Groin
僕に全くひるまずに向かってきた連中は、僕達が掴んだ手をほぼ同時に離すと、3人とも一斉に後ずさった。
ユータもジュンイチも、偉丈夫といえるほどの立派な体躯を持っている。こいつらは僕のことは、短身痩躯故に恐れていなかったが、この二人が僕の加勢に入ることは脅威に思っていたようだ。
「そう警戒するな。3分経った以上、俺達が無駄に手を下す必要もない」
ユータが両手を広げて交戦の意思がないことを改めて示した。
「言っちゃ悪いが、3分間お疲れさん、ってとこだな」
ジュンイチが歯をむき出して笑った。
「テメエ……初めからこうなることがわかって、俺達をけしかけやがったな」
長身の男はジュンイチのその言葉で全てを察したようだ。歯噛みをしながら呟いた。
「別にわかっていたのは俺じゃない。ケースケさ。」
ジュンイチが一歩前に出た。
「お前達、ケースケの言葉を聞いてなかったのか?」
ユータも一歩前に出る。
「言っていただろ? これから俺のことを祝おうって時に、血を流してそれに水を差したくない、って。なのにケースケはお前達と何が何でも交戦を回避しようとしていたか? 出来れば拳を下ろしてほしい、くらいにしか言わなかっただろ? それは何故か。ケースケはお前達相手なら、たとえやり合っても一滴も血を流さない自信があったからなのさ。お前達が相手じゃ、血を流さない自信がなければ、ケースケは全力で逃げるさ。こいつはそういう切り替えが早い方だ」
「……」
「そういうこと。俺はケースケがそう確信していることを悟って、お前達の望むやり方での解決法を提案したってわけだ」
ジュンイチがユータの解説を引き継ぐ。
「……」
僕もジュンイチも口には出さないが、ジュンイチがこのやり方での解決法を提案したのは、ジュンイチがこいつらに対してかなり腹を立てていたからだった。
僕はこのやり方の他に、もうひとつの解決法を用意していた。どちらもあまり気乗りしない解決法ではあるのだが、少なくともこの解決法はできればあまり実践したくなかった。ギャラリーの面前で、相手を肉体的には無傷だとしても、精神的にはボコボコにしてしまいかねないからだ。
だが、ジュンイチがこの解決法を提示した時、僕も悟った。僕達はサッカー部の手前、下手に手を出すと、対外試合自粛、下手すれば廃部の可能性がある(と言うか手を出していたらこいつらは間違いなく、それを口実に僕を『暴力高校生』と世間に吹聴するとともに、埼玉高校サッカー部廃部のために動き出したであろうと思われた)。だから無抵抗にならざるを得ないけれど、ただやられっぱなしというのもつまらないし、こんな奴等にお前が背を向けるのも気に入らない。だからせめてこいつらを、精神的にとことんボコボコにしちゃってくれ、と、ジュンイチは解決法の提示という方法で、僕に依頼したというわけだ。
僕自身も、しょっぱなに僕だけでなく、シオリまで侮辱したこいつらに怒りを覚えていたことはやぶさかでなかったし、ジュンイチまでこいつらに腹を立てているのであれば、こいつらは十分処罰の対象になり得ると思い、それを快諾した。
まあ、これは奴等には教えないけど。故意に僕がこいつらを辱めたと、わざわざ自らの悪意を告白することもない。
「それにしても、お前こいつらと数年ぶりの再会だったんだろ? だったらこいつらがもしかしたら、数年の間にすごく強くなっているかもしれなかったのに、どうして3人相手に無傷でいけるって確信を持てたんだ? そこまでは俺も読めなかったんだが」
ユータが僕に聞く。
「それは、そこの奴が僕の胸倉を掴んだ時さ」
僕は目の前の長身の男を一瞥し、男の右手を指差した。
「お前、利き腕は右手だろ。そして、僕の胸倉を掴んだのも右手だ。それだけでお前の実力がわかったんだよ。それについて何の指摘もせず、余裕の傍観をしていた後ろの二人も、実力は推し量れたし、決死の覚悟もないことがわかった。だから余程のヘマをしなければ、無傷でいけると確信したのさ」
「――いや、それじゃ全然わかんないんだが」
「胸倉を掴むっていうのは、相手を制することで、一見有利そうに見えるけれど、実際は間合いが近すぎて、余程腕力がない限り、攻撃にも防御にも転じにくいんだ。おまけに片方の手を自ら塞いで、体勢的には両手が自由な相手より圧倒的不利。最悪の体勢だ。そして、その塞がれた手が利き腕だとしたら、最悪の二乗。胸倉を掴むなんていうのは、喧嘩を知らない奴が、弱い者を相手に威嚇するくらいにしか使えない、下策中の下策なんだよ。それをやる奴は、ただのハッタリ野郎か、喧嘩を知らずに粋がるチンピラのどちらかってことだ」
ギャラリーが、かすかにざわめく。頷く者さえいるのが横目で見えた。
「こっちは手を出さなかったけど、お前が僕の胸倉を掴んで饒舌に啖呵を切っていた時、お前の腹は片手が上がったことでがら空きだった。やろうと思えばあそこでお前の腹に膝蹴り入れて、お前を沈めることも出来たんだよ。片手が塞がったお前は、なまじ僕を掴んでいることで、防御も回避も無理だったはずだ。お前はあの時点で既に死に体だったんだよ。それに気付かなかった本人も、指摘できなかった後ろの二人も、ただのチンピラ確定ってわけだ」
その説明に、ギャラリーが拍手する。
「はは、相変わらず読みが冴えていること」
ジュンイチが僕の横で肩をすくめた。
僕はユータに預けていたジャケットを返してもらって、それを羽織り直し、シルバークレイの指輪を右手薬指にはめ直した。
「僕の言動がお前達を馬鹿にしている、と言っていたが、僕にもそれなりの根拠があって、相応の行動を取らせてもらったんだ。それが気に食わなかったのなら、素直に謝るよ」
僕は両手を挙げて掌を見せ、無抵抗のポーズをとる。実際は根拠があったからこそ、少しおちょくって見せたのだけれど。
「だが、約束だ。3分で僕を仕留められなかったお前達は、今すぐ僕達の前から消えてくれ」
僕はもう一度、連中を睨んだ。そしてその後、連中の後ろにいる連れの化粧の濃い女二人を見る。さっきから連れの男達の体たらくを見せ付けられ、その仲間であるこの女達も、こいつら同様精神的辱めを受けていた。
「女。お前達はこいつらよりはまだ頭冷えてるだろうから、こいつらを連れてとっととここから消えろ。僕達も急いでいるんだ。もう二度と追ってくるなよ」
僕がそう言うと、何故か一部のギャラリーが、きゃー、と声を上げた。
「さあ、行こう、随分時間を食った……」
そうして僕が踵を返して、皆とその場を去ろうとした時――
「待てよ!」
後ろから、大きな声で呼び止められ、僕はもう一度振り向き直す。
「このままじゃ終われねぇ。このまま終わってたまるかよ!」
さっき僕に、死に体を指摘された長身の男が怒気を露にして、先頭に立っている。
「……」
僕は頭を掻く。
「――あのさ、こっちはもう3分やっただけでも、もううんざりなんだが……」
「うるせぇ!」
「――またそれか……聞く耳持たずだな」
僕はため息をつく。
「何を根拠にかは知らないが、お前達はケースケを甘く見すぎた」
後ろにいるユータも忠告に加わる。
「そうそう、ケースケはマジで強いんだ。20人以上のヤンキー相手にたった一人で勝っちまったこともある」
ジュンイチも続く。
「はぁ? そんなわかりやすい嘘、誰が信じるかよ」
しかしジュンイチの言葉は一笑に付される。
「ま、信じる信じないは、お前らの勝手だけどよ。ただケースケはマジで強いぜ。しかもケースケは変身するごとにパワーがはるかに増す。そしてその変身をケースケはあと2回残している。この意味がわかるか?」
「それは嘘だ」
僕は後ろのジュンイチを振り向かずに言う。
「えぇ? お前、そういう設定があるんじゃ……」
「そんな宇宙人設定はない」
「じゃ、じゃあ鍵となる二つの特殊生命体を吸収すると、完全体になってよりパーフェクトな存在に……」
「人造人間設定もない」
僕とジュンイチの漫才に、ギャラリーも笑い出す。まるで連中が再び僕に喧嘩を売ることを嗤うように。
確かにヤンキー20人相手に、こんな細身のチビがたった一人で勝ったとか、宇宙人や人造人間ってくらいとっぴな話だよな。
「ふざけんじゃねぇ!」
そんな和やかな空気を、長身の男の大喝がぶち壊す。
「……」
再び僕は長身の男を睨む。
そして、ゆっくりと、2、3歩前に出る。僕と男との距離は10メートルほどあったが、僕はゆっくりとその間合いを詰めていく。
「……」
僕のその不言の行動に、周囲が一気に静まり返る。長身の男も、ゆっくりと間合いを詰められながらも、自分の目をしっかり捉えている僕の視線に気後れしている色が見えた。
「……」
やがて意を決したように、男は血走った目を見開いて、僕に再度拳を繰り出してきた。
これも言わなかったけれど、さっきからこいつら、ダメージの目立たないボディじゃなくて、相手を壊す感覚を一番味わえる顔ばかりを狙いすぎだ。フェイントもお粗末だし、顔という直径20センチ前後の的――しかも攻撃がそこに集中していることがさっきから明らか。
こいつらは僕が手を下さなくても、初めから様々な要素で負けているのだ。
だけど、当然こいつらはそれを言っても納得しないだろうな――
男の正拳突きが顔に目掛けて飛んでくると、僕は右にかすかに体を倒しながら、右足でアスファルトを蹴って、一足で男の間合いの更に撃ちに入り込み、同時に左手を伸ばして長身の男の顔を鷲掴みにしていた。僕は左手で男の体をぐんと後ろに押すと同時に、左足を男の足に後ろからかけて、思い切り前に跳ね上げた。
長身の男の体は一瞬中に浮き、そのまま仰向けにどさりと倒れる。あまりに一瞬の出来事に、受身を取ることもできなかったのだろう。背中を強くアスファルトに叩きつけられ、ぐふっと息を漏らす声が聞こえた。
しかしその時には、僕は男の顔面に向かって、左足を下ろしていた。
ダン! と派手にアスファルトが音を立てる。
僕の靴は、男の大きなピアスのついた耳たぶ5センチのところを掠めて下ろされていた。
「……」
僕はそのまま、寝そべった男の目を睨んでいた。男の体は硬直してしまい、瞳孔に今までには見せなかった類の反応を見せていた。
「何度も言わせるな。早く僕達の前から消えろ」
僕は静かにそうはき捨ててから、顔を上げ、後ろにいる男の仲間達に目を向けた。
「お前達も自惚れるなよ。3分手を出さなかったが、その3分の間に僕がお前達を仕留められるチャンスなんていくらでもあった。このとおり顔を踏み潰そうと思えばすぐできる――」
僕はそこまで言いかけると、言葉を止める。足元に殺気を感じたからだ。
それを感じたとき、僕の足元に倒れている長身の男は、体を軽く起こした体制で、自分の眼前にある僕の股間に向けて、まっすぐに拳を繰り出していた。
しかし、僕はその拳が触れる20センチ手前で、腰を引きながら、男の拳を右手で受け止めていた。
「その攻撃も見え見えだよ」
僕は視線を落とし、長身の男に笑いかけてみせる。
それと同時に、後ろのユータ、ジュンイチが、くくく、と笑い出した。
「アホ面で得意げに語って、目の前にある急所を無防備に見せて、お前に最後の良心が残っているか試したんだが、まさか本当に手を出してくるとはね」
僕がそう言うと、長身の男はその体勢のまま、今度は開いている左手で、僕に向かって拳を繰り出してきた。もう狙いもクソもないでたらめなパンチだったが、僕はそれをかわすため、後ろへ飛んだ。男は僕が離れてすぐに立ち上がる。
「数が少ない僕が生き残るためにやるならともかく、数の多い方が急所打ちとは、恥の上塗りだな」
僕がそう言うと、男は汚名返上を狙って、また臨戦態勢に入る。
「お前、相変わらずケースケの話を聞いてないね。お前がケースケの胸倉を掴んだ時、お前が既に死に体だったことを指摘したばかりの奴が、得意になってくっちゃべって、隙を作るわけないだろう」
ユータが言った。
「もうやめなって。急所打ちなんてしている時点でお前達、もう負けてるよ」
ジュンイチもうんざりした表情だ。
「うるせぇ! 何も知らない奴は黙ってろ!」
そんな二人の忠告を制したのは、長身の男の後ろにいる坊主頭の男だった。
「こいつは、嘘つきで猫かぶりで、自分以外の人間を見下した、最低の野郎なんだ! こんな奴を絶対に俺達は認めないぞ」
坊主頭の男が僧籍を切ったことで、横にいる女二人もその勢いに乗るように口を開いた。
「ていうか、あんた達もこいつに騙されているんじゃないの?」
「そうそう、こいつは友達の振りをしているだけで、あんた達のこと、友達とは思っていないよ。都合のいい時に利用できればそれでいい、くらいの駒くらいにしか思ってないって」
「本当は内心、あんた達もバカにされてるのよ。それにも気付いてないわけ?