02 旦那様
トントントン。
(んー、誰? 何時かしら?)
ルシアは部屋の扉を叩く音で目を覚ましサイドテーブルにある時計を見ると、もう朝の9時過ぎだった。
(お酒を飲んだからぐっすり眠れたわ。こんなに熟睡できたのいつぶりかしら?)
ドンドンドンっと扉を叩く音が強くなった。
(チェックアウトの時間かしら?)
眠気眼を擦りながら、ルシアは扉に近づいた。
「どなたですか?」
「サイラス・トリフェーンだ」
ルシアはそこで一気に目が覚めた。未来の旦那様の登場である。扉を勢いよく開けると、サイラスと一瞬目が合い、すぐに扉は閉められた。
「服を着ろ!」
「あっ!」
ルシアはネグリジェ姿だった。急いで外出着に着替え、今度はゆっくり扉を開けた。
「お見苦しいところをお見せしてすみません」
これでどうだと言わんばかりにルシアは堂々とサイラスに向き合った。
サイラスはルシアと同じ金髪碧目をしており、小柄なルシアより30センチほど大きかった。体格が良く、紺色の騎士の制服を着ていても鍛えられた身体をしていることがわかった。
(綺麗な人……これが戦場の悪魔?)
サイラスは二重の力強い目に薄い唇をしており、王子と言われれば信じてしまいそうなほど整った顔をしていた。
「なんだその服は! 髪は!」
まだダメらしい。ルシアはまた怒られたが呑気に説明する。
「服はこれくらいの物しかなくて……。髪は売ったんです」
ルシアはドレスも親に没収されてしまい、庶民が着るような服を着ていた。しかしドレスとは違って締め付けが無く、着心地は悪くなかった。
サイラスは言葉を失い唖然としている。貴族の令嬢がこんなみすぼらしい服を着るのも、短い髪をするのもあり得ないのだ。
「銀貨3枚ですよ! 似合っていませんか?」
ルシアが手を髪にあて同意を求めても、サイラスは何も答えてくれなかった。
「あっ! お腹が空いたので、朝ごはん一緒にいかがですか? ご馳走します!」
笑顔のルシアにサイラスは黙ってついてきた。
「ハンバーガー! 私食べてみたかったんです。サイラス様は何にされますか?」
「同じ物でいい」
「注文お願いしまーす! ハンバーガー2つとシェイク2つ」
「シェイク!?」
「甘い物はお嫌いですか?」
「……まぁいい」
大きいハンバーガーとポテトがルシアの目の前に配膳され、ルシアは美味しそうだと目を細めた。
「いただきます!」
ハンバーガーを両手で持ち、大きな口を開けかぶりついた。
(美味しい! 一度こうやって食べてみたかったのよね)
「サイラス様、とても美味しいですよ」
ルシアの貴族らしくない食べっぷりにサイラスは驚いていた。手にしていたナイフとフォークを置くと、ルシアにならって手でかぶりついた。
「ふふふっ、ついてますよ」
ルシアはサイラスの口の端についたソースをナプキンで拭った。
「お前は!? 誰にでもこんなことするのか?」
「こんなこと?」
「寝巻きのまま扉を開けたり、口を拭ったり……」
「……旦那様ですからね。それに迎えに来てくださったでしょ? 昨日の夜」
サイラスは驚きで目を見開いた。
「気付いていたのか」
「私が起きるまで待っていてくださったんですか?」
「……なぜわかった?」
「同じ魔力を感じましたから」
昨日ルシアが寝る前に、扉の向こうにサイラスと同じ魔力を感じたのだ。ルシアは初めて会うサイラスに家族よりも気遣われ、悪い人ではないと親しみを感じていた。ルシアの行動に本気で怒ったり、裏表のなさそうなサイラスに、人間らしく素直で好ましいと思っていた。
皮肉にもサイラスはルシアと同じ金髪碧目で、家族よりも家族らしかった。
サイラスは図星をつかれた。昨晩ルシアの無事を確かめると、夜遅いので出直すことにした。そして朝になってもなかなか起きてこないルシアに痺れを切らして扉を叩いたのだ。
サイラスは額に手を当て俯き、ため息までついた。
「あっ! もしかして他に好きな方がいますか? 私は結婚しなくても大丈夫です。働いて1人でも暮らしていけますから」
「働く?」
「これでも長年王妃教育を受けてますからね。家庭教師ならできるかもしれません。料理も興味ありますし、裁縫だって……」
(異能で布を作って売れば、それだけでも慎ましく生活できるわ!)
ルシアはむしろ結婚せずに働く未来を想像し、目を輝かせていた。
「お前は……! はぁ、とんだじゃじゃ馬だな」
サイラスの声が小さくなりルシアは聞き逃した。
「ん? 何て言いました?」
「好きな女などいない」
「これからできるかもしれませんね! 真実の愛を見つけたら教えてくださいね」
ルシアはサイラスは黙って見つめられ、少し居心地の悪さを感じた。
(サイラス様は婚約破棄された時のことをご存知ないのかしら?)
「真実の愛を見つけたって理由で婚約破棄されたんです。まぁ他にも理由はあるんでしょうけど……」
「そうか……。俺は真実の愛など信じない」
「では何なら信じられますか?」
そこでルシアはサイラスが女嫌いだと言う噂を思い出した。
(どんなお相手をサイラス様はお望みなのかしら?)
「強いて言うなら、結婚相手に求めるのは信頼関係だな」
「信頼関係……、素敵ですね! あの、私との結婚は……」
ルシアはサイラスから結婚を断ってほしかったので、期待を込めた目で見つめた。
「結婚はする」
「どうしてですか?」
「お前が気に入ったからだ」
(え!? 気に入った?)
ルシアはどこに気に入る要素があったのか不思議だった。こんな女いらないと言われるように、令嬢らしくなく振舞っていた。
照れ隠しにルシアは話題を変えた。
「お前ではなく、ルシアって呼んでください!」
「ルシア」
ルシアはサイラスに名を初めて呼ばれ、満面の笑みで応えた。
他愛のない話をしながら、ルシアとサイラスは朝食を食べた終えた。ルシアは昨日の夜からほとんど食べていなかったので、サイラスが驚くほどたくさん食べた。
ルシアたちは朝食を済ませると、いったん部屋へと戻った。
「早く支度しろ、すぐに領地へ向かうぞ」
「えっ!」
「何が不満だ」
「ゆっくり旅しながら向かおうと思っていたんです」
「……ダメだ。そんな時間はない」
自由気ままな旅を諦めきれないルシアは抵抗した。
「私はサイラス様とは別でも……」
「ドラゴンで帰る」
「えっ! ドラゴン!?」
ルシアはそこでサイラスがドラゴン騎士で、辺境ではドラゴン騎士団の団長を務めていること思い出し歓喜で震えた。
(よく見ればドラゴン騎士の制服だわ! ドラゴンに乗れるなんて夢みたい。胸が高鳴るわ!)
ドラゴン騎士の制服は、金ボタンにドラゴン模様が描かれている。
「怖いか。だがドラゴンは速い。俺が支えるから心配いらな……」
「早く行きましょう!」
ルシアがサイラスの手を取ると、サイラスは焦ったようなそぶりをした。
「いつか乗ってみたかったんです! 遠くからしか見たことがなくて……感動です!」
「ハハハハハッ」
サイラスの明るい笑い声にルシアも笑顔になった。