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「ふざけるな! 自分達が負けた腹いせにそんなこと!」

「往生際悪いんだよ! 約束どおり、とっとと消えろ!」

 ギャラリーが連中の言動に、非難を浴びせる。

 だけど、僕は。

「……」

 何も言うことができなかった。

 その言葉は、さっきの連中の無数に飛んでくる攻撃なんかより、はるかに正確に僕の急所を抉った。

 それは、事実だからだ。

 今は違うとはいえ、過去の僕は、まさに目の前の女達が言うような男そのものだった。

 人を人とも思わず、心の底で人を見下し、慕ってくれる人にさえ、当たり障りない付き合いに終始した。僕を好きになってくれた女性を、自らの勝手な都合で大して意味もなく傷つけたこともある。

 それどころか、一番近くにいた人を憎み、呪い、そんな自分を隠さんと、嘘をつき続けた。

 それに対しては、何も言うことはできない――

「わっはっはっはっは!」

 そうして歯噛みをしている時、ひとつの快活な笑い声が、日の沈みかけ、群青色に染まった空によく響いた。そのよく通る笑い声は、ギャラリーの怒声さえも止めてしまう。

 呵呵大笑したのは、ユータだった。

「俺は、完全に一方的な押しかけでこいつについていっただけだったからなぁ……騙されるも何も、そう贅沢言えた義理でもないよ。野球をしていたら一年で甲子園に行ける実力があったこいつを、無理言ってサッカー部に入れちまったしな」

「……」

「お前達の言っていることは間違ってないよ」

 ジュンイチも笑みを浮かべながら口を開く。

「そもそも俺もユータも、ケースケから友達なんて呼ばれたこと、今でもまだ一度もないし、多分俺達のことを、いつも勝手についてくる奴くらいにしか思ってなかったこともあったと思うぜ」

「な……」

 あまりに二人があっさりと自分達の言うことを認めたものだから、女達はしばらく二の句に詰まらされた。

「――呆れた。じゃああんた達は友達だって思われてなくても、そいつについていくって言うの? わけわかんない」

「そこまでわかってて、何であんた達はそんな奴を信じるのよ」

 女達はユータ達を、愚か者を蔑むような目で見る。

「何故って言われてもなぁ」

 ユータは苦笑いを浮かべる。

「こいつは今でこそ、日本の高校生の頂点に立つサッカー選手だが、2年前、何度俺やジュンに吹っ飛ばされて、体中擦り傷だらけにしたと思う?」

「……」

「今は少しマシになったが、2年前のケースケは、女並みの小さな体だった。そんな体で、俺みたいに体のでかい奴に何度もぶつかって、擦り傷やアザを体中にいくつも作ってた。その姿はこっちが気の毒になるくらいだったけど、こいつは毎日自分を痛めつける俺達を恨む言葉を一言も言わなかった。こいつはサッカーに対して、俺達の顔を立ててやっているだけで、思い入れもなかっただろうけど、それでもそこまでやってくれたんだ。そんなこいつを信じないのは、あまりに野暮ってもんだろ。それだけさ」

「……」

 女達は絶句する。ユータの言うことはあまりに単純故に明快で、ケチのつけようも、ユータのお人好し加減を笑ってやれる余地もなかっただろう。

「――あんたは?」

 女の一人は、ユータの言い分にケチをつけることを早々に諦め、ジュンイチにターゲットを変更する。

「俺? 俺は別にユータほど綺麗な理屈じゃないさ」

 ジュンイチは肩をすくめて苦笑いを浮かべる。

「俺はケースケが、サッカード素人だった時からダブルボランチを組んできたけど、その時の印象はお前達と大して変わらなかったさ。人を人とも思わぬ尊大な態度で、先輩へのリスペクトも全くなしで、団体行動スキルは皆無。自分からろくに口を聞きやしねぇし、たまに口を開いたかと思えば憎まれ口ばかりで、何とも生意気なチビだと思ったよ」

 酷い言われようだった。

「操縦も大変だった。ド素人だった頃のこいつは、味方がボールを取られそうになると、すぐにそっちに走って行っちまうし――おかげでフォーメーションがめちゃくちゃになって、何度も守備が崩壊してた。注意しても直りゃしねぇし」

「……」

「そんで、こいつは頭じゃわかっていても、困っている人がいたら駆けつけずにはいられない――そんなバカ野郎なんだって、しばらくして気付いたんだよ。そう思ったら、この不遜な天才坊やが、何とも憎めなくなってな」

 そこまで言いかけて、ジュンイチは当時のことを思い出したのか、くすりと笑った。

「要は、俺はそんなこいつにハマっちまったんだよ。こいつの観察をする、世話を焼くのが俺のマイブームになっちまった。実際この面白素材のおかげで、俺の高校生活は実に面白いものになったし、赤点を何度もこいつに助けてもらったし――こいつがいたから今の俺の充実があるんだ。騙されていたって、お釣りがくるくらいさ」

「……」

「よかったら聞かせてやろうか? 聞いたらお前たちのケースケの印象は、少しは変わると思うが」

「結構よ!」

 ジュンイチの誘いを、女は激しい口調で断った。

「ああ、そう……」

 その拒絶を聞いて、ジュンイチの口調が明らかに変わった。普段は飄々とふざけ半分の口調で喋るのに、声のトーンが急に静かになる。

 それは目の前の連中も感じただろう。ジュンイチに睨まれ、連中は僅かに目が泳ぐ。

「確かにケースケは生意気な面もあるが、それを貫き通すために、どれだけ影で努力していると思う? 俺の知る限り、こいつは高校に入学してから、一日も休むことなく勉強にサッカーに一生懸命だった。サッカーだって、さっきユータが言った通り、本当に体を傷だらけにして、それでも弱音ひとつ吐かずにやっていたんだ。さっきお前達を翻弄したスピードとスタミナだって、この半年、毎日重りを付けて走りこんだ結果だ」

「……」

「それに比べてお前達は何だ。成功者への逆恨みもさることながら、何も知らないくせにケースケの努力までも、その汚い口で踏みにじりやがって。ケースケはさっきからお前達に対して、責め恨むような言葉を一言も言っていない。お前達に対しても情けをかけているのがわからないのか」

「……」

 ジュンイチの語気は、静かだが、徐々に強くなっていく。威風堂々とした体格も手伝って、その迫力は完全に目の前の並の高校生を飲み込んでいる。ギャラリーさえ、ジュンイチの立派な語気に息を呑んだ。

「さっきからずっと気にいらねえんだよ。お前達」

 ジュンイチは、きっと連中を睨んだ。

「俺達は私闘を禁ずる惣無事令を出された身だが、これ以上、俺のダチを侮辱するのなら、こっちにも考えがあるぞ」

「付き合うぜ」

 ユータがジュンイチに歩み寄り、肩に手をかけた。

「俺もいい加減、お前達なんかにダチを侮辱されることに腹が立っていたところだからな」

「おい、ちょっと待て」

 僕は思わず口を挟む。前にいるジュンイチとユータが僕の方を向いた。

「……」

 こんなこと、初めてだ。この二人を前にして、声が出ない。

 こんな僕を、こいつらは『ダチ』と呼んでくれた。僕自身はまだまともにこいつらを友達と呼べていないのに。

 こいつらに何を言われても、僕を信じてくれた。そのことが今の僕の心を喜びで満たしていた。

 だけど、僕はいまだにひねくれ者で――こういう時、どうやってこいつらに声をかけてやればいいか、どんな顔をすればいいか、そういうことが全然わからないのだ。

 だけど――今確かに言えることは。

 僕は2、3歩前に出る。そして、もう一度連中と正対した。

「僕自身も、お前達の言うことは間違っていないと思う」

 まず僕はそれを告げた。

「僕は自分の力を過信して、他の連中はクズだと思っていた。力だけで何もかもまかり通ると思って、力を追い求め、お前達を力でねじ伏せようとした。お前達を、場合によっては女でも容赦なく殴ったりもした」

 それを聞いてギャラリーはざわめく。巷でのイメージの言い僕が、チンピラの言うことを認め、女でも殴っていた過去を暴露したのだ。当然だろう。元々僕は女顔と言われ、風貌だけでは大人しい人間だと思われやすいし、そういうイメージからは遠いキャラクターに見えていたのだろう。

「だが、今の僕は当時の自分を愚か者としか思っていない。時間が経ってみて、少しはものがわかるようになった。相変わらず性格は偏屈でひねくれてはいるが、自分の大儀のために、プライドを少しくらい折ることも出来るようにはなった」

 そういうと僕は靴を脱ぎ、靴下のままアスファルトに直に立ち、そのままそこに膝を折って跪いた。

 ギャラリーがどよめく。

「どうも、すみませんでした」

 僕はアスファルトに手を突いて、そのまま深く頭を下げた。

「……」

 ギャラリーも、連中も絶句した。数学オリンピック金メダリスト、全国模試3期連続トップ、サッカー全国大会MVPと、今日本で一番優秀な高校生、サクライ・ケースケが土下座したのだから。

「……」

 僕が考えていた、もう一つの解決法というのがこれ。

 正直こちらもあまり気乗りはしなかったのだけれど、ユータとジュンイチの言葉を聞いて、気が変わった。

 今の僕じゃ、二人に今の感謝を伝えられそうにないから。

 だからせめて、見せたかったんだ。今の僕は、力で相手をねじ伏せることしか出来なかった過去の僕じゃない。ユータやジュンイチ、シオリが僕に多くのものを与えてくれたおかげで、やっとその力の呪縛から、抜け出ることが出来た。

 僕は変わったんだ。変われたんだ、と。


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