吸血鬼は待つばかり
先に拾ったのは、兄のジュリアスの方だった。
今のような、雪の降り積もったある冬の日に、雪穴の中で震えながら踞っているジュリアスをカシオペヤが見つけたのだ。
ジュリアスは小さな黒毛の狼の姿をしていた。その時はただの狼だと思ったが、家に連れていき、温めたタオルで全身を拭ってやると、気持ちが落ち着いたのか、人の姿に変化した。
人の姿に、獣耳と尻尾を生やしていた。──ジュリアスは人狼だった。
今は不在の母から、共に暮らしていた時に、世の中には人狼という種族がいて、吸血鬼とは敵対する存在だと教わってはいたものの、ジュリアスはどう見ても子供、自分の脅威にはなりそうにないとカシオペヤは判断し、元気になるまで彼の世話をした。
最初の頃は水を飲むのも抵抗するから、口移しで無理矢理飲ませていたが、数日も経てば自分でスープを飲むようになった。今でも馴染み深い、雪ウサギの肉スープだ。
「どうして、おれを殺さないんですか」
小さな人狼も、吸血鬼と自分達との確執を知っていた。カシオペヤは普通に答えた。
「何で子供を殺さないといけないんだ」
何日も共に過ごした後、ジュリアスは狼の姿になり、カシオペヤに頭を下げる。出ていくとのことだった。
「おれに親はいませんが、弟がいます。あいつを巣に残して食料を探していたら、吹雪に遭ってしまったんです。きっと腹を空かして待っていることでしょう。そろそろ戻ろうと思います」
「……何か困ったことがあれば、遠慮せずにおいで」
ほとんど無意識に、カシオペヤはそう口にしていた。敵対する種族と言えど、相手はまだ子供だ。こんな山の中で、親もなく、兄弟二匹で暮らしていけるのか、少し心配になって、そう口にしたのかもしれない。
ジュリアスは驚きに目を丸くした後に、考える素振りを見せてから、分かりましたと返事をした。──そして翌日、無事に再会できたらしい弟と共にやってきて、カシオペヤに弟子入り志願をしてきたのだ。
いざ来られると正直面倒に思ったものの、教えてくだされば何でもやりますの言葉に調子を良くし、望み通り色々と教えてやった。
獣の捕らえ方、刃物による解体方法、調理の仕方、遭難時のやり過ごし方、寝具の手入れに洗濯の仕方、掃除のやり方に、拾った布の使い道まで、カシオペヤの知っていることは何でも教えた。
小さな狼達は何でも吸収し、数ヵ月も経てば、自分達で何でもできるようになり、カシオペヤの世話を積極的にするようになった。後にものぐさになった原因である。
狼達は成長した。十代半ばくらいの少年の姿になり、そこで外見の成長は止まる。人狼はある程度の年齢まで育つと不老長寿になるのだ。
二十歳前後の容姿をしている不老不死の吸血鬼は、狼達の成長を単純に喜んだ。成長しようと、胃袋を掴まれようと、彼らを脅威に感じることはない。
ただの可愛い弟子だ。──弟子、だったのだ。
穏やかに過ぎていく時間。
だが、それは長く続かなかった。
最初に、母が来た。白髪のカシオペヤと違い、母は血のように真っ赤な髪をしている。カシオペヤは父親似なのだ。
「なんか狼臭いわね」
「気のせいじゃない」
「……まあ、いいけど。あんた、ここを離れなさい」
「何で?」
「しくじった。あんたのお父さんに会ってたら、魔法使い達に見つかってね、追われてるの。もしかしたら私の痕跡を辿ってここに来るかもしれない。見つかったらきっと、鎖に繋がれて二度と日の光を浴びることはないでしょうね。だってあんたは」
シェフィールドの吸血鬼。
それは、人に頼らねば生きていけない、か弱き吸血鬼のこと。人に囲われることを何よりも望んでいる。吸血鬼の存在を知る者の間では、そのように伝えられていた。
カシオペヤの父親は、そんな典型的なシェフィールドの吸血鬼だった。
外見的特徴は父親に似たが、性格は自由を好むスタフォードの吸血鬼たる母親に似た。捕まって暗い場所に繋がれるなど、まっぴらごめんだ。
母親は一緒に逃げようと手を差し伸べてくれたが、カシオペヤはそれを断った。
「弟子が今外に出ているんだ。彼らを置いて行けない」
「弟子って何よ、そんなのいつの間に」
「可愛い子達なんだ。何も言わずに出ていけないよ」
「……じゃあ、戻ってきたらすぐに逃げるのよ」
名残惜しそうにしながら、母親は出ていった。
その背を見送った後、カシオペヤは全員の荷物を簡単にまとめていき、弟子達の帰りを待つ。いつもなら戻ってくる時間になっても、彼らは戻ってこない。
少し心配になってきて、カシオペヤは外に出た。そして声を張り上げて、弟子の名前を交互に呼ぶ。
それがいけなかった。
母親を追跡していた人間に──魔法使いに見つかり、あっという間に捕らわれる。
吸血鬼とは、魔力を排出する道具なのだ。
吸血鬼が流す涙は液体ではなく、涙の形をした真っ赤な結晶。それを人間が口にすれば、たちまち魔法を使えるようになる。
魔法使いであると名乗りたい者達は、吸血鬼を囲い、涙を流させ、そのように振る舞う。
捕らわれたカシオペヤは魔法使いの家がある麓まで連れ拐われ、長い距離を移動した末に、古びた屋敷の地下にて、鎖で繋がれた。それからは涙を流すよう強要され、暴力を振るわれる日々だった。
カシオペヤが涙を流すのは、酷い扱いを受けているからじゃない。弟子達と過ごした穏やかな日々を思い出して──弟子達の安否を想って泣くのだ。
戻りが遅かったのは、魔法使いに酷いことをされたからではないか。いつもより遠くに出掛けていたと楽観視して良いものか。運悪く遭遇したんじゃないか。自分のように。
彼らの笑顔を奪われたことが、カシオペヤには何よりも堪えた。
日々は流れる。
春の活気は伝わらない。夏の暑さは伝わらない。秋の物悲しさは伝わらない。地下はずっと冬だった。生物の死に絶えた冬。それが永遠に続いた。
終わりは来るのか。終わりなどないのか。終わりがあるはずない。──苦痛は、永遠に続くのだと、諦めた頃だった。
「師匠!」
涙混じりの弟子の幻聴を耳にした。兄のジュリアスの方だった。
冷たい床に這いつくばって、意識を失い掛けていた時だったものだから、カシオペヤはそれを現実のものだと認識できなかったのだ。
「師匠、おれです! 遅くなってすみません!」
さあ行きましょうと、彼に背負われ運ばれるカシオペヤ。
「ジェラルドが撹乱してくれています。今の内に行きましょう!」
「……ジェラルド? ジュリアス?」
「そうです、貴方のジュリアスです!」
ジュリアスは狼の姿になり、カシオペヤを振り落とさないよう気を付けながら走り出す。カシオペヤは途中で意識を失ったが、最後までジュリアスの背にしがみついていた。
目が覚めたのは、それから数日後のこと。
やけに至近距離にあるジュリアスの顔と、自身の唇の濡れた感触に、カシオペヤは戸惑った。そんな彼に構わずに、ジュリアスは抱きついてくる。
「師匠! 目が覚めたんですね!」
そこは、カシオペヤの家だった。
ジュリアスがいて、ジェラルドがいて、自分がいる、昔は母親と暮らしていた、自分の居場所。
ゆっくりと、これが夢ではなく現実だと認識すると、自然にカシオペヤの瞳から、涙が溢れ落ちる。それを欲する者は、この場にはいない。
ジュリアスを抱き締め返し、嗚咽を溢しながら、カシオペヤは泣いた。
泣いて、泣いて、落ち着いた頃、ジェラルドの気配がないことに気付く。
「ジュリアス、ジェラルドは」
「……戻らないんです。もう何日も経つのに」
「探さないと」
「もちろんです」
身体を起こしたカシオペヤの肩を掴み、ジュリアスはそっと彼を押し倒した。
「探してきます。きっと迷子になっているだけでしょう。大丈夫です、すぐに戻ります」
「ジュリアス」
「師匠はここで待っていてください」
「ジュリアス」
「それでは」
「行かな」
それ以上は言えなかった。ジュリアスが素早くカシオペヤの口を塞いできたから。──唇を重ねる形で。
「……師匠、待っていてください。必ず、ジェラルドと一緒に戻りますから。戻ってきたら、その時は……この続きを教えてください」
そして、ジュリアスは行ってしまった。