本格的 戦闘訓練
「次は、とうとう本格的な戦闘訓練だからな」
今度は、コンバットナイフと拳銃の扱いを練習する訳だが。
ナイフは、ゴムか何かの素材で出来た訓練用ナイフ。拳銃は、なんか緑色をした偽物の拳銃で、まずは色々と基礎を学んだ。
わたしのように攻撃能力が皆無な異能を持つ者にとっては有り難いのだが、梨乃ちゃんや馬垣くんのように破壊力抜群の異能を持つ抵抗者には、この訓練はそこまで重要ではないのだろうな。
因みに徒手空拳での、つまりは素手での格闘術は習わなかった。何せ相手はあんな馬鹿でかい怪物どもだ、異能も使わず素手で戦ったところで、どうにもならないだろう。
ただし、じゃあもし戦闘に向かない抵抗者が武器を失ったらどうするのかと言うと、それは逃げるしかない。
という訳で……
「防御と回避の訓練を行う!」
上官はそう言うが、事実上これは回避だけの訓練である。
ルールは、決められた範囲の外に出ては駄目だという制限付きで、訓練用ナイフを持った上官の攻撃をひたすら避けて、逃げ回るというものだ。上官との一対一で。
「反復横跳びみたいな動きが素早くできれば、避けやすいからな」
わたしを担当する日倭さんがそう言うが、なるほど、最初の体力鍛錬で反復横跳びを随分と入念にやらされたのは、それが理由だったのか。
いや、待てよ?反復横跳びをやらされまくって、今は足の筋肉が疲労した状態になっているから、むしろ不利になっているのだが…
「はい今刺さったー。動きが鈍いぞ篠守!はい交代。紫野!」
「はい」
「くっ…」
わたしはあっさりとナイフを当てられて、梨乃ちゃんと交代させられた。まさかこれは、疲れている状態でいかに動き回るかという訓練なのか…?だとしたらやばいぞ。スパルタだ。
「はい当たった。今のは惜しかったな紫野。はい交代。篠守!」
おっと早いぞ?梨乃ちゃん、もっと本気出して逃げ回ってくれても良いんだぞ?わたしを休ませてはくれないのか?
「難しいですね…」
「おうおう、どうしたよ優等生?だらしないな」
「私語は慎みましょう、篠守さん」
そうしてわたし達は、数十分に渡って何度も日倭さんから訓練用ナイフを当てられた。
これはかなり大変な訓練だ。恐らくわたしなんかは、10回は死んだと思う。
「嘘はついていないという小賢しい語り方をしているところ申し訳ないのですが、70回以上死んでいましたよ」
「梨乃ちゃん、私語は慎もうか」
因みに、さっき対人の格闘訓練はやらないみたいなニュアンスに解釈することもできるような事をわたしは言ったが、この訓練で身につく動きについては、相手が貪食獣だろうと通用する動きだ。逃げるというのは、あらゆる脅威から身を守ることのできる最強の防御技術である。
日倭さんも容赦が無くてかなりハードな訓練ではあるが、逃げる訓練だというのならばわたしは真面目にならざるを得ない。仕方ないね。
という訳で、真面目にやりすぎたわたしは、結構ナイフを避けられるくらいには成長できたものの、またしても疲労困憊の状態になってしまった。
…もしかしてわたし、寿命が縮んで早死にするのでは?
そうして、必死に戦闘訓練を耐え抜いて、息も絶え絶えな状態になったところで、いよいよお待ちかねの訓練が始まる。
「次は、異能の訓練を行う!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
体力鍛錬も戦闘訓練も、結局のところは体力を消耗するものであり、すべきことだったとはわかっていても、わたしの肉体の疲労が無くなる訳ではない。
そういう意味でもわたしは待ちかねていたし、物語の展開的にもここが一番面白くなりそうなところだということで、読者の皆さんも待ちかねていたのだろうけれども、いざ異能の訓練をするぞと言われてみてよくよく考えた時に、気づいてしまった。
わたしの異能は頑丈な肉体であり、つまりは自分の意思と無関係に常時発動する異能であると考えられるのだが、ならばその場合にすべきことは練習ではない。
どこまで頑丈なのか、どれくらい頑丈なのかを、調査して確認して検証することである。
つまり……
「ひ、日倭さん、まさかそれ、そういう訳ですか?」
「悪いな、そういう訳だ。そして私のことは日倭曹長と呼べ」
「あははー、日倭曹長、ちょっと何か、他に無いんですかね」
「これが一番安全なんだよ」
「は、話せばわかる」
「話してわかった結果がこれだ」
日倭さんが、わたしの前腕の静脈側の真ん中辺り、血管が通っていない辺りに、念のため消毒した針を突き立てようとしてきている。
刺さらないくらい頑丈なのか、流石に刺さるのか、試してみようというのだ。
「チクっとするぞ」
「うぅ…はい…」
渋々、わたしは腕を針で刺された。
チクっとした。
…と思ったら、おや?様子がおかしいぞ?
「痛っ!?ちょっ、ちょっと、痛い痛い痛い!」
わたしは、まあ注射みたいなものだろうと想定して刺させたのだが、日倭さんはちょっと突き立ててみて、全く刺さらないことを確認するなり、今度は凄い力で刺そうとしてきた。
「いや、だって、刺さらないから…」
わたしの抗議の意味がわからないという態度の日倭さん。
おかしいだろ。躊躇も容赦も無さすぎる。
なんてことだ。なんということだ。
みんな楽しそうに異能を使いこなせるよう練習しているのに、わたしだけこんな地獄のような苦行をさせられるというか、とにかく苦痛を味わわされる羽目になるなんて。救いはないのか?
梨乃ちゃんとか、ちょっと上官にバレない程度に遊んでるし。糸の長さと形を調整して、ノーハンドあやとりをしてんじゃねーか。
馬垣くんとか、楽で良いわーあんなの。用意された物にただ順番に触れて融かしていくだけで良いんだもん。
なんでわたしだけ拷問を受けているんだ。
どんなシュールな絵面だこれは。
「ぎゃあああ!日倭曹長!日倭そ…ぐああああ!」
「言え!お前は内通者か!?」
「本当に拷問をしないでください!ぐぇあああ!!!」
内通者って何だよ。
やられていて気づいたが、わたしのこの異能って、拷問にめっぽう弱いのでは…?想定される相手は貪食獣とかいう化け物だから、拷問などという高度な技術は持ち合わせていないだろうと考えたいところなのだが、高度な知性を持ち合わせた貪食獣になら実際わたしは遭遇したことがある。
やばいんじゃね?わたし。
「ふう。これだけ刺しても穴一つ空かないってことは、少なくとも腕はそう簡単に壊れないように出来ていると考えて良いだろうな」
「はあ、はあ、ようやく終わった…」
「しかし、念には念をだ。よし、篠守、ちょっと足を出せ。ズボンをめくって、ふくらはぎだけ出せ」
え?
足にもやるなんて言わないでくださいよ?
出すけれども。
「あのっ、日倭さん、日倭さ」
「日倭曹長と呼べと言ったろう」
「ぎぃやあああああ!」
今度はいきなり最初から、思いっきり刺しやがった。
もちろんわたしの皮膚は無傷だったから良かったものの、もし足のふくらはぎが例外的に頑丈ではなかったらどうするつもりだったんだよ。
何が『念には念を』だ。
念というより、ただの悪意じゃないか。
他のみんなが自分の異能を使う感覚を覚えようとして、神経を研ぎ澄ませて集中しながら練習している中で、一人だけ絶叫させられ続けるという何とも奇妙な状況は、日倭さんが突然に(あるいは飽きたように)、
「よし、少なくとも皮膚が頑丈なのは確かだな」
と言って手を止めるまでの間、5分間ほど続いた。その間、体のあちこちを針で刺された。
「うーん…」
うつ伏せの大の字になって、ぐったりと寝転ぶわたし。
「しかし、まだ骨とか内臓とか血管とかの確認はできていないな…骨と内臓は危険だから保留にするとして、血管の確認はできるよな。おい篠守、起きろ」
「ええ…ちょっと待ってください、まだ全身の痛みによる疼痛と痛みがあって…」
「構わん、起きろ」
本気で余裕が無かったわたしが訳のわからない言い訳をしてしまったためか、日倭さんに問答無用で起こされてしまった。
「安心しろ。今からやるのは、まだ耐えられる程度の痛みだ。お前、空手とかに興味はあるか?」
「ふふん、実は幼少期に修行を…っていやいや、やったことも興味も無いですよ。全然からっきしですよ。こんなヒョロヒョロの鈍臭い女子高生じゃないですか」
「…聞いてみただけだ。空手にはな、部位鍛錬ってのがある。他の武術にもあるんだけどな、とにかくその部位鍛錬では、しばしば内出血の症状をきたすものなんだよ。身体の一箇所だけを、硬い物に何度も打ちつけるんだからな」
「それもそれで痛いのでは…?」
「いや、案外そうでもないぞ。最初は弱めに打ちつけて、痛みに慣れてきたら徐々に強くしていくんだ。何より自分の意思で打ちつけるんだから、痛みに耐えやすい筈だ」
「うーん…」
もうこの訓練を終わらせたいというか、この駐屯地から逃げ出したい気持ちもかなりあったが、さっき針で滅多刺しにされた時よりかはまだマシだろうと考えたわたしは、「じゃあやります」と承諾してしまった。
「そしたら鍛える場所は、拳・手の甲・脛のどれかから選べ」
「ええっと、じゃあ拳で…」
脛とかマジで痛そうなんだが。
「よし、ちょっと待ってろ」
そう言うと、日倭さんは馬垣くんが訓練している場所に歩いて行き、馬垣くんが融かすために用意された数々の物体のうち、木材を一つ取って、再び戻って来た。大きくはないが、重くて硬そうな木材だ。
こんなのを殴るのか…?
「拳はこう、ここが平らになるように握って」
「はい」
地面に置かれた木材に、わたしは片膝立ちで向かい合う。
「まずは軽くでいいぞ」
「こ、こうですか?」
軽く、木材を殴ってみる。
…もう既に痛いんだが。かなり。
「そう、それを何回も繰り返す!右手だけで殴れよ、左手は比較用だからな」
どうやら、右手だけを痛めつけた後に左右の手を比較して、青紫色になっている部分が無ければ内出血はしていないということになるから、血管も頑丈だということが証明されるという訳であるようだ。
「ああ!ああっ!ぐあっ!」
声も息も荒げて、わたしは目を力いっぱいに閉じたり開けたりしながら、何度も木材を右手で殴った。
ヤケクソになって一度だけ全力で殴ってしまった痛みで、流石にわたしの動きが一瞬止まった辺りで、「止め!」と日倭さんが言って、やっとわたしは解放された。
「じゃあ、このぬるま湯に右手を浸けろ」
「ぬるま湯?冷水ではなく?」
「そうだよ。内出血してるかどうか分かりやすくするんだから」
なるほど。しかし、ぬるま湯なんていつの間にどこから持ってきたのだろう?タライみたいな容器の中に、湯船よりかはちょっと熱めのぬるま湯と、なんかよくわからない形状をした、巨大な『オランダの涙』みたいな形の、黒い物体が入っているのだが。
「お湯はあいつだよ、あそこにいる馬垣の能力で融かした鉄を、水に入れて作っただけだ」
「あ、この黒い物体は鉄なんですね」
あいつ、めちゃくちゃ便利な異能を持ってんな。
「痛む感覚はあるか?」
「あっ、くっ…かなり痛いですね」
先程の鍛錬のそれとはまた別の種類の痛みだった。
十分に温めた右手をお湯から出して確認してみても、やはり内出血している様子は見て取れなかった。
「よし…血管も壊れない、と」
日倭さんが確認して、わたしは立ち上がる。
これでわたしの肉体は、少なくとも皮膚と血管が非常に頑丈であり、恐らくは絶対に破壊されないのではないかという結論が出た(これ以上強い力や衝撃に耐えられるかどうかを調べることは、わたしの心が深刻な傷を負ってしまうため、しないことにした)。
「しかし血管については、さっきわたしの身体中に恋人を失ったことに対するやり場のない怒りをぶつけるが如く針で刺してた時に、皮膚越しに刺してみれば良かったんじゃないんですか?」
「私の過去を勝手に捏造するな。恋人って。さておき、針で刺されるのはお前、辛いだろう?だからお前のためだ。私は別に、刺してやっても良かったんだがな。なんなら今から刺してみるか?念のため」
「いえ、結構です」
わたしに対する気遣いだったのだろうか……しかし、刺されることによる、一瞬で終わる大きな苦痛と、部位鍛錬による、何度も繰り返すそこそこの苦痛は、どちらの方がマシなのかという疑問は残る。
「というか、前にわたしが小銃で集中砲火を受けたっていう話は聞いていなかったんですか?あの時点で、皮膚も筋肉も骨も頑丈なのは既に判明していたんですけれど」
「ん?ああ、その報告は受けていたぞ?さっきのは一応念のため、確認しただけに過ぎない」
「………」
嘘だろあんた…?
そういうことに限って、何故『念には念を』を徹底するんだ。わたしは、日倭さんに嫌われるようなことをした覚えは、まだない。
そのうちPTSDか何かになってしまいそうだ。なんならショック死してもおかしくはないじゃないか。なんていう扱いだ。なんていう仕打ちだ。
「PTSDは肉体の痛みよりかは精神的問題で発症するんだぞ。あとショック死は確かに問題だが、だからこそお前は、痛みに耐える訓練として今後もこういうことをした方が良い」
「えー…」
「返事は?」
「はい…」
そんなこんなで、この日は散々な目に遭った。
これ以上の地獄は無いだろうとは思いたかったが、もう既に金足大学でこれ以上の地獄を目の当たりにした身としては、微妙に訳のわからない感覚だった。