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Meal

 僕は一礼して、ユータと共に会議室を出た。

 僕達は二人、関係者用フロアの長い廊下を横断し、ユータ持参のIDパスでエレベーターを作動させて、オフィスフロアに降り、そこから選手通用口に入って、グラウンドに出てみた。

 試合終了後のスタジアムは、もう観客は1人もおらず、アルバイトが客席の至る所に散っていて、せわしく掃除をしている。照明は節約のためか、試合中よりはずいぶん落とされているけれど、まだピッチは眩しい程に明るい。

 時計を見る。試合開始が夕方5時で、今は7時半。

「シオリさん達は?」

 選手通用口からピッチを見渡してから、隣にいるユータに訊いた。

「ああ、多分お前の話が終わるまで、スタジアム見学に案内されてるんだろう。多分最後はこのピッチに出してもらえるんだろうし、ここに来るだろうよ」

「そうか」

 僕はピッチに目をやる。ピッチも芝の手入れなど、整備が行われている。同じ芝でも、専門のキーパーのいない埼玉高校の芝とはえらい違いだ。緑が映えている。

 僕達は選手通用口の横にあったベンチに二人腰掛けた。

「すまなかったな。だまし討ちみたいな事をしてしまって」

 壁に寄りかかって、ユータは僕に謝った。

「気にするな。お前にも立場があるんだろう。それを立ててやるくらいはするさ」

 そう、連日僕の家にも、プロサッカークラブのスカウトが来るのだ。ここだけが僕に興味がないということはないと考えるのが普通だ。ましてユータを抱えている以上、是が非でも僕が欲しいと思うのが普通だ。コンタクトを取るなら、使える駒であるユータを使おうと考えることも想像がつく。ユータだって立場上断れないこともあるだろう。

「それよりも、プロ初ゴール、おめでとう」

 僕はユータに言った。

「どうだ? プロは大変か?」

「そりゃもう。あたりも高校とは比べ物にならないし、何と言ってもコミュニケーションがな……俺の癖を読んでるお前がいないのはでかいよ。なかなかしっくり来るパスってのはもらえないもんだな」

 ユータは苦笑いした。

「全く――こんな世界、中学で十分やっていけると思っていた俺は、甘かったよ」

 それからしばらく間を置いて、ふっと思いに耽るような顔で言った。

「ケースケ、最近のお前を見ていると、3年前の俺を思い出すよ。俺も3年前の中3、ここよりもっと小さいクラブだけど、プロの誘いもあったんだ。サッカーの強豪校からも沢山誘われて。俺はバカだし、猛勉強もしたくなかったから、その誘いに乗ろうとしたけど、親が高校に行け、って反対して。俺も相当進路に迷った」

「……」

「俺は中学までは、女の子にモテたせいもあるけど、あまり野郎と意思疎通をするのが苦手だった。何より俺のワンマンチームだったし、チームメイトの大切さも分かってなかったし、チームメイトも俺におっかなびっくりパスを出してくれるだけで、パスに信頼関係なんて、全然なかった」

「……」

「きっと、そんな中坊のままプロなんか入っていたら、俺は途中で潰れてたかもしれない」

 それからユータは、ほっとしたように笑った。

「本当、埼玉高校で充実したサッカー人生を送れてよかった。ゴール決めた時、埼玉高校を受けると決めた時から今までのことが、いろいろ頭をよぎったよ」

「……」

 その笑顔の中に、何となく憂いのようなものが混じっているのを、僕は何となく感じた。

 それは、何だか初恋を思い出すような表情で――僕にはその表情の意図は読めないけれど。

 きっと、ユータが埼玉高校を受験すると決めた経緯に、何か大切な人の存在があるのだろう。または、あった――もう過去形なのかもしれない。

 いずれにせよ、3年前のユータが、自分の生きる道を真剣に悩んで、その決断が今の道に続いていたことは確かだ。それは友として、とても喜ばしいことだった。僕も今、自分という人間と向き合う作業を続けているので、そんなユータの姿に、少し勇気をもらえたような、そんな気になった。

「嬉しそうだな、今日のゴール」

 それを見て僕は言う。

「ああ、そりゃ、長年追い求めた夢の舞台だからな。ゴールを決めたことで、夢がひとつ叶ったってわけだ」

「……」

 夢、か――

 僕は生まれて一度も、夢を持ったことがない。生きがいも、希望も、そんなものの存在も知らない。

 怒りや憎しみに突き動かされて、その対価に力を手にしたけれど、それはこれっぽっちも、自分の生きる意味になりえなかった。

 だけど、心がそんな負の感情から解放されて、最近しきりに思う。

 僕も、夢や希望というものを、持ってみたい、と。

「ま、俺は一試合でもいいから、お前とプロとして、同じピッチに立ちたいってのも夢のひとつだったんだけどな。それはちょっと厳しそうだな」

「――すまない」

「いや、いいさ。お前も色々悩むところがあるんだろ」

「……」

「しかし、プロとして生きて行く決意のない人間が、プロのピッチに立つのは失礼、か――全く、ストイックと言うか、武士道精神って言うか」

 ユータは呆れるように溜息をついた。

「俺はそれ、お前のいいところだと思うけどよ。恋愛においては、それって短所だよな」

「え?」

「お前がそうして自分に厳しいと、なかなかシオリさんはお前に甘えられないだろ」

「……」

「あ、ユータ、ケースケ」

 ふと声がして、僕達は揃って選手通用口の入り口を見る。

 クラブの人間に連れられて、ジュンイチ、マイ、そしてシオリがこちらへ歩いてくる。それを確認し、僕達もベンチから立ち上がる。

「ユータ! やったじゃねぇか! プロ初ゴール!」

 ジュンイチはユータの肩を組む。

「ああ、おかげさんでな」

 そんな祝辞もそこそこに、ユータは「後は俺に任せてください」と、クラブの人間をオフィスに帰した。

「さて、じゃあプロ初ゴール祝いだ。どっかでパーッとやろうぜ」

 皆で騒ぐことが大好きなジュンイチが言った。

「悪い。俺はこれからクラブハウスに戻って、今日の試合の反省会なんだ。多分皆今頃待ってるだろうし、急いで帰らなくちゃ」

 ユータは頭を掻いた。このクラブでユータはおそらく最年少だろう。なのに一人遅れていくのだから、あまりいい気分ではないと思う。

「ま、今日は応援してくれたお礼に、俺からのスペシャルプレゼントだ」

 そう言ってユータは、僕とユータにそれぞれ小さな紙切れを渡した。手書きの簡単な地図と、なにやら店の名前が添えられている。

「レストランをそれぞれ個室で予約してるからな。二人とも彼女を連れて、それぞれ水入らずで楽しんでこいよ。もちろん代金はクラブがもう払ってるから、タダだぜ」

「……」



 スタジアムから漏れる光が照らしていて、道は夜でも明るいけれど、もう閑散としているスタジアム前で、僕はジュンイチ達と別れ、シオリと二人、地図を頼りに歩き出した。

「しかし、レストランを予約してくれるなら、試合中にあんなに食べ物を出してくれなくてよかったのに」

「ふふ、エンドウくんが特に一杯食べてたもんね。レストランの食事、おなかに入るのかな」

「大丈夫だろ、図体はあるんだ。その分エネルギーも使うしな」

 シオリに合わせて歩幅を狭くして、それでも10分も歩けば着いた。看板を見て、地図に書いてある店と確認するけれど、看板だけだとそれが何料理の店だかわからない。

 店に案内されると、店員はどうやら僕に気がついていないようだった。予約した名前も、サクライでも、ヒラヤマでも、浦和レッズでもないから、一度気がつかなければ、恐らく最後まで大丈夫だろうと思われた。

 個室に通されると、丸いテーブルに、白のテーブルクロスが敷かれて、ナイフとフォークが横に広がるように何本も置かれている。真ん中には、底の浅い小さなガラスボウルに、アートフラワーが生けられていて、その横にガラス管の中で火が灯るキャンドルが置かれていた。間接照明で、少しムーディーな雰囲気。

「コース料理か。食べたことないな」

 今まで作法とはまるで縁のない生活を送ってきた僕は、シオリに恥をかかせたらどうしよう、と、まず思う。

「私もない……緊張するなぁ」

 シオリは首を傾げて、困ったような顔をした。

「……」

 でも、こういう時のシオリの笑顔を見ると、何だか僕はいい具合に肩の力が抜けてくる。

 その後、店員がデキャンタでグラスに注いだものが、グレープジュースだったのを見て、僕は一気に気が抜けた。こんな店でワインでも空けたら格好もつくが、僕達はまだそんな格好もつけられない未成年なのだと思って、マナー云々には開き直ってやろうと思うことにした。

「じゃあ、まあ、乾杯」

「乾杯……」

 とは言え、奢りなのだ。それに敬意を表して、僕達はグラスをカチンと鳴らした。

 オードブル、スープ、そして魚のメインと料理は続く。

 シオリは手は小さいけれど、指は長くすらりとしていて、不安がっていたナイフとフォークの使い方も、そんな手と相まって、とても綺麗に見えた。かちゃかちゃ音も立たなかったし、魚の身のほぐし方も、とても優雅だった。

 それに比べると、僕は随分とぎこちなかったと思う。魚なんて、コンビニの幕の内弁当の塩鮭くらいしか食べない生活観がかなり出てしまったと思う。

 困惑する僕を見て、シオリはくすくすと笑っていた。

「可笑しいか?」

 僕は訊いた。

「ううん、何でもないの」

「……」

 彼女がそうやって、朗らかに笑っているのが救いだった。高飛車な女だったら、きっと嫌な顔をしたと思う。

 だけど、この笑顔はジュンイチの影響かな。あいつ曰く、僕には少し困らせたくなるオーラが出ているらしい。シオリも僕が困惑する姿を見るのが面白いのかもしれない。

 僕もシオリも、そんなに食べるのは早い方じゃないから、コースの進み尾が悪く、その分話す時間が増えた。

 こうして二人、外で食事を取るなんて、多分4ヶ月はしていなかったと思う。最近は僕が部活で忙しくて、電話でも話す時間が減っていたし、前にもまして彼女と過ごす時間は大切に思えるようになっていた。恐らくそれを察して、今日気を効かせてくれたユータにも、心の中で感謝した。

「お話って、やっぱりプロ契約のこと?」

 ふと僕の、先程の会談の話題になった。

「ああ」

 僕はすぐ認める。彼女自身の口の堅さは信頼しているし、彼女に隠すことでもない。

 その会談の経緯をつぶさに説明し、一応保留にしてもらった事を、きちんと説明した。

「契約金で、これだけ用意するって」

 僕はジーンズのポケットから、先程の会談で渡された、契約金を記した紙を鳥出し、シオリに見せる。

「えぇ……」

 すぐに動揺が顔に出るタイプのシオリは嘆息した。

「それで、とりあえず納得してくれた?」

「どうかな――」

 僕は首を傾げる。

「自分探しなんて、実に甘ったれた嫌な言葉だ。主観的過ぎて、交渉のカードでは使えないかもな。ユータにも呆れられたよ」

「……」

 沈黙。

「ねえ、ケースケくん。私、思うんだけど……いいかな?」

 そう訊かれる。

「ん? ああ」

 僕は頷く。

「家族の事を、そろそろ話してみるのも、いいんじゃない?」

「……」

「まだ、エンドウくん達にも、話していないんでしょう?」


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