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「サクライくん、髪がちょっと濡れてるね」

「あぁ……」

僕は前髪を指でつまんで見た。

「ここへ来る前にシャワーを浴びたんだけど、乾かす時間がなかったから」

「最近少しずつ寒くなってるから、風邪をひかないようにね」

 その会話で安心したように、彼女は店の中へ歩を進め、そこでやっと自動ドアが閉まった。彼女は軽く店内を見回すと、お菓子コーナーへ歩を進めた。

「サクライくん、バイトしてるって私の友達から聞いていたけど、ここだったのね」

 僕がここでバイトをしているのは結構有名な話だ。サッカー部の先輩も来ては、僕に奢らせようとしたが、勿論断った。後輩などは、何度かここに通いつめた後に告白してきた、という強者もいた。

 だけど僕は全校生徒の顔すべてを記憶しているわけじゃない。クラスメイトの顔が半分近く曖昧なくらいなので、来た客がうちの学校の生徒だということがわからないまま接客していることも多いだろうと思われた。うちの学校には制服がないので、うちの学校の生徒かどうかを判断するのは、僕の性別じゃないが、ぱっと見での判断は難しい。

「こんな夜遅くに、女一人でコンビニなのか?」

 僕は肩にかかっていた疑問をぶつけてみた。他に客はいないから、レジカウンターから5メートル程の距離があっても普通に会話している。

「塾の帰りなの。サクライくんみたいに、行かなくてもできるわけじゃないから」

「……」

 これは皮肉だろうか。自分はテストで僕に勝ったっていうことの。それがちょっと気に触ったけれど、僕は黙っていた。酷く疲れていて、そんな気分じゃなかった。

 彼女がお菓子のパッケージに目を移らせているのが、僕にも見えた。

「……」

 改めて見ると、アイドルも彼女のために道を掃き清めそうなくらい可愛い子だ。白い薄手のセーターに、茶色、赤、白のチェックのスカート、黒い細身のブーツ。華奢な体に、柔らかな色を使ったコーディネートがよく似合っている。そんな格好よりも、学校よりも開放された彼女の表情の方が新鮮だった。夜だから女性ホルモンの分泌量が違うのかもしれない、そんな影響かもわからないけれど、とにかく彼女の今の美しさは、学校で見た時とは明らかに違った。

 僕は腕組みをしながら、後ろの棚の上に丁度尻を乗せるように寄りかかっていた。背中には煙草が陳列されているラックがある。ボックスタイプの硬い角が、僕の背中に触れる。

「今日のサッカーの試合、勝ててよかったね」

 彼女はお菓子に目をやったまま言った。

「見てたのか?」

「うん、音楽室からだと、テレビと同じアングルでよく見えるの。特等席なんだよ」

「――そうか、君は吹奏楽部だったな」

 僕はちょっとほっとした。彼女が他の女の子達みたいに、ユータを見にキャーキャー言っている姿は、ちょっと想像できなかったし、何よりそんな姿が見られたら、学校中のニュースになってしまう。

 彼女は左手に黒いケースを持っていた。彼女の楽器はフルートだと聞いたことがあった。それを本人から聞いたのは、一年近く前のことだった。

 敢えて試合のことは触れなかった。あれだけ自分が恥をさらした試合はここ半年なかったし、出来ればすぐ忘れたかった。だから彼女がもうその話をしてこないように、何か他のことを先に言ってしまえ、と、何か言うことを考えていたけれど……

「……」

 何も思いつかなかった。だからすぐに考えるのをやめた。

 僕は腕組みをして唯一の客である彼女を見るでもなく、レジから見て店の奥、ドリンクケースの上の時計を見ていた。11時37分。

 沈黙。

 やがて彼女がゆっくりお菓子を取って立ち上がると、彼女は僕の方を見ずに言った。

「こうやって普通に会話するの、久しぶりだよね」

「……」

 僕は彼女の方を見た。顔を俯かせ、疲れたような、悲しそうな表情をしている。

「ああ、そうだな」

 五秒ほど遅れて僕が返事。何を以って普通かはわかってなかったけど。

「本当。最後に話したのがいつだったか、思い出せないくらい……」

 吐息のように彼女は静かに呟いた。

「……」

 僕達はここ半年、まったく会話を交わしていない。今日話したのがあまりにも久しぶり。

 だからといって、まったく面識のないクラスメイトというわけではない。1年前は、ユータ、ジュンイチの次によく個人的な話をしていたクラスメイトだった。

 彼女――マツオカ・シオリはこんなに綺麗だけれど、処女で、男と一度も付き合ったことがないという確定情報が、一年の時から流れていて、先輩から同学年まで、誰が彼女を口説き落とせるかということが共通の話題だった。彼女を口説くために、彼女を研究してる奴から、それが昂じ過ぎて、半ばストーカーになってしまった奴もいると聞く。

 それがもっと盛り上がって、ファンクラブが作った「マツオカ・シオリオッズ」というものを作った。彼女と付き合うのは誰かを当てるオッズだ。

 しかし、このオッズには本当の狙いがあった。まだ誰にも汚されていない彼女に、最も近い男を洗い出し、釘を刺しておくという目的だ。

 そして、そのオッズでの本命は、僕だった。

 僕と彼女は学年テストで1、2点の差で競い合っているが、僕達二人と3位では、平均点で10点弱、10科目で言えば100点近く差がついている状態で、彼女には僕以外、まったく相手になっていない。

 つまり、彼女には僕以外目に入っていない、と判断されたのだ。毎回名前が貼り出されれば、嫌でも僕のことが気になるだろうと思われたらしい。

 それに二年になって、英語R、英語W、現代文、古文、数学Ⅱ、数学Bの6科目が、成績ごとにクラス分けをされている。僕と彼女のいる二年E組は、クラス別の平均点は学年最低で、クラスで彼女と全ての授業を受けているのは僕しかいない。

 つまり僕は、男女で分かれる体育以外は、学年で唯一、全ての授業を彼女と共に受けているのだ。この学校で一番彼女と一緒にいる空間が長い、という理由だけで、僕のオッズでの下馬評は上昇した。僕のオッズは三冠馬ばりに高騰し、オッズが2倍を切ってしまったのだった。

 このままじゃ賭けが全然面白くない、ということで、そのオッズを考えた連中が20人くらいで僕のところにやってきて、言った。

「彼女はうちの学校のアイドルで、高嶺の花の奴も多い。お前はそんな奴等から鑑賞の権利も奪うのか。あまり彼女に近付きすぎないでくれないか」

 鑑賞というか、単に俗っぽい下品な目で見ているだけだろう、とか、だったら賭け自体をやめればいいんだ、と思った。だけど僕はそれ以上に、自分がそんなことに巻き込まれることの煩わしさから、そのオッズを運営する奴等に、連中の要望を遵守するという誓約書を書いた。今年の春のことだ。

 だから2年になって、彼女とこうして話をすること自体が初めてかもしれなかった。1年の時はちょっとした会話や、テスト範囲の確認などの会話も交わしていたが、最近ではそれさえもなくなってしまった。よく授業をサボる僕に、彼女は善意でプリントを届けたり、評価対象の小テストがあるなどと教えてくれるが、僕はつっけんどんに「そうか」と答えるか、返事もしないようになっていた。おかげでその裏のオッズは僕の名前も残っているものの、僕は本命の座からはずれ、賭けとしての様相を保つようになった。

 だから、彼女と会話すること自体が久しぶりで、僕はさっきから彼女に何を言っていいのかわからなかった。

 あのオッズのことを彼女は知らない。だから彼女は僕に突然避けられた、と思っていても不思議はない。だけどオッズの存在を知らせたところで、彼女の心労が増えるだけだ。何度かストーカーまがいの被害も受けている彼女にそんなことを教えるのは、あまりに不憫だ。かといって自分が何故彼女を避けたのか、オッズの存在なしでそれっぽい嘘が思いつかない。

「やっと普通にサクライくんと喋れた……」

 震えるような声が、沈黙を破った。

「え?」

「だって私、サクライくんに嫌われたんだと思ったから。こうして会話できて、今、ちょっとほっとしてるの」

 彼女は本当に、ある種恐怖から解放された時のような、強張った笑顔を見せた。


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