狼の強襲
これは後から聞いたのだが、わたし達が小型ヘリの少数隊に合流しようと、大型ヘリを停めた地点から移動し始めるより、およそ20分前の出来事だ。
「左門、準備はいいか?」
「いつでもいけます」
飛行する小型ヘリには、梨乃ちゃん、国栖穴さん、そして指揮官を含む上官数名。
地上には、左門さんの一人だけ。
作戦通り、ヘリの上から貪食獣を発見した上官の指示によって、隠密していた左門さんが飛び出して行き、異能・《月下湖面》を使った。
「ーーーーー!!!」
ターゲットは、例の狼型の貪食獣だった。単独行動していたようだが、左門さんに気付くなり咆哮を上げながら走り込んで接近して来たため、国栖穴さんが《硬化》によって狼の脚の一部を硬化させ、動きを鈍らせたところに、《月下湖面》の怪魚が襲いかかるという流れであったらしい。
「よし!」
これ自体は成功したようだが……
問題は、その直後。
「え…うわっ!?」
狼を喰って仕留めた怪魚が、どうしたことか、今度は左門さん目がけて、異能の主たる左門さん目がけて、勢いよく地中を泳いで向かって来たのだ。
「馬鹿な、そこまで無差別だなんてことは…!」
「左門!後ろだ!」
「!?」
無線による通信で上官が素早く呼びかけるが…少し遅かった。
領域内の生物を無差別に攻撃する怪魚とはいえ、確かに異能の主である左門さんは対象外だろう。
怪魚は左門さんに向かっていたのではなく、その背後から迫り来る、もう一匹の狼に向かっていたのだ。
しかし、左門さんも動揺して怪魚から後退りしてしまったため、怪魚が狼を攻撃するより、狼が左門さんを攻撃するほうが早かったようで…
「《固定斬撃》!」
と、間一髪で梨乃ちゃんの援護が間に合い、あわや左門さんに喰らいつかんというところで、狼はバラバラに切断された。さながら某ゾンビ映画に出てくるレーザーグリッドのような糸が、某鬼狩り剣士漫画に出てくるサイコロステーキ先輩の如く、狼を角切りにしてのけた。
「うおお!うわっ……」
そうして角切りの狼が、勢い余って左門さんにふりかかったそうだ。
いやはや、しかしこれは…グロいし怖いし、普通にPTSDとかの原因になるんじゃないか?
左門さん、精神疾患者とかにならないかな……
「左門、大丈夫か!?」
「はい…あはは、ちょっと今のは興奮しました…////」
「え?」
「血が飛び散るのって、その…イイですね…/////」
……ごめん、これは捏造だ。
左門さんは恐らく、そんな変態ではない。というか、彼の人となりを、わたしは全然知らない。
国栖穴さんもそうだが、彼らとは実際に話したことが無い。喋る内容も喋り方も、全てわたしの想像である。
「左門、すぐに立て。まだ終わっていない」
「えっ?」
と、安心したのも束の間、上官からの指示が左門さんに無線越しに告げられる。
辺りを見渡すと、そこで彼は初めて、多数の狼型の貪食獣に包囲されていることに気付いたという訳だ。
「左門、そこから動くな。紫野、左門を守れ」
「はい」
もちろん、左門さんの《月下湖面》だってまだ発動中だったが、何せ狼の数が多かったと言う。
怪魚に一匹ずつ始末させていては、全ての狼を無力化するより先に、狼の牙は…というより、狼のツノだかクチバシだかよくわからない突起は、左門さんに届くだろう。
従って、梨乃ちゃんの《固定斬撃》によって作り出した糸を、とぐろを巻ようにしてドーム状に形成し、それで左門さんを覆うようにして防御した。
「左門!大丈夫だ、動くなよ!」
「うおっ…」
突進してきた狼は案の定、バラバラに切断されて解体されたが、勢い余ってそのツノの部分が左門さんに飛んできた。所詮は余っただけの勢いのこと、当たってもちょっと痛いくらいで怪我は無かったそうだが……いや、これは怖いよ。
それでも、本来ならば怖いだけで済む話だった筈なのだ。
知性の無い貪食獣は、《固定斬撃》の糸も《月下湖面》の怪魚も気にせず、ただ突撃してきては死んでくれた筈だったのだ。
しかし今回の貪食獣は例外的に、知性があった。
まあ、『例外的』というか…だったらわたしが金足大学で例外とだけ遭遇したのはどんな偶然だよという話になるのだけれど。
「何だ?動きが止まった…?」
「これは……」
狼型の貪食獣たちは、斬撃の糸に近寄らないのはもちろんのこと、怪魚の領域にも足を踏み入れず、然るに折角見つけた獲物であるところの左門さんを見逃す訳でもなく、領域の周りをぐるっと囲むようにして、様子を窺い始めたのだ。
そしてこれが、膠着状態の始まりであった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
…と、ここまでが救援要請とともに伝わってきた情報なのだけれど、実際にはそこまで完全なる膠着状態という訳ではなかったのかも知れない。
「現在、小型ヘリから北に90mほどの位置にいる」
わたしの横で、上官が無線を使って小型ヘリの乗員と連絡を取っている。わたしは異能の性質上、不本意にも陣列の前のほうに配置されている訳だが(臨む兵でも闘う者でもないつもりなのに陣列の前に在る訳だが)、それでわたしからは、物陰の向こうに左門さんを囲む狼達が見えるのだ。
狼達は確かに左門さんの領域には入っていないけれど、一部の狼は、国栖穴さんの《硬化》によって徐々にダメージを受けている様子だし、そうでなくともヘリの上からの狙撃によってある程度は狼を攻撃することができているらしく、狼の死骸がいくつか転がっている。
あー、でも……
それにも限界があるのだろう。狼はおびただしい数がいるのに対して弾薬は無限ではないし、国栖穴さんの《硬化》の射程距離はたったの15mだ。《月下湖面》の領域が半径40mで、狼どもがその周りを囲んでいるということは、領域中央の真上からでは狼どもまで《硬化》の効果が…硬化の効果が届かないという訳であるから、ヘリが少し位置を変えて狼に接近しなければならない。しかしそれは同時に、援護対象である左門さんからは遠ざかることになるため、あまり移動しすぎて梨乃ちゃんの《固定斬撃》の射程範囲外に左門さんを置く訳にもいかないし、ヘリが移動してきたのに合わせて狼どもも移動して距離を取ってくるようなことがあったら、もうお手上げだ。
ロープを垂らして左門さんをヘリに引き上げるという手も無いな。領域の周りにある障壁は中から外への移動を妨げるものに過ぎず、外から中への移動には影響が無いし、怪魚も一匹しかいないため、仮にヘリからロープを垂らして左門さんを救出しようものなら、一斉に狼どもが領域内に入り、左門さんに飛びかかって来ると予想される。怪魚も狼を一匹ずつ喰らうことしかできないため、怪魚による足止めにも限界があるし、狼がロープに飛び付いて3mより高い位置まで上がってきてしまえば、そこからは領域の範囲外なのだ。国栖穴さんの《硬化》も遅効性の攻撃みたいなものだし、梨乃ちゃんの《固定斬撃》は斬撃の糸を動かすことができないため危険だ。ロープが揺れた拍子に、ちょっとでも左門さんの体に糸が当たってしまったら、それだけで大怪我するだろうし。
訂正しよう。これは確かに、膠着状態だ。
「では、これより我々は、手前にいるあれら貪食獣を殲滅し始める。奴らを左門の領域内に追いやることが目的だ。領域と我々の挟み撃ちであるため、攻撃することよりも逃さないことを念頭に置くこと」
上官の呼びかけに、わたしを含めた抵抗者一同、並びに小銃を携えた他の上官達は、静かに呼応した。