Cooking
「へえ。ケースケくん、手際いいわねぇ。下手な主婦よりずっと腕は確かだわ」
ヒラヤマ家のキッチンは広い。輸入家具屋をしているだけあって、きっと家を建てた際に随分こだわったのだろう。食器洗浄機まであるし、コンロの火力も強い。
僕はトマトとモッツァレラのカプレーゼを作り、その上にバジルをちぎっていた。
「いや、僕よりも彼女の方が……」
それから僕はボウルに卵を割り、卵黄と卵白に分ける作業をしながら、隣にいるシオリの方を見る。
さっきから包丁がまな板を叩く軽快な音がキッチンに響いていた。その音はリズミカルで淀みなく、彼女の前で野菜がどんどん賽の目に刻まれていく。
「なんだぁ、料理できないって言ってたのに、包丁さばき、見事なものじゃない。ご謙遜なんて、憎い憎い」
ユータの母がシオリの背中を肘で小突いた。きゃっと声を上げて、シオリは一度手を止め、横にいる僕のほうを見る。
「全然料理できるじゃないか」
「あ、あの、でも私は……」
しかしシオリはこの包丁さばきを披露しても、まだ不安そうだ。
「あの、この野菜、言われたとおりに切ったんだけど……」
「ああ、それはミネストローネにしようと思って。任せてもいいかな?」
僕は泡立て器で卵白をメレンゲにする。
「え……」
「作り方知らないか? このトマトの水煮と、豆と野菜を煮込んで……味付けは、出来るだろ?」
「……」
それからしばらく、僕達はおのおのの担当した料理と格闘した。
「で、できたよ」
折節、シオリは自分の担当したミネストローネが出来上がったと僕達に報告した。
鍋を開けると、そこには色とりどりの野菜が多数入った、見た目にもとても美味しそうなスープが湯気を立てていた。
「あら、いい出来じゃない。ちょっと味見を……」
ユータの母はおたまでスープをすくい、2、3度息を吹きかけてから、ゆっくりと口に運んだ。
「……」
さっきまで陽気なテンションだったユータの母の表情が淀む。腑に落ちないといった表情。
僕も怪訝に思い、シオリに失礼と断ってから、スプーンで一度スープをすくって口に運んでみた。
「……」
見た目は実に美味そうなのだが、味は何ともいえない微妙さだった。食えない程酷くはないが、食えない範囲でのまずさの究極を極めたような味というべきか。コンソメや塩など、味をパーツごとに感じるものの、それがちっともまとまっておらず、何とも不思議な味わいだった。
「――ごめんなさい。実は私、極度の味音痴で……味見をしても、まともな味付けにならなくて。昔からそうだったから、料理は今では妹の方が上手くて、家ではもっぱら、包丁と洗い物担当で……」
シオリはさっきから自信なさげだった心中を吐露した。
「……」
愁いを帯びる彼女の顔を見て思う。
彼女は、自分は勉強が出来るだけだと言っていた。そして、僕は勉強以外にも能力を発揮できる人だから、尊敬していると。
この料理ひとつとっても、彼女の悩みのひとつなのだろう。彼女は勉強以外の自分の価値がほしいのだ。だけど、勉強以外こうして上手くやれない自分が嫌いなんだろう。
「大丈夫よこのくらい。修正が効くわ。それに少しくらいまずくても、ユータ達が全部食べてくれるわ。口の卑しい人種だから」
ユータの母がそう言ってシオリの前で舌を出して見せる。
「それに、ケースケくんだって、可愛い彼女の料理なら、何でも食べてくれるでしょ?」
ユータの母が僕の方を振り向いた。
「……」
可愛い彼女――人前でそう言われると、なんて言っていいのかわからない。僕は口ごもってしまう。
こうして照れてしまうから、彼女に本当の気持ちがいまいち伝わらない気がするんだよな……ひねくれた性格ってのは、なかなか直らないものだ。
「ケースケくんは食が細そうに見えるけれど、うちに来るといつも美味しそうにご飯を食べてくれるの。だから私もケースケくんが来ると、つい張り切っちゃってね。自分の作った料理を、美味しそうに食べてくれる人がいるって、作りがいがあるわよ。あなたも苦手だからって料理を遠ざけないで、そういうことをもっと知ってほしいな」
「……」
「ケースケくんは料理が出来ないくらいで人を嫌いになったりしないし、自信持っていいわよ。あなたはケースケくんに選ばれたんだから。ね?」
本人を目の前にして、ガールズトークのノリになる二人。何とも所在無いものだな。
「何ならケースケくんと一緒に料理をしてみたら?」
ユータの母がいきなりそう提案した。
「……」「……」
二人とも、何だか照れてしまって、しばらく言葉が出ない。
「じゃ、じゃあ、ハンバーグ、一緒に作ろうか」
埒が明かないので、僕が提案する。
「う、うん」
シオリもその言葉を待っていたように、僕の横に来る。
「まだ野菜あるけど、何入れようか。何か苦手な野菜はある?」
「ううん、平気」
「そうか。じゃあちょっと野菜を多めに入れて、量を増やすか。挽き肉は少し残して、ロールキャベツにしようと思うんだ。それも作り方、教えてあげるよ」
「え? そんなのも作れるんだ。楽しみだなぁ」
「ケチャップを使わない本格派だよ。期待していいよ」
僕の説明を聞いて、シオリはにっこり微笑んだ。
約1時間かけて、リビングに料理が並ぶ。
普段勉強会で使うリビングの机には、ジュンイチ達がさっき買ってきた花が花瓶にいけられて、食卓を飾り、テーブルクロスも敷かれている。
折節ユータの父親も帰宅して、合わせて7人の食卓だ。
「うお、すげぇケーキだな!」
ジュンイチが僕の運んできた、大きなチョコレートケーキに驚嘆する。
「実はバレンタインに貰ったチョコが、食いきれないでいっぱいあったから、この場で沢山使っちゃったんだ。多分甘さが均一じゃないと思うけど」
4ヶ月前のバレンタインには、埼玉高校に僕宛のチョコがダンボール詰めになって届いた。正月に全国大会で準優勝し、怪我で休んでいた後、模試で初の全国1位を取った頃のことだ。
膨らむ限界まで生地にチョコレートを混ぜ、さらにその上からチョコを分厚くコーティングしたザッハトルテもどきだ。
「さあ、時間を食ったし、早く始めよう」
既に時計は7時半を回っていた。皆席に着く。
「では、まずは乾杯の準備だな」
そう言ってジュンイチは、横からシャンパンのグラスを取り出し、なみなみと各自のグラスに注いでいく。
「お、お酒?」
僕の隣にいるシオリは目を見開く。
「こいつは酒屋の息子だから。毎回勉強会には酒を持参でくるんだ」
「ケースケくんも、飲むの?」
「僕はあまり強くないけどね。嗜む程度だ」
「シオリさんとマイはどうする? ジュースも持ってきたけど」
ジュンイチが聞く。こいつも女の子には優しいんだな。
「試しに飲んでみる」
シオリは言った。
「大学に行ったら、嫌でも飲むだろうし、試しに少しだけ……」
「私も貰おうかな。大学に行って、いきなり飲んで変な酒癖出たら嫌だし」
マイもそれに同意する。
ジュンイチは二人のグラスにも、シャンパンを注ぐ。
「じゃあ、乾杯の音頭を、主賓のユータくんから」
ジュンイチが上座のユータに、マイクのようにシャンパンの瓶の口を向けた。
「……」
ユータは頭をかく。どうやら言うことを考えてなかったようだ。
「ん?」
不意に僕はテーブルの下から、膝を誰かに小突かれた。
下を見ると、大きな手が何かを持って、僕の足元で手首を動かし、これを受け取るように促している。
僕はそれをこっそり手に取る。それはクラッカーだった。
僕はジュンイチの方を見ると、頭をかくユータの横で、ジュンイチが僕に一瞬だけ、にいっと笑って見せた。
やれやれ……18にもなって、子供じみたいたずらが好きな奴だ。
「えー、今日はこの度、俺のプロ初ゴールを祝ってくれるということで、本当にみんなには感謝してます」
そんなことは露知らず、ユータは乾杯前の挨拶をたどたどしく始める。
「俺がプロに行けたのも、高校での経験がすごく大きかったと思います。これからもっと精進して、ゴール量産して、新人王目指して、みんなの受験が終わる頃には、俺が盛大にご馳走してやれればいいと思います。えっと、それから……」
パン! パン!
話の腰を折るタイミングで、僕とジュンイチが同時にクラッカーを鳴らした。ダブルボランチとして長年相棒を組んだ仲だ。アイコンタクトでタイミングは合わせられる。
「うわっ!」
ユータはクラッカーから発射された紙テープを髪の毛にもつれさせて、声を上げながら、腰を抜かした。
「カンパーイ!」
腰を抜かしたユータをよそに、ジュンイチがグラスを掲げて乾杯の音頭を横取りしてしまった。僕もそれに便乗すると、シオリ達もそのノリに押されて席を立ち、各々にグラスを合わせ始めた。
「おい! 俺が主賓じゃないのかよ!」
ユータは一人取り残され、少し怒ったような声を出した。リビングが笑い声に包まれる。
それを尻目に、僕は横にいるシオリともグラスを鳴らした。
「おめでとう」
僕は言った。
「あんなことしておいて、何がおめでとうなの?」
シオリは呆れ顔で言った。
「ん? まあ何にせよ、みんなでこうしてやれる機会があるのはいいことだろ」
――それからパーティーは和気藹々と進む。僕達の作った料理はどれも好評で、シオリの作ったミネストローネも修正を加えて、皆が美味いと言って飲んだ。
ジュンイチ達の買ってきたプレゼントの贈呈も済んだ。あいつらが買ってきたのは額縁だった。
「新人王でも得点王でもフェアプレー賞でもいいから、お前の初タイトルはこの額に入れてくれ」
そんなジュンイチの言葉で贈呈された額縁を、ユータは嬉しそうに抱えていた。
しかし、1時間もするとユータもジュンイチも出来上がりかけてしまった。まあ、女性がいてもセクハラをするような酔い方はしない奴等だから、問題はないと思うけれど。
「うーん……」
そして、僕の横にいるシオリも、頬を赤く染めて、そのつぶらな目をとろんとさせている。乾杯で飲んだシャンパングラス一杯しか飲んでいないのに。
「おい、大丈夫か?」
「大丈夫……シャンパンって、美味しいねぇ。もう一杯貰おうかな」
ろれつが若干回っていないが、たどたどしくも何とも楽しそうな口調で言った。
「ふぅ……私も、もう一杯くらいなら」
シオリの横にいるマイももう一杯シャンパンをほしがる。シオリより背も高くスレンダーでスタイル抜群のマイも、首まで赤く染まっていて、何だかちょっと色っぽい。
「わはははは」「うひゃひゃひゃひゃ」
ユータとジュンイチは、既に酩酊してご機嫌になっているし。
「おい、そろそろペースを落とせ。酔いを醒まさないと、帰れなくなるぞ」
僕達は世間から注目される身だ。へべれけに酔って帰るところを誰かに見られたら、大問題になってしまう。
まあ、それが心配だから、最近は僕たち3人が集まっても、酒を飲む機会がなかったのだから、久しぶりに思い切り酔わせてやりたいとも思うけれど……
「あ、じゃあ、もしよかったら、これ見てみない?」
ユータの母がそう提案して、テレビの横のラックから、一枚のDVDを取り出した。
「何ですか、これ」
「半年前の、全国大会決勝戦のビデオよ」
「……」
「お、いいね、久しぶりにあの試合を振り返るのも」
「うん、あの試合、すごかったもんね」
皆はノリノリだが、僕自身はあまり見たくはない。
あの試合が、僕の商品価値を大きく跳ね上げたと、世間では認識されているが、僕にとってあの試合は、人生最大の汚点である。
とはいえ、一人反対して、せっかくの祝いの席を壊すのも気が引けたから、仕方なくその試合を見ることにするのだった。
DVDがプレーヤーに挿入される。