チェックアウト?
え?何でまた同じことしてんの?あの人。
わたし達は作戦についてそこまで詳細には聞いていない。この狼どもに盗み聞きされても大丈夫な範囲しか聞いていない。だからこの状況、一体どういう……ん?
左門さんの異能の発動に先駆けるように、小型ヘリが向こうからこちらに加速していたらしく、左門さんの異能の発動と同時に、梨乃ちゃんの斬撃の網は消えて、そこから更にこちら側に接近して来て……
……ああ。なるほど。
先程は慌てて左門さんを避難させたというのに、何故再び彼を着陸させたのかという疑問についてだが、そもそも先程は、左門さんが全方向から囲まれていたことに問題があった。
一度に全ての狼が飛びかかってきたら、《月下湖面》の怪魚一匹では対処しきれない程の数が、左門さんを同時に捉えていた。
しかし今は、狼どもはわたし達を囲むのに手一杯で、左門さんは囲まれていない状況だ。これなら、怪魚一匹でも十分に左門さんを護れる。
ただしそれだけだと、左門さんが地上に降りてきても大丈夫だということがわかるだけで、降りてきた理由の全てを説明できる訳ではない。
何故、左門さんは降りてきたのか。
何故、異能を使うのか。
それは単純に、壁を作るためである。
「《固定斬撃》、再発動します!」
いつの間にか、わたし達の頭上付近まで戻ってきていた小型ヘリの中から、梨乃ちゃんの声が聴こえる。
次の瞬間、上官達がわたしから見て右側にいる狼だけを狙った一斉の集中砲火を敢行したようだ。
同時に、梨乃ちゃんが出した斬撃の糸は、わたし達を囲んでいる狼諸共、大きな弧を描くような壁を形成して、わたし達を囲んだ。
円を描くようにではなく、弧を描くようにではあるけれども……、弧とは言え、それはほぼ円である。円の一部が欠けたような、急角度で曲がった曲線である。いや、壁だから曲面か。
そしてその欠けた部分には何があるのかと言うと、《月下湖面》の領域があるのだ。これもこれで、実質は壁である。
梨乃ちゃんの斬撃の壁と、左門さんの怪魚の領域で、わたし達と狼どもを一括りに、包囲したのである。
つまり、これは……
「もう逃げられねえ、ってことだよなあ。お互いに」
動揺したような反応を見せる狼とは反対に、状況を察して、漸く馬垣くんの調子が戻ってきたようだ。
狼を前に不敵な笑みを浮かべ、さながらレスリングの試合のように身を低くした構えを取りながら、自分を含めた全てに言い聞かせるように言う。
「ここから先は、戦略も戦術も戦法もクソも無い、ただ殴り合うだけの純粋な闘争だ。これは、熱いことになるぜ…!」
もう逃げられない。
《固定斬撃》の糸と《月下湖面》の領域によって、わたし達をではなく、わたし達を取り囲んでいる狼どもを囲み、閉じ込めたのだ。
もう逃がさない。
なるほど、確かにこの狼どもは利巧だ。戦略的後退を封じられるだけで、ここまで不利になるというのだから。それだけ、戦略を駆使して戦う賢い相手だということだ。
これはずばり、それまでわたし達を防御するために使っていた斬撃の糸や怪魚の領域を、狼を逃げられないように閉じ込めるという間接的攻撃のために使うという作戦である。
目算において、梨乃ちゃんの糸だけでは長さが足りず、完璧に包囲することができないと考えられたため、左門さんの領域も壁として利用したという訳だ。
斬撃の糸と、踏み込めば怪魚に喰われてしまう領域。
とは言え、障壁としての効果については《月下湖面》のほうが劣るから、狼が先に左門さんを攻撃しようとしてわたし達をそっちのけて飛びかかって行くというリスクは大きいのだけれども、それも考慮済みである。
先程左門さんがその異能を発動させた位置は、わたし達から40m離れている位置であり、つまりはギリギリわたし達が範囲外にいることになる位置であったため、当然わたし達を囲んでいた狼どもの一部は範囲内に入ってしまっていて、異能の発動とほぼ同時に怪魚からの攻撃を受けた。その上、突然のことに一瞬動揺した狼どもの隙を突いて、わたし達の陣形の中でも左門さんが見える右方向の側の隊員が、弾切れを恐れずに一斉攻撃を仕掛けて左門さんとわたし達の間にいる狼を全滅させたため、左門さんに危害が及ぶ心配はもう無いのだ(『一斉攻撃』の中には、異能による攻撃だけでなく銃による射撃も含まれていたが、地面からの跳弾が左門さんに当たるといけないので、左門さんは異能を発動させた瞬間に頭を抱えてうつ伏せで地面に伏せていた。かわいい)。
「総員、陣形を再編成しろ!」
繰り返すが、さっきは遠距離攻撃を得意とする抵抗者や射撃を得意とする上官を左門さんの見える右側に偏るように配置して、《月下湖面》の発動とほぼ同時にそちら側にいる狼どもを殲滅したため、もうわたしの右側には狼が一匹もいない。更に、(上から見た時の)左門さんの領域が描く円と梨乃ちゃんの糸が描く曲線の交点の近くにいた狼どもも、攻撃によって左側に追い込んだ。
狼による包囲は、完全に解けた。
後は左側に集まった狼を始末するだけであるため、必然に陣形を再構築し、一つの方向のみに敵が集中している状況に適した、より強力な陣形で狼と向かい合うことになる訳だ。
ただでさえ、ここまでにおいて死人が出ていない円形陣よりも、更に強い陣形になるのだ。
「もう良いだろ?陣を組むまでもなく、これ、後は勝つだけだろ」
「まだだ。足並みを揃えろ」
あーあー。狼たちも判断が遅いなあ。まだ陣形が完全ではない今のうちに襲いかかってくれば、まだ何とかなるかも知れないのに。
それではこの陣形を、僭越ながらこのわたしが説明しよう。わたし達の、一騎当千、不撓不屈の陣を。
さっきまでは『左』だった方向、つまり左門さんがいる方向とは逆方向(『左門』なのに左じゃないとはこれ如何に)の、残りの狼が密集している方向は、今となってはもう『前』である。狼はもうそちら側にしかいないのだから、全員がそちらを向いている状況だ。
最前列、第一列。わたし、馬垣くん、荻原さん、ナイフ術と体術が得意な腕っこきの上官。
第二列。御水見さん、真鈴さん、そして日倭さんを始めとする射撃術に熟練していて体術もできる腕っこきの上官。
最後列、第三列。髭根さん、谷貝さん。
これらの陣形に加えて、狼を閉じ込めるための障壁を作ってくれている梨乃ちゃんと左門さん、更に小型ヘリの上からチマチマと…もとい、少しずつながら確実に、狼を弱らせてくれている国栖穴さんも忘れてはいけない。
読者の皆さんも忘れているかもしれないので、今一度、全員の名前に振り仮名を振っておいた。
やはり繰り返しになるが、さっきまでとは訳が違う。囲まれている状況で全方向の狼に対処するためには、そりゃあ全方向に戦力を分散させなければならなかったのだけれど、今は一方向だけに戦力を集中させることができる。その場合のわたし達の強さは……自分で言うのもなんだけれど、いや自分のこととして言うのも他力本願的な卑しさがあるけれど、はっきり言って無敵だ。
《万物融解》、《船幽霊》、《黄金剣》、《干肉》……それ単体でもチートスキル級の強さを誇る異能を持ったメンバーが揃っているのだから。
「おっと、《不壊》も忘れるなよ」
「だから俺の口調を真似て言うなや。俺がお前に自信を持たせようとして言ったみたいにするんじゃねえよ、篠守。どんだけ信用できない語り部なんだよお前は。俺はお前をそこまで高く買っている訳ではねえよ」
期せずして馬垣くんがわたしを舐めていることが発覚してしまったことは遺憾の限りだったが(わたし達はお互いに舐め合っていることになるけれど、それってなんかエロい)、さておき、そんな強すぎる集団であるわたし達と相対する狼どもの残数は、たったの20匹余りだ。加えて、皆こいつらの動きはもう良い加減に、見切っているだろう。何せ、ここまでにおいてかれこれ60匹くらいの狼を屠ってきているのだから。
如何せん、四足獣である狼どもは攻撃手段もかなり限られていて、今更攻撃のバリエーションを増やすのは困難だろうし……、敵ながら同情するよ。
「チェスで言うところのチェックアウトね」
「お一人様、お帰りになりますってか。この場合、二十匹様が地にお還りになる訳だが」
気分が高揚しているからなのか、馬垣くんが突っ込んでくれなかった。ノリツッコミの、ツッコミの部分だけ無くした感じの反応だった。
ツッコミ不在の陣。
負ける気がしないな。