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あまりにクサい台詞に最後は照れて、僕は笑ってしまう。
「……」
シオリもそんな僕の言うことに照れて、しばらくは気色ばむように視線を泳がせていた。
「はは……ご、ごめん、ちょっとクサかった、かな……」
沈黙に耐えかねて、僕は頭を掻きながら、苦笑いを浮かべる。
「う、ううん、大丈夫だけど……」
とは言っても、シオリも少し照れているようだ。もじもじと所在なさそうに、視線を動かしている。
「……」
沈黙。
「――ねえ、ケースケくん」
やがて、シオリが視線を目の前の川に向けながら、口を開いた。
「私は、あなたがそうやって誰かを救いたい、って思うことは、とてもいいことだと思うわ。きっとあなたの助けを求める人は、これから沢山いると思うし」
そうシオリは前置きする。
「でも、あなたは――必要以上に私やエンドウくん達に、恩を感じていない?」
「え?」
「私――この数ヶ月、あなたと一緒にいて、思ったの。あなたは無条件に人から優しくされると、いつも戸惑って、困ったような、照れたような表情をする――あなたは他人から優しくされることに慣れていないんじゃないかな、って」
「……」
「だから、私やエンドウくん達がしたことに、必要以上に恩を感じているんじゃないか、って」
「……」
その通りかもしれない、と、僕も思う。
彼女の言う通り、僕は他人から優しくしてもらったことがなかった。そんな僕に、彼女は初めて優しくしてくれた。僕を肯定してくれる言葉をくれた。
とても嬉しかった。それが暗闇で一人もがき続けていた僕を救ってくれた。
だからこそ、強く思う。シオリやユータ、ジュンイチ――僕を救ってくれたあいつらに、何とかして恩返しがしたい。僕の今の充実は、今までふてくされた態度を取っていた僕を見捨てないでくれた、皆のおかげなのだから。
僕と出会えてよかったと、あいつらが誇りに思えるような奴になりたい。僕があいつらを、笑顔にしてやりたい。そうして今まで僕が気付きもしなかったのに、ずっと優しくしてくれたあいつらに、その恩を何とかして返したかった。
彼女は僕のそんな心の奥を見抜いていた。
「――そうかも知れない」
僕はそれを認める。
「――悲しいね。あなたは随分明るくなったけれど、まだ過去と完全には決別できていないのね。過去の悲しみが、あなたをどこまでも私達に優しくする……まだ、自分は呪われた、醜い人間だと、自分を卑下してしまう感覚が残っているのかもしれない。他人が恐いのかもしれない。だから、嫌われないように、人にとことん尽くそうとする――」
「……」
彼女は、全て見抜いている。
彼女の言うことが、今の僕の真実だ。僕はまだ、他人との接し方がわからない。優しくされても、相手にどう報いればいいかもわからない。
理解できないから、僕は他人が恐い。
そうして他人に怯えながら、とことん優しくなってしまう臆病な男――それが今の僕だ。
「でも、僕がこれからの生き方を決めたのは、別に君やあいつらのためだけじゃないよ。考えてみたら、今僕がやりたい、やらなくちゃいけないと思えることが、それだったってだけ」
「……」
「まあ、僕がまだ、君やユータ達を含めて、人とどう接したらいいか、分かってないのは事実だけどね――僕はまだ、他人とどう接していいのか、その答えがまだ出ていないんだ。ずっとろくな感情も持ち合わせずに、空っぽのまま生きてきたから――」
「……」
「君やあいつらにも、これからどうやって接すればいいかも、まだよくわからない。ただ、君やユータ達に、少しでも何かしたいと、気持ちだけはあって――まだ、何をしてあげればいいか、よくわからないのだけれど――」
そう、僕とシオリは、付き合って3ヶ月も経つと言うのに、まだあまり関係が進展していない。
本末転倒な話だが、僕はシオリを好きだと思うまで、全く恋愛には興味もなかったし、付き合うということが具体的にどういうことなのか、何をすればいいのか、全くわからないまま、こうして一緒にいるのだった。
今でも、その答えは出ていない。何も出来ないからこそ、ただ、どこまでも優しくするしかないのかも知れない。
ただ、果てない優しさと尊重が、相手の心の奥に踏み込む事をためらわせるのも事実だ。多分関係が進展しないのは、僕がどうやってシオリの奥底に入り込んでいいかわからずに、ただわけもわからず優しく接しているだけだからだろう。
「……」
僕は考えを巡らせ、また黙ってしまう。
すると、彼女は僕の右手を両手で包み込むように握り締めて、体ごと僕の方を向いた。
「あなたが、側にいてくれるだけで、私は嬉しいの」
「え……」
「だって私、あなたと1年間、ほとんど話せない時期もあったから。こうして話したり、一緒に桜を見たり――そうやってあなたが笑っているのを見ているだけで、十分だから」
「……」
「私も、エンドウくん達も、あなたのそんな楽しそうにしている姿を見ているだけで、十分幸せな気持ちになっているし、あなたの笑顔が大好きだよ。今でも十分、私も、エンドウくん達も、あなたと出会えてよかったと、思っているから……だから、あなたはもう、ひとりで何もかも背負い込まなくていいんだよ。もう、恩とか、借りとか、そう言うのじゃないんだよ。私達は」
「……」
僕の目から、ぽろぽろと、涙がこぼれた。
あまり人に優しくされたことがないから、些細なことに、過敏に反応してしまうだけなのかもしれない。
それでも、僕はとても嬉しかった。
こうして今は、こんな自分を肯定してくれる人がいる。こんなに優しい言葉をかけてくれる人がいる。
それがどんなに幸せなことなのか、今はしっかりと感じることが出来る。
「あ、また泣いた。私も泣き虫だけど、最近あなたも涙もろくなったね」
シオリはくすっと、いたずらっぽく僕にそう言った。
「べ、別に――き、君の泣き虫がうつっただけだよ、きっと」
僕は目の周りをごしごしとこすりながら、何かを誤魔化すように、ふてくされた声が出る。
「……」
そして、しばらく二人、黙り込んだ。お互いが今の気持ちを綺麗にするのに、時間を要したからだ。
僕は沈黙に焦れたけれど、何となく、肩の荷が少し下りたような気持ちがして、座ったまま、体をうんと伸ばし、そのまま川べりの草の上に、どさりと体を倒した。
目の前には、眼前を覆う桃色の雲のような桜が広がる。
「昔は、桜が綺麗なんて、思えなかった。自分の苗字が、嫌いだったから」
そうだ。桜は、僕がサクライの性を背負う以上、あの家族との消せない絆を思い知らされるようで、それを突きつけられるようで、大嫌いな花だった。
花自体を、愛でる心の余裕もなかった。
「でも――今なら、こんなに綺麗に咲き誇る花の美しさを、ちゃんと感じることができるよ」
僕は寝転びながら、眼前を覆う桃色の雲のような桜の花を見ていた。
「それもこれも、全部君が与えてくれたものだ。僕は、言葉では言い表せない蔵に、君に感謝している」
「……」
「でも、だから僕は、一人、焦っていたのかな……一人で、何かをしたいと息まきすぎていたのかな」
ため息をひとつ。
「ケースケくん」
そうしてシオリの言葉を噛み締めている矢先に、シオリが僕を呼んだ。
「今のあなたに、私の好きな花の、花言葉を送るわ」
「……」
シオリは、少し照れ臭そうにもじもじして、やがて少し息を吸い、目を閉じて、まるで詩の一説を読むように、ゆっくりとした口調で、それを言った。
「私は――あなたの悲しみ、苦しみに寄り添う。いつまでも……」
「……」
その言葉が、何よりも心強く、何よりも僕の今の迷いを消してくれた。
きっと、僕もその言葉と同じ事をしたいのだろう。
彼女の事を、もう二度と泣かせない。彼女の事を、どんな奴にも傷つけさせたりしない。彼女が泣きそうになったら、誰よりも早く彼女の元に駆けつけて、そばにいてやりたい。
それだけでいい。
きっと――お互いが、そんな思いを抱いていれば、僕達はきっと大丈夫。
その言葉は、僕にどんな言葉よりも確かに、それを信じさせてくれた。
「ねぇ、その、君の好きな花の名前を、教えてよ」
僕はすぐ、それを訊いていた。きっと、彼女のその言葉を、いつまでも忘れないために、それを訊こうと思ったのだろう。
彼女は、自分の照れを押さえ込むのに数秒要してから、答えた。
「り、竜胆……」
「リンドウ……」
「うん、あ、秋に咲く花なの。最近はあまり咲かない花なんだけど……」
「……」
秋――
その頃には、僕は彼女を、もう少しまともに愛しているだろうか。
そうであればいい。それまで、一緒にいたい。
「雪も見た。桜も見れた。じゃあ次は、秋になったら、二人で、竜胆を見に行こうか」
そう口に出していた。
そう、僕達は、きっとこの先、上手くやれると思う。
僕がまだ、人間としての心を取り戻せるまで――誰かを救える力を身につけるまで、まだまだ時間はかかるだろうけど。
今の僕は、ひとりぼっちじゃない。
何もかも、一人で抱えなくてもいい。
それだけで、僕はとても心強い。
今はまだ、シオリとの関係も、ままごとみたいな関係だけど。
乾いて、ひび割れたような僕の心は、少しずつ再生しているのを、確かに感じている。
やっと僕は、前に進めるようになったんだ。
背中を押してくれる、大切な人のおかげで。