悪夢の終わり
藤川は、目を開けた。
ここはどこだろう。暗くて臭い。しかも、何かべとべとしたものが体に付いている。
どこからか、うっすらと光が入ってきている。藤川は上体を起こした。その時、自分が何かを固く握りしめていたことに気づく。
ナイフだった。しかも、妙な汚れがべっとり付いている。何が付いているかは不明だ。それにしても、ひどく臭い。何の匂いだろう。生ゴミか、汚物か、いずれにしても異様な匂いだ。
その時、ようやく何があったか思い出した。そう、自分たちは秋山に呼び出されたのだ。廃墟の中で、彼の母親が死んだことを知らされる。挙げ句、わけのわからないゲームをやらされた。
その途中、村本がおかしくなった。挙げ句、かつての同級生三人を殺した。だが村本は、秋山に殺された。
藤川の目の前で、喉を切られて死んだ──
「う、うわあぁ! やめろ! やめてくれ!」
必死で叫びながら、握っていたものを投げ捨てた。ナイフは壁に当たり、カランという音を立て転がる。
転がった先には、死体があった。窓から差し込んでくる光のせいで、今ならはっきり見える。村本だ。喉をぱっくり切り開かれ、こちらを凝視したまま骸になっている──
「やめろ! た、助けてくれ!」
叫びながら立ち上がった。秋山の凶行……その映像が、まざまさと蘇る。奴は、まだどこかに潜んでいるはずだ。このままだと、自分も殺されるのではないか──
「誰か助けてくれ! 殺される!」
喚きながら、無我夢中で走った。その勢いのまま、階段を走って下りようとする。途端に、足がもつれた。一気に下まで転がり落ちていく。
思わずうめき声をあげた。それでも、なんとか立ち上がると、足を引きずりながら階段を下りていく。
今の藤川は、完全に冷静さを失っていた。普段なら、この状況のおかしさに気づけたはずだ。しかし今の彼は、この場から逃げることしか考えていなかった。
足を引きずりながら、どうにか廃墟から脱出した。もっとも、人里までほまだまだ距離がある。しかも、今になって全身が痛みだしてきた。村本に殴られ蹴られ、さらに階段から転げ落ちたのだ。スマホがあれば、すぐに助けを呼べたが……秋山に取り上げられたままだ。
その時、遠くから音が聴こえてきた。車のエンジン音のようである。藤川はハッとなった。
音は、どんどん大きくなる。こちらに近づいているのは明白だ。しかし、彼のいる場所から道路までは、かなりの距離がある。
何とかして、道路までたどり着かなくては……立ち上がろうとしたが、足首に激痛が走った。耐えられず、またしても崩れ落ちる。
こうなったら、這っていくしかない。
その間にも、車はどんどん近づいている。やがて、エンジン音は消えた。どうやら、この近くで停まったらしい。
藤川は、どうにか口を開けた。
「すみません! 誰か助けてください!」
あらん限りの大きな声を出す。届いてくれただろうか。
何も聞こえない。不安になり、もう一度声をあげる。
「すみません! ケガで動けないんです! 助けてください!」
直後、激しく咳込んだ。喉が痛む。考えてみれば、昨日の昼から何も食べていない。加えて、あの異常な体験が藤川の体に多くの傷を負わせていた。一晩寝たくらいで、回復するものではない。もう、声を出すことすら困難だ。
その時、足音が聴こえてきた。さらに声も──
「大丈夫ですか!? 誰かいるなら、返事をしてください!」
言いながら現れたのは、制服姿の警官だった。ふたり組の警官が、慌てて近づいてくる。
その姿を見た途端、藤川は安堵の笑みを浮かべる。
これで、助かったのだ──
パトカーに載せられた藤川は、事情聴取の前に滝田市内の大学病院へ運ばれ緊急入院することとなった。
それも仕方ないことだった。全身に十ヶ所以上の打撲傷があり、肋骨か三本折れている。また前歯も二本折れていて、顔も晴れ上がっている。足首は捻挫しており、歩くことも困難だ。打撲による内出血もひどいが、幸いにも臓器の損傷はないらしい。医師からは、一ヶ月の入院が必要と診断された。
だが、そんなものはまだマシだった。昼過ぎになると、病院の前に大勢の人間が集まっていた。マスコミ関係者なのは明白だ。どうやって嗅ぎ付けたのか……もう四時を過ぎているが、いっこうに帰る気配がない。
先ほど病院の電話から弁護士に連絡し、マスコミの取材は全てシャットアウトするよう指示した。後は、事件をどう説明するかだ。今のところ、秋山は約束を守っているらしい。あの件は、バレていないようだ。
もっとも、今では浮気の証拠写真より殺人事件の方が遥かに大事である。こうなった以上、秋山と村本に全ての責任を押し付けるしかない。事実、自分は誰も殺していないのだ。何の問題もあるまい。
結果として、浮気がバレることになるが……それは仕方ない。今、一番の痛手は殺人事件の関係者だと報道されることだ。
自分は被害者である。秋山と村本という異常者が起こした事件により重傷を負わされた……それで押し通す。うまくいけば、これをネタにして本でも書けるかもしれない。
その時、病室のドアがノックされる。直後、声が聞こえてきた。
「すみません、警察の者ですが、ちょっとお話を聞かせていただくわけにはいきませんか?」
「あ、わかりました。どうぞ」
答えると、ドアが開きひとりの中年男が入ってきた。スーツ姿で年齢は四十代から五十代だろうか。身長はさほど高くないが、肩幅は広くがっちりしている。髪はかなり薄くなっており、黒ブチ眼鏡をかけている。笑顔で頭を下げているが、目の奥は笑っていない。
「どうも、私は大上正志です。廃墟で起きた殺人事件を捜査することとなりました。そこで、あなたにお聞きしたいことがあります。どうしても言いたくないことは、言わなくても構いませんよ」
前置きした後、大上はベッドの横にある椅子に座った。
「早速ですが、あそこで何があったのです?」
聞いてきた大上に、藤川は上体を起こして答えた。
「あいつです。秋山薫の仕業です。僕は、この目ではっきりと見ました。秋山が、村本を殺したんです」
「はい? ちょっとわからないのですが、その秋山薫さんとは何者です? いったい何をしたんです?」
怪訝な表情の大上に、藤川はあらかじめ考えていた通りの答えを言った。
「秋山は、中学生の時の同級生です。調べればわかりますよ。ある日、その秋山から手紙が来ました。内容は、仲のよかったみんなで同窓会をやろう……というものです。僕は懐かしくなり、あの廃墟に行きました。そしたら、他のみんなも廃墟にやって来ました。みんながそろったところで、秋山がゲームをやろうと言ってきたんです」
「ちょっと待ってください。その手紙は、まだ残っていますか?」
この刑事、妙なところに食いついてきた。実のところ、奴からもらった手紙は全て処分している。他人に見られてはならないものだ。
「て、手紙は……わかりません。ひょっとしたら、捨ててしまったかもしれないです」
「捨ててしまった、かもしれないんですか……それは困りましたねえ。まあ、それなら仕方ないでしょう。ところで、あの廃墟が立入禁止だということは知っていましたか?」
険しい表情で聞いてくる刑事に、藤川は苛立った。立入禁止だとか、そんな細かいことはどうでもいいだろうが……と怒鳴りつけたい気持ちに襲われる。
だが、そんな気持ちはおくびにも出さず答える。
「すみません。つい、中学生の時に戻ったような気持ちになってしまいまして……立入禁止とは知っていましたが、入ってしまいました」
「そうですか。まあ、今回は大目に見ましょう。そこにいたのは、何人でしたか?」
「六人です」
大上は、ポケットから手帳とペンを取り出した。何やら書き込みながら尋ねてくる。病院ゆえ、スマホを使わず手帳を使っているのか。それとも、昔ながらのやり方にこだわるタイプなのかもしれない。
「その六人全員の名前を、フルネームでお願いします」
「ええと、七尾恵美、村本修司、山口彰、木下美奈代、秋山薫ですね」
この時、大上の眉間に皺が寄る。だが、それは一瞬だった。
「木下美奈代……ああ、はいはい。わかりました。ところで、先ほどゲームとおっしゃっていましたが……何ですか、それは? どんなゲームです?」
さて、ここからが肝心だ。藤川は、今までベッドの中で考えていた通りに回答する。
「あ、あのですね……廃墟の中に、箱を隠したと言っていました。その箱を探せ、と言って来たんです。姿は見えなかったですが、声が聞こえてきました」
「姿が見えなかった? どういうことです?」
「はい。秋山は姿を現さなかったんですが、声が聞こえてきました。たぶん、建物のどこかに隠れていたんだと思います。僕たちのいる部屋にスピーカーか何かをセットしていて、そこから声が出ていたんじゃないかと……」
「なるほど。ところで、その箱とは何です? 中には何が入っていたんですか?」
「それは、ちょっと……タイムカプセルみたいなものだと言っていました。プライベートな問題も絡んできますので……ご勘弁を」
そう、言えるわけがない。ここは、しらばっくれるしかなかった。
「そうですか。まあ、いいでしょう。で、あなたたちは廃墟内を捜索したわけですね?」
意外にも、大上は箱の中身には食いつかなかった。ホッとしつつ頷く。
「はい。皆で箱を探しました」
「そこで、何が起きたのですか?」
「あの……村本が、おかしくなりました」
これは本当だ。突然、村本が狂い出した。その理由は、未だよくわからない。全員殺せばゲームクリア……という秋山の言葉に従ったのかもしれないが、それにしても常軌を逸している。あれだけの人数を殺すなど、正気の沙汰ではない。
もしかしたら、上で山口や木下らと何かあったのかもしれないが、それは藤川の知ったことではない。
藤川のそんな思いに構わず、大上は冷静に尋ねる。
「おかしくなった、といいますと?」
「まず、上で悲鳴みたいな声が聞こえたんですよ。その後、村本が階段を下りてきたんですが……様子が明らかに変でした」
「どう変だったのですか?」
「ニヤニヤ笑いながら、藤川でてこい、などと言っていました。私は恐怖のあまり、反対側の階段で上の階に逃げたんです」
これも本当だ。事実ありのままを語っている。暗闇の中でも、あの時の村本が正気でないことはわかった。
「上の階というと、二階ですね」
対する大上は、冷静そのものだった。こうなると、逆に異様なものを感じる。何を考えているのだろう。
「はい。で二階に行ったら、山口と木下の死体がありました」
「二階に、そのふたりの死体があったのですね」
「そうです。そして、下から村本が追いかけて来ました。俺は怖くて、三階に逃げました」
「三階ですか……まあ、いいでしょう。その後、何がありました?」
「三階には、七尾の死体がありました。そこで俺は耐えられなくなり、あいつに土下座しました。助けてくれと命乞いをしましたが、あいつは聞き入れず襲って来たんです。殴られ蹴られ、俺は倒されました」
すると、大上の目つきが変わった。ペンを動かしつつ疑問を口にする。
「待ってください。確認ですが、村本さんは素手であなたを攻撃してきたんですね? 刃物などの武器は持っていなかったのですね?」
「はい、素手でした。素手で俺を殴ったり蹴ったりしたんです」
「本当に、何も持っていなかったのですね。間違いないですか?」
「はい、間違いないです」
即座に答えたが、大上は釈然としていないらしい。無言のまま、じっとこちらを見つめていた。今のやり取りに、何か疑問を感じているらしい。藤川は、思わず目を逸らした。目の前の刑事が、何を考えているのかはわからない。だが、これが真実なのだ。
ややあって、大上は再び口を開く。
「わかりました。村本さんは、プロの格闘家ですからね。素手でも、簡単に人を殺せるでしょう。で、その後は? あなたは、どうしました?」
「俺は殺されると思いました。その時、秋山が現れたんです」
「ほう、秋山さんですか。彼は、どんな格好をしていました?」
「黒い目出し帽を被り、黒い服を着ていました。秋山が、村本を殺したんです」
そこで、またしても大上の表情が変わる。
「ちょっと待ってください。相手は、目出し帽を被り顔を隠していたのですよね。どうして、秋山さんだとわかったのですか?」
当然の疑問だろう。藤川はすぐに答える。
「秋山は小柄でした。目出し帽を被った男も、小柄でした。あと俺は、お前、秋山か? と聞いたら頷いていました」
「聞いたのは、いつですか?」
「秋山が、村本を殺した後です」
「なるほど。もうひとつわからないのですが、村本さんは仮にもプロの格闘家ですよね。簡単に殺せるタイプとは思えません。どうやって殺したのですか?」
「秋山は、いきなり背後から近づいてきました。背中に飛びついて、ナイフで喉を切ったんです」
「ナイフ、ですか。凶器は、ナイフで間違いないですか? どんなナイフでした?」
また、おかしなところに食いついてきた。あの状況で、凶器が何だったなどわかるはずがない。藤川は、首を横に振った。
「あ、いや……わかりません。ただ、暗闇の中でもキラキラ輝くのが見えたので、刃物だったのは間違いありません」
「そうですか。で、その後は?」
「ええと、村本は首を押さえて倒れました。暗くてよく見えませんでしたが、血も吹き出していたような気がしました。たぶん、その時に死んだと思います。そしたら、秋山がこちらに近づいてきました。俺は怖くて、とっさに逃げようと背中を向けました。すると、あいつが飛びかかって来て首を絞められたんです。苦しくて、俺は気を失いました。その後、気がついたら秋山は消えていて……」
「なるほど。しかし、村本さんはどうしてしまったんでしょうね。立て続けに三人も殺すなど、普通ではありませんよ。七尾さんや山口さんに対し、殺したいと思うくらい強い恨みがあったのでしょうか?」
やはり、ここを突いてきた。だが、その質問は想定していた。
「僕にはわかりません。心当たりはないです。ただ、村本はキレやすい男でしたからね。ひょっとしたら、上で何か言い合いになったかもしれません。それでカッとなり、手が出てしまったのかも……」
すらすらと答えると、大上は怪訝な表情を浮かべる。
「手が出てしまった、というレベルの話じゃないですけどねえ。その後、あなたまで殺そうとしてるんですよ。本当に、心当たりはないのですか?」
「ないですね。だいたい、僕が彼らと会ったのは十五年ぶりですよ。その間、彼らに何があったかなんで知らないです。本人でないと、わからない何かがあったのではないでしょうか」
こう答えるしかなかった。とにかく、わからないと言い張るしかない。実際、藤川にはわからないのだ。確かに、秋山は言っていた……全員を殺せばゲームクリアだ、と。しかし、それを実行に移すほど村本がバカだとは思わなかった。
「そうですか。まあ、死人に口なしですからね。あと、どうしてもわからないことがあるんですよ。そもそも、秋山は何のためにあなた方を呼び出したのでしょうね。同窓会という名目で皆さんを呼び出し、わけのわからないゲームをやらせ、挙げ句に村本さんを殺害した。行動が支離滅裂ですね。彼は、何がしたかったのだと思いますか?」
「いや、それもわかりません。僕は、秋山から手紙が来たので、懐かしくなり行ってしまったんです。正直言うと、中学生の時は、あの廃墟に侵入して遊んでいました。今回も、童心に返ったつもりでゲームをやったんです。秋山が何を考えていたかなんて、わかるわけないでしょう」
そう、わかるわけがないのだ。むしろ、こっちが聞きたい。
おそらく、秋山は復讐がしたかったのだろう……それはわかる。ところが、実際に手にかけたのは村本ひとりである。これでは、復讐にならないのではないか。
「なるほど。しかし、なぜ秋山はあなたを殺さなかったのでしょうね? あなたを気絶はさせたが、殺さなかった。おかしな話ですよね」
大上は、そう聞いてきた。言われてみれば、もっともな疑問である。しかし、その理由には思い当たる点があった。
「死んだ人を悪く言いたくないですが、村本は秋山をいじめていたんですよ。もしかしたら、その復讐のつもりだったのかもしれません」
そう、村本のいじめはひどかった。秋山をたびたび殴り、異様な笑みを浮かべていた。秋山にとって、一番憎かったのは村本だったのかもしれない。
「秋山は、村本さんにいじめられていたんですね。わかりました」
手帳にメモしていたが、その手が止まる。怪訝な表情で顔を上げた。
「あなたはどうなんです? 秋山をいじめていたんですか?」
大上の質問にドキリとした。正直に言うべきか、嘘をつくべきか……だが、考える前に言葉が出ていた。
「いいえ、僕はいじめていませんよ。秋山とは友人でしたし、仲良くしていました」
すると、大上はなおも聞いてくる。
「ほう、そうですか。あなたは、秋山さんをいじめていなかったのですね。では、他の方たちはどうでした?」
問われた藤川は、とっさに言葉が出なかった。ひとまず、時間稼ぎのためとぼけることにした。
「えっ? な、何がですか?」
「私は今、七尾さんや山口さんや神崎さんは、秋山さんをいじめていたのですか? と聞いています。どうでしたか?」
大上は表情を変えず、同じ質問をしてくる。藤川は、とりあえず適当な言葉でごまかすことにした。
「いやあ、わからないですね。ひょっとして、僕が知らないところでいじめたりしていたのかもしれないです」
「そうですか、わかりました」
頷きながら、立ち上がった……が、もう一度座り直す。
「すみません。最後に、ひとつだけ……どうしてもわからないことがあったのですよ。三階に放置されてあったリュックは、あなたの物ですよね?」
「えっ? はい、そうです」
あのリュックが、どうしたというのだろう……などと思いつつ、藤川は答える。
次の瞬間、表情が歪んだ──
「その中に、大量の現金が入っていました。数えてみると、全部で一千万円ありました。あれは、あなたのお金ですか?」
「は、はい、そうですが……」
うっかりしていた。一千万の存在を忘れていたのだ。こうなれば、プライベートなこと、の一言で押し通すしかない。
「あれは、何のお金ですか?」
予想通り、大上は食いついてきた。藤川は笑顔を作り口を開く。
「それは……プライベートなことなので、ちょっと勘弁してください」
「プライベート、ですか。しかし、一千万円は大金ですよ。なぜ、そんな大金をわざわざ持ち歩いていたのか……教えてもらうわけには、いかないでしょうか?」
やはり、この刑事は食いついてきた。しつこく聞いてくる大上に、藤川は笑顔のまま答える。
「ですから、プライベートです。僕みたいな立場の人間になると、いろいろあるんですよ。そもそも、この事件とは何の関係もないですよね」
「まあ、確かに関係ないですね。いいでしょう。あのお金は、手続きが済み次第お返しします。あと、他に何か言うことはありますか?」
あっさりと引き下がった……かと思いきや、意味ありげな質問をぶつけてきた。
「えっ? どういうことですか?」
素知らぬ顔をして聞き返す。とにかく、今はこれでごまかし通すしかない。
「あの場にいた生存者は、あなただけなんですよ。他に気がついたことや、おかしいと思ったことはありませんか? 何でもいいんです。あったら教えてください」
「いえ、特にないと思います」
「本当ですか? 後になって、隠されていた事実が明るみに出ると、あなたの不利になることがありますよ。言うべきことは、早い段階で打ち明けた方があなたのためです」
ドキリとなった。この刑事、もしかしたら何か掴んでいるのか?
だが、今さら方針を変更するわけにはいかない。一度嘘をついてしまったら、どんなにキツくても、その嘘を貫き通すしかないのだ。
「ちょっと待ってくださいよ。その言い方だと、僕が犯人みたいですね。僕は疑われているんですか?」
「いえ、そういうわけではありません。お気に障ったなら、謝ります。申し訳ありません」
頭を下げながらも、何やら手帳にメモしている。やがて、大上は立ち上がった。もう一度、丁寧に頭を下げる。
「ご協力、感謝します。また、改めてお話を聞かせていただくこともあるかと思いますが、その時はよろしくお願いします」
そう言うと、刑事は去っていった。藤川は、ふうと息を吐く。どうにかごまかせた。
若きカリスマ社長・藤川亮は中学生の時、同級生をいじめていた……これは、どう考えてもマイナスである。とにかく、いじめの事実は絶対にシラを切る。
いずれ、秋山薫は逮捕されるだろう。その時は、弁護士を通じて奴に接触し取り引きを持ちかけるのだ。いじめの事実を黙っていてくれれば、罪を軽くするためにあらゆる手を打つ……そう言えば、奴は協力するだろう。
ようやく藤川の頭が働き始めた。秋山とて、何十年も刑務所に入るのは嫌なはずだ。しかも、村本は殺したが、自分を生かしておいた。その事実から考えるに、自分には大した恨みはないものと思われる。
秋山は、取り引きに乗ってくるだろう。いじめの事実には口をつぐみ、刑務所に入るはずだ。
そして出所したら……ようやく、こちらのターンである。こんなふざけた真似をした秋山を、絶対に許さない。
あいつには、生まれてきたことを後悔させてやる──




