Supermarket
電車を降りると、僕達は駅の前で一度立ち止まった。
「ユータ、お前は一人で先に帰っていてくれ」
「え?」
「僕達は少し買い物をしてから帰るから」
そう言って、ユータを先に家に返したあと、僕とシオリ、ジュンイチとマイの二手に分かれて、買出しに出た。
今日のパーティーでは、僕が料理を作ることになっているから、僕とシオリは食材の買出し、ジュンイチとマイは、プロ初ゴールの記念品を買いに行ったのだ。
所沢には何度か来ているし、スーパーの場所も知っている。ここに初めて来るシオリを先導して、僕達はスーパーに向かう。
「……」
本来僕とシオリがこの時間、二人で駅前の商店街を歩くなんてことは、滅多にない。不本意ではあるけれど、やはりこのカツラのおかげでそれが可能になったわけだ。
なので本来なら喜ばしいことなのだが、僕はこのとき、背中にシオリの不機嫌なオーラをそこはかとなく感じていた。その証拠に、二人きりになっても話が弾んでいない。
「あのさ……怒ってる、わけ?」
僕は足を止めて、商店街の真ん中で、振り返った。
以前喧嘩(という生易しいレベルではなかったが)をした時は、彼女にビンタされたこともある。どうやらそういうことは基本的に大嫌いな性格のようだ。余程喧嘩のない、平和な家庭で生まれ育ったのだろう。それは僕との価値観の違いというやつかもしれない。
「――怒ってるよ」
シオリは僕を見た。柔和な顔つきの彼女では、表情に刺々しさが出ないので、どれほど怒っているのか、そもそも怒って睨んでいるのか、よくわからなかった。
「悪かったよ。君はいつも僕の体を案じてくれるもんな。それなのにわざわざ喧嘩に乗るようなことをして……けど、大丈夫だって。あんなの相手に怪我するほど間抜けなことは……」
「そうじゃないよ」
僕の言葉を、シオリが遮った。
「え?」
「自分に怒ってるんだよ」
「……」
「エンドウくんに言われたの。君があいつらの側にいて、あいつらが君にまで何か侮辱するようなことを言ったら、あいつは多分キレてややこしいことになるだろうから、早いうちにあいつらの目の届かないところに行った方がいい、って」
「……」
なるほど、だからさっき途中から姿が見えなくなったわけだ。
ジュンイチも、僕があいつらにシオリを侮辱されたことに怒りを感じていたことを、見抜いていたのか。
確かにその読みは正しい。ユータ、ジュンイチだけじゃなく、シオリまであんな連中にこれ以上侮辱されたとあっては、さすがの僕も堪忍袋の緒が切れていただろう。シオリに険悪なものを見せないで済んだというより、そういう面でシオリが側にいないで本当によかったと思う。
「私、何だか悔しくなっちゃって。あなたが侮辱されているの見ても何も出来なくて……逆にあなたは私があの人達に侮辱されたから、したくもない喧嘩をやらせることになっちゃって。何だか申し訳ないような気がして……」
「……」
意外な答えだった。喧嘩で病院に担ぎ込まれたり、停学処分を受けたこともある僕が、喧嘩をしたがっていないように思われるなんて。
「男ってのは、好きな女の子は、必要以上にか弱く見えてしまうものだよ。だから、別にそういうことに申し訳ないと感じる必要はない。男はいざって時に女を守らなきゃいけないと言われているしね」
「男……」
シオリは呟く。
「ああ、それが男なんだよ」
「ふふ……何それ」
あまりに子供っぽい物言いに、シオリは笑った。
「そうそう、そうやって笑っている方がいい。笑顔が戻ったところで、今日は君にもサービスしちゃうからね」
そう言って再び歩き出す。目的地のスーパーはすぐそこだ。
夕食前の買い物には遅く、閉店間際のタイムセールにはまだ早く、そんな中途半端な時間のため、それ程混雑していない。カートにかごを乗せて、店内を散策する。
「君は何か、好きな食べ物とかあるの?」
「え? うーん……強いて言うなら、ハンバーグ、かな」
「ハンバーグ? 子供っぽい食べ物が好きなんだな」
「だ、だっていきなり言われて、思いつかなくて……」
「はいはい。じゃあ挽き肉と玉葱は買わないとね」
「え? ハンバーグ、作るの? ヒラヤマくんのパーティーなのに」」
「言っただろ? 今日は君にサービスするって。それにあいつら、肉だったら何でも大丈夫だよ」
「ひどいなぁ」
カートを転がして、挽き肉と玉葱を手に取る。さすがにハンバーグだけじゃ寂しいから、他にも色々な食材を手に取る。
「ホールトマトも、一応買っておくか」
僕はトマトの缶詰を手に取る。予算に限界もあるし、値段を見比べながら。
「何だか……こういうの、いいね」
そんな僕に、シオリが声をかける。
「何だか、新婚さんみたいで」
「え?」
「あ……」
僕の反応がいまいちだったのか、シオリの顔はみるみる紅潮する。
「な、何でもない。忘れて……」
「……」
そんなこと言われたって――一度言われたら、僕だって意識しちゃうじゃないか。
実は僕もさっきから、同じようなことを考えていたんだ。
僕の母親は、基本的に家事をしない人だったし、親父は親父で、不機嫌な時は母親の作った料理を、一口手をつけただけでゴミ箱に捨てるような人間で、それが母親の家事嫌いに更に拍車をかけた。
僕は小学校時代、週6回塾に通っていて、毎日帰宅は夜の9時を過ぎていて、それから取る食事は一人でスーパーの惣菜だったが、それさえ用意されていない時もあったから、自分で何かを作るしかなかった。孤食で育てば、嫌でも料理なんて身につく。
今までそんな料理しかしてこなかったから、こうして恋人と一緒にスーパーなんかに来て、夕食の食材を一緒に買い、誰かのために料理をすることに、嬉しさを感じていた。
世間じゃ臥龍なんて言われているが、本当は派手な表舞台よりも、そんな所帯じみた、地味な暮らしに憧れている奴なんだ。そして、そんな暮らしをこの娘と送れたら、どんなにいいだろうと、夢を見ている奴なんだ。
「これから一緒に食事を取れる機会なんて、いくらでもあるさ」
僕はカートを転がし始める。
「僕は大学に行ったら、学校近くに安い部屋を借りるつもりだ。もし腹が減ったら、いつでも来ればいい。ろくなものはないだろうけれど、飯くらいは一緒に食べられるぞ」
「……」
沈黙。
「じゃあ、私、あなたと同じ大学に行ったら、少し早く家を出て、あなたの家に行って、一緒に朝ご飯食べて、それから大学に一緒に行くこともできるね」
「……」
「あ――い、いや……わ、私、さっきからおかしなことばかり言っているわね。えへへ……」
照れ隠しをするように、シオリは笑う。
「……」
しかし、そこまで考えていなかったな。二人きりの朝食か……悪くないかも。ちょっと変な感じだけれど。
そんな生活を思い浮かべると、何とも幸せな気分になる。さすがにお互い、家に泊まるとは言えない未熟な二人だけれど、一緒に時間の一部を共有できる時間が取れるだけで、今は十分な気がした。
大学に行っても、きっと僕には大変なことが色々あるだろう。だけど、シオリとそうした生活が送れるのなら、きっと乗り越えられるだろう。
「あぁ、何だかそういうこと考えると、勉強にやる気が出てきたな。えへへ」
シオリは僕に向かって微笑んだ。
僕達はユータから遅れて30分後に、ユータの家に到着した。
ユータはプロと二足の草鞋となってからは、勉強をほとんどする必要がなくなったために、ここにくるのは実に3ヶ月ぶりくらいだった。その間、ジュンイチの家で僕はジュンイチの勉強を見ることが多かった。
「いらっしゃい。ケースケくん、久しぶりね」
玄関先で僕達4人を、ユータの母が出迎えた。後ろから着替えを終えたユータも付いてくる。
僕はこの時点でカツラを外して、正常の姿に戻っていた。ビニール袋を両手に提げて、肩には学校用の鞄を下げるという格好だった。
「ご無沙汰してます」
僕は会釈を返す。
「ふぅん」
僕に目を向けた後、ユータの母は、シオリとマイの顔を一瞥した。
「ケースケくんにこんな可愛い彼女が出来たのは、まあ当然だけれど、まさかジュンくんにもこんな可愛い彼女が出来るなんて、神も仏もないわねぇ……」
「おばさん! 何すかその言い方は!」
ジュンイチは不服そうだ。横のマイはくすくす笑った。
「オフクロはケースケファンなんだ。ちょっとケースケを美化する傾向があってな」
ユータが事情を知らないシオリとマイのために解説を入れる。
「すみません。今日はキッチンをお借りします」
「ああ、ごめんなさい。立ち話もなんだから、上がって」
ユータの母が人数分のスリッパを出してくれて、中へ通される。
「ケースケくん、私も手伝うわ。いくらなんでも人数分の料理を作るのに、一人じゃ大変でしょう?」
リビングに通された後、ユータの母がそう名乗り出た。
「あなたもよければ手伝ってくれる?」
「え?」
そしてその後、ユータの母はシオリにも声をかけた。
「あ、あの、でも私、料理はあまり……」
「そう? 見たところ、家事は全般得意そうだけれど」