Greeting
放課後の埼玉高校の前には、ガードマンが出動する。
埼玉高校の正門は二つあり、その二つの門の間の一本道の両端に、サッカー部のグラウンドがある。
その一本道には、連日多数のマスコミや、近隣の学校の生徒が押し寄せる。一般の生徒の下校もままならないほど、決して広くはない道に、多くの人間がごった返す。
そして先日、あまりの混雑に、人が将棋倒しになり、多くの怪我人が出る事態が起こった。ほとんどが外部の生徒だったが、中にはうちの生徒もいた。
学校が生徒の安全のために、雇わざるを得なかったのだ。
「サクライくーん」「ケースケくーん」「ユーター」「ジューンー」
当然火元は、僕達サッカー部の三馬鹿――もとい、三羽烏だ。
そして、その道を通らなければ、グラウンドにたどり着けない僕達は、自ら中に飛び込む、火の輪くぐりみたいなことを、最近毎日繰り返している。
学校の敷地内に当たる二つ目の正門を、学校の関係者以外はくぐれない。ギャラリーは二つ目の正門前で、僕達を待っている。
僕達が部室で着替えを終え、正門前に姿を現すと、耳をつんざく黄色い声援が響く。
「うお、今日は一段とすげぇな」
ジュンイチがどんぐり眼を見開く。
ほんの5メートル先のグラウンドが、全く見えない。狭い通路は僕の慎重で見る限り、どこまでも人がごった返していた。
「そりゃ、ケースケが久し振りに帰国した日だからな。おまけに数学オリンピック金メダルのプレミアつけてきたし」
ユータが言う。
しかし、今日のギャラリーの数の多さは異常だ。マスコミの多さから、僕が新入生に何かを言うことを期待しているのだろう。
僕達は警棒を握っているガードマン数十人が、押し寄せる人並みをガードして作った細い道を、足早に通り過ぎる。以前ガードマンがおらずにここを通った時は、着ていたウインドブレーカーの袖をちぎられたり、引っかかれたり、すごいことになった。悪意のある奴がいたら、通り魔だって成立しそうな、前後不覚の人込みである。
僕はこの騒ぎを見て、シオリを絶対に人前に晒さないようにしようと決めた。
僕達がグラウンド入りを遅くしなければ、その分部員や一般の生徒への被害が増す。観客に顔をはたかれたり、鬼の形相でギャラリーを止めるガードマンを尻目に、僕達がグラウンドに入ると、そこには新一年生も、他の三年生も、顧問のイイジマも、既に全員集合していた。
「全員集合だ。キャプテンが新一年に挨拶するからな」
イイジマの号令で、横一列に一年生が並ぶ。
すごい数だ。50人はいる。
埼玉高校の受験倍率も、例年の8倍前後から、20倍まで上がったという。僕達の効果で。
上級生は、僕を先頭に、金網を背負うようにして、それと向かい合う。
「邪魔! ケースケくん達が見えないじゃない!」
ギャラリーの声がする。金網越しに立つ部員は気の毒だな。
さっきまで金切り声を上げていたギャラリーは、金網越しに、僕の背中を見ているのを感じる。静かになった分、視線が強くなった。
「新入生の諸君、埼玉高校サッカー部へようこそ。僕は副部長のサクライ・ケースケだ」
僕は自己紹介もそこそこに、横のユータと視線を合わせずに、親指で指す。
「部長のヒラヤマ・ユータは、知っている者もいると思うが、既に浦和レッズと契約しているから、不在の時もある。だから負担にならないように、実質僕がこの部をまとめる役となってしまった。プロの後を継ぐわけだから、至らない面もあるだろうが、宜しく頼む」
軽く頭を下げる。背中越しにフラッシュの焚かれる音が無数に聞こえ出す。
「さて、僕からひとつ、新入部員に挨拶させていただく」
咳払いをひとつはさむ。
「知っての通り、この高校は進学校だ。去年まで受験に専念させるために、部活は二年生で引退していた。僕達三年生も、一月で引退するつもりだったが、今でもこうして部に残っている。正直ここにいる者も、サッカーよりも進学が大事だという者も多いだろう。僕自身もそうだった。いや、もしかしたら現在進行形を使うべきかも知れない。だからこんな僕が、君達に先輩面して、偉そうに練習を強制することは出来ないし、する気もない」
まず、こうして前置きをする。
「ただ、これでも僕達は、本当ならもう引退して、二年生に席を譲るはずだった。二年生とすれば、主力として試合に出られる機会を狙っていた矢先に、こんなことになって、悪いとは思っているんだ」
そのことが、まだ二年生といまだわだかまっている。それに一度触れる。
「そして、チームにはプロもいて、ギャラリーもこんなにいて、連日プロと、ただの高校生が比べられるという現実がある。劣等感を感じることもあるかもしれない。すなわち、このチームがチームとして成立するための条件は、決してよくはない。多くの不満の火種を抱えているんだ。一年生も含め、全ての部員がそれを認識してもらいたい」
上級生にも状況を認識させるため、敢えてこの場で言う。こんな機会でもないと、こんな大真面目なこと、喋れないからね。
「まず、皆でサッカーを楽しくやれる環境を作る事を目指そう。お互いが気持ちよくサッカーができれば、コミュニケーションもとれて、サッカーの質は上がっていくと思う。とりあえず、部全体で、サッカーを楽しんでやれる環境が夏までに出来れば、僕は最高だと思っている。そのために力を尽くせる奴なら、入部は広く大歓迎だ」
そうやって、1年生の緊張をほぐしておく。
「僕自身、二年で辞めるはずだったサッカーを今も続けるからには、サッカーを楽しみたいとは思っている。だから君達もサッカーを楽しんでくれ。精一杯楽しんだ上での結果なら、全国大会優勝だろうが、初戦敗退だろうが、結果は何でもいい。基本的にこの部内で僕達は、君達下級生の決定を尊重する。だが、いい加減にやる奴には厳しいぞ。試合でも、そんな奴に僕は、パスを出す気はないからな」
「……」
一年生達の顔が途端真剣になり、後ろでがやがやと声を上げていた金網の後ろのギャラリー達も、一瞬息を飲んだ。
「――とまあ、そんなことを言ってはみたが」
僕はふっと笑顔を作ってみる。
「これでも僕達は本当は引退して、二年生に席を譲るはずが、こうして居座っていることで、後輩達にも悪いと思っているんだ。本来このチームでチームワークを乱す要因は僕達三年生ともいえるから、せめて上下関係を振りかざすつもりもあまりない。だから、サッカーだけを楽しむにはそこそこいい環境だと思う。これからの一年生の働きに大いに期待させてもらう。これが僕からの挨拶だ」
聞いている一年生よりも、後ろのギャラリーからの拍手の方が早かった。ギャラリーの拍手に釣られて一年生も拍手をし出したという感じだったが、それでも一年生の顔には、早くも闘志がみなぎっているようにも見えた。
「さて、ここで一年生及び上級生に残念なニュースがある」
拍手の流れを僕が断ち切る。
「今年は部員が増員する見込みだったので、女子マネージャーの募集もしたんだが、あまりに希望者が多すぎて、全員を入部させたのでは、僕達がボールじゃなく、女の子の尻ばかり追いかけかねないとの監督の考えで、今年は結局マネージャー入部者はゼロだ」
上級生から、えぇーっという、怒気をはらんだ声が次々に漏れた。イイジマが発表するのでは角が立つという考えらしく、今日の部活前に、僕だけに知らされた情報だった。
「あぁ……足かけ三年、ようやく手にしたマネさんとの下校チャンスが……」
ジュンイチは芝に膝をついてそう呟く。
「彼女に言ってやろ」
ユータは、しししし、と笑いながら言う。
「わぁぁ、やめてくれぇ!」
お決まりのリアクションを取るジュンイチ。
「おい、一年の前だ。おふざけは後にしろ」
「へえいへい」
ユータが手を振る。
でも、こうやってフランクな感じをアピールしておいた方が、新入生がプロであるユータを前に萎縮しないで済む。その計算も少し入っていたのかな。
ユータも少し変わった。昔はこうして、自分から人に歩み寄る感じではない、サッカーでも、ただパスを待つだけの存在だったのに、プロになって、随分私生活もプレーも大人になった。自分から他者に歩み寄る姿勢が強く出ている。
「あ、そうだ。ひとつだけ注文をさせてくれ」
僕は真面目な顔を作る。
「いいか! 赤点だけは取るな! 特に二学期だ! 去年の冬は部員が全員赤点を取って、僕が面倒を見たが、今年は僕も受験を控えていて、助けられそうにない。とにかくプラス一点でもいいから赤点だけは回避しろ! 男だらけの勉強会をやりたいか?」
演説の後、イイジマに「お前、人を引っ張るのは苦手だって言ってたけど、十分やってるじゃないか」と言われた。
その後イイジマは、一年生も含め、いきなり10キロのマラソンを命じてきた。先輩の威厳を見せるためには、マラソンが一番いいんだとか。何か狙いがありそうだ。
一年生に、いきなり10キロも走らせるのは可哀想だけど、僕はその3倍以上を初日に走らされたからな。
「サクライ。そのバンドを外せ」
イイジマに言われ、僕は日常生活で、最近常につけている、周りには『ドラゴンボールの真似』と呼ばれている、両手両足の重りを外す。
「ペースを上げろ」
そうイイジマに指示され、部員全員でスタートする。
僕はユータと並んで、ハイペースでグラウンドを回る。
しかし、今年の一年生はなかなか脱落しない。僕とユータのぶっちぎりは変わらないが、それでも一年生の半分以上が、他の上級生と互角に走っている。
それは、僕に関してのの報道が、大いに影響していると思われる。
僕達が全国大会で準優勝した後、ド素人からたった二年で日本代表候補にまでになった僕の取材が殺到し、僕のサクセスストーリーは至るところで語られていた。
その中で有名なのが、入部初日にグラウンドを100周したことで、最初のチャンスをつかんだという話である。今年の一年生は、この学校では走れればチャンスがもらえるということを学習して、高校受験後、必死に足腰を強化してきたのだと思われた。
しかし、それでも僕が集団を引っ張っているので、次第に一年生はペースをがくりと落とす。
驚いたことに、ユータも次第に僕のペースについて来れなくなっていた。
全国大会で、僕は最後まで足のスタミナが持たずに、最後の最後の力が及ばなかった。なので大会後は徹底的にスタミナと足腰を強化した。その成果が出ているのだろう。
その後はへばった一年生に、高校レベルのサッカーを勉強しろと見学させ、僕達は紅白戦を行うと、グラウンド外は大騒ぎとなった。
イイジマの作戦が読めた。基礎体力の差を実践で実感させて、いきなり僕やユータを目指すんじゃない、と釘を刺すために、こんな事を命じたのだ。今年の部員は、僕達に憧れて入部した奴等ばかりだ。そんな連中に、早く目を覚まさせるために、僕達と最初に戦わせたんだ。