Early-morning
ベッドの中にいたのは2時間半程度で、寝ているのか起きているのかもよくわからないような状態だった。何度も寝返りを打っているうちに、起きる時間が来てしまった感じだ。
最近はどんなに疲れていても、目覚ましよりも早く起きる習慣がついた。目覚ましの電子ベルで起きるとどっと疲れが出るから、それに先回りするように体が出来上がってきた。
そろそろ布団を出ることが辛い季節だ。ベッドから出て、まだ誰もいないリビングへ。冷蔵庫に入れておいた、昨日バイト先でもらった弁当を引っ張り出して、レンジにかける。
別に料理が出来ないわけじゃないし、朝食を作る時間がないわけじゃない。親に逆らい過ぎた僕が家の食材を使い続ければ、いずれは金銭が発生する。それが煩わしいだけ。
だから僕の食事は、ほとんど毎日毎食が期限の切れたコンビニ弁当に、自分で作ったタダ同然の麦茶だ。不思議なもので、毎日同じ時間に同じものを同じ量食べていると、これ以上の食事を望まなくなってしまった。
親から養ってもらっているなんて死んでも思われたくないから、一番辛い食費の問題も、こんな悪条件でもクリアできた。毎日コンビニ弁当を食べるよりも、あの親に頭を下げる方が嫌だった。
家族がいる時は絶対に座らないリビングの椅子に座り、朝食を取る。朝からチキンタツタ弁当なんかを食べて、重いとか、もうそんなものはお構いなしだ。味覚を殺して、単に腹を膨らませるためだけに食事をする感覚が出来上がると、食べ合わせとかがまったく気にならなくなる。味が悪くたって、空腹なら何だって食える。
玄関から新聞を取ってきて、新聞を読みながらテレビをつける。6時頃のニュースってのは、余計な情報が少なくて都合がいい。7時過ぎの民放のニュースは僕にとって不必要な情報ばかりだ。
新聞で昨日のニュース、とりわけミャンマーでのクーデター問題の記事に目を通しながら、テレビのアナウンサーの声が聞こえてくる。
「高校教諭のわいせつ事件に、スカートを短くするなど色気づく女子高生も問題、だという○○議員の発言に、女性議員が団結し、国会での質疑が昨日行われました。昨日の国会の模様です』
『あなたのその発言は、女に対する侮辱です!』
『そのような語弊があったことには、深く反省し、発言を取り消させていただきます』
『政治家として、道義的責任をどう取るおつもりですか!』
『それにつきましては、後日、別の場を借りて、謝罪させていただきます・・・・・・』
『このように、発言取り消しを申し出ていますが、永田町に、またまた舌禍問題が起こりそうですね。この問題について、今日は□□大学の××教授と話し合っていきたいと思います――』
「・・・・・・」
――何でこんな連中が、国のトップなんだろう。
何でこんな奴等が「大人」で、僕は「子供」何だろう。
僕は冷蔵庫から昼用の弁当を取り出し、鞄に入れる。母が僕の弁当を作ることはない。僕と母の二人しか夜に家にいない場合は、母は絶対に僕の飯を作らない。僕を軽んじているので作るのを面倒くさがるからだ。大体友達とレストランに行ってしまうが、ひどい時は、僕が母の飯を作らされるくらいだ。
何故僕があいつら以下まで見下されねばならないのだろう。親父と僕を比べたら、僕の方が明らかに親父よりも勝っているはずなのに。
しかし親子間で、喧嘩の腕力と、それ以外の能力というのは、刀と鞘のようなものだ。どんなに鞘の装飾が豪華でも、刀に力がなければ鞘は単なる付属品に過ぎない。
基礎体力の差は歴然でも、肝心の体格で、僕は圧倒的に劣っている。身長180センチ、体重110キロという親父が暴れだせば、僕には止める力はない。僕が弱いから、親父が、家庭から逃げているのは誰が見ても明らかなのに、認めさせることが出来ないのだ。
中学に上がった頃から、僕は夜中に飲んだくれて帰る親父に文句を言い始めた。
「あんたがしっかりしないから、この家はメチャクチャなんだ! 家がメチャクチャなのに、あんたはとんでもない時間まで、外遊び歩きやがって!」
酒の席で自分を責められ、不快を覚えたのだろう。その度僕は家のフローリングに這いつくばされ、血反吐を吐いた。僕は何度やっても、親父の腕に捕らえられ、人間サンドバッグの憂き目を見た。僕は親父に敵わなかった。他のことでは全ての面であいつに勝っているはずなのに。
元々そういう男なのだ。僕が小さかった頃から、何か気に入らないことがあるたびに、 僕に八つ当たりして、憂さを晴らしてきた。母と祖母が喧嘩する度、新しい傷が増えた。
小さい時の僕は、よく親父といた記憶がある。親父に七十年代のレコードとか映画のビデオを見せられて、焼酎を飲みながら饒舌に語っていた記憶ばかりだ。僕はそれが不快で仕方がなかった。親父の気に障れば、生意気だと叩かれるから、必死に親父のご機嫌を取って、ただ頷いていた。機嫌が悪い時の親父とも、いつも一緒にいた。血走った顔をして、ウーロン茶で割った焼酎をかっくらって、大きな音を立ててグラスを置いて、不機嫌そうに溜息をつく。僕は体をぐっと緊張させるが、その場から逃げられない。逃げると親父はそれを察して、更に不機嫌になる。ここでじっとしている方が安全だと知っていたが、いつ殴られるかわからず、一挙手一投足に気を配るのは、身の毛もよだつような恐怖だった。
パートを何人も雇っている店は、親父一人いなくても、運営できる。親父は、昼間からパチンコに行く日もある。パチンコの情報誌が、リビングに山積みになっている。
ふざけやがって。
県立ながら、私服が許されているから、僕は赤いインナーの上に茶色いレザーブルゾン、リーバイスのデニムを履き、適当にウォレットチェーンやクロスのシルバーネックレス、指輪をつける。
結構お洒落だと勘違いされるが、着こなしはほとんどユータやジュンイチから教わったものだし、所持している服はユータ達からのもらいものか、季節の変わり目に一回古着屋に行ってチョイスしただけだ。今日の格好だって、トータルコーディネートは2万円かかっていないだろう。
アクセサリーだって、つい最近まで自分は一生しないだろうと思っていたくらい思い入れがない。彼女がいた時に、なんとなくペアリングなんてもんをしていたくらいだ。
ただ学校では、望まずとも僕はそこそこ有名人だ。服装の場合、適当に選ぶことが適当ではないのだとわかった。なまじ有名な分、いい加減な格好をしているだけで、「もっといい格好をしろ」だの「センスがない」だの色々と干渉される。
入学して一年もして、ようやく自分のポジションというのがわかってきて、それ以来、服装で『崩す』ってことを覚えた。この家庭環境を心配されなくてもいい隠れ蓑にもなるし、それっぽい格好で、自分が本質的には普通の学生っぽく、歳相応っぽく見せようと考えるようになった。
腹を膨らますため、牛乳をゆっくりと飲む。麦茶やコーヒーより、家にいる時は牛乳を好む。背が高くなりたいというよりは、腹持ちがいいというのと、ほぼ三食コンビニ弁当の生活なので、不足しがちな栄養を補うためだ。大体二日に一度はサラダか野菜ジュースをコンビニで買う。
朝食を食べ終わり、歯を磨く。いくら腹が減っていても、歯を磨いてしまうと、しばらくは食う気が収まってしまう。少ない食生活の中で僕が覚えた知識の一つだ。
教科書はほとんど学校に置きっぱなしなので、鞄が非常に軽い。弁当箱と、運動用のシャツとスウェットだけを鞄に放り込んだ。僕は階段を下りる。
玄関の檻に入っているリュートにもドッグフードとミルクを与えた。自分の右手にドッグフードを少し乗せて、リュートの前に出す。リュートは喜んで、僕の掌を嘗める。僕も左手でリュートの頭を撫でてやる。
犬だってしつければこうやってきちんとするのに。うちの家族はまったく犬以下だ。
愛用のナイキのスニーカーを履く。今ではレアなアメリカ製だが、もう履き潰したので、値はつかないだろう。履きながら左腕に巻かれた愛用のG-shockの液晶デジタル画面を覗くと、6時43分を指していた。このG-shockは、買い替えてもいいのだが、僕が買ったブーム全盛の小5の冬以来、一度も止まったことがない代物だ。度々腕から落ちてしまうが、正確に動いているため、替えるに替えられないのだ。僕の周りで、デジタル表示の腕時計を使っている連中は少ないので、さすがに僕も買い替えたい。
リュートにリードをつけて、シャベルとビニール袋を持って散歩に出る。近所を適当に回り、便が出たら終了。リュートは賢いから、わざわざ散歩に連れて行かなくても便くらい自分でするが、散歩に連れて行かなければ体がなまって太ってしまうし、家族がリュートの檻を掃除することはないので、自分で排泄した便を、犬の本能で食べてしまう。
リュートは既に家族には厄介者扱いだ。檻の中で便をしても片付けもしない。自分達の方がそれ以上の汚物だってことも知らないで。
駅から埼玉高校までは、歩くと20分弱かかるが、県立なのでスクールバスは出ていない。部活動をしている人間が自転車通学を許され、それ以外の生徒は、自宅、または駅から徒歩か公共バスで学校へ通う。
僕は鼻から大きく深呼吸をする。この時期の朝は朝もやがかかってノスタルジックだ。この軽く新鮮に濡れた空気が僕は好きだ。早朝と呼ばれるこの時間はどこか寝ぼけた雰囲気を残していて、人の気配が少ない。冷たい風を受けると眠気も冴えてくる。
路地に入ると街の方針でデザインされた、白地に街の名所のプリントされた石畳が続く。昨日の雨が乾ききらず、湿った空気の匂いが香り、軽くかかった朝もやが石畳とマッチして、郷愁を誘う。
路地のパン屋がもう開いていて、何人かカウンターに並んでサンドイッチを選んでいた。焼きたてのパンの香りがする。僕は昔ここのチーズ入りチキンカツサンドが好きだったが、最後に食べたのはいつだっただろう。
カウンターの前に、長年の侵食を受け、額のせり上がったおじさんが、サンドイッチを真剣な顔立ちで吟味している。コンビニのバイトをしている時もそうだが、こういう人を見ると、酷く物悲しい気分になる。あの年になって場末のサンドイッチを真剣に悩むような人種もいるのだ。それは時間に余裕があるのか、それとも手持ち無沙汰なのか。
そんな景色を通り過ぎて、十字路を渡りしばらく行くと、右手に市民会館、左に小学校が見えてくる。ここが僕の母校だ。嫌な思い出しかないが、幸いこの小学校を出た僕の同窓は、誰も埼玉高校には来なかった。しかしマツオカ・シオリは、僕が中学受験をしなければ、僕が進学するはずだった公立中学に通っていたらしい。
その先――長い坂をブレーキをかけずに下り降りる。昔の戦では、源義経が一の谷の合戦でやったように、崖からの急襲で攻めた戦には有名なものが多い。僕はこの坂を滑走するたびに、逆落としをかける昔の戦に思いを馳せる。
坂の終わりが埼玉高校だった。僕は坂での加速を殺さないように、ブレーキを踏まず、そのまま校門前のT字路の信号のない横断歩道を突っ切り、そのまま校内へ滑り込むと、7時ジャストだった。駐輪場に自転車をバーでしっかり固定して、僕はそのままサッカー部の部室に向かった。
埼玉高校の運動部は、二年生で引退が主だ。だから部室は先日先輩が引退し、僕達が引き継いだ。部室は一階と二階に一つずつあり、二階の部室を一年が使い、二年は一階の部室を使う決まりだった。
男子しかいないサッカー部の部室は、富士の樹海状態だ。先輩が汚したのだが、掃除する時間がないし、重たい用具が積み重なっているため、とても一人で全て掃除できる状態ではない。不潔で不衛生な部室――共学なのに、女子のマネージャーがいないわけだ(顧問のイイジマが募集を許さないせいもあるんだけど)。
ボロボロのドアを開けると、昨日の僕達の汗と夜の雨の混ざった、じめっとした臭いがした。ひんやりとした鉄筋コンクリート製の部屋は、空気の抜けかけたボールやらの用具が雑然と詰まれ、周りには壊れたスパイクがいくつも転がっている。かび臭く、湿気に満たされた、古い裸電球が一つぶら下がっているだけの薄暗い部屋は、橋の下のボクシングジムか、世界史の教科書に写真が載っているアヘン窟のようだった。