イルカは幸運の象徴
自殺することにした。想い人である義兄に好きな人が出来たと知ったから。
隣国の海に来て、景色が綺麗だなぁ…なんて感動して、そのまんまドボン。
案外と簡単だったな、なんて思って目を開ける。美しい透き通るような海。ここで死ねるのなら…そう心から思えた。
なのに。
「きゅいー!」
「?」
一匹のイルカが、落ちた私を背中に上手に乗せて陸まで丁寧に送り届けてくれたのだ。
「げほっ、けほっ」
「きゅい、きゅいー?」
身体というのは案外正直なもので、死にたいのは本音なのに私は結局飲み込んだ海水をきちんと吐き出して息を吹き返してしまう。
イルカは本当に心配そうに、海から私を見上げる。その優しい瞳に、余計なことをとささくれ立つ心が溶けた。
「…ひどいこと思ってごめんね」
「きゅいー?」
「助けてくれてありがとう」
私がお礼を言えば、すごく嬉しそうなイルカ。
「きゅいー!きゅいー!」
「ふふ、なあに?」
「きゅい、きゅいー!」
「ふふふ、ありがとう」
「きゅいー!」
とても優しく、賢い可愛い子だ。…心配なのは、一匹でいること。
「…あなた、家族は?もしかして私のせいではぐれてしまったの?」
「きゅい」
首を横に振る。それは否定の意味か。
「なら、どうしたの?」
「その子は私の使い魔なんだ。独りぼっちではないよ」
優しいその声に、心臓が跳ねる。
「お義兄様…」
視線の先には、義兄がいた。
「…というわけで、私は君の義兄ではなくこの辺りの領地を治める貴族さ」
「…本当に?声までこんなにそっくりなのに」
「それを言うのなら君こそ、僕の想い人によく似ている」
義兄そっくりの彼はこの辺りを治める貴族。…らしい。
「その子は可愛い私の従妹にそっくりな君を見て、別人だと気付きはしたが助けなければと身体が動いたようだ」
「あら…」
「きゅい!」
「その子も私の従妹にだいぶ懐いているからね」
「ふふ、すごい偶然」
だからこんなにも好意的な態度なのかとイルカを見れば、私の手にグリグリと頭を押し付けてくる懐きよう。
「…本当に別人だってわかってくれてます?」
「主人である私にわかるんだ。この子にわからないはずがない」
「そうですか」
まあそういうならそうなんだろう。
「…で」
「はい」
「この子は君が自ら海に飛び込んだようだと言っているが、魔法で服と髪を乾かしてあげるから事情を説明してくれるね?」
「…はい」
これは、お説教コースだ。
「…なるほど、辛い恋だね。爵位の継承のため遠縁の親戚から引き取られた義兄に恋をしたなんて」
「はい…」
「でも、お互い婚約者も恋人もいないんだろう?まだチャンスはあるのでは?」
「それが…義兄の友人と義兄の恋の相談を聞いてしまい…義兄に想い人がいると知ってしまって」
「…ふむ」
彼は頷く。するとイルカがそんな彼に大きく鳴いた。
「きゅい!」
「ん?…ふふ、そうだな」
「どうしました?」
「この子が、人の話ばかり聞いて自分の話をしないのはフェアじゃないと」
「まあ」
そして彼は語り始めた。
「私には病弱な従妹がいる。端的に言うと、私は彼女に惚れている」
「まあ…!」
「だが、彼女は身体が弱い。家柄的にも問題ないし、婚約者もいない。本当に身体が弱い以外は問題ないが、それが大きな問題なんだ。…後継はどうする気だと、両親から反対されている。さらに最近知ってしまったんだが、どうも可愛いあの子には…愛する人がいるらしい」
「…あ」
声が出なくなる。…悲しげに揺れる目が、切なくて。
「…せめて。せめてあの子の幸せな姿が見たい。結婚したい、手に入れたい。でも、それが叶わなくても。あの子を健康にしてあげたい。それさえ叶えばそれでいい。…だが、あの子を癒す魔法を私は持たない。そもそもこの国では治癒魔法の発達が遅れている。…まあ、そんなところさ」
悲しげに微笑む彼に、思わず余計なお節介を焼いてしまった。
「…私は、治癒魔法得意ですけど」
「…え?」
「どんなものでもとは行きませんが…多分、大抵は治せますよ?」
私の言葉に、彼は固まる。イルカは歓喜の大ジャンプを十回ほど繰り返して、それを見ていたら彼が私の肩をがしっと掴んできた。
「頼む。謝礼は弾む。助けてくれ」
「もちろんです。イルカちゃんへのお礼代わりなので、イルカちゃんにお礼を言ってくださいね」
「ありがとう!本当にありがとう!」
彼は私とイルカに何度も頭を下げて、私を連れて屋敷に向かう。病弱な従妹は屋敷に泊めて療養させているらしい。
従妹は私を見て、あっと声を上げる。ドッペルゲンガーでも見た気分だろう。私だってそうだ。ここまでそっくりとか少し怖い。
「あの、お従兄様、この方は…」
「大丈夫。安心して身を任せて」
「あの、お従兄様…?」
戸惑う彼女の声も私そっくり。ちょっとホラーを感じつつ、彼女に治癒魔法を施した。
私は、昔聖女候補生だったので治癒魔法には自信がある。結界を張るのが苦手で試験には落ちたけど。
「…これでどうかな」
私がそう呟けば、彼女は私そっくりの顔で弾けるような笑顔を見せた。
「あんなに重かった身体が軽いです!魔女様、ありがとうございます!」
「魔女様…魔女様…良い響き…」
聖女になれなかった私の次の目標は、優秀な魔女。なので彼女の無邪気な笑顔と言葉がとても嬉しい。
「とりあえず、一応治癒術師か別の魔女にも診てもらってくださいね」
「すぐ手配する。…可愛い子、少し待っていて」
「はい、お従兄様」
彼は急ぎ魔女を手配しに行く。残された私達は、顔を見合わせる。
「…は、はじめまして」
「は、はい、はじめまして…本当に、ありがとうございます、魔女様…私こんなに身体が楽なの初めてで…」
「よ、よかった…ところで…その」
「は、はい」
「貴女もしかして、彼のことが好き?」
わかってる。初対面で聞くことじゃない。でも。
「…魔女様は、人の心が読めるのですか?」
やっぱり、余計なお節介というのはとても楽しい。
「…はい。間違いなくご病気は完治されております。他の健康問題もなく、また…その、少々言い方がアレですが子供を産み育む能力にも問題ありません」
「おお…!」
彼と彼女の両親が集められて、魔女の診察結果が伝えられる。
「魔女殿、ありがとうございます!」
「なにかお礼をさせてくださいませんか!」
そんな彼女の両親の言葉に、すかさず余計なお節介発動。
「なら、彼と彼女を結婚させてあげてください。それがお礼ということで」
「え!魔女様!?秘密って言ったのに!」
「秘密?」
彼女の言葉に彼が反応する。私は彼に言ってやった。
「両片思いって、甘酸っぱいですね」
それで誰もが二人の気持ちを知ったのだろう。誰も反対はせず、二人はそのまま婚約することになった。
…とはいえ、なんのお礼もなく屋敷に帰されるということはなく。
何も言わずに飛び出してきた屋敷に彼が連絡を入れて、沢山の金貨と宝石と共に送り返されることになった。
いや。きまずい。両親もご立腹だけど、過保護な義兄がそれはもう怒っていた。海で溺れたのを助けたのがきっかけだと彼がわざわざ口を滑らせたから、義兄の怒りはそれはもう…。
馬車の中で懇々と説教され、けど最後には人を救ったことは褒められた。
…そこまで来て、そう言えばあの男と婚約者私達そっくりだったなときょとんとした顔で言う義兄にちょっと笑った。
「…それで、お義兄様」
「うん」
「…私のことが好き?」
「うん。言おう言おうと思っていたのだけど、今回私達そっくりのあのカップルを見て思い立ってね。…やっぱり、嫌だった?」
なんと。屋敷に戻って数日後、義兄に告白された。じ、自殺失敗してよかった…!本当によかった…!
「嫌じゃないです!ただ、あの、両親には…」
「実は、あの隣国のカップルが口添えしてくれて。もし両想いならという条件で、婚約の許可をいただけたよ」
「え!?」
「ふふ。ここまでくると、運命だね」
「…っ!」
私は義兄…いや、婚約者に抱きつく。きつく抱きしめ返されて、幸せに浸る。
自殺未遂という最悪な形から始まったこの騒動だけど、イルカちゃんが助けてくれて本当に、本当によかった…。