後日談(1)
我々ADFを始め、自衛隊や警察などが総力をもって貪食獣の駆除を進めた結果、長野県長野市に限って言えば、もう既に制圧が完了したようだ。制圧というか、安全確保というか、貪食獣の殲滅・駆除かな。わたし達が貪食獣を殲滅し、別の部隊が避難しそびれた民間人を救助し、まあ色々だ。その色々がつい昨日で完了したため、長野市は一応のところ、安全となった。
避難区域にいた長野市民も、本当に少しずつではあるが、元いた家に帰って行っているという話も聞く。帰って行くというか…実際にはどうなのだろう、家に置いていた物を取りに行っただけで、またすぐに避難区域に戻って来るのかも知れないけれど。
何せ、貪食獣による被害は甚大だ。死傷者の多さもさることながら、破壊された建造物の数も計り知れない。既に自分の家が壊されてしまった人だっているだろうし、そうでなくとも電柱や電線が壊されたことによって、電力が使えなくなってしまった家も多くあることだろう。
何より、仮に家が無事だったとしても、それまで通り家で暮らす訳にもいかない。安全が確保できたのは長野市だけで、他の市町村にはまだ貪食獣がいるかも知れないのだから、時間が経てばまた長野市に貪食獣が現れるかも知れないのだ。他の地域から移動してきた貪食獣が。
まあ、その時はわたし達ADFが出動するだけなんだけどね。
午前6時に起床する生活にも、段々と慣れてきた。
昨日の金曜日は珍しく、起床のラッパから20秒以内に起きることができた。自衛隊では、ラッパが鳴ってから20秒も寝たままでいると寝坊だ。わたしもそれで、日倭さんに叩き起こされることも今まで多々あったが、昨日の朝は寝坊をしなかった。
起きてからは顔を洗って朝食を済ませ、その他身辺整理をした後、寮内の清掃を行う。こういうのもやはり性格が出るようで、梨乃ちゃんの掃除は毎回、随分と丁寧だ。
その後、朝礼までにはかなり時間が余ることから、その間に稽古や鍛錬をしたり、課業の準備をして過ごし、30分〜60分後くらいに朝礼が行われる。
ただこの日の朝礼は、一つだけいつもと違った。
まずは点呼をして、運動。運動というのは、準備運動だったり、筋トレだったり、もしくはストレッチ目的で、自分の前に並んでいる隊員の肩を揉んだり(最近はわたしも肩が凝っていたので、わたしの後ろにいる人に「ちょっと、肩の上の方を揉んで」と伝えると、後ろの人が「図々しいな…」と呟いたことは秘密だ)することを言う。
それから予定の確認をして、とまあそんな風にいつも通りに進んでいたのだけれど、全ての確認が済んだ時、いつもなら『解散』と言うところで、壇上にいた上官は、「ああ、それともう一つ!」と切り出した。
「お前たち抵抗者に向けて、民間の方々から感謝の手紙が届いている!寮の掲示板に掲載されているから、休日の空き時間に読んでおけ!以上、解散!」
……で。
今日、土曜日。今わたしは、寮内に設置された掲示板の前に立っている。
いつもならば大分ゆとりがあった掲示板も、今は溢れんばかりの手紙で覆い尽くされている。
「うわー、やばい、泣きそう」
「またですか」
「またって言うな、梨乃ちゃん。金足大学でわたしが泣いたのは絶対誰にも言わないでよ?」
「……はい」
「何かしら?今の間は。もう既に言っちゃったみたいな顔をしているけれど、まさかそんな訳無いわよね?」
「篠守さん、読心術は私のお株だったんですけれどね…」
「言ってんのかよ!!!」
わたしが梨乃ちゃんに突っ込むという珍しい状況のおかげて何とか紛らわしているが、たった今わたしが読んでいたのは何を隠そう、金足大学でわたしが避難させた人からの手紙だった。
『当時は私も必死で失念していましたが、あの淡い赤紫色の髪の女の子は自ら囮になって、化け物達を引き付けてくれていました。どれだけ危険な目に遭ったのかは想像も付きませんが、彼女が生きているだけでも嬉しいと思います。ましてや、今ではそちらの駐屯地で、自衛官として日々…』
やばい。
手紙の内容を語ろうとすると、また泣きそうになってしまう。わたしに対する賛美の声を語りたい気持ちは山々なのだが、どうも最後まで語れない。
手紙の読み上げはこの辺りにしておくけれど、とにかく手紙の中には、わたし個人に対する感謝を述べた物もあった。
「良かったじゃないですか。やった甲斐があったじゃないですか、篠守さん」
「そうね……梨乃ちゃんとは違って、わたしにはこんなにたくさん感謝状が届くんだもの、やっぱりわたしの活躍には意味があったんだわ」
「何故いちいちマウントを取るのですか。というか、感謝状が届かなければ意味は無いかのような物言いはやめてください」
「ああごめんね、確かにそんな言い方したら、梨乃ちゃんの心の平穏が維持できなくなっちゃうわよね」
「篠守さん、例え私が許しても、いつか誰かに呪われますよ」
あ、梨乃ちゃんは許してくれるんだ?
とか言って揶揄ってしまうと、流石に彼女の機嫌も地に堕ちてしまうため、口には出さないけれど。
にしても、こうやって感謝状とかを自衛官に見せるのって、やっぱり『士気を上げるため』という明確なメリットがあるからやるんだよなと、わたしは一人、感心した。
……あれ?
「梨乃ちゃん、これ…」
「はい?この手紙がどうかしたんですか?ひらがなが多くて、子どもが書いたような文体ですけれど…」
わたしの目に、一つの手紙が留まった。それは直感だ。見覚えのある字という訳ではないのに、文字の拙さと文の幼なさが妙に引っかかるような、変な違和感があった。
そして、読んでみて確信する。
『うでが固いおじょうさんへ。大学では、お世話になりました。ぼくのおなかをみてしまったのに、あなたが行ってしまったことがざんねんです。またいつでも、大学にもどってきてください。』
『カマダより』
「『うでが固い』…?誰のことを言っているのでしょう?何故に腕…?それに、『おなかを見てしまった』って。随分とこれは、意味不明ですが…」
何が何だかわからないといった表情の梨乃ちゃんをよそに、わたしは一人、戦慄した。
腕が固い…腕が硬い。
つまり、腕が壊れないという意味だろう。ただ、腕に限らず、体のどこかが頑丈だったり、あるいは本当に硬かったりするような女性の抵抗者は、このADF長野県支部にはわたしを除いて他にいない。
次に、『大学』。わたしと関係のある言葉として解釈するなら、もちろんそれは金足大学のことだろう。
そして、『おなか』……腹。
わたしが腹を見た、見てしまった、相手。
ここまで手がかりが揃えば、間違いない。
それは、貪食獣からの手紙だった。