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 教室に戻ると、クラスメイトの半分がいなくなっていた。恐らく進路相談室や図書室で、進路について調べに行ったり、自習をしに行ったのだろう。

 出席番号順に担任のスズキとの二者面談も始まっている。どうやら出席番号の早いジュンイチは、もう面談を終えたようだった。

 ジュンイチは、恐らく面談でもらったであろう資料をにらめっこしながら、溜息をついていた。僕とシオリは、ユータ、マイが横に立つ、ジュンイチの席の前に行く。

「随分しおらしいな、お前らしくもない」

 ユータは腕組みをして、うなだれるジュンイチを見下していた。

「覚悟はしてたけど、俺が国立に行くとしたら、相当勉強しなきゃ駄目だって言われたよ」

 ジュンイチは僕に、手に持っていた資料を手渡す。受け取ってそれを見てみると、どうやら入学からの、模試と定期テストの成績推移表らしい。

「――ま、そうだろうな」

 それを一通り見て、ジュンイチに返す。

「お前、世界史は東大クラスだし、現文古文の成績は、結構いいんだ。私立一本に絞って、英語をもうちょい伸ばせば、MARCHくらいは十分現役合格狙えるぞ」

「――スズキにも、同じこと言われたよ」

 ジュンイチは苦笑いを浮かべた。

 ジュンイチは、結果的に赤点を毎回3つ以上取っていて、学年では勉強のできない部類にカテゴライズされてはいるが、決して馬鹿なわけではない。全科目赤点スレスレのユータとは別で、入学当時から得意科目と苦手科目の差が激しすぎるのだ。

世界史は全国模試、定期テスト共に、95点以下を取ったことがないし、日本史や現代文も、世界史には劣るが、偏差値は60近辺を叩き出している。しかし物理や英語になると、この偏差値が45に、数学に至っては、最近まで偏差値測定不能に近い程酷い低空飛行になるのだった。結果、赤点ばかりの劣等生扱いを受けていたのだ。

「ま、愛する彼女のためだ。頑張れや」

 ユータがジュンイチの肩をぽんぽんと叩いた。

 僕は、ジュンイチの横にいるマイの方を見る。

「……」

 ジュンイチが最近、僕に相性大殺界の数学の教えを請いに来る原動力は、間違いなく彼女だ。ジュンイチだって、僕や担任のスズキの言うことが合理的な選択であることはわかっているのだ。マイに出会うまでは、ジュンイチだって私立専願で大学に行こうとしたのだ。

 全く分かりやすい限りだけれど、僕にはそれがちょっと羨ましい。

 そういうことで、苦手なことにもこんなに情熱を傾けられるようになるというのはどんな気持ちなのか、その気持ちは、今までの人生で苦手なもののほとんどなかった僕にはわからないけれど、想像してみると、何だか高揚感に包まれる。

 ジュンイチのこの苦手な勉強との向き合い方の変化が、僕だけじゃなく、シオリ達にも多少なりとも変化を促していることは間違いなかった。

「サクライ」

 後ろからクラスの男子に呼び止められる。

「二者面、お前の番だ。隣の教室に来いってさ」

「ああ」

 僕の返事を聞いて、男子生徒は去っていく。

「じゃあ、ちょっと行って来るよ」

 ジュンイチ達に軽く挨拶を交わし、僕は教室を出た。



「早っ! もう終わりかよ!」

 ジュンイチが教室から戻った僕を見て、目を丸くした。

「元々僕の成績なら、面談なんて必要ないからな」

 僕の面談は、2分もかからずに終わった。僕には選択肢の制限がないし、能力的に選ぶ選択肢も、僕の周りが騒がしくなったことで、教師達にも伝わっているのだ。

「で、お前の選択肢はやっぱり東大か?」

 ユータが聞いた。

「ああ、東大の文Ⅰ――法学部だな」

 模試では成績上位者の名前が載るが、名前の横に、第一志望に定めた大学、学部が記載される。僕が東大文Ⅰ志望なのは、その模試の結果から、世間にも筒抜けなのだ。

 法学部を選んだのは、将来自分の力で、誰かのためになるような生き方を模索している僕にとって、法学部が一番その道に近い気がしたからだった。

「東大か……」

 ユータは首を傾げる。

「俺はお前の頭のよさは知っているつもりだけどよ。何か違和感があるんだよな、お前が東大って」

 自分でもその理由がわかっていないようだが、ユータはそんな心情を吐露した。

「あ、やっぱり? 私もそんな気がしてたの」

 マイが口を開いた。

「東大って、何か大人しい人が多そうなイメージだからかしら」

「一概にそうとは言えないだろ」

 中学の連中が、大人しい勉強の虫ばかりだったので、僕にもそのイメージがないわけじゃないけれど、一応否定しておく。

「別にお前が東大に行くことは否定しないさ。お前の実力に一番見合っているのが東大だっていうのは事実だからな。ただ、なーんとなくお前は東大のカラーに染まらない気がするんだよ、俺は」

 ユータの言葉に、他の3人も頷く。

「ガリ勉なんて、お前が一番軽蔑しそうな類の輩だもんな」

「……」

 僕は天井を仰ぐ。

「ところで、お前、大学に行ったら、何かしたいこととかあるのか?」

 ユータに聞かれる。

「さあ――基本勉強とバイトだろうけど、お前等のおかげで高校では野球をやりそこなって、甲子園に行けなかったからな――神宮球場の星でも目指すかな」

「おいおい、東大野球部に入るってか?」

「――ま、それも選択肢の一つかな」

 僕は含み笑いを浮かべる。

 ――確か、去年の秋、ユータの家で赤点勉強会をした時、僕達の間で珍しく、将来の話をしたことがあった。

 プロサッカー選手になりたいと語ったユータと、海外を回るジャーナリストやルポライターになりたいと語ったジュンイチの横で、僕は何も言うことができなかった。今を生き抜くことに精一杯で、将来の事を全く考える余裕もなく、やりたいことが何もなかったからだ。

 今もまだ、語るに足るようなことは、何もないんだけれど……

「エイジって、覚えているだろ。一ヶ月ちょっと前にお前等もあいつらのホームに連れて行った」

「ああ、覚えてるぜ」

「あのでっかい人のインパクトは、なかなか忘れられんぜ」

 ジュンイチが頷き、ユータがそれに同意した。

「とりあえず僕は部活を引退したら、あいつらが今やっている運動に参加したいと思ってる。出来たら大学に行ってからも、参加できたらいいなと思ってる」

 半年前、クリスマスに僕と繁華街で大乱闘をしたグループのリーダー、ミツハシ・エイジは、現在ではグループを引き連れ、積極的に社会へのアプローチを始めていた。河原のごみ拾いや、町の掃除など、初めは地味な作業ではあったが、その行為が認められ、警察に表彰されるまでになる。

 現在では、賛同者が多数出来、グループ以外の若い世代の活動参加者も増えてきているらしい。自治体から仕事を委託され、最近では組織、活動共にどんどん規模を増しているのだった。

 エイジもそんな組織のトップに立つ以上、無学ではいられないということで、高卒認定試験にこの春合格し、僕達より2歳年上だが、僕達と同じ年に大学を受験し、より広い視野で社会にアプローチしようとしている。

「あの人達、この前新聞に載ってたぜ。最近話題の若者ボランティア集団だって」

 ジュンイチが言った。

 最近ではエイジたちは、新聞などにも取り上げられ、知名度を増していた。無力さからあの廃倉庫で寄り添うように生きてきたあの連中は、今では多くの人に応援され、活動規模も増し、毎日が楽しくて仕方ないらしい。

「今まで僕も、自分の事しか考えずに生きてきたからな……しばらくあいつらと一緒に汗水たらして、世の中の外をもっと見てこようと思ってな」

「へえ、いいと思うな、そういうの」

 マイが笑顔で頷いた。

「しかし、あの人、お前に男として惚れてるって感じだったからな。お前が手伝ってくれるって聞いたら、リーダーを多分お前に譲ると思うぞ。お前がリーダーなら、多分ミーハーな奴の参加者も増えるだろうし」

ユータが言った。

「あいつらが頑張ったから今の組織があるんだ。それを横取りなんてできないさ」

 僕はふっと笑った。

「だが、あいつらのためになるなら、今の知名度を利用して、客寄せパンダになってやることもやぶさかじゃないけどな」

 今は立っている場所が違うけれど、きっと、エイジと僕は、目指す未来がよく似た場所なんだろう。そんなところに少しだけ親近感があって、今ではエイジのことは、大切な仲間の一人だと思えるようになっていた。

「――きっと、そういうところなのよ」

 そう口を開いたのは、シオリだった。

「え?」

「あなたが、何となく周りから、東大のイメージに当てはまらないように見えるのは」

「……」

「頭がいいくせに、基本体を張って、汗水たらしてばかりなんだもん」

「……」

「あはは! 確かにそうね! 納得しちゃったわ」

 マイが笑い出した。

「そうだな、俺の中の秀才って言うと、軍師みたいに後方にいて、周りに指示を出す人間だからな。確かにケースケはそういうタイプじゃないわ」

「要するに頭で考えるより先に体が動いちゃう、単純な奴なんだよな」

「バカなんだよ、要するに」

「ははは! そうだな、バカなんだな、ケースケは」

「ああ、愛すべき大バカ野郎さ、こいつは」

 ユータ、ジュンイチが大笑いし始めると、シオリとマイも僕を見て、くすくすとおかしそうに笑った。

「うるさい。チビで行動力がないとなめられるから、仕方なかったんだよ」

 僕は憮然として反論する。

 他人から馬鹿扱いされたら、昔ならもっと激高していただろうけれど、今はそれほど悪い気はしなかった。

 何となく、自分もそれに納得してしまったからなんだろう。

 確かに僕は、頭で考えていても、体が勝手に考えとは別の方向に向かって動いてしまう傾向がある。

 きっと僕は、今までは力欲しさに走り続けてきただけで、実際は天才でも秀才でもない、単純な奴なんだろう。

 きっと、それでいいのだと思う。

 天才とか秀才とか言われることよりも、仲間のために体を張ってやれる奴でいられることの方が、ずっといいと今は思えるから。

 あの夜、僕のために一生懸命、僕を肯定してくれた彼女のように、僕もなりたいと思うから。

「ま、僕も大学に入ってからじゃないと、そこには辿り着けないがな」

 僕は目の前の4人の笑いを制した。

「そうだ。今日は折角ユータのお祝いもあって、珍しく5人一緒に帰れるんだ。放課後、ユータの家に行く前に、本屋に寄って、赤本買いに行かないか? 志望校の赤本を買って、買った以上、後戻りできないって目標を作っちまうんだよ」

 僕はジュンイチを見る。

「お前ももう私立に逃げないって意志を固めるのに、いいと思うぞ」


野球に詳しくない人のために…


東大野球部…野球部は東大、早稲田、慶応、明治、立教、法政の6大学が所属する東京六大学リーグに所属。東大はこの中で唯一の国立大学にして、スポーツ推薦が無いため、万年最下位が指定席になっている。70年以上続く東京六大学リーグで、唯一優勝経験も無い。

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