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吸血鬼は待つ

 寒さを覚えて、カシオペヤ・シェフィールドは目を覚ます。


 いつもなら、柔らかな温もりを抱き締めているはずなのに、ぽっかりと空いた隣はすっかり冷えてしまっていた。肌触りの悪いシーツを指でそっとなぞった後、カシオペヤは寝床を抜け出す。

 カシオペヤ。彼は基本的に、季節関係なく日々を裸足で過ごしている。一応靴はあるにはある。裸足で歩いて怪我をしても放置するカシオペヤに呆れて、彼の弟子が昔くれたのだ。

 一度はゴミとして捨てられたものを、苦労しながら直したと見える不恰好な靴は、一度履いたっきり、カゴの奥底に仕舞っている。

 カシオペヤの暮らす家は狭い。壁や屋根は切り倒した木を適当に積み重ねていき、出入り口もそこら辺に落ちていたボロ布で塞いでいるだけ。

 夏は暑く冬は寒い。藁を敷き詰めシーツを被せた簡易ベッドと、食事をする為のテーブルと椅子を置いてしまえば、もう何も置けない。辛うじて衣服や小物を仕舞えるカゴはいくつか置いているが、それだけだ。

 今は小柄な弟子とカシオペヤしか暮らしていないが、両者共にもう少し広くしたいと思うくらいには狭さを感じていた。それでも、ものぐさなカシオペヤも、小柄な弟子も、実行には移さないでいた。

 取り敢えず、暮らしていけてるからいいか、と。

 実際問題、増築のやり方が分からないというのもある。


 さて。


 家の中も肌寒いが、雪の降り積もった外はもっと寒い。今は晴れているが、冬の風は容赦なく、外に出たばかりの、裸足で薄着のカシオペヤの肌を撫で上げる。彼に気にする様子はない。今日も今日とで寒いなと、ぼんやり思うだけだ。

 着るのが楽だからと好んで身に纏う、所々小さな穴の空いた、白い女性用のワンピースの裾を揺らしながら、家の外を数歩進んでいく。雪の中に入れば見つけられないくらいに、白く見事な長い髪を掻き乱して、カシオペヤは大きな欠伸をした。

 一応、彼の容姿はかなり整っているが、見た目を気にするような彼ではない。

 適当な所で足を止め、ほんのり潤んだ赤い瞳を擦り、大きく口を開けると声を張り上げた。


「──サァァァァァァァァァァン!」


 山びこが聴こえるくらいに大きな声。しばらくして、遠くから何かがものすごい勢いで近付いてきた。カシオペヤはそれに気付くと、うっすらと笑みを浮かべ、裾を捲り上げて腹を掻く。


「──へぇぇぇぇぇぇぇぇんへぇぇぇぇぇぇぇぇ!」


 近付いてくる者もまた、大きな声を張り上げてきた。少しくぐもって聴こえたのは距離の問題ではなく、口に何かを咥えているからだ。

 しばらくして、相手がカシオペヤの前に辿り着くと、口に咥えていたものを地面に落とした。ウサギだった。首から血を流す雪ウサギ。既に事切れている。


「やっと起きたんですね、先生! 遅いんで、先に朝ごはん獲ってきましたよ!」

「一羽だけ?」

「二羽目を獲ろうとしたら呼ばれたんで。足りなかったら自分で獲ってきてください」


 にこにこしながら、カシオペヤにそんなことを言うのは、彼の弟子であるサン。

 短くも鍛えられた手足は白く柔らかな毛に包まれ、丸みを帯びた身体も、つぶらな黒目が特徴的な顔も、どれもとてつもない愛くるしさがある。

 ──白熊である。

 基本的には二足歩道で移動し、人間のように言葉を話すことができる、そんな感じの白熊だった。

 白熊のサンは地面に落とした雪ウサギの首を掴み、引き摺りながら調理場に向かう。家の中にキッチンを作れないので、外で調理しているのだ。

 獣らしく己の爪で引き裂く、ということをサンは好まず、人間のように刃物で獲った動物を解体していく。カシオペヤはその後ろに立ち、弟子の調理風景を眺めるのがいつもの日課だ。


「爪は使わないの?」

「使いませんよ。汚くなるじゃないですか。後で食べる前に歯も磨かなきゃ」


 人間くさい獣である。


「そもそも、このやり方を教えてくれたのは先生じゃないですか」

「獣のやり方なんて知らないからね。私にはこれしか教えられないよ」

「先生、やり方微妙に忘れたような気がするんで、今日はやってくれませんか」

「昨日と同じことをやればいいんだよ。横着しない」

「それを先生が言いますか……。それはさておき、解体する前の血抜き、やってくれませんか?」

「ああ、それは喜んで」


 サンから雪ウサギを受け取ると、カシオペヤはそのまま、自分の口元まで雪ウサギの首を持ってきて──噛みつく。音を立てて、その血を飲んでいた。

 カシオペヤ・シェフィールド。彼は血を好んで吸う者。──吸血鬼と呼ばれる者だ。

 数多の芸術家が放っておかないほどの美しさを誇りながら、ものぐさな性格が全てを台無しにしている、そんな感じの吸血鬼だ。

 あまり美味しくなかったのか、しかめ面をしながら最後の一滴まで飲み干し、弟子に雪ウサギを渡した。慣れた様子のサンは、そのまま刃物で器用に解体していく。


「肉のパイ」

「何ですか、それ。いつも通り、肉のスープです」

「草は」

「昨日採取できたものがあるのでそれを食べましょう」

「いつも通り……」

「不満なら先生が用意してください。そもそも、わたしに解体方法や食べられる野草の見分け方、調理方法とか教えてくれたのは先生ですよ。できるくせに何でやらないんですか」


 面倒だからに他ならない。

 そうと口にしなかったが、カシオペヤの顔にはしっかりと書かれているし、サンにも伝わっている。お喋りはその辺で切り上げて、手早く調理をしていった。

 不満をもらしていたカシオペヤだが、肉のスープができる頃にはそのにおいに腹を鳴らし、昨日サンが採取した野草を皿に盛り付けていく。それをテーブルに並べていると、サンが小分けにしたスープをお盆に乗せて持ってきたから、それを受け取り、テーブルに置いて、彼らは朝食を始める。

 いつも通り──ここ一年くらい繰り返してきた、いつも通りの風景。


「先生は今日、何をされる予定ですか? わたしは野草の採取と狩りに行くつもりなんですけど」

「私は待つだけだ」

「先生。待ってるだけじゃお腹が空きます。先生もどっちか手伝ってください」

「……サン。私は君の兄弟子に、待てと言われているんだぞ」

「聞いてます。何度も聞きました。多分兄弟子さんは、何もせずに待てとは言っていない気がします」

「会ったこともないくせに」

「先生とずっと一緒にいるんです。何となく分かりますよ」

「……ふん」


 ──師匠。

 肉のスープで唇を濡らしながら、いつぞやの弟子の声を脳内で再生する。

 サンには『先生』と呼ばせているが、彼の兄弟子達には『師匠』と呼ばせていた。いや、勝手にそう呼ばれていたというのが正しいか。

 双子の、人狼の兄弟。

 今より一年も前、サンと出会う前に別れた弟子達。──自分のせいで失った弟子達。

 弟の行方が先に分からなくなった。残された兄も、弟を探しに行き、いなくなってしまった。

 ──師匠、待っていてください。

 カシオペヤは忘れられない。兄との最後のやりとりを。

 ──必ず、ジェラルドと一緒に戻りますから。

 ジュリアス・グリード。別れるまでは、ただの可愛い弟子だった。

 ──戻ってきたら、その時は……この続きを教えてください。


 唇に残された熱を、カシオペヤは今でも容易に思い出せた。

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