再会(1)
藤川は、ようやく目的地に到着した。
既に日は沈み、辺りは暗くなっている。懐中電灯を持ってきてはいるが、それだけでは不安だ。
念のため、辺りを見回してみた。人気はなく、車の通る音が微かに聞こえる。地面はアスファルトだが、目の前に広がるのは原野と林だけだ。時おり木造の一軒家が建っているが、ほとんどが空き家である。まるでゴーストタウンだ。
このあたりには、かつて病院があった。いわゆる閉鎖病棟であり、社会生活に問題のある患者を収容しておく医療施設だ。三階建ての建物は高い塀に囲まれており、中ではとんでもないことが行われていたと聞いている。患者に対する暴力、大量の薬品投与、非人道的な扱い。それらは、長いこと医師や看護師たちにより隠蔽されてきた。
やがて患者の家族たちからの訴えにより、警察の捜査が入る。結果、院長や医師たちは逮捕されたが建物はそのまま残ってしまった。市には、解体する費用も建て直す計画もない。そのため、今に至るまで廃墟として無残な姿をさらしている。
中学生の頃、藤川らのグループはその廃墟に出入りしていた。言うまでもなく、本来なら立ち入り禁止である。しかし、この付近に住民はいない。廃墟に侵入しバカ騒ぎをしたとしても、通報する者などいないのだ。彼らは、中を溜まり場として使い好き放題やっていた。いわば秘密基地……というより、悪人たちのアジトと言った方が正確かもしれない。
とはいえ、この男はもう三十歳である。廃墟に入り、バカ騒ぎするような歳ではない。何より、彼には立場がある。分別があり、高い地位にも就いている大人の藤川が、何ゆえこんな場所にいるかと言うと……手紙の主に呼び出されたからだ。
先日、藤川の自宅にまたしても手紙が届いた。
(九月一日、同窓会パーティーを開きませんか。場所は、卒業式の日にあなたが秋山薫にひどいイジメを行ったところ……と言えば、説明しなくてもわかりますよね。そこに午後九時、ひとりで来てください。来なかったら、恥ずかしい写真や画像がネットに拡散されることとなります。また、このパーティーの話を誰かに洩らしても拡散させます)
今回、差出人の欄には何も書かれていなかった。だが、前回と同じ人物であるのは間違いない。そう、秋山薫だ。
ふざけた話である。だが、あの写真をネットで拡散されたら終わりだ。ただでさえ、藤川には敵が多い。ネットでも、彼を悪く言う者は大勢いる。今の状況で、あんな画像が拡散されたら終わりだ。
それに、最初の手紙に書かれていたことも気になる。
(お前は人殺しだ)
あれは、どういう意味なのだろうか。
念のため、藤川はネットで秋山薫の名を調べてみた。特に、十五年前の事件を集中し検索してみる。もしや、秋山があれをきっかけに亡くなっているのかと思ったのだ。
一応、秋山薫の名はヒットしたものの、無関係な人物ばかりである。亡くなったというような記事はなかった。どうやら、秋山は死んでいないらしい。
では、あの言葉の意味は?
それを知るためにも、謎の脅迫者に会わなくてはならないのだ。
藤川は、林の中を歩いていく。地面は土であり、でこぼこで歩きにくくて仕方ない。何度かつまづきそうになりながら、どうにか進んでいく。昔は、歩きにくいと感じたことはなかった。やはり、これも年齢のせいなのか。あるいは、ブランドものの革靴のせいかもしれない。
しかも、九月になるというのに、まだまだ暑い。中学生の時は、今より確実に涼しかった。世の中、温暖化は確実に進んでいるらしい。困ったものだ。
もっとも、今の藤川には地球の温暖化より手紙の主と接触する方が大切だ。汗をぬぐいながらも、どうにか歩いていった。
やがて、目指す場所に到着した。目の前には、大きな塀がある。灰色の地味なデザインだが、高さはかなりのものだ。しかも、上には鉄条網が張られている。侵入者よりも、むしろ収容者の脱走を防ぐためだろう。周囲にはロープが張られ、立入禁止と書かれた紙が貼られている。
藤川は、塀に設置された鉄製の扉を押してみた。ギイィという金属音を立てながら、扉は開く。
敷地内に入ると、そこは中庭になっている。かつては花壇などがあったらしいが、今では見る影もなく荒れ果てている。雑草が伸び放題で、時おりカサカサという音が聞こえてきた。虫や鼠などの小動物が立てる音だろう。
藤川は懐中電灯をつけ、慎重に歩いていき建物の前で立ち止まった。
本当に不気味だ。灰色の壁には、得体の知れない植物が貼り付いていた。汚れもひどいが、それよりも落書きの方が目立つ。その大半は、藤川らが描いたものである。窓ガラスは曇っており、中の様子は見えない。
入口にある鉄製の扉を押してみると、あっさりと開いた。藤川は、そっと中に入っていく。懐中電灯で、中を照らしてみた。
ここは、かつて待合室として使われていたらしい。ボロボロになったソファーの残額や、パンフレットの切れ端などが床に散らばっている。人の気配はない。あの手紙を差し出した者は、まだ来ていないようだ。
それよりも気になるのは、入った瞬間に妙な匂いが鼻をついたことだ。ゴミや腐った木材などの匂いだろうか。いや、それだけではない気もする。何かの薬品の匂いだろうか。いや、こんなところで薬品の匂いがするはずがない。自分の鼻が、おかしくなっているのだろうか。
中学生の時は、こんな匂いの中でたむろしていたのか。いや、当時は廃墟内でタバコや大麻などを吸っていた。酒やつまみを持ち込み、肝試しと酒盛りを兼ねたパーティーをしたこともあった。そういったもののせいで、鼻がおかしくなっていたのかもしれない。
今の藤川は、大麻はもとよりタバコすらやめている。昔のように、酒を飲んでキャバクラで暴れることもなくなった。令和の時代は、昭和のように破天荒イメージがウケるわけではないのだ。クリーンなキャラクターが求められる昨今、疵となりそうな部分は出来るだけ排除する……その結果、藤川は自分のキャラ造りに成功した。知的な肉食系イケメンの成功者、というキャラクターで、全国放送のテレビ番組にも出ている。
しかし、あの画像は……今の藤川を、一瞬で奈落の底へと突き落とすだけの破壊力がある。ネットに出回ったら、疵どころではすまされない。どこかの芸能人のように、確実に炎上するだろう。結果、何もかも失う……とまではいかないが、少なくともタレント活動は終わる。
このところ、全てが上手くいき調子に乗っていた。成功にあぐらをかき、身の周りのことに甘くなっていたらしい。本当にバカだった。
もし、今夜をうまく切り抜けられたら、あの女たちとは縁を切ろう……そんなことを考えていた時、外から足音が聞こえてきた。藤川は懐中電灯を消し、物陰に隠れる。
やがて扉が開いた。
恐る恐る中を覗く顔は、暗闇のせいでよく見えなかった。どうやら女らしい、ということ以外は何もわからない。
女は、そっと声を出した。
「だ、誰かいますか? いるなら、返事してください」
その声には、聞き覚えがある。藤川は、さらに目を凝らした。顔はよく見えないが、Tシャツの上半身には見覚えがある。
女は、慎重に室内へと入ってきた。そこで、藤川は確信する。あの声、そして体つき。間違いない、かつての同級生であり、グラビアアイドルをしていた七尾恵美だ。では、この女が自分を呼び出したのか?
気づいた瞬間、藤川は思わず声を出していた。
「おい! お前か!? お前が、俺を呼び出したのか!?」