Fight
僕は自分の首許をがっちりと握り締めている男の右手に、自分の右手を当てた。
「この手を見る限り、どうやら今更僕と分かり合う気はないようだな」
僕は長身の男の目に視線をぶつける。
「俺達の怒りは、目の前のこいつの顔に一発お見舞いしないと収まらない――そんな顔だな」
「そうだ。わかってんじゃねぇか」
口を開いたのは、長身の男の後ろで僕の様子を見ていた筋肉質の男だ。
「お前がテレビや雑誌に出る度に、こっちはお前のことを思い出して、気分悪いんだよ。人を選んで媚を売る、てめえのそのスカしたツラ、もう二度と見たくもねえってのに」
「……」
――お前達、その文句は僕じゃなくてテレビ局やマスコミに言えよ。これでもサッカーの取材を除けば、自分から進んでメディアに顔出したことないんだから。
僕は自分の右手で、首許にかかっている長身の男の右手を掴んだ。
「散々好き勝手言われてるけど、僕だって小学校時代、お前達に相応のことはされた。火のついたマッチ体に押し付けられそうになったり、集団で痛めつけられた後、身包み剥がされて縄跳びで体を縛られ、冬空の神社の境内に放置されたりな」
その僕のカミングアウトを聞いて、周りを囲むギャラリーはにわかにざわめきだす。
「正直当時の僕とお前達は、喧嘩にもなっていなかった。お前達の数に物を言わせた暴力に、毎回のされた。でも、お前達は毎回僕をぶちのめしていても、それで一度でも僕を屈服させられたことがあったか?」
「……」
「今も同じだ。ここで僕がお前達にボコボコにされても、僕には何の変化も起こらない。僕の足は止まらないし、お前達を畏怖することもないだろう」
それを聞いて、長身の男が、僕の首許を掴む手に力を込めたのがわかった。それは、こうして首許を掴む脅しをかけても、僕が全く気後れしていないこと、そして、一度振り上げてしまった拳をどう下ろしても、僕との関係が膠着するだろうということへの苛立ちがそうさせたのだと思われた。
「それに――後ろにいる二人のことを知っているか?」
だけど僕はそれには構わず、首許を掴まれたまま、後ろにいるユータとジュンイチを親指で指した。
「そのうちの一人は、昨日プロサッカー初先発で初ゴールを決めたんだ。だからこれから僕達は、そいつの幸先のいいプロ生活の門出を祝ってやろうと思っていたところでな。僕達にとっては、今日は結構めでたい日なんだよ。そんな日を、血で汚すのは忍びないし、折角の祝いの日に、しらけることはしたくないんだ」
僕がそう言った時、僕の背後からいくつかの拍手が起こった。
今僕達を取り囲んでいるギャラリーの中にも、テレビで昨日のユータのゴールを見ていた人もいるのだろう。ユータに向けての祝福の拍手だった。いや、どうもどうも、と、照れくさそうなユータの声も聞こえたからだ。
「どうやら無駄なようだぜ、ケースケ」
その拍手の中、横からジュンイチの声がした。首元をつかまれている僕は、ジュンイチの方を振り向くことも出来ないけれど。
「そいつら、明らかにお前に対して苛立ってるし、どうやらお前が口で説得しても聞き入れそうにない。何よりここで中途半端に拳を下ろさせても、そいつらがお前を嫌いだって事実は消えそうにない。ある程度この場で白黒つけないと、色々と禍根が残りそうだぜ」
「……」
そうだろうな。ジュンイチの言う通りだ。
僕の悪評をマスコミに話すとか、ネットに流すとか、こいつらがさっき言っていた程度の嫌がらせなら、別にされても問題はない。僕個人で完結できる。しかしこいつらの僕への憎悪は、そのうち僕の周りの人間にも迷惑をかけそうな危険性を秘めている。僕が現状マスコミなどから取り上げられることは避けられないし、その度にこいつらの僕への嫌悪感が増していくのだとしたら、そのうち埼玉高校サッカー部や、ユータ、ジュンイチ、シオリにも何かちょっかいを出してくるかもしれない。
ここである程度、白黒つけられる方法、か……
解決策の候補としては2つあるけれど……どっちを選ぶか。
「部外者の俺が口を挟んでいいなら、ひとつ提案がある」
またジュンイチの声がした。
「あ?」
「お前達はケースケをボコりたい、ケースケは血を流すことなく、なおかつ早く帰りたい。その両方の利害を最大限マッチさせつつ、白黒つけさせる方法がある」
「へえ、面白いじゃん、聞かせろよ」
後ろの坊主頭がジュンイチに冷笑をぶつけた。
「その前に、ケースケを離しな」
僕の背中越しに聞こえるジュンイチの声は、普段の間の抜けたムードメーカーのそれではない。鉄壁のボランチとして、相手チームの攻撃を体を呈して止める、サッカーをしている時の奴の迫力を僅かに感じる。
どうやらジュンイチも、こいつらに対して少々立腹気味のようだ。これからパーティーだというのに、こいつらのせいで水を差された怒りは僕だけではなく、ジュンイチも当然持っているのだ。
その迫力に気圧されたかのように、長身の男は僕の首元から手を離した。僕は一度男と距離をとるために、2、3歩後ずさった。その僕のすぐ横にジュンイチが立つ。
「離したぜ。聞かせろや、そのいい方法ってやつをさ」
長身の男は、同じくらいの体格のジュンイチに、棘のある言い方で聞いた。
「なに、簡単なことさ。お前達は好き勝手にケースケに攻撃を仕掛けているだけでいい」
あっさりとジュンイチは言った。
「ケースケはその間、お前達に一切攻撃はしない。防御と回避だけだ」
「は? 何お前、仲間が一方的に攻撃されてるだけでいいって言うの?」
後ろの筋肉質の男が、ジュンイチを嘲笑した。
「ま、俺達とすりゃ好都合だし、反対する理由はないけどね」
「ただし、制限時間がある」
ジュンイチはその嘲笑をきっぱりと遮った。そして、右手を前に伸ばし、指を3本立てた。
「お前達に与えられた時間は3分だ。3分でケースケを仕留められればそれでよし。だが、3分でケースケを仕留められなかったら、お前達は今すぐ俺達の前から消えてもらう」
「……」
ジュンイチの奴、僕と全く同じことを考えていた。3分という制限時間まで一緒だ。それはきっと、こいつらの力量を見抜いている証拠。
そして、この方法を僕に選ばせるのは、やはりジュンイチも相当立腹しているということなのだろう。
「はぁ? 3分? ボクシングで言う1ラウンドしかねぇじゃねぇか」
長身の男がクレームをつけた。
「いや、妥当な時間だろう」
そう口を開いたのは、ユータだった。ユータも1,2歩前に出て、僕の斜め後ろに立つ。
「俺もスタミナには自信があるが、ケースケのスタミナはプロの俺よりはるかに上だ。お前達は、3分も全力で攻撃したら、多少なりとも息が上がっているだろう。その頃ケースケはまだ余力十分だ。3分でお前達がケースケを仕留められなかったら、もう疲れ始めているお前達が今後ケースケに攻撃を当てられる可能性は限りなくゼロだ。わかる? 3分以上はやっても無駄なんだよ。ボクシングみたいにインターバルがない喧嘩で、お前達がケースケを仕留めるなら、後先考えずにはじめから攻めまくるしかないんだ」
「……」
ユータもこいつらの実力を既に見切っている。理由としてもほぼ満点だ。
「ま、そういうことだな」
その案を提案したジュンイチが頷く。
「お前達が疲れた時点で、ケースケの勝利は確定なんだよ。お前達の実力は知らないが、少なくともお前達よりケースケが先にガス欠起こすなんて事はありえない。疲れ果てたお前達を仕留めるのなんて、ケースケにかかれば簡単なことだしな。お前達は3分以上続けたら、ケースケにボコられる以外の運命はないんだよ」
「……」
「だがケースケはさっきからそれを望んでいないだろう。お前達を殴ったって、今のケースケには何の益もないからな――つまり、3分経った時点で、お前達は目的を果たせないし、ケースケにとっても喧嘩が無意味になる。お前達は3分過ぎたら、ボコられなかっただけでもありがたいと思って、とっとと拳を下ろすしかないのさ」
実に理路整然とした説明だった。
そして、二人の説明は、3分後の連中の敗北が確定しているような――そんな断定的な説明だった。予言なんて曖昧なものではない。リアルな現実として、やる前から3分後の連中の敗北を突きつけた。
目の前の連中がかすかに狼狽するのがわかった。二人の説明は、恐らくこいつらにも、自身の3分後の敗北シーンを、瞼の裏に見せただろう。
「どうだ、ケースケ?」
ジュンイチがこの案の賛否を聞いた。
「――まあ、現状こいつらを諦めさせつつ、早期決着をつけるなら、それしかないと僕も思っていたからな」
僕は連中の前に出て、上に羽織っていたジャケットを脱ぐ。一応右手の薬指にはめている指輪もはずす。シルバークレイなので、ちょっとの衝撃で砕けてしまう可能性があるからだ。
「持っていてくれ、それと、タイムキーパー頼む」
僕はジャケットをジュンイチに預けて、ジーンズに白の無地Tシャツ1枚という格好になる。
既にギャラリーは色めきだっている。メディアでは天才と謳われるサクライ・ケースケが、野試合の喧嘩をするのだから、いい見世物だろう。見世物になるのは僕の本意ではないが、3分我慢すればいいのだと、自分を納得させる。
「さて――とりあえずお互いの思いを尊重した解決策が出たんだ。僕もそうするのがお前達の心の健康のためにもいいと思うし、とりあえずかかってきたらどうだ?」
僕は右手を前に出し、指をくいくいと動かして、連中を催促する。
「勿論お前達が諦めて帰ってくれるなら、3分節約できるし、無意味に傷つかなくていい分、願ったり叶ったりなんだが……」
「ざけんな」
後ろにいた筋肉質の男が、いきり立った声を上げた。
「そんなみっともねえ真似が出来るか。俺はやるぜ」
戦闘の意思を伝え、男は僕の前に立ちはだかる。
「あれ? 一人でいいのか?」
「あ?」
「昔は集団で僕にかかってきていたからな。それに、多分タイマンじゃ僕に攻撃が当たらないと思うぞ」
「テメエ、どこまで人を馬鹿にすれば気が済むんだ……」
「別に。3分しかないなら、有効に使えっていう忠告だよ」
僕はにこっと微笑む。
「さて、お互いやる気になったところで、手っ取り早くはじめてもらおうか。俺も、自分が主賓のパーティーの時間を遅らせたくないしな」
ユータが苦笑混じりに言った。そう言ってから、自分の腕に着けているストップウォッチ機能付きのデジタル腕時計のタイマーをセットし始める。
「ああ、OKだ」
僕はつま先だけで軽くジャンプを繰り返しながら、リズムを取る。
「そっちは?」
ユータが筋肉質の男を見る。
「――やってやるよ」
不機嫌そうに、男は言った。
「おいおい、自分達で喧嘩売っておいて、テンション低いぞ」
ジュンイチが含み笑いを浮かべる。
「まあいいさ。お互い交戦の意思を確認した。じゃ、スタート」
ユータが自分のデジタル時計のボタンを押した。