Negotiation
「ケースケ」
部屋に入ると、ユータの笑顔が僕を出迎えた。
「どうだ! 今日のゴールは。なかなかだっただろう」
「ああ、そうだな。ナイスゴールだったよ」
随分とテンションが上がっている。それはそうだ。高校では練習試合を含めれば、2年で通産100ゴールは決めているユータだが、プロになってからの得点は初――しかも、プロ入りしてから2ヶ月かかっているのだ。こんなに苦労して奪ったゴールも、こいつにとっては久し振りなのだろう。
「では、私はこれで」
広報の男性は、部屋を出て行く。
「サクライさん。お忙しい中時間を割いていただき、非常に感謝しております」
僕はユータの隣に立つと、前にいる男性の一人に、そう挨拶される。
その男性は、いかにも実業家然とした、小太りで、面の皮の厚そうな男で、営業スマイルが染み付いているといった感じ。その隣にいる男性は、それに比べるとずっと精悍な印象を持たせる、長身の男性だ。イイジマに雰囲気が似ている。
名刺を渡される。どうやら実業家風の男が、このクラブのスポンサー社長で、精悍な印象の男性は、このクラブのGMのようだ。この顔つきを見るに、恐らくこのGMも、元サッカー選手だろう。
握手を交わし、ソファーに座るように促され、僕はソファーに腰掛けた。ユータも僕の隣に座る。
その時、部屋の横の扉が開いて、お盆を持った女性が入ってくる。
その女性は、僕達とさっきまでVIP席で試合を見ていた女性だった。
「粗茶ですが、どうぞ」
女性は僕達の前に、お茶を置いていく。
「彼女は私の秘書です」
社長がそう言った。
「……」
なるほど。
「どうやら、私は監視されていたみたいですね」
僕は座ったまま、顔を上げる。
「……」
その言葉を聞いて、二人とも僕の考えを理解したようだ。
「どうやら、我々の用件がわかっているようですね」
「はい」
返事をしてから、僕は背を正す。
「高校生の私が言うのも口幅ったいですが、変に期待をさせても悪いので、あらかじめ言っておきます。私が今日、この場に来た理由は、ユータの顔を立ててのことです。勿論お話は誠心誠意拝聴致しますが、私の返事に、過度の期待はしないでください」
「はは――それで十分ですよ。我々も、あなたという人がどんな人なのか興味がありましてね。ヒラヤマに頼んで呼んでもらったのですから」
GMが言う。それを聞いて、僕はユータの顔を見ると、ユータは困ったような顔をした。
「じゃあ、単刀直入に、簡潔にお話しましょう」
社長が咳払いをする。
「サクライさん、もしあなたがよろしければ、是非我がクラブに入団していただきたいのです。勿論指定強化選手で構いません。あなたが進学して勉学に励みたいという意思があるのであれば、それを尊重します」
「……」
予想通りの話の展開だった。
「私もクラブに携わる人間として、社長にあなたの獲得を熱望しました。あなたはもう名実ともに、現在高校生ナンバーワンのプレイヤーでしょう。スカウトからの情報と、スカウトが撮ったビデオを何本も確認して、私はそれを確信しています」
GMがそう言った後、一冊の雑誌を出し、僕の前に出した。
それは一冊のサッカー雑誌だった。開かれたページには、僕とユータのことが書かれていた。
『サッカーは連携のスポーツとされる。どんなに突出した能力があっても、1人だけで得点をすることは難しい。何よりそれは力押しで、観客は美しいと感じてくれないだろう。洗練されたチームプレイが織り成す華麗なパス回しで、相手チームを翻弄しながらゴールを奪う様は、見る者を惹き付け、美しいと感じさせる。そのようなプレーこそ、サッカーの醍醐味ではないだろうか。
ヒラヤマ・ユータとサクライ・ケースケは、現在プロも含めて、日本で今一番美しいゴールを量産するコンビである。
大の親友同士の上、高校入学から朝練習で何百万本もサクライの上げたボールをシュー
トする練習を繰り返してきたヒラヤマ。加えて、サクライの頭脳はヒラヤマの動きの癖も頭に入っている。ヒラヤマのように、前線で自由に動きたがるタイプのフォワードには、打ち合わせはあまり役には立たない。この癖を知っていることで、ヒラヤマは前線で自由に動くことが出来、ゴールを奪うことに専念できるのである。
埼玉高校の今年の試合で、サクライとヒラヤマが同時にピッチに立った試合時間は482分で、約10試合分、ヒラヤマだけが出て、サクライが不在の試合が353分で6試合分だが、サクライが出ている時のヒラヤマの得点が、21ゴールなのに対し、サクライが不在になるとヒラヤマのゴールは7ゴールに激減してしまう。勿論埼玉高校には、サクライを除けば、パサーがゼロになってしまう影響もあるが、このデータは興味深い。
ヒラヤマは個人技でも十分ゴールが狙えるフォワードだが、その真価は、後ろに控えるサクライとの、息の合ったコンビプレーにある』
「……」
「これから我々は、ヒラヤマをどんどん公式戦で使っていこうと考えています。その力を、あなたに引き出していただきたいのです。あなたはもう日本のプロで十分通用します。それに今日、うちの失点を予言し、ヒラヤマへの少しのアドバイスで、2得点へと結び付けてくれたじゃないですか。私はその、最近『竜眼』と呼ばれだしたあなたの先読み能力も、このチームの大きなプラスになると考えました。対応できるポジションも多く、うちに不足するフリーキッカーでもある」
「……」
僕がその記事に目を落としていると、隣の社長がその横に、もう一冊、雑誌を置いた。サッカーマガジンに比べると、挿絵もない、活字ばかりの雑誌だ。
「私があなたの獲得に興味を持つ理由は、サッカーの技量も勿論ですが、何と言ってもこれです」
雑誌を指差しながら言う。どうやらこの雑誌は、経済書のようだ。
『普段は物静かな性格だが、ピッチに立つと、その大人しい外見とは裏腹に、炎のような闘争心を見せ、ゴールが決まれば、まるで子供のように大喜び。スポーツマンである反面、勉強家でもあり、天才にありがちのひねた感じもない――
そんな若干17歳の少年、サクライ・ケースケに、各業界が注目している。
現在、『恋人にしたい有名人』『息子にしたい有名人』ランキングで第一位に輝くサクライ。その最大の魅力は、普段あまり表情を変えない彼が、サッカーで味方がゴールを決めた時に見せる、あの笑顔にある。彼の無邪気なまでに澄んだ笑顔は、世の女性の心を癒す雰囲気を持っている。事実、その笑顔見たさに、埼玉高校のグラウンドは、練習でも多くのギャラリーが集まっている。
現在、彼の笑顔の魅力は、同世代のアイドルを優に凌ぐとされている。そんな彼をCMに起用すれば、その経済効果は数億、数十億になるといわれている。しかも高校生で、事務所もないため、起用にはほとんどお金がかからない。各企業にとっては、サクライはCM起用の垂涎の的の存在になっている。
各媒体も、ほとんどメディアに顔を出さないサクライの交渉に必死だ。あの天才児のルーツや、考えていること、それは現在国民の関心の的であり、潜在視聴率はナンバーワンだ。彼を取り上げたドキュメンタリーや、スポーツ、クイズ等、使えるジャンルも幅拾い上に、どれをやっても高視聴率が間違いない。
しかし、当の本人はどうしたことか、スポーツニュースのインタビューに少し答える以外のメディア露出はゼロに等しい。ブログやツィッターもやっておらず、彼の考えは全く配信されていない。それが彼の無口で謎めいた魅力をさらに高めている側面があるのも事実だが、彼も天才であるならば、現在の自分の市場価値を理解しているだろう。
何故彼がメディアに顔を出そうとしないのか。筆者としては、市場価値が上がり続けている今だからこそ、大々的に表に出るべきであると思うのだが……』
「……」
「あなたはサッカー界に突如現れた、高いカリスマ性を持った選手です。君の舞を踊るような華麗なプレーもそうですが、あなたとヒラヤマが親友同士なのは、周りも周知の事実ですし、二人のコンビはチームの目玉になります。何よりあなたの笑顔はお客を呼べる。今日もヒラヤマがゴールを決めた時、あなたはその笑顔を見せていたと秘書から聞いています。私はそのあなたの笑顔に、チーム浮上のきっかけを見たのです」
「……」
客を呼べる、か――ストレートに、金になる、と言わないのは、僕が高校生だからか。
確かに僕は未成年だけど、それくらいの大人の事情は理解しているつもりだ。生きるためにバイトをしていたから、金銭感覚は他の高校生よりはあるつもりだ。
それに、僕がプロでどの程度通用するかしないかは、正確な数値化は出来ないけれど、言っていることは、基本線は間違ってはいない。ユータをチームに抱え込んだ以上、埼玉高校サッカー部がこれだけ世間の注目を集めている今、僕も揃えてコンビとして売り出すことに魅力を感じないわけがない。日本のサッカークラブはその大半が赤字クラブなのだ。チームの目玉を何か作りたいのは当然だ。恐らく僕がこの社長の立場でも、そうすると思う。
「もしうちに来てくれたら、うちはこれだけ契約金をご用意いたしますが」
そう言って、社長は上等そうな万年筆で、手近なメモ用紙にさらさらと数字を書いて、僕に二つ折りで手渡した。
「……」
紙を開くと、そこには僕のバイト代30年分を優に越す額が書き込まれていた。トップ選手でも年俸がプロ野球の5分の1しかない日本のプロサッカー界では破格である。
さすがに隣のユータも最低限のエチケットは心得ている。隣にいてもその額までは覗き込んでこない。だけど、もじもじして、その額が知りたい、という素振りが見え見えだった。
「私などに、こんな契約を持ちかけるなど、過ぎたことです」
僕は紙を自分のソファーの肘掛に置く。
「ですが、このクラブの、私に対する熱意は、今日一日で十分理解したつもりです。だからこそ、私はこの契約を今お受けすることは出来ません」
「何故? やはり勉学を優先したいからですか?」
GMが少しソファーから身を乗り出して訊いた。
「いえ、私個人の問題です」
僕はもう一度、背を正す。
「私はまだサッカーキャリアが2年しかありません。本来ならもう部活もとっくに引退しているはずで、大学でサッカーをすること、ましてや自分がサッカーでプロになるなんて事を、今まで考えたこともありませんでした。なので、今自分が置かれている現状に、戸惑っているというのが、正直なところなのです」
「……」
「勉学を優先したいとは言っても、私自身、大学に行って何をすべきなのか、具体的なことはまだ決まっていません。こう見えても私は、狭量な人生経験しかしてこなかった男でして……今は世の見識を深めるための勉強をしているといった段階なのです。ですから、こうして学生の傍ら、サッカーのプロになって、自分の今まで見たことのない世界を見て、経験することに、魅力がないわけではありません」
「でしたら……」
「ですが、私はこう考えております。プロというのは、職業なのだと。この世界で一生やっていこうとする覚悟があって、初めて立つべき資格がある場であると」
「……」
「残念ながら私には、まだその覚悟がありません。そんな人間がこのクラブのこのスタジアムのピッチに立つのは場違いでしょう。こうして熱意を持って私を誘ってくれる皆様や、他の選手、応援してくれるサポーターにも慇懃無礼極まりない行為だと、私は考えています。ましてこんな大金をもらうのであれば、尚更です。小遣い稼ぎや、学業のついでとして参加すべき場所ではありません」
「……」
沈黙。
僕の家には最近、プロサッカークラブの誘いも多数来ているが、こうしてそれを辞退する理由を話すのは初めてだった。だから、これを聞いて、相手がどんな反応をするかは、僕にはわからない。
だけど。
社長、GM共々、ほぼ同時にふっと笑顔を見せた。
「何とも、若いのにしっかりとしたお方だ」
「女性のような顔立ちをしながら、男気のある、豪胆なお答え、お見事」
そうして二人は僕に賛辞を送った。
「……」
「いや、実は我々も興味があったのですよ。ろくにメディアにも顔を出さないが、これだけ多くの人の心を捉える、サクライ・ケースケという少年は、どんな人物なのかと。是非お会いしてみたくて、ヒラヤマに言ってこうして無理に連れてきてもらいまして」
「ヒラヤマは、あなたの事を、会えばどんな人物か分かる、と言っていましたが、この短時間で、あなたのことが少し分かった気がします」
GMがそう言ったので、僕は隣のユータを見る。だけどユータは空くに目をそらし、白々しそうな顔をしていた。
「あなたはまだ若いが、正義感と誇り高さを持った素晴らしい方です。龍の名に相応しい」
「……」
いくらなんでも誉めすぎだ。同じ龍の異名を持った孔明や上杉謙信と、僕が同等の人物になれたとはとても思えない。気恥ずかしくなった。
「ヒラヤマも、中学時代から高い評価を受けた選手でした。それがサッカーの弱小、埼玉高校などに行って、一時期評価が急落したのですが、今では他の同世代に敵なしといわれたフォワードになって、今年の冬、我々の前に再び姿を現しました。ヒラヤマの高校生活での急成長は、あなたのような気高い選手がいたおかげのようですね」
GMが不意に、ユータの話を振った。
「そうですね。卒業までの間、うちのヒラヤマをもっと成長させてやってください」
社長もそう言った。
「……」
僕はもう一度、息を吐く。
「若輩者の戯言ですが、ひとつだけ間違いを指摘させてください」
僕は一瞬迷ったが、それを口にする。
「先ほど仰いました。ユータの力を私に引き出してほしいと」
「ああ……」
「ユータはその程度の男ではありません。こいつは将来、日本代表のエースになる男です。将来イタリアや、スペインやイングランドといったサッカーの強豪国のリーグで、世界のトップフォワードになる男ですよ」
「……」
「ユータはもう、私とばかり練習をすべきではありません。こいつのためにも今は私がこのチームに入るべきではないと考えます。私がいると、ユータの真の力が目覚めない可能性があるので」
「……」
日本人がイタリアやスペインでトップ選手になるなんて、まだまだ前人未到、夢のまた夢だ。それを、頭のいい僕があまりに自信たっぷりに言うので、目の前の人間は、面食らったようだ。
「ははははは!」
目の前の二人が笑った。呆れたのか、それとも僕の言葉に何かをかんじたのか、それはわからないけれど、豪快に笑った。
「一理ある。私達とてヒラヤマにはもっとやってもらいたいと思っていますからね。確かに、あなたがいなければ真の力が出せない、といったのでは困る」
GMが言った。
この短時間で、こんな笑顔を引き出せたことは、大きかった。何とも和やかな雰囲気になり、僕も自分の意見を言いやすくなった。
「卒業までにはある程度の返事をいたしますので、今のところは少しお待ち頂けないでしょうか。勉学優先とは言っても、私もサッカーが嫌いというわけではありませんし、大学でサッカーを辞めると決めたわけではありません。サッカーをやるべきと考えれば、私はサッカーをやりますし、その時はこのクラブへの入団を前向きに考えさせて頂きます。私としても、ユータと一緒にやれる環境には、魅力がないわけではありませんから。勿論、私が入って、こいつの成長の邪魔にならなければ、ですけど」
今日のところは、これで十分だろうと思い、僕は話をまとめた。
「母は、こりゃヒラヤマ。お前には残り半年で、何段階もレベルアップしてもらわなくちゃなぁ」
GMがユータに皮肉っぽく笑いながらいった。
「サクライさん、その言葉を訊けただけでも、今日は我々には非常に有意義な時間となりましたよ。あなたの考えが少し理解できて、本当によかった」
社長のその言葉が、今日の会合の終結の言葉となった。