耐久戦
「おい篠守。確かにこの状況じゃあお前がどの位置にいるべきなのかは定かではないが、しかし少なくともお前がいるべきでない場所は自明であって、それはお前が今いる中心部なんだよ」
「ちっ、バレたか」
狼どもに囲まれ、皆が背中を合わせて四方八方からの攻撃に備えている中で、その皆の背中に囲まれるような位置、つまりは陣形の中心部に居たわたしに、馬垣くんが苛立ちを露わにしながら指摘した。
しゃーないな、前に出てやるよ。いや、この円形の陣に前も後ろも無いのだけれど。
確かにわたしは盾役だよ?でも怖いんだよな、あの狼の貪食獣。狼なのに、カジキみたいに口からツノみたいなクチバシみたいなのが生えているし、目も白目みたいな感じだし。クスリでイカれちゃった、『人間という名の猛獣』みたいな人っているじゃん?ああいう感じ。
渋々と、わたしは円形の陣の外側のほうへ移動する。
「完全に囲まれたな……」
そう、わたし達は今、囲まれている。
ついさっき…いや、たった今囲まれた。
わたし達と反対側にいた、つまりはわたし達から見て左門さんの向こう側にいた狼どもは、ついさっき左門さんを包囲するのをやめて、左門さんの領域に入らないように迂回して、今度は双方向からわたし達を攻めてきたのだ。元々わたし達が相手をしていた狼どももそれに乗じて、先程までは囲む側だったわたし達を、水を得た魚のように囲み返す動きをやり始めた。
挟み撃ちをしていたつもりのわたし達だったが、いつの間にか挟み撃ちをされる側に立っていた。
無論、左門さんは包囲から解放されたため、すぐに移動して離れた後、今そこに小型ヘリが迎えに行っているらしいけれど……喜んでもいられない。今度はわたし達が囲まれたというだけのことなのだから。
左門さんとは違って、小型ヘリからの援護も無いし。
因みに、もしわたし達の目的が生き延びることだったのであれば、逃げることによってこのような状況を回避できる可能性はあった。ヘリが左門さんを回収しに行ったタイミングでわたし達も少しずつ後退して、包囲を少しでも遅らせるということもできたかも知れない。
しかし、わたし達の目的は貪食獣の殲滅である。余程のことが無い限りは、逃げるという手は無い。
余程のことが無い限りは。
「グルルル……」
「すぐには襲いかかってこないということは、それだけ慎重で賢いってことよね。有り難いんだか、有り難くないんだか……左門さんは救助されたけれど、あの人は味方が近くにいたらただの能無しだからね」
「お前、ろくに絡んだこともない相手によくそんな毒舌を……まあ、否定もできないがな」
左門さんの《月下湖面》の領域は、足を踏み入れた者を無差別に攻撃するから同士討ちが起こりかねない。
恐らく、ここまで扱いにくい異能は他に無いだろう。
「銃で撃っちゃえば良いんじゃないですか?」
「それも良いが、やるのはまだだ」
適当に提案したわたしに、後ろから日倭さんの指摘。
「こいつら横に動き回ってるだろ」
「あー……」
まず前提として、銃を持った上官や肉弾戦が苦手な抵抗者は、円形陣の中心部に控えている(これを後衛と呼ぼう)。肉弾戦が苦手な抵抗者は言わずもがな、銃持ちの上官については、弾切れになった時が怖いからだ。
円形陣の外側には、肉弾戦が得意な抵抗者、ナイフを持った上官、そして約1名の盾役がいる(これを前衛と呼ぶことにする)のだが、銃を使う場合は自然と、前衛のメンバーの隙間から銃口を出して貪食獣を狙うことになる。
しかし、そうするとあまり横のほうの角度を狙うことができない。およそ正面の角度しか狙うことができない。だから例えば、その正面から狼がいなくなってしまうと、当てにくいのだ。
今この瞬間のように、横に動き回られていると当てにくい。撃つのは、こいつら狼どもが向かってきた時だ。
「困ったなあ、これじゃあ銃は使えないじゃない。異能を持っていない人達は、全員ナイフで戦うしか無いわ。人は撃たれたら死んじゃうのは自明の理であって、まさか前衛もろとも撃つ訳にはいかないし…」
「そうだな、一人を除けばな」
それとなく、わたしを撃たないように日倭さんを仕向けようとしたのだが、意味は無かった。
因みに前衛は、わたし・馬垣くん・御水見さん・荻原さん、そして体術に熟練していてナイフを構えている上官で構成されている。
後衛は、谷貝さん・髭根さん・真鈴さん、そして射撃技能に秀でていて銃を構えている上官で構成されている。
日倭さんは後衛で、わたしの背後にいる。馬垣くんは前衛でわたしの隣にいるが、この余裕の無い陣形であれば、二度とわたしを盾にするようなことはしないだろう。自分自身も盾なのだから。
……と。
「っ」
「ん」
わたし達の様子を窺うように、横に動き回ったり近寄ったり遠ざかったり、間合いを測るような動きを見せていた狼が一匹、御水見さん辺りに突進したらしい。わたしの斜め後ろの出来事だったので、よく見えないが。
「見るな。自分の目の前だけ見ろ」
「やべっ」
つい御水見さんのほうに目を遣ろうとしてしまったわたしが、背後からの日倭さんの声を聞いて再び前を向いてみると、別の狼がわたしにも突進してきていた。
まずい、反応が遅れた。
「それ見ろ言わんこっちゃない」
日倭さんが呆れたように言う。わたしの腹を狙って突進してくる狼に対して、その腹の位置だけを紙一重でずらして躱し、狼をがっちりと腕でホールドしたわたしだったが、日倭さんの言った『それ見ろ』というダブルミーニングに触れるより前に、背中の激痛で喘鳴を上げることになった。
日倭さんに撃たれた。狼ごと、背中を。
「よそ見した罰だ。早く立て!」
「ううっ、はい!」
この文面だけ切り取って見ると、地獄のスパルタ教官による教育という名の暴力みたいな感じになってしまっているが、何せこれは訓練ではなく、実戦だ。
加えて調子の良すぎるわたしは、どうやら周りからは危機感に欠けている感じに見えるらしい。心外だけれど、普段はクールな日倭さんもそれなら怒鳴る訳である。
とにかく今は、目の前の敵に集中しなければ。
この際、痛みから逃げようとするのはもう諦めよう。攻撃を捌くか、身体で受け止めるかして、それをわたしごとでも良いから、他の人に仕留めてもらわなきゃいかん。
皆の命が懸かっている。
……いや、やっぱり、できればなるだけ、わたしを撃つのはやめて欲しいんだけれど。さっきから、防弾仕様のこの服でも穴が空くんじゃないかっていうくらい撃たれてるんだけれど。
横にいる馬垣くんも前衛だから、わたしに構ってはいられないのだろう。だからわたしが止めた狼は、わたしの後ろに控えている人達が攻撃することになる。
「撃て!」
と、御水見さんやわたしに攻撃を仕掛けた狼に続くようにして他の狼たちも向かってきた瞬間に、上官が一声上げて、銃声が鳴り響き始めた。
わたしの後ろの方向、円形陣におけるわたしと逆側のほうでは、髭根さんの《研磨》によって地面を滑らかにして狼を転倒させているから楽なのだろうが、この異能はどうやら彼女の視界の中に入った物体にのみ有効であるらしく、わたしがいるこっち側の地面には無効らしいので、こっち側は普通に大変だ。
「ぐっ!背中が…!」
今や狼の突進よりも、背後から銃で撃たれることのほうがわたしに苦痛を与えているんだが。
「しっかりしろ!お前は不死身だろ!」
「…はい」
いやあ、これはキツいぞ。
わたしの両サイドには馬垣くんと、ナイフ持ちの無口なおじさん…もとい熟練のナイフ使い自衛官がいるのだけれど、それはもうとても心強いのだけれど、やっぱりキツいっす。
わたしの背後には日倭さんが控えていて、わたしが危なくなったら狼を(わたしごと)撃ってくれるし、その隣には谷貝さんもいて、《干肉》によって狼どもに極限の脱水症状を発症させ、地味に弱体化させてくれてはいるのだけれど、何せ狼の数が多い。
「はあ、はあ…さ、さあ、次は誰かしら?はあ、来い、来るなら来い…」
「本当に来た時にやられそうな言い方はやめろ」
この状況でも突っ込みに余念が無い馬垣くんには、ボケ役としては非常に信頼できる……って。
「いや、何言ってんの馬垣くん!?フラグを立てたつもりは無いのに!別に、来てもやられない人でも言うでしょ今の台詞は!」
「黙れ。それはお前の知識の偏りに起因する誤謬だ」
「後で話があるわ馬垣くん!」
……さておき。
今更だけれど、因みに今回、わたしはナイフも拳銃も持たされていない。これまでの戦闘訓練で、わたしはナイフや銃を使うのが苦手だということが判明したので、上官が『お前は武器を持ったら危なっかしくてやばいから、素手で頼む』と言われてしまったのだ。その分、素手での格闘術はある程度学んだのだけれども……
解せぬ。
ただ、それにしても……
「グルルルル…」
「しつこいな…はぁ…」
「ふ…ふぅ…」
「はあ、はあ…ちょ、ちょっとやばい…!」
これでも皆、かなり体力を鍛えた筈だったんだけどな。
流石に疲れた。多分、皆も疲れてる。
もうそろそろ誰かの集中力が尽きそうだ。
誰か一人しくじるだけでも、この陣形は崩壊する。
さて、例によってピンチである。
もう限界だ。恐らくはわたしだけではなく、全員が。
狼どもが本格的に攻勢に出てきてから、もう30秒くらいは経ったのか?わからないが……
もう、あと10秒も保つとは思えない。
必死だ。
少しでも気を抜けば必ず死ぬ。
と、そんなタイミングだった。
「ガルル……ガ…」
「お」
相変わらずだ、このタイミングの良さは。
わたしがバテてきて、次の突進を避けられるかどうか自信が無かったところに、実に丁度良いタイミングで突然、狼がバラバラに切断された。悲鳴を上げる間もなく、ただの肉塊になった。
「遅いよ!はあ、はあ……」
「すみません、遅れました」
頭上を見上げると、さっき離れた位置で左門さんを回収したらしい小型ヘリが、気付けばわたし達の近くまで戻って来ていた。
《固定斬撃》の異能を持つ、紫野梨乃を乗せて。
「全員、その場から動くな!」
「おおお!?」
上官のそんな注意喚起よりもずっと先に、わたし達が構成していた円形の陣の周りを囲むように、とぐろを巻く蛇のような形で梨乃ちゃんの糸がドームを形成していた。
当然、その瞬間に突進している最中だった狼どもは、柵取りされたように身体を切断され、絶命。
勢い余って飛んできた狼の柵を、手で受け止め受け流し、ようやっとわたし達は一息吐くことが許された。
「た、助かった…」
「今のはかなり危なかったな…」
危なかった。いやもう、振り返って後ろを見れば、みんなが皆、膝に手をついて呼吸を整えてるんだもん。
梨乃ちゃんが来てくれなかったらどうなってたことか。こうなるとつくづく、梨乃ちゃんの異能の優秀さを痛感する。
「さあ、ここから逆転よ…!」
「言うてる場合か。遊びじゃねえんだ…」
突っ込みを入れる馬垣くんの声にも、どこか余裕が戻ってきているように思えた。