肩で息をする僕の映像に切り替わる。それから、ひょこひょこと足を引きずりながら、自軍のゴールポスト横にあるドリンクを取って、軽く口に流し込むと、ペットボトルをぽいと捨てていた。
「サクライ! サクライ!」
『スタジアムが、割れんばかりのサクライコールに包まれます!』
実況がそう形容するとおり、テレビを通じても、地鳴りのように大きなコールだった。さっきまで観客のほとんどが三國の勝利を疑わず、ましてこの雨で観客も低調なテンションだったのに、一気に試合がもつれたことで、観客もヒートアップしている。
三國のスローインで再開された試合は、サイドからのクロスがゴールの後ろに飛んでいき、埼玉高校のゴールキックとなる。危機を脱した埼玉高校の選手は、小走りで前線へ走っていく。その中で一人、ひときわゆっくり前線へ走る僕が、またテレビカメラがアップで捉える。
『それにしても、なんという少年でしょう。大会前まで、サクライ・ケースケは、全く無名の選手でした。それが先程まで、敗戦濃厚だったチームの流れを、たった一人で引き戻すだけではなく、低調だったスタジアムの空気さえも、たった一人で変えてしまいました。その小さな体で、怪我をしてもなお勇敢に戦い、王者をあと一歩まで追い詰めています。その姿は、敗戦濃厚の大阪城に入り、たった一人で圧倒的戦力の徳川家康をあと一歩まで追い詰めた、悲運の名将真田幸村のようです!』