もう一度、耐久戦をしよう
さて、梨乃ちゃんの《固定斬撃》によってひとまずの安全が確保されたところで、この状況下においてもあえて悠長に暢気に、上官だけで簡単な作戦会議をすることになったらしい。
念のため警戒を怠らないようにしている前衛のわたし達の背後で、ひそひそと上官が話し合っている。
ちょっと盗み聞きしちゃおうかな。
「紫野の糸を盾にして…」
「左門は…?」
「いずれにせよ、篠守はもう…要らないか?」
……もうやめようかな、この仕事。
前を見てみると…いや元から前を見ていたのだが…梨乃ちゃんが糸で作った壁の向こうには、未だに狼どもがこちらを睨んでいるのが見える。流石に知能の高い奴らのことで、がむしゃらに梨乃ちゃんの糸に突進してきて都合よく全滅してくれることはないのだが、しかしどこかへ立ち去ってくれる訳でもないようで、機を窺っているかのように、わたし達を囲んだままでいる。
「篠守よお」
「何?馬垣くん。わたしのことが好きになっちゃったのかな?」
「そうそう、俺達無事に帰ったら付き合うんだ…って違えよ。キャラ付けにヤケクソになって、自ら死亡フラグのきっかけを作るな。そうじゃなくて、恐らく紫野の異能がじきに解除されることになると思うから、すぐに戦えるように心構えをしとけ。お前今、気を緩め過ぎだからな」
「え?梨乃ちゃんの異能が?なんで?」
「このままだと埒が明かねえだろ?それだけだ、理由は」
「はあ……」
そんな理由だけでと思わなくもないが、確かにわたし達は貪食獣を殲滅するために来ているのだから、死傷者が出ることと同じくらい、膠着状態になることを嫌う。
梨乃ちゃんの《固定斬撃》は強力だが、この糸で囲うようにして守られている今のわたし達は、言い換えるならこの糸に閉じ込められているのだ。この状態のままでは、この狼型貪食獣どもの駆除ができない。
「とは言っても、まあ、こんな学の無さそうなごろつきであるところの馬垣くんなんぞの言うことなんて、どうせ間違っているのだろうと思った」
「ト書きの中で言え。口に出したら、お前が俺を舐めていることがバレるじゃねえか。また髪の毛を融かしてやろうか」
と、わたし達がそうして相変わらず私語を慎まずにいると、背後から上官の大声が聞こえた。
作戦会議が終わったようだ。
「全員、そのままの状態で聞け!簡潔に話す。これより、一時的に紫野の異能を解除し、糸を消す。目安では、50秒間だ。その50秒間、狼からの攻撃に耐えてもらう!」
そうして上官が声を張った後、その作戦の内容について、更に詳しい説明を始めた…否。
詳しい説明とは言っても、万が一この狼どもが人語を理解することができる場合にも問題の無いよう、重要な部分は大幅に省略され、最低限の説明だけで済ませていたのだけれど。
いずれにせよ、馬垣くんの推測は当たっていたらしい。
「そんな……こんな奴の推測が当たるなんて……」
「どんだけショックなんだよ。何をそんなに絶望したみたいな顔してんだよ。どこまで俺を見下していたんだよ。お前、いつか誰かに殺されるぞ」
そうしてわたし達の、膠着状態を打開するためにかなり思い切った、結果的には最終となる作戦が始まる。
ここを乗り越えれば、後はもう……いや。
そういうのはこの際、やめにしよう。
さて、45秒(と5秒)で何ができる?
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
しかし、上官が作戦を考えてくれるというのは、一人で色々考えなければならなかった前巻と比べると、楽である。だからと言って個々各々の思考を停止しても良いということにはならないけれど、良くないことだとは解っているんだけれども、なんかこの『ただ指示されたことに従うだけ』っていう在り方って、心地良いものなんだな。
あるいは悪い宗教に嵌ってしまう人なんかも、こういう感情が強いということなのではなかろうか。
と、わたしはいつものように、ここぞという時に限ってどうでもいいことを考える。
「《固定斬撃》、解除します!」
「すぐに襲ってくるぞ!構えろ!」
ヘリコプターが、離れていき……
梨乃ちゃんの異能の射程圏内から、わたし達の円形陣が外れた辺りで、わたし達を囲うように覆い被せるように守っていた糸のドームが、消えた。
「オオオォォーー!!!」
流石に獰猛な貪食獣だ、この狼どもは。
糸が消えたことに気付くや否や、待ってましたとばかりに遠吠えのような咆哮を上げながら猛攻を仕掛けてきた。
一斉に、まとまってだ。
「…!」
喋っている余裕は無い。今のわたしは珍しく真剣だ。
突進と斬撃を織り交ぜた狼の攻撃をわたしが必死に捌き、背後の日倭さんが撃ち、余裕があれば横にいる馬垣くんや、無口なナイフおじさんが仕留める。
狼がどの位置でどんな動きをしてきたら、自分は何をして他の人は何をしてとか、そんな細かい動きを具体的にリハーサルした訳ではない…と言えば、半分は嘘になるだろう。こういう状況も想定して、訓練をしてきたから。
しかし実際にやろうとなると、そう上手くいくとは限らない。何か起こるかも知れない。何かあるかも知れない。何か失敗するかも知れない。
こんな言い方では、心配のし過ぎだと思うかも知れないが、しかしこれは、『死ぬかも知れない』という極限の緊張の最中においては、むしろ常に起こりうる茶飯事だ。
連係戦の常識だ。
「…」
「…」
しかし、わたし達には今のところ、危なげは無い。自分達でも驚く程に冷静に、流れ作業のように狼を始末していく。不思議と、言葉を介さずとも連係が取れる。馬垣くんとも、日倭さんとも、心が通じ合っているかのように、連係が取れる。
わたしが捌いて、日倭さんが撃って、ナイフ無口おじさんが刺して、馬垣くんが融かす。
雑念は無い。余念も無い。
だからこれは、後から考えて気付いたことだが……やはり人と人とが協力し合い連係するチームプレイというのは、ただ闇雲に練習を重ねるだけでも自然と上達していくものらしい。何も打ち合わせをしなくとも、やっていくうちに味方の行動パターンがわかっていくのだろう。心が通じ合うと言えば不思議な聞こえだが、要はただ、無意識に味方の行動パターンを学習しているだけなのだと思う。
例えばスポーツでは、相手選手の癖などを試合中に分析したり、格闘技だったら、相手選手の弱点を試合中に探したりするものだが、戦っていく中で敵の癖や弱み強みを学習することができるというのなら、味方の癖や弱み強みを練習の中で学習することだって、例え意識していなくともできるものなのだろう。
因みにわたしの右斜め後方では、髭根さんと真鈴さんと御水見さんのコンビネーションが大活躍らしい。後で知った。
髭根さんの《研磨》で狼が立っている地面だけをスケートリンクにして、狼は足を滑らせる。そこを真鈴さんの《冷凍庫》で狼を関係ない場所に引き寄せたりして攻勢を弱め、そして何よりも強力なのが御水見さんの《船幽霊》で、体勢が完全に崩れた狼の中から適当なのを選んでは、水を使って引き寄せたり、水を高速でぶつけて殴っているらしい。
ほんの少量の水を操るだけの《船幽霊》はそんなに強くないんじゃないかとわたしも最初は思っていたのだけれど、いやいやとんでもない。この異能は、『水の運動状態を操る』とは言うが、それは決して、『水の運動状態に影響を与える』と言う表現で済まされる話ではない。
影響を与えるどころではなく、支配するのだ。
水を動かすだけではない、水の動きを制限することもできるのだ。それが何を意味するか、聡明な読者のあなたになら、わかるわよね?(ムカつくキャラ)
つまり御水見さんが操っている水は、形を変えないのだ。外部からの力に一切影響されず、ただ御水見さんの意思のみによって運動状態が決まるということは、つまりそういうことなのだ。
御水見さんが操る水は、彼女が動かそうとしない限り、押しても引っ張っても殴りつけても、その形も位置も変わらず、微動だにしない。これでは、固定されたとんでもなく硬い石を殴っているのと同じだ。拳が痛すぎる。
そんな水を…この世で最も硬い物体と化した水を、弾丸の如き超高速でぶち当てられたら。
想像するだけでも痛々しいが、勿論そういう直接的な打撃攻撃だけでなく、例えば足払いのような攻撃にも使うことができる。
言ってしまえばこの異能は、離れた位置にいる相手に超強力な打撃技を自由自在に繰り出せるようなものだ。相手の呼吸器に水を入り込ませて溺死させるなんて、オマケみたいな使い方なのである。
……強すぎんか?この人。
それからわたしの左斜め後方では、荻原さんが猛威を振るっている。荻原萩原萩原さん…ちょっとでも気を抜くと名前の読み方を忘れちゃうよね。
さておき、彼女は《黄金剣》によって出現させた黄金の剣で戦うのは勿論のこと、その剣でとどめを刺した貪食獣を眷属として召喚できるため、先程から仕留めてきた分の狼を召喚し、敵の狼と戦わせている。この狼どももまさか、仲間が寝返って敵になるとは思っていなかっただろう。
しかも、敵味方の狼の区別が付かなくなるリスクを下げるために、一度に出す狼の数は一匹だけにするという徹底ぶり。
まるで将棋だな。いや、ポケ○ンバトルか。
でも、ポ○モンバトルって確か、相手のトレーナーのポケ○ンを捕まえることはできなかったんじゃなかったっけ?じゃあやっぱり将棋か。いや、でも、この場合の相手は人間じゃないから……ま、いいや。
今はただ、わたし達の活躍を語るとしよう。
「30秒経過ぁ!」
一人の上官が叫ぶ。
おお、もう半分を超えたか……と言いたいところだったが、いや、まだ半分をちょっと超えたくらいなのか?
50秒が長い。
相対性理論の例えに使いたいところだ。可愛い女の子と話している50秒と、次々と貪食獣が襲いかかってくる50秒の長さは、違うのだと。
「…っと。もう見切った!」
狼はツノで突き刺す攻撃や切り裂く攻撃、更には噛み付く攻撃を駆使して仕掛けてくるが、はっきり言って、もう捌くのには慣れた。
「こいつら、もう種切れかしら。これ以外には何もできないのかしら。そんなものなのかしら」
「うるせえ、調子に乗るな」
今日はやけに(色んな意味で)調子が良すぎるわたしと、突っ込むのにも疲れてきたというか、慣れてきたような馬垣くん。
とはいえ、わたしが頑張っていたとしても、他の皆がやられたりなんてしてしまえば意味が無い。その時点で陣形は崩れ、作戦は破綻する。
「大丈夫かな、後ろの皆。わたし抜きで」
「言ってろ。前衛の中ではお前が一番弱い」
……わたしへの信頼はどこへ行ったのやら。
とにかく、やることはさっきの耐久戦と変わらない。
さっきの耐久戦では連戦続きで疲労が込んだ状態で戦っていたから大変だったけれど、今はさっきの休憩の直後であるため、体力も回復している。
冷静に考えてみれば、たったの50秒だ。1分にも満たない時間だけ、さっきまでずっとやっていたことを繰り返せば良いのだ。
ここで失敗するわたしではない。
ああ、いや……
ここで失敗するわたし達ではない。
と、その辺りで。
「50秒経過ぁ!」
あくまでも目安だが、あっという間に必要な耐久時間が経過した。あっという間だったのか、長かったのか、はっきりしない感じだ。ちょうど狼の攻撃も勢いが衰えてきたところだったため、わたしは一瞬だけ素早く右を向いて、小型ヘリの方向を見た。
その方向を見てまず目に入ったのは小型ヘリではなく、梨乃ちゃんの異能・《固定斬撃》の糸によって作られた網だった。
わたし達を取り囲んでいる狼の、更に向こう側に張られた網。わたし達を守るためではなく、その向こうに見える小型ヘリのほうをこそ守るためにあるかのような、斬撃の網。
そしてその向こうに、地上に立つ左門さんが見えた。
既に、ヘリから地上に降りていた。
わたし達と左門さんの距離は、およそ40mで……
そして彼は、一言。
「《月下湖面》」
そう言って、異能を発動させた。