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Walk

 僕は今、とても幸せな毎日を送れている。

 大学に行くまでの通過点だった学校も、行けば大切な人に会えるし、ものすごく好きな女もいて、その女も、僕を好きでいてくれる。

 これ以上の幸せがあるだろうかってくらい、僕は今、満ち足りている。

 だけど、僕には一つ、悩みがある。

 相対的に考えて、この悩みが世の中で、1ナノほどの問題として認知してもらえるか、僕にはわからない。

 だけど、高校生の僕にとっては、それなりに大問題だった。



 ドサッ。

「……」

 音と衝撃で、僕は目を覚ます。

「――いて」

 目を開けると、くすんだ色の天井が見えた。

 視線のすぐ横に、ソファーがあって、そこで自分は、ソファーから落ちたのだと気がついた。

「……」

 頭に手をやる。その時の袖の感じで、自分がワイシャツを着ているのがわかった。

 首がちょっと苦しい。ネクタイを締めているんだ。左手で、ネクタイを緩める。

 上半身だけ起こす。

 寝ぼけていた頭がしっかりしてきて、耳がやっといびきを感じ出す。

 横を見ると、大男がベッドで豪快にいびきをかいて、眠っている。

「……」

 ――そうだ。あの後、僕はシオリと倉庫に戻って、またバカ騒ぎして、シオリや、ユータ達を駅まで送った後、エイジの住んでいるアパートに行って、ゲームやっているうちに寝ちゃったんだ。

 ちょっと酒も飲んだんだっけ。元々弱いけど、まさかカルアミルクで酔うなんて……

 エイジは僕より2つ年上の、今年20歳。今はアルバイトをして、一人暮らしもはじめている。部屋は汚いけれど、相当試験勉強をしたんだろう。参考書とかが雑然と部屋にばら撒かれている。

「……」

 部屋の時計を見ると、5時半を少し過ぎた頃。

 ――ヤバイ。早く行かないと……

 携帯電話を取り出して、メールを入れてから、荷物をまとめる。

 ――しかし、一泊寝床を用意してもらって、黙って出て行くのは忍びない。

「――朝飯でも作っておこう」

 冷蔵庫も、いかにも男の一人暮らしといった感じで、ろくなものが買い置かれてなかったが、卵と牛乳とハム、乾きかけの食パンがあったので、ハムエッグとフレンチトーストを作ることにした。

 リビングに作り置いて、置き手紙を残しておく。

「……」

 ――僕は一体、どこの若奥様なんだ。

 男のくせに……

 アパートを出て、自転車を飛ばす。

 ワイシャツがしわくちゃだ。着替えたいけれど、その前に、行かなくちゃいけないところが……

 目的地の家に辿り着き、僕は自転車を止める。

 駐車場を隔てた先に、可愛いログハウスがあって……家の門の前で、パーカーを着た、学校ではあまり見ないジーンズ姿のマツオカ・シオリと、彼女の手の持つリードの先に、犬のリュートが待っていた。

 リュートは僕の姿を確認すると、シオリが手を離した瞬間はしゃぐように擦り寄ってきた。僕はしゃがみこんで、リュートの頭を撫でる。

「こら、ちょっと落ち着け」

 そう言って、鼻を摺り寄せてくるリュートを制すると、シオリの方を見た。

 シオリは、僕のしわだらけのワイシャツ姿を、怒ったような顔で言った。

「朝帰り?」

「……」

 ――ヤバイ……怒ってる?

 やっぱ、女の子がいなくても、男は彼女を帰して、その後も遊んでちゃダメなのかな。

「別に女の子といたわけじゃないよ」

 僕はそう言った。

「いや、そういう心配はしていないんだけど……」

「え?」

 僕はその言葉に、声を上げる。

 それを見て、シオリはくすくす笑った。その笑顔を見て、自分がいかに的外れで、独りよがりの考えを持っていたのかを理解する。

 そんな、頭の悪い会話を冗談半分にして、一日が始まった。

 ――朝6時に、リュートの散歩をするというのは、全国大会が終わってしばらくしてからできた、僕達二人の日課だ。

 そして、僕は数学オリンピックでデンマークに行っている間、リュートをシオリの家に預かってもらっていたのだ。

 飼い主として、朝帰りしていても、ちゃんと取りに戻らないとね。

 僕は持っている鞄から、野球帽を取り出して、目深にかぶる。ワイシャツに野球帽という珍妙な格好だけど、顔を少し隠さないと、早朝でも目立ち過ぎてしまう。変装道具として常備しているというわけだ。

 散歩をしながら、シオリと話をする。

「ありがとう。でも、迷惑じゃなかったかな?」

「ううん、うち、弟も妹も、犬を飼いたいって言っていたから、リュートくんの散歩に行きたがって行きたがって……むしろそっちの方が大変だったわ。リュートくんはいい子だから、全然手がかからなくてね――お父さん達も、いつでも預かるって言ってくれてたわ」

「――そうか、よかった。本当に助かったよ」

 ――まさか自分がこんな海外とか行っちゃうようになるとは思わなかったからな。リュートが賢くて、手がかからない分、預かる人が嫌な顔をしないのは、今後も助かる。

「――でも、いいのかな。僕、君の家族に、お礼を言ってないし」

 そう、リュートが世話になっているのに、僕はシオリの両親にお礼を言っていない。

「私の親に、会いたいの?」

「……」

 年頃の娘の親に会いたがる高校生の男なんて、そうはいないだろう。

 娘をキズものにしているかもしれない男なわけだ。まあ、僕達はキズどころか、まだキスだってしてないんだけど……そう弁解しても、大体が無意味なんだろう。こう言う場合の両親とは、妄想が被害妄想に変わっている手合いもいる。つまり真実なんて無意味。

 彼女だって、東大に十分合格できる才媛の上に、親の贔屓目を抜いても、美少女であることは、両親も認識しているだろう。男に対しては、さぞかし心配が絶えないだろう。

 おまけに僕は、彼女とおおっぴらに交際しているとは言えず、こうして早朝にこそこそ会っているという体たらくの上、彼女を置いて長いこと遠くにいたというザマだ。好きであれば堂々としていろ、という意見ももっともで、本当に彼女が好きなのか、疑われても仕方がない。

 むしろ会ったら謝罪モノである。いつか僕は、シオリの親に殴られても仕方ないという心の準備さえ、固まりかけているくらいだ。

 会うなら、もっと頼りがいのある男になって、会いたいと思ってるんだけど。

「確かに、ペットホテルとかに預けるつもりだったから、すごく助かったし、飼い主として、お礼は言うのが礼儀だと思うけれど……恐いなぁ」

「でも、うちの家族は、新聞とかテレビとかで、みんなあなたのこと知っているよ」

「……」

「妹なんか、この人が私の彼だとか、信じないくらいなの」

「そうなの?」

「そりゃそうよ。あなた、いまや、日本で一番人気なんだから。そんなのが、自分の姉と一緒にいるなんて……」

「……」

「むしろ私の家は、あなたのこと、家に連れて来て! って言うくらい。私も、妹をぎゃふんと言わせてあげたいからね」

「あはは。君でもそういうこと考えるのか」

 ちょっと意外だった。家族の前で、シオリは僕にも見せない本当の姿があるのかもしれない。

 僕もいつか、シオリのそんな笑顔や一面を引き出せる男になりたいな。

「お母さんは、食事くらい、食べに来なさい、って、よく言っているわ。だから、もしよかったら、今度、食事でも来ない?」

「――うん。そうだね。いつか……」

 そんな話をしていた。

 ――30分くらい、そうしていつものコースを散歩する。

 常に人に囲まれがちな僕にとって、この朝の散歩の時間は、学校外で僕達が唯一二人きりになれる場所と言ってもよかった。そんな時間はとても貴重で、かけがえのない時間のように思えた。

 これでシオリが僕と一緒に、週刊誌なんかに載ってしまったら、それこそ僕はシオリの父親に殴られることは確定だろうと思う。しかしこういう場合、それを覚悟してでも交際をおおっぴらにした方が正解なのだろうか、ともたまに考える。

 結局、状況が難しいというのもあるけれど、人付き合いの上手くない僕は、そんな中でも上手くやれる方法を選択できないでいる。

 実に男として、情けないと思うし、シオリにはいつも我慢ばかりを強いてしまっている。

 彼女との、こんなちっぽけな時間でさえも、守りきることがいかに難しいか、彼女といるといつも痛感する。

 だけど、それが、人一人の幸せが、軽いものではないという真理に僕を到達させた。難しい問題にこそ、意欲が沸く負けず嫌いな性分もあり、それにより、いつからか、誰かのこんな幸せを守れる人間になりたいと、僕に思わせるようになったわけだ。

 シオリと別れて、また学校で、と言って、手を振る。

「……」

 本当は高校生カップルなら、別れ際のキスでもするものかな。もう付き合って随分経っているし。

 でも、覚悟が足りずに女の子を抱こうとして、気分の悪い思いをした経験が、二度もしているからかな。

 そんなつまらない過ちで、彼女を失いたくなくて、手を出す度胸が出ないのだろう。

 でも僕は、そんな自己抑制を強くかけた今の関係に、特に不満があるわけではない。元々僕もシオリも、強い自己抑制をかけた生活を送っていたから、お互いが感情のままに恋愛をするにはまだまだ時間がかかることは、僕も、シオリもおそらくは理解していた。

 感情のギアをトップに入れることが出来ない。僕もシオリも基本理性的な面が強いから、感情より理性が先に立つ。それを外した時、お互いがどうなるか、よくわからないのだと思う。だから恐い。お互いがお互いを傷つけてしまいそうで。

 それにお互い、恋愛に対しての造詣がゼロに等しいので、触れ合うことが僕達にとってどんな意味を持つ行為なのか、少なくとも僕にはよく分からなかった。勿論、彼女と手をつないだり、抱きしめたりすると、もっと彼女に触れたい、と思うことはあるけれど、その感情と、その先の行為は何だか少し違うような気もした。

 だから、きっと僕達の、こんなプラトニックで、ちょっとおバカな恋愛の形は、きっとこれからもしばらく続くのだろう。

 まだ、僕も、シオリも、人の愛し方を学びはじめたばかりだ。

 僕も、多分シオリも、自己抑制の強い人生だった。恋愛を通じて、人間には、思い通りにコントロールできる感情と、出来ない感情がある、ということも知った。それが恐くて、ギアをいつもニュートラルに保つのがやっとというのが、今の僕達の精一杯のところだった。

 第三者が見ればもどかしいかもしれないけれど、それでも僕は今のその関係が、性欲を抜きとしても、少し気に入っている。

 それでも日に日に、僕の感情が研ぎ澄まされ、次第にそれを抑えられなくなっている感覚を、わずかに感じるようになったからだ。

 恋愛を通じて、僕は自分の死んだはずの感情が、蘇ってきているように思う。それを抑えられなくなったら、もう過去の僕は負け。過去を凌駕して、シオリをしっかりと愛せているように思える。

 だから、今はこのままでいい。耐えに耐え忍び、この想いが、彼女への依存や、甘えでないとしっかり思える日まで――

 家に向かう道で、リュートが一度僕の顔を見た。

 ――シオリさんとなら、ご主人は幸せになれる気がするよ。頑張れ!

 そう言いたげな顔に見えた。

 まあ、遅かれ早かれ、僕はシオリの両親に会って、この先の事を色々話さなければならない。

 その時に、きっと僕はシオリの父親から、ぶっ飛ばされることも覚悟しなければならない。

 ――それは、ちょっと気が重かったりもするんだけど……

 今のところの悩みは、それではない。


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