表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
118/382

Cheer

 僕はまだ、ユータやジュンイチに、家族の事を話していない。

 僕が家族から酷い目にあわされてきたことは、シオリ以外は誰も知らないのだ。

 だから、それを知るシオリは、僕の一番の理解者だった。そんな生活だったから、今まで自分の事を考えたことがなく、夢や生きがいを見つけていない。そんな僕を知っているから、こうして周りからの誘いを受けず、ただ自分と向き合う作業に没頭する事を肯定し、応援してくれている。

「今まで――その、そういうことがあって――」

 一瞬彼女の言葉が澱んだ。幸せな家庭に育った彼女は、僕の育った環境を100%理解は出来ないということを、誰よりも悟っているのだろう。

そんな自分が軽々しくそこに触れていいのか、それに後ろめたさがあるのだ。自分の意見を言う前に、僕に一言断ったのも、僕に対する配慮だ。そこまで気を遣わなくていいのにと思うが、そこが彼女の奥ゆかしさ、彼女らしさなのだと思う。

「自分の人生を、深く考える余裕がなかった。今はそれが考えることが出来るようになってきたから、少し自分と向き合う時間が欲しい、って。そう言えば、きっと理由として筋が通るし、きっとみんな、あなたの決断を分かってくれるんじゃない?」

「……」

 何も知らない人は、僕の力だけを見て、僕を当代の英雄だと思うだろう。でも実際は違う。実際の僕は人前に出るには酷く未成熟で、感情も発達していない。力と感情のバランスの取れていない、とても不安定な人間だ。

 そんな未熟な僕を、シオリ以外は誰も知らない。僕が自分の事を表で話していないことで、最もイメージと現実が乖離している部分はここだ。

「せめて、ヒラヤマくんやエンドウくんには、家族の事を話してもいいんじゃないかな。あの二人なら、そんな生活を送ったと知ったら、今のあなたの決断を応援してくれると思うんだけど……」

「……」

 そのバックボーンを語らずに、今の僕の『臥龍』と呼ばれる雌伏生活に理解を求めるのは、とても困難だった。なまじ優れた結果を出しているだけに「今の僕はまだ未熟」という言葉には説得力がない。それ故に、僕のその態度を批判する者も多い。

 それを語ってしまえば、僕の雌伏生活にも、一応の筋は通る。シオリの言うことは正しい。

「それも分かるんだけどね。でも、もうあいつらに余計な心配をかけたくないんだよ。あいつらには入学してからずっと、世話を焼かせてしまったからな」

 僕は言った。

「卒業すれば、多分僕も家を出るし、今だってもう特に問題はない。もうちょっとの我慢で、きっと解決するし、僕を取り巻くこの騒ぎも、一過性のものだ。そのうち落ち着いてくるよ」

「……」

「それに、そんな事を話したら、きっと大変なことになる」

 そう、そんな事を話したら、きっと大スキャンダルになる。僕の家に周りにマスコミやらが押しかけることが目に見えている。

 そんなことで家族を刺激したくなかった。今の状態なら、即時解決は無理でも、解決するのは時間の問題なのだから。

「そうか……そうだよね。ごめんなさい」

 思慮が足りなかったと、シオリは目を伏せた。

「いや、いいんだ」

 僕はなるべく彼女の負担にならないように、優しい口調を意識する。

「もう家族のことは大丈夫だよ。いざという時のために、君にとっておきの隠し玉も預けているしね」

 僕はシオリに、一枚のMDを預けている。

 その中には、家族が僕に暴力を振るい、心を切り裂くような罵声を浴びせ続ける音声が入っている。僕に何かあったら、彼女が警察なりマスコミなりにMDをリークするように頼んである。

家に置いておくと、家族に見つかって隠滅される可能性もあるので、証拠は取れるうちに取って、外部の人間に預けておく。それをしておくだけで、交渉のカードが増える。

その隠し玉のおかげもあって、僕は最近家族の行動が、蟷螂の鎌程度のものにしか思えなくなっていた。この音声を外に預けているだけで、自分はもう絶対的に優位にいるのだと、心の余裕が持てるようになった。

――まあ、それでもまだ僕にはひとつ、懸念材料があるんだけど。

それが僕の現在の最大の悩みだった。僕が意地を張らなければ、すぐに解決する問題ではあるのだけれど……

「……」

 沈黙。

「――何か、私って、可愛くないよね」

 唐突に、シオリがそう言った。

「え?」

「何か、そう思うの。折角、こうして久し振りに二人きりになれて、豪華で美味しい食事が目の前にあって。なのに、楽しい話題にしてないから」

「……」

「あなたも最近、すごく忙しくて疲れているみたいだから、休みの今日くらい、もっと気が休まるような事をしてあげたいんだけど、なかなか上手くいかないね……」

「……」

 僕が意地を張っていると、シオリが僕に甘えられない、と、さっきユータが言っていた。それはきっと、今後の僕達が前に進むために、乗り越えなくてはいけない部分であることは、僕も薄々感じていた。ユータに改めて言われて、それを明確に認識できた。

 それはきっと、シオリも同じように感じているのかもしれない。僕の家族の事を知っているだけに、シオリは自分の前だけでは、僕を普通の子供のように、甘えさせてあげたい、と思っているのかもしれない。

 それは、僕の願望に過ぎないかもしれないけれど……

「君はいつもそうやって、僕の体を気遣ってくれるんだな」

 僕は笑顔を作る。サッカーでアドレナリンが上がっていると、もっと自然に笑えるんだけど、意識して笑うのは、まだぎこちない。

「君が今、何を思っているのか、僕はちゃんとわかってないかもしれないけれど――もし君が今、僕に何も出来ていないとか、こうして人気が出ちゃった僕と一緒にいていいのかとか、そういうことを思っているのだとしたら、それは違うよ」

 僕はナイフとフォークを皿の脇に置いて、テーブルの上で手を組む。

「確かに最近、サッカーの試合が多くて、正直、体きついんだ。連勝もしているし、見に来る客もどんどん増えてる。最近じゃマークもきつくて、もう僕に二人つくのは当たり前だ。結構削られてて、体痛いんだよ」

 ユータがいない時なんて、僕に4人がかりでマークがつくこともある。神奈川ナンバーワンプレーヤーに4人マークがつくなんて漫画があったけれど、僕も今ではそう見られる選手になったということか。

 そうでなくでも、僕は普段から体にダメージがたまりやすいプレーをしている。

背が伸びたとは言え、僕は172センチ52キロと、女性並みの体格しかない。筋力や体重が不足している上に、成長期にろくなものを食べていなかったせいか、骨もあまり強い方ではない。強いボールを蹴るには、体――特に腰の遠心力を使って威力を作るしかないため、ボールを蹴る時、体全体をひねっている。だから体の負担も人一倍大きいのだ。

「疲れも取れないし、周りの期待も日に日に大きくなるくせに、本当の僕に理解を示す人はいない――そんな状況を、正直辛いと思うこともある。でも、最近君と電話をすると、いつも僕に「お疲れ様」とか「無理はしないでね」って、言ってくれるだろ」

「うん……」

「最近、そんな君の些細な一言に、確かに勇気付けられたり、元気をもらっている自分がいる事を実感しているんだ」

「……」

「自分で言うのも変だけど……今までも辛いことは、色々あって。そんな時、僕に声をかけてくれる人は誰もいなかった。たまに自分だけ、不条理に嫌なことばかり巡ってくる運命なのかと、嘆いたり、何かに怒りを感じたりすることばかりだったけれど、今の君みたいに、そんな時に声をかけてくれる人がいるだけで、こんなに救われたような気分になるんだな。そういうことも、最近は少しわかるようになってきたよ」

「……」

「そんな言葉を君はいつもくれるから――そんな気持ちを、君が教えてくれたから、誰かのために頑張ることが、悪くないと思えるようになったんだ。君がいなかったら、僕の人生は無意味なままだった。自分本位で身勝手で、気に入らないものは叩き潰すことしか考えられなかった。そんな人生は無意味だ」

「……」

 僕は何が言いたいんだろう。言いたいことが何なのかわからないまま、僕はこうして喋っている。

 彼女が、自分の事を否定するのが見ていられなくて、何か声をかけてやらなくちゃいけない、と思って――

「……」

 ――そうか。僕は彼女が僕にしてくれたことと同じ事を、彼女にしてやりたいのか。

 自分の事を、どうしようもなく醜く、薄汚いと思っていた僕を、肯定してくれた彼女のように。

 あの時の彼女もこんな気持ちだったのかもしれない。目の前の人を救うことで頭が一杯で、頭より先に口が動いていたのかもしれない。

「どう? 僕、少しはまともになっただろ」

 別に勝ち誇って言うことでもない、ありふれた事を通り越して、当たり前の事を語っているだけだけど、僕はわざと威張ってみる。

 それを見ると、シオリは何だか安心したように笑った。

「――よかった」

 僕は溜息をつく。

「え?」

「この通り僕は、何の面白みもない人間だからな。ジョークも言えなければ、話もひどく現実的で、女の子を笑顔にするキャラには、もっとも遠い場所にいるから。君が僕といて、退屈じゃないか、結構ビクビクすることもあるんだよ」

 僕がそう言うと、シオリがくすっと笑った。

「そうかな?」

 シオリは呟いた。

「ああ、だからね、君が笑ってくれると、嬉しいんだ」

 言っていて思う。僕、何でこんな恥ずかしいこと、すらすらとほざいているんだろう。

 お疲れ様、とか、そんなの、ただの社交辞令だと思っていた。笑ったりすることも、相手に対して隙を見せること、気の緩みの証拠だと、軽蔑してきたのに。

 今は心から、大切なことだと思える。

 彼女といると――彼女のこの笑顔を見ていると、この世界の全てが愛しいもののように思えてくる。

 だから――

「身勝手な意見かもしれないけど」

 僕はそう前置きしながら、頭を掻いた。

「僕は今まで、人生を楽しんだことがないから、どうしたら誰かを楽しい気持ちにさせられるかとかも、よくわからない。だからきっと、僕と一緒にいて、楽しい空気にならないのは、僕に問題がないわけじゃないんだ。君も、自分の責任みたいに思っているかもしれないけれど、そうさせているのは、僕の生い立ちの問題だからな」

「だけど、僕はせめて残りの高校生活は、思い切り楽しんでやろうと思ってるんだ。楽しんで、楽しんで、楽しみまくって、それで沢山、馬鹿みたいに笑ってやるんだ。今までの人生取り戻すくらいの勢いで」

「うん」

「だから、今はそんなにお互い馬鹿みたいに楽しむってのは無理かもしれないけれど――お互いそういうのが分かってくれば、これからどんどん楽しいことは待っていると思うんだ。それが分かるまで、待っててくれ、というのも身勝手な話だけど――僕はそうなった時、隣に君がいてくれたら――最高かな、って、思うよ」

 これはさすがに言っていて照れた。しかも何だこの理屈は。駄目男が「これからは心を入れ替える」っていうのと同じだ。おまけに将来そうなるって根拠も何もない。

 根拠のない事を口にするのは大嫌いだったのに。僕も変わったってことか?

「これからもっとサッカーを見に来たり、夏祭り行ったり、花火したり、泳ぎに行ったり、買い物したり、楽しいこと、いっぱいしよう。これから僕達には、楽しいことがどんどん増えてくると思うよ。それまでは、僕、変な顔でもして、君を笑わせることにするから」

 そう言って僕は自分の顔に掌を当てて、思い切り顔を横に引っ張った。

「くすっ、あははは……」

 照れ隠しに身を切ったネタをやってみたけれど、シオリは何だか居を疲れたのか、つぼに入ったように、声を殺しながらも大笑いした。

 ――そう、この彼女の笑顔を見ていると、思うんだ。

 これから僕の人生は、楽しいことが沢山あるんだって。

 そして、そんな日々を迎えた時、待っていてくれるのは。

 君であってほしい、と。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
もしこの話をお気に入りいただけましたら、クリックしてやってください。 小説家になろう 勝手にランキング
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ