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Supporter

「……」

 僕は頭を下げているから、今周りがどんな反応をしているのかわからない。耳からも何も情報が得られない。

目の前の連中は、僕が頭を下げたのを見て、どんな顔をしているだろう。きっと僕が土下座するなんてこと、こいつらは絶対考えていなかったはずなんだ。きっとすごい顔をしているだろう。土下座をする憤りなどよりも、その顔を拝んでみたいという好奇心が勝っていた。頭を下げながらも、僕の顔は笑っていた。

「――で? お前達はどうする?」

 頭上でジュンイチの声がした。

「今のケースケなら、このまま頭を踏みつけられても怒らないだろう。この姿を写真に撮れば、証拠としてあることないこと色々吹聴できる。お前達の願ったりかなったりの展開だろう? だがな、それをしたら今度は俺達が相手になろう。お前達なんかにこいつを汚されるのは許せないんでな。それを覚悟の上であれば好きにしな」

「……」

「どちらか選べ。俺達を相手にしてでもこいつを汚すか、俺達の前から消えるかだ」

「……」

 沈黙。

「お前達は知らないだろうが、ケースケはこの半年で随分変わったんだよ」

 今度はユータの声。

「お前達に邪魔されたくらいで、今のケースケがつぶれるなんて心配、俺達も最初からしてないが、さすがにお前達のケースケを汚す下劣さは見ていて不愉快だ。それにこうして地に這うケースケの頭を、早く上げさせてやりたいんだ。早く決めろ」

「……」

 その二人の迫力に、周りは声を失う。

「――おい、行こうぜ」

 やがて僕の前でか細い声がして、足音が聞こえだし、その音は、次第に僕の耳から遠ざかっていく。

「く、くくく……ははははははは」

 その足音が聞こえなくなると、僕は顔を上げ、そのまま尻をつけてアスファルトに座り込み、空を見上げて大笑いした。

 ギャラリー達はそんな僕を見て、呆気に取られている。ユータ達でさえ、半ば呆れ顔だ。

 土下座なんて屈辱的な行為だが、今の僕の心には、穏やかな白波が、心の奥底に沈殿した砂をさらっていくような、そんな清涼感に満ち溢れていた。

 さっきの連中に、昔の僕の残像を見たからだ。

 他人に嫉妬し、憎み、その憂さ晴らし――愉悦欲しさのためだけに力を振りかざす。正しくない行い――暴力でも何でもいいから、相手を力でねじ伏せることしか考えられなかった、過去の自分を。

 その結果僕は、力でねじ伏せることに固執しすぎて、柔軟性を失い、直線的、一本調子になった。同じ石に何度も躓き、思い通りの結果も得られなかった。そんな過去の自分の愚行を、工夫のない攻撃を繰り返していた連中に見ていた。

 連中の攻撃は、過去の自分の行動そのものだった。かわす側に立ってみて、初めて分かった。自分の過去の行動も、いなすことはこんなにも容易かったのだと。

 それを知ることで、改めて今の自分が、過去の自分に打ち勝ったような気がしたことが、何となく気持ちよかった。打ち勝っただけでなく、過去の自分を振り返り、反省をすることも出来るようになった自分の成長を感じて、最悪だった頃の自分も、そんなに無駄ではなかったなと思えてきたことで、すごく気持ちが楽になったような気がした。

「――ったく、相変わらずよくわからん奴だ」

 横にいるユータが呆れ顔で言った。

「この半年で、男を上げまくった奴が、あっさり土下座したぜ」

「何だ、韓信の股くぐりってやつか?」

 ジュンイチが腕組みをして聞いた。

「……」

 秦の始皇帝崩御の後、中国では貴族の項羽、農民の劉邦の二人が覇権を争っていた。その劉邦の国、漢で大将軍を務めていたのが韓信だ。

 この韓信、若い頃は怠け者として知られ、老婆に食べ物を恵んでもらって命をつなぐ有様だった。人は皆彼を見下していた。

 そんな時韓信は町の青年に「この道を通りたければ、俺の股をくぐれ」と挑発されるが、彼は黙って青年の股をくぐった。周囲の人間は韓信のその姿を見て笑ったが、韓信は「そいつを殺しても何の意味もない。一時の恥で済むのなら」と冷静に状況を分析していた。

 後に韓信は劉邦に仕えて項羽を倒し、漢の三傑と呼ばれる功臣の一人として名を残した後、昔自分に股をくぐらせた青年に礼を言い、臣下に取り立てたという。

「馬鹿。こっちが散々手を出さずに我慢していたのに、お前達が本格的に手を出しちゃったら、サッカー部は大会に出られなくなっちゃうだろ。そうなる前に先手を打っただけだよ」

「はは、そりゃ申し訳ない」

 ユータは頭を掻いた。

 その間に僕は立ち上がり、ジーンズを軽く手ではたいた。

「――何あれ、カッコ悪い……」

「うん、あんなのに土下座して……あれが本当に、天才って呼ばれてるの?」

 耳元に、若い女の子の呟きが聞こえる。

 僕は声のほうを振り向くと、ギャラリーの前列の方にいる女子高生の二人が、びくりと反応した。

 僕は、二人ににこっと微笑む。

「そう――格好悪いんだ。まだまだ。もうちょっと格好良くなるまで待っててよ」

「あ、ああ……」

 女子高生達は呆気に取られている。僕は二人に背を向ける。

「それよりくだらないことで随分時間を取った。早く行こう」

 書店に来る頃はまだ夕日が出ていたのに、もう既に夕日が沈みかけていた。

「げっ、ていうかもう6時回ってるじゃん!」

 ジュンイチが感嘆の声を上げた。



 僕達がそんなことをしている間、シオリとマイは少しはなれたところに避難していた。道理で途中から姿が見えないと思ったが、ジュンイチが後ろで指示をしていたらしい。

 ジュンイチがメールをマイに出して仔細を伝え、結局駅で僕達と合流した。

「ケースケくん」

 僕の姿を見るなり、シオリは駆け寄ってくる。

「え?」

 しかし、途中で足を止める。

「……」

 僕はこの時、今日学校で女子に女装を施された時のカツラを被っていた。茶髪のロングヘアー。女子からは『モデル仕様』と言われていたスタイルだ。

 シオリはジュンイチを見る。

「いや、こいつ地元だから、どうやら素顔じゃ目立ちすぎるみたいだから、軽く変装を、ね」

 ジュンイチは苦笑いを浮かべる。どうやらおふざけの過ぎるジュンイチは、生真面目なシオリに真剣な顔をされると弱いらしい。

「しかし効果覿面だな。カツラ被っただけで、女と勘違いして、スムーズに駅まで来れたぜ」

 ユータが僕の横顔を覗き込む。

「……」

 学校の中だけならまだしも、まさか外でまで女の格好をさせられるなんて……

 確かに、僕がまさかこんな格好をしているとは誰も思わないから、本当にカツラを被っただけで、誰にも気付かれることはないのだけれど、僕は非常にご機嫌斜めだった。

「それより大丈夫? 怪我はない?」

 シオリは僕の胸に手を触れて、子犬みたいにおどおどした目で僕の体を見つめる。

「大丈夫、全然無傷だよ」

「言っただろ? あんなの相手にそんなへまする程可愛い性格してないって」

 ユータ、ジュンイチが苦笑する。

「……」

 シオリはそれを聞いて、ほっと胸を撫で下ろす。

 地元暮らしの僕とシオリはパスモを持っていないので、僕達は本川越駅で所沢行きの切符を買い、電車通学の残りの3人はパスモで改札を通り、電車に乗り込む。本川越駅には東武東上線が一線だけ通っている。ここからユータの住む所沢までは各駅停車で約20分といったところだ。

 電車は帰宅ラッシュで混み合っている。僕達は全員ドアの近くでつり革を握った。

「しかしあいつら、お前に、なめやがって、とか言っていたが、あいつらの方こそ、お前をなめてかかっていたと思うな」

 電車が動き出すと、ジュンイチはそう口を開いた。

「ああ、ケースケの体の細さを見て、喧嘩は弱いと思った。集団で脅かせば何とかなる、と思ったんだろうな。向こうもはじめから俺達が手を出せないことを知っていた。自分が絶対に傷つかないと知っていたからこその行動だったな」

 ユータも同意する。

「その話はもういいだろう。彼女達に、不快な話をわざわざ聞かせたくない」

 僕は早々にその話から撤退する意向を示した。

「別に蒸し返すわけじゃない。ただ、一言言わせてくれ」

 ユータが横にいる僕を見た。

「お前程の力があって、今、あんな奴等になめられっぱなしでいるなよ。そろそろお前も何かしろよ」

「……」

「ま、俺としたら、その何かってのがサッカーであれば、万々歳なんだけどな」

「お前、結局そこにつなげたいだけかよ」

 ジュンイチが突っ込んだ。

「……」

 確かに、僕もそろそろ何かをしなければいけないような気もするんだ。

 さっきのやり取り――こいつらは、こんな偏屈な僕にも、ちゃんと理解を示してくれ、信頼もしてくれる。

 いつだって、僕を応援してくれる。

 ひとりぼっちだった僕にも、今はこうして仲間が出来たんだ。

 それに対して、僕はこいつらに、何かを返せているだろうか。

 そんな思いは、今も僕の胸にくすぶっているんだ。

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