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僕達はその後、VIPルームで試合開始を待っていた。
僕達4人が座るテーブルの上には、フライドポテトやホットチキンといったジャンクフードに飲み物が、さながらホームパーティーのように盛りだくさんに置かれている。これが全部タダだというんだから、どこまでも気前がいい。
浦和レッズは現在8戦して、5勝2分け1敗のリーグ6位、リーグははじまったばかりとは言え、ここで負けると下位に落ちてしまうし、勝てば首位争いに参戦できる。序盤の大事な意味を持った試合といえるだろう。相手は現在3位のチーム。勝てばこのチームと順位が入れ替わる。
広報の男性は、この部屋に1人、スタッフを残した。このクラブに勤めている人間で、一番歳が若いと思われる、まだ子供っぽさを残す女性だった。
用がある時は、この女性に何でも言え、とのことだ。ドリンクのお代わりも受け付けると。別にそれだけなら、ここにずっといる必要はないと思うのだが、これがVIP席の決まりなのだろうか。
だけどその女性も、やはりサッカークラブに勤めている以上、サッカーが好きだし、何よりこっちには、人懐っこさなら天下一のジュンイチがいる。僕達ともすぐに打ち解け、一緒に観戦することに、別に嫌悪感を抱くことはなかったけれど。
やがて先発発表になると、シオリとマイは、広報の男性が持ってきてくれたオペラグラスを覗き込んだ。
「フォワード、ヒラヤマ・ユータ! 背番号9!」
大音量で名前が呼ばれると、スタジアムのビジョンにユータの満面の微笑を浮かべた写真が映された。浦和には日本代表選手もいるのに、この試合一番の歓声がユータに送られた。
「ヒラヤマくん、サポーターからすごく期待されてるんですよ。顔もいいから、うちに新たな女性ファンがつくよう、彼中心のキャンペーンを企画中なんです」
クラブの女性がそう説明してくれた。
日本で185センチもあるフォワードはそうはいない。それだけでも期待されて当然だ。おまけにこの半年でユータは高校の全国大会で、大会得点記録を大幅に塗り替えた上に、U‐20ワールドカップアジア予選の得点王まで獲得したのだ。僕と違って、この半年で最高の実績を積み上げたのだ。
選手入場シーンでユータを見た時は、さすがに少しテンションが上がった。いつも学校で僕達と一緒にいる奴が、こんな大観衆の中、プロとしてこの舞台に挑んでいるのだ。
「よかったら、サクライさんとエンドウさん、この試合を解説してくれませんか?」
試合開始前、両チームが自陣で円陣を組んでいる時に、クラブの女性が言った。
「世代別日本代表クラスのお二人の解説なら、お連れ様もサッカーを見やすくなると思いますが」
「……」
「ま、素人視点でいいなら、そうしようぜ。女性陣のためにも、さ」
「――ああ」
僕はジュンイチに促されるように返事をする。まったくマメな奴だ。彼女のマイのエスコートも、僕と違ってちゃんとやる男なのだ。
「浦和はツートップにスリーバック。相手は――4‐3‐3か。フォワードを3枚置いて、サイドバックが攻撃を仕掛ける、超攻撃的布陣だな」
僕もご丁寧に解説してやる。サッカー歴僅か2年の男が、偉そうに他人にサッカーを語る滑稽さに、腹の奥で自嘲しながら。
序盤は全くの互角。一度ユータもセンタリングを前に落として、もう1人のフォワードに決定的な場面を作ったが、その選手がボールを上手く捉えられず、ゴールにならず。その直後、相手のゴールキックからサイドに回され、中盤はサイドにパスを選択、相手は浦和のサイド深いところまで切り込んでくるが、残念ながらボールが長すぎて相手も触れず、ゴールキックになる。
「いい試合だね」
マイが言った。
「ああ。両方とも序盤はいい形で試合に入っている。特に浦和は、相手の攻撃を守り通す守備の意識がいい方向に出ているな」
ジュンイチがそれに賛同する。
「――どうかな」
僕は呟く。
「え?」
「僕は浦和は前半のうちに失点すると思うぞ。多分、ミドルシュートか何かで」
「何で、そう思うの?」
隣にいるシオリが、僕の横顔を見た。
「浦和の左ボランチだよ」
僕は視線を注目の選手に向ける。
「ああ、あの選手はまだ20歳で、まだ2年目ですけど、期待の大きい選手なんですよ」
クラブの女性が説明してくれた。
「あの選手が、何か?」
「あの選手、相手の中盤がサイドにボールをはたくと、それをカバーしに、1、2歩ボールを追いかける癖がある。スリーバックを敷いている以上、相手のサイド攻撃をしのぐには、最終ラインの人数が足りない。中央の選手がサイドをある程度カバーする必要があるが、少しその意識が強すぎるようだな。度々中央に大きなスペースができるんだ。本の一瞬だけどな」
「ええ? そうか? 俺はあまり気にならないが」
ジュンイチも賛同しかねるようだ。確かにそれだけ僅かな隙だった。
「まあな、だがあの隙にそのうち選手か相手の監督が気付くさ。あのボランチがサイドにつり出された時、サイドの選手が素早く中央にパスを入れたら一気に……」
僕がそう言いかけた時、場内がどよめいた。
相手のトップ下の選手がボールを受けると、すぐにボールをサイドに送り、そのボールをボランチが2、3歩追いかけた時、もうサイドバックはそのボランチの眼前にいて、そのまま前にスルーパスを出した。
浦和のボランチとディフェンダーの間には大きなスペースができてしまい、パスを出した瞬間に、そのスペースに向けて走り出していたトップ下の選手がそのワンツーパスを受け取ると、ディフェンダーがシュートコースをふさぐ前に、シュートを打った。無回転のシュートは不規則な軌道を辿って、ゴールキーパーにほとんど反応をさせずに、ゴールに突き刺さった。
「……」
VIPルームの僕以外の4人は、悲鳴にも似た歓声に包まれたスタジアムを呆然と眺めてから、また僕を見る。
だが、僕を見られても困る。クラブ関係者がいる場で、そのクラブチームが失点する事を予言し、それを的中させてしまったのだ。僕だって、出来ればそうなってほしくはなかったのだ。
「1点決められたくらいで、皆そんな顔をするな。まだ前半20分だし、立て直しをするにはいい時間だ」
僕はそう言って、僕に向けられる視線をはぐらかした。
前半、それ以降は浦和もよく守り、相手に点を与えなかったものの、現状は先制点を取った相手の勢いを停滞させるので手一杯だった。前半のシュートはたったの3本だった。
「いやはや、まるで強豪相手の埼玉高校みたいな展開だな」
ジュンイチは皮肉めいてそう言った。埼玉高校は弱小ゆえに、強豪と当たると試合当初は様子を窺いすぎて、後手に回る展開が多い。ジュンイチはそういうゲームを落ち着かせるために、守りに徹することに慣れているのだ。
結局浦和は失点以降、攻勢に回る事は一度もなかった。ユータもセンターサークル付近で守りに入る場面が増え、なかなかいい位置でボールに絡むことが出来なかった。
「これが埼玉高校のサッカーなら、守らないでいいから前で待っていろ、と言うところなんだがな。生憎まだ、守りを免除される程の信頼を、監督から得ていないようだな」
僕は言った。
「じゃあケー……サクライくんは、ヒラヤマくんを本当に信頼しているのね」
僕の言葉を聞いて、隣のシオリがそう訊いた。クラブの女性がいる手前か、名前を呼び直したのがちょっと寂しかったが。
「……」
何だか彼女が、最近ジュンイチの影響を受けてきた気がしてならないーー嫌、それとも僕の影響か? 相手に恥ずかしい事を言わせたがる。
「――ああ、僕は勉強以外では、あいつを信頼してるよ。特にサッカーはな」
「……」
ほら、僕がこういうことを言うと、沈黙の後に失笑がくるんだ。
「なんか、いいですね」
だけど、失笑が来る前に、僕の言葉に素直に感動したクラブの女性が呟いた。
「サクライさんだったら、この試合に出場すれば、ヒラヤマくんの能力を引き出してあげられるんですかね……」
女性はそう続けた。
「……」
「サクライくんなら、前半見て、相手の弱点とか、ヒラヤマくんが狙うところとか、見えた部分があるんじゃない?」
マイに訊かれる。
「――ないこともないけど、監督がその前に指示するだろう。現場を知らない外部から出す指示は、逆にあいつを混乱させかねない。それに、僕は素人だからな」
「でも、一応言うくらいならいいんじゃない? 参考にするかしないかは、ヒラヤマくんに任せちゃえば……」
シオリが言った。
「……」
僕は携帯を手に取り、要点を簡潔にまとめ、メールを送信した。
「へへへ、後で俺もあいつに、ケースケがお前のこと、心の友と書いて「しんゆう」と呼ばせてくれ、って言ってたってメール知るぜ」
ジュンイチが僕を見てにやついた。
「悪い、信頼はしているが、友達とは思ってないや」
「何で? 信頼しているのに、友達じゃないって、何で?」
ジュンイチが間の抜けた声がした。
後半になると、浦和はハーフタイムで戦術を立て直したのか、連動性の増したサッカーを展開するようになった。中盤でボールが上手く落ち着くようになり、ボールキープ率が相手を勝り始めた。
「ここからだな。ボランチがどうやって前にボールを運ぶか」
浦和のボランチがボールを持った時、同ポジションのジュンイチが呟いた。
「ああ、だが、ここでサイドに流すようじゃ、点は取れないな。もうユータのポストプレーからの攻撃は、相手が警戒しすぎてる」
僕が呟く。
その僕の言葉が通じたのか、ボランチはそのまま前線のユータに速いパスを出した。ユータは相手ボランチの前で走りながらボールを受ける。トラップが最高に良かったから、その一歩で相手ボランチを振り切ることができた。
スタジアムの大歓声につられるように、僕達4人も揃って、声にならない声が出た。
「よし、そのままぶっちぎれ!」
ユータが二人のディフェンダーの真ん中を抜こうとする。ディフェンダーは二人とも真ん中に足を出す。
しかしユータはスピードとパワーを併せ持った選手だ。少し態勢を崩したが、ボールも勢いは止まったものの、ディフェンダーの前を抜けて、かすかに前に転がった。
「今だ、打て!」
ユータは二人のディフェンダーを押しのけるように相手をすり抜け、、ゴール左隅にボールを蹴り込んだ。フリーで打ったすごいシュートが、1秒後、ゴール右墨に突き刺さっていた。
「うおおおおお!」
大歓声とともに、ジュンイチが声を上げた。僕も、シオリも、舞いも思わず椅子から立ち上がってガッツポーズした。
ユタはそのまま、ゴール後ろのサポーターに向かって走っていく。
「やりやがった! あいつ、やりやがった!」
ジュンイチが興奮覚めやらぬまま、僕の方を見た。僕達はそのまま二人、ハイタッチした。
結局ユータは、その後ヘディングでもう1点決め、浦和は2‐1で勝利した。
試合後のホイッスルが鳴ると、僕達も席を立ち、VIP席から拍手を送った。いい試合だったと思う。シオリもマイも十分楽しんだようだ。シオリなんてユータが逆転ゴールを決めた時、一番喜んでいた。後半は終始ニコニコして試合を見ていたのが印象的だった。
勿論ユータははMOMに選ばれ、お立ち台に立った。インタビュアーがクラブのマスコットキャラと一緒に、隣にやってくる。
「ヒラヤマ選手、プロ初先発で、初得点、初Vゴールとなりました! 今の気持ちは同でしょうか?」
「ありがとうございます!」
まだ興奮がおさまらないみたいだ。ユータの声は普段よりも上気していた。
「実は後半、この試合を見ていたケースケが、メールでアドバイスをくれて。ポストプレーは読まれているから、いくつか試してみるべき攻撃法を教えてくれたんですよ。まさかこんなに上手くいくとは思ってませんでしたけど」
ニコニコ顔でユータはそう言った。
「あの馬鹿――余計な事を言わないでいいのに。自分の手柄にしちまえばよかったじゃないか」
僕は手で顔を被った。
「ヒラヤマくん、あんまり嬉しくて、黙っていられなかったのね」
シオリが言った。
「……」
僕が沈黙した折節、VIP室のドアがノックされ、ここに案内してくれた、後方の男性が入ってきた。
「ではサクライさん、これから15分後に、社長とGMに会っていただきます。準備ができましたら、またここに来ますので、それまで待っていていただけますか?」
「はい」
僕はそう返事をする。
「他の皆さんには、この近くのレストランの予約を取っておりますので、サクライさんのお話が終わるまで、そちらでお待ちください」
広報の男性は、そういい残して、試合中ずっと僕達と一緒にいたクラブに勤める女性と共に、シオリ達を連れてVIPルームを出て行き、その部屋には僕一人だけが残された。
スタジアムではインタビューを終えたユータが、味方サポーターの声援にこたえ、手を振っているところだった。
――そして15分後、もう一度広報の男性が僕を迎に来る。そのころには選手はとっくに奥に引っ込み、サポーターが勝利の歌を高らかに歌っているところだった。
どうやら話をするのは、セキュリティーIDがないと入れないこのフロアの別室のようだ。
そのフロアの、分厚い絨毯の廊下を進んでいき、突き当りの部屋で広報の男性が立ち止まり、男性がドアをノックした。入ります、と断ってから、ドアを開け、僕を先に導きいれる。
とても明るく、20畳はありそうな広い部屋だが、真ん中にテーブルと、向かい合うように二人掛けのソファーがある以外は、簡素な観葉植物が置かれているだけの殺風景な部屋だった。内輪だけの会議室といった感じ。
部屋で待っていたのは、僕の目の前、向かい合う形でソファーの前で立っている二人の50代くらいの男性。
そして、僕に背を向ける形で、半見になって振り向いていたのは、まだシャワーも浴びずに、試合が終わって急いで着替えたばかりという様子のユータだった。
一応用語説明を追加…
ポストプレー…サッカーでフォワードが、ゴール前最前線でディフェンダーを背負ってボールを受けたり、センタリングをヘディングや胸で落として、走り込んでくる他の選手にアシストをしたり、ボールをキープして攻撃の起点を作るなど、前線に集めたボールをさばくプレーのこと。主に長身の選手が有利とされる。
MOM…Man of the matchの略。その試合の最優秀選手で、プロ野球で言う、ヒーローインタビューを受ける選手のこと。