Step
「今日は新入部員が来るんだよな。お前、挨拶は考えたのか?」
ユータが僕に訊く。
「あ、そうだっけ……そうか、僕が挨拶をするんだったな」
本来なら部長のユータの仕事だが、これからユータは浦和レッズと二足のわらじでの選手となる。常に部活にいられるわけではないので、事実上、副部長の僕がサッカー部をまとめることとなっていたのを忘れていた。
「まあいいさ、午後の授業、ギターでも弾きながら考えるよ」
「ダメ」
シオリが遮る。
「ちゃんと授業に出るって約束でしょ」
「……」
僕は溜息をつく。
「まったく――君が言うから授業にもちゃんと出るようになったんだから、たまには僕と一緒に授業サボってくれてもいいだろうに」
「当たり前のように授業をサボらないの」
「ふぅ」
僕は鼻から息を噴出す。
「授業には出るさ」
僕はシオリに背を向ける。
「これでも君と一緒にいられる時間は貴重だし、大切にしたいって思っているんだ」
「……」
「――だから、眠くても、今日だって……」
沈黙。
5秒くらいして、ジュンイチが、ぷっ、と噴出すと、ユータとジュンイチが、堰を切ったように大笑いした。屋上の冷たいコンクリートに倒れ込み、腹を抱えて笑い転げている。
「にっ、似合わねぇー! ケースケがそんな台詞を吐くなんて、最高だぜ! ぎゃははは」
「も、もういっぺん言ってみてくれよ! あはははは」
ユータが人差し指を立てて頼む。
「――嫌だ」
そう言いながら、僕はシオリの顔を窺う。
彼女は白い頬を赤らめて、僕と視線が合うと、照れたように俯く。その横でマイは僕と彼女の顔を見返しながら、僕に微笑を返す。仲がいいのね、とでも言いたそうに。
僕達3人の関係も、ちょっとだけ変わった。今までは二人のボケを、僕が突っ込むか、僕がボケて、二人がリアクションという形だったけれど、最近は二人が僕をからかうというバリエーションが増えた。
20秒ほど笑い転げてたユータ達も、少しずつ息を整えながら、笑い疲れたように息を吐いている。
「いい気持ちだろ」
僕は自分の尻の後ろに手を付いて座り直し、横で倒れこむ二人に言う。
「あぁ……」
ユータは吐息のように返事をする。
「雲がこんな速く流れて、空が近い……風も気持ちいいし、何だか宙に浮いてるみたいだ」
「だろう? ここでの昼寝は最高なんだ」
そう言って、僕もユータの横に、頭を揃えて大の字に倒れこむ。
「二人もちょっと寝っ転がってみないか?」
僕は首だけシオリとマイの方へ向け、下を指差した。
はじめは戸惑いを見せた二人だったが、二人はシートに置かれている弁当箱を脇にのけて、マイはジュンイチの隣、シオリは僕の隣に頭を並べて横になった。まるで僕達は5枚の花びらを持つ花のように、真ん中から放射状に足を伸ばしている形になる。
「あ……本当に宙に浮いてるみたい」
マイが呟く。
「風が、すごく気持ちいい……」
シオリの前髪が、そよぐ春風に揺れた。
僕は、そう言って目を閉じる彼女の横顔を見ていた。風に誘われて、かすかに彼女の髪の香りがした。
「ケースケが今まで、授業をサボってた理由がわかったよ」
ユータが言う。
「こんないいことを知っていたら、そりゃサボっちまうよなぁ」
「……」
しばらく皆押し黙る。誰もが誰かが次に切り出す言葉を待つように。
その役は、やっぱり僕だ。
「どうだ? たまには皆でこうしてサボってみるか?」
僕の視界の端で、ユータとジュンイチが少し笑ったのが見えた。
「いっちまうかぁ」
「みんなでサボれば恐くないってね」
ジュンイチとユータがそれぞれ口にするが、声が笑っているのがわかった。
きっと、僕がシオリをどう言いくるめるか、面白がってるんだな。
「マイも一緒にサボっちゃわないか?」
ジュンイチは彼女にそう聞く。
「――そうだね、それもいいかも」
一瞬迷ったようだが、結局そう言った。
「……」
さて、あと一人の説得は手間取りそうだ。
だけど、言葉で言うと何だか失敗しそうだし、また怒られそうだ。
だから……
彼女の手を握った。
「……」
これは、奥の手だ。
僕達二人は、3ヶ月一緒にいて、わかったことがある。
こうして片一方から抱きしめられたり、手をつながれたりすると、僕達はそれを拒めなくなる。
お互いがお互いを好きで、おまけにお人好しときている性格のせいだ。
だから、こうしちゃえば、きっと彼女も何も言えなくなって、僕の昼寝に付き合っちゃうはずなんだ。
――ま、そうすると夜の電話で怒られちゃうだろうけどね。
僕は、自分が出来る限りの笑顔を作る。
シオリももう諦めたらしい。目を閉じて、溜め息を一度ついた。
「やれやれ……結局部活にも残留してるし。夏の総体で引退ってわけにもいかなさそうだな」
ジュンイチの声がした。僕達は全員、目を開ける。
「これからどうなるんだろうな。俺達も、俺達の周りも」
「俺は嬉しいぞ? お前らともう一年サッカーが出来るからな」
ユータの陽気な声。
「お前は進学しないからいいよ。俺も基本進学希望だし、どうなることやら」
そう言って、ジュンイチが溜息をつく。
「ねえ」
口を開いたのは、シオリだった。
「ずっと気になってたんだけれど……エンドウくんはどうしてプロを辞めたの? 代表なんだし、プロでやる手もあったと思うけれど」
「ん?」
ジュンイチの声。
そうだ。それが僕もずっと気になっていた。
世代別代表でも、ジュンイチは攻撃力はまだイマイチだけど、守備の安定感は抜群で、レギュラーを掴みかけていた。プロに入っても、それなりに活躍は出来るはずだった。
それが何故、数学で四苦八苦しているのに、大学なのか……
「俺はさ……」
ジュンイチは、静かな口調で喋り始めた。
「これでも中学時代は、二枚目で通ってた。スポーツも出来て、勉強も、この学校には入れるくらいには出来た。いわゆる、学校に一人はいる、何でも出来ちゃうスーパーボーイってやつ?」
僕はそれを聞いて、笑いを堪えたけど、二人だけそれを堪えられない奴がいた。
ユータと、彼女のナカガワ・マイだ。
「ジュンくん、スーパーボーイなんて、なんか表現オッサン臭いよ?」
僕はいまだに、ジュンくん、というマイの呼び方に、笑いそうになる。
「そこはツッコむところじゃないの」
ジュンイチはそれを制す。
「まぁ、とにかく、そんな奴だったけどさ……この高校じゃ、そんなポジションじゃいられないって、はじめからわかってたんだよ。入学式で、ユータを見た時には、それを確信した。勉強じゃ、ここにいる奴に敵わないのは、初めからわかってたし、スポーツで一番になるってのも、ユータを見た時、諦めた。だからよ、高校はどうせ脇役なら、最高に楽しんでやろうと思ったんだよ」
「……」
一同、黙ってそのジュンイチの思いを、自分に置き換えながら、聞いていた。
この学校に来た連中は、誰もが勉強で、上には上がいると、一度は経験する。だけど、中学時代は主席クラスばかりが集まるから、自分がこの学校で下位に沈んでも、今まで構築したプライドで、それを受け入れられない場合が多い。
僕もそうだった。シオリに敗北した事を、受け入れられない時期があった。
だから、そういう考え方が出来たジュンイチと、それが出来なかった僕……ジュンイチは僕よりも、ずっと大人だったのかもしれない。
僕は2年かけて、やっとジュンイチと同じ考えが出来るようになれたのかも知れない。
「それで、この学校で、一番面白そうだと思ったのが、ユータとケースケを仲間にして、化学反応させることだって、思ったんだよ」
「え?」「え?」
僕とユータが、同時に声を上げた。
確か……
僕とユータが、最初に話したのは……
鬼退治とか言って、イイジマがやらせる、グラウンド100周に挑戦した時で。
あの時、僕はまるで、ジュンイチのシナリオに踊らされたようで……
噴出すコーラ。あんなくだらない手に、あっさりかかって。
タオルと、新しいコーラを差し出されて、あっさり引っかかった自分が情けないやらで。
気がついたら、こいつらと一緒にいた。
でも、今考えると、あれは全てジュンイチが仕組んでいたんだと思える。
ユータも、鬼退治だとか、そんな人を乗せるようなこと、言うタイプじゃなかったし。
「こいつら二人をくっつけて、一緒にサッカーやったら、きっと面白いもんが見れると思ったんだ。案の定、二人とは妙に気が合って、何をやっても面白かったし、全国大会なんてところまで行って、こうして日本一のトリオになって、俺なんかが日本代表なんかになっちまった」
「……」
「でもよ。正直俺は日本代表なんてガラじゃないって、やってみてわかったんだよ。俺はたまたま学校にいた、二人のすげぇ奴についてきただけだもん。自分で掴んだ結果とはいいがたいよ」
「そんなことはないと思うけど……」
僕は言う。
「それでも、俺はトリオの中じゃ、3番手だろ? このままじゃ、お前やユータの金魚のフンだ。男として、それじゃいけないって思ったんだよ。俺も、大学に行って、もう少し修行してみたいって、思ったんだよ。お前やユータがいなくても、自分自身の道を見つけなきゃって、思ったんだよ」
「……」
ジュンイチがこの高校で、何をしたいのか、どうやって生きたいと願ったのか。
いつも冗談めかして気付かなかったけれど、この時、初めてわかった気がした。
「ケースケ」
ジュンイチが、僕の名を呼んだ。
「お前だって、サッカーよりも、もっと大切な何かを学びたいと思ってるんだろ? まあ、今の状況じゃそれも難しそうだけどさ……自分と向き合う時間を欲しがってるんだろ?」
「……」
「お前は随分変わったよ。それを見て、俺も、俺の道を探したいって、本気で思ったんだ。ダチが本気で頑張ってるのみて、俺もそう思えたんだ。俺はお前らについてきただけだけど、これからは対等な仲間になるために、お前らに恥じない生き方を、10年後も、20年後も、爺さんになってもしてるのが、今の目標だ」
「――ああ」
この時、少し自分から眠気が消えていた。
僕達は、一緒にいると、どこまでも行ける。
だけど、そこから僕達は、新たな一歩を踏み出したんだ。
もっと強くなりたい。
こんな素晴らしい奴らと、進む道が変わったとしても、会うことが出来れば、今みたいに楽しく過ごせるように。
こいつらと、更なる高みを目指すために。
プロになって、僕達から離れ、新たなステージに立ったユータ。
僕達についてきただけだったけど、それだけでなく、自分自身の道を探し始めたジュンイチ。
そして、僕は……
この気持ちに気付けて、世界が少し綺麗なものに見えた。
もっとそれを見たいと思った。
自分が長年気付けなかった、ささやかな幸せに触れて……
自分が長年積み重ねた、この力……
それをどう使おうか。自分はどう生きようか。どう生きたいか。
それを僕は、今、探している。考えている。
「ケースケって、周りは無責任に騒いでるけど、俺達からすりゃ、進路に迷ってる、普通の高校生だもんな」
ユータの声がした。
「あぁ、俺達も、この先、どう変わっていくか、不安になる時もあるけど……」
ジュンイチの声がした。
「心配ないさ」
僕は言った。どうしても言いたかった。
「確かに僕達の周りは変わった。だけど、変わらないものはあるだろ」
空を仰ぐ。
「入学してからずっとお前等と一緒にいるし、今日だって一緒に飯を食えりゃ美味いし、学校でくだらない話をして、笑ってる――多分卒業までこの絵は変わらないさ」
シオリとマイは、目を閉じて、心地よさげにそれを聞いていた。
僕は、握り締めているシオリの手に、少し力をこめる。
「どんなに離れても、忙しくても、僕達はここに戻ってくる。どんなに僕達が、自分の道を進もうと、僕達はまた会えるんだ」
「……」
もう、誰も何も言わなかった。
皆、心地よい空気と、これからの未来を夢見て、僕達は眠った。