“空坐”
洞窟を出ると、空が紅く滲んでいた。
日は深く傾き、森の影が地を這うようにゆっくりと伸びていく。
三人は言葉少なに林を進み、朽ちた建物を探していた。
やがて、藪の向こうに妖の影が蠢いた──六郎太は微かに笑った。
すかさず駆け出し、木の幹にしがみ付く餓鬼を掴み取る。
掌で膨れた火が悲鳴ごと獲物を呑み込んだ。
風が止み、空気がひときわ冷たくなった。木々のざわめきが消え、虫の声も遠のいた。その沈黙の中に、誰かが見ている気配があった。
「……あれを見ろ」
やじりが指差した先、木立の切れ間に古びた屋根が覗いていた。崩れかけた瓦、黒ずんだ壁。まるで、置き去りにされた記憶──三人は互いに目を合わせ、言葉もなく頷いた。
夕闇が森を呑み込み始めていた。
一歩踏み出すごとに、靴底が湿った土を踏みしめる。
「こっちを見てんな」
家屋の奥で、妖の気配が蠢いていた。
「入るのか?」
やじりの問いに、六郎太は「一石二鳥だろ」と返し、今にも崩れそうな引戸に手をかけた。
家屋の中は外から見る以上に荒廃していた。
石造りの玄関は崩れ、木張りの床や天井は捲れあがっている。
おまけに壁も穴だらけだ。
「何を探せばいいのかな」 弦が独り言のように呟いた。
六郎太は周囲に目を配る。
玄関から正面へ真っ直ぐ伸びた廊下。それに面して右手に引戸が二つ、左手には引戸が一つと階段が並んでいる。正面奥にも引戸が一つあるが、大きく破損した穴から黄ばんだ和式の便器が覗いていた。古めかしいが、造りからいっても大昔というほどではない。江戸まではいかない。明治……大正あたりだろうか。
三人は、まず右手にある部屋を物色した。
「ここは居間かな?」 弦が呟く。
「まったく、昔の人間は逞しいな」
やじりは部屋の中心に備えられた四角い囲炉裏の痕跡を見て言った。
ここで暖をとっていたのだろう。想定よりも時代が古い。ただ、ここは本土とは隔絶された島だ。“時代遅れ”と見る方がいいのかもしれない。
「まったく、すべて朽ちているぞ」
「だな。なんにもねぇ──」
六郎太は言いざまに部屋の隅で丸くなっている餓鬼をじろりと見た。
すると、すかさず弦がその視界に割って入る。
「まんじ君、いま熱を飛ばそうとしたでしょ? 周り、凄く燃えやすいから火はやめた方がいいと思うよ」
「ちっ、しゃあねえな」
六郎太は力強く床を蹴った。
その瞬間、バキッと音を立てて足が床に呑まれた。
「マジで?」と、困惑する六郎太を面白そうに眺めて、やじりが指を差す。
「あっはっは、弦、念写だ念写! この情けない姿を記録するんだ!」
「いや、悪いよ姉さん。まんじ君、大丈夫?」
「俺はな。それより姉の心配をしたほうがいいぞ。今からぶっ飛ばすからな」
「『今から』だと? どうやってだ? 笑い死にさせる気か?」
「はあ、うぜっ」
これだから年上の女ってやつは──六郎太は思わず毬倉永子を連想した。
だがまあ、逆の立場ならこちらも爆笑しているだろう。片脚が完全に床に埋まってしまっているのだから。
そうして部屋の隅へ目を向けると、獲物はすでに逃げ去ったあとだった。
六郎太は舌を打ちつつ埋まった足を引き抜いた。
「気をつけなきゃ。どこもかしこも脆くなってる。まんじ君の膂力には耐えられないよ」
「だな。あーあ、ポイントゲットのチャンスだったのによ」
「まあまだ初日ではないか」
そう言ってやじりが六郎太の背を叩く。
三人はとりあえず向かいの部屋へ移動した。
ここは炊事場のようだ。石造りの流しに釜戸──令和の一般家庭では見られない土間がひろがっている。
ただ、ここにも目ぼしいものは無さそうだった。
「次へ行くか?」
「……ああ」
含みのある六郎太の返事に、やじりは首を傾げ、その視線を追った。
低い位置に石造りの台がある。所々破損はしているが、表面は滑らかで平らだった。
「あれがどうかしたか?」
「いや、別に」
そう、そっけなく返し、六郎太は部屋を出た。言うほどのことではないと思ったからだ。
あの形状と時代背景を鑑みるに、きっとあの石の台はまな板として使われたに違いない。だから、微かにとはいえ、その表面から血のにおいが臭っていたとしてもおかしいことではない。きっと、何世代にもわたり使用してきたものなのだから。
あらかた物色を終え、三人は最後の戸の前で立ち止まった。
「トイレは見なくていいの?」
「流石だ弦。卍六郎太、見ててやるからとりあえず便器に腕を突っ込んでみろ」
「弦、お前の姉はマジなのか」
「多分、マジだよ」
六郎太はジッとやじりを見やった。
「おい、なんだその目は? 便器の中に住民の手がかりがあるかもしれないだろ」
「ねえよ!」
「まあまあ。さすがにそんなところには、ね。下の階は見終えたし、次は上に行ってみようよ」
弦の提案で、三人は階段の方へ移動した。
が、一同は直ぐに難しい顔になる。
階段がボロボロだった。立体的な凹凸を保てているのが不思議なほどに。
「これは、あがれるのか?」
やじりの問いに、弦の口がへの字に曲がる。
三人が一斉に上へあがろうとすれば無理だろう。
「一人ずつ、体重の軽い順にいこうぜ」
そう言って六郎太の視線がやじりを向く。
「なぜこちらを見る」
「どう考えても一番軽いだろ」
「ほう、何故そう思う? 女だからか? 女性蔑視だぞ」
彼女は不満そうにしながらも、そっと階段へ足を乗せた。
ギィッ! と、木の軋む音が響く。次の足を上の段へ──また木が軋む音が鳴る。
ただ、崩れる心配は無さそうだった。
彼女はそのまま抜き足差し足で上まであがった。
「よし、次は弦だな」
促された弦は無言で頷くと、姉と同様に抜き足差し足で階段をあがっていく。
そして、無事二階に着くと、姉と軽くハイタッチを交わした。
「さあ、最後はまんじ君だよ」
「だな。ただ俺が乗ると間違いなく崩れる」
やじりが怪訝な顔で眉を寄せる。
「そこまで重そうには見えないが?」
「事情があって見た目よりずっと重いんだよ」
これに姉弟が顔を見合わせ「ああ」と納得した。それから続けて、やじりが確かめるように言葉を落とす。
「忌呪の副作用か」
「まあ、そういうことだ。で、そこで提案だ。二人で霊氣を使って階段を強化できるか?」
姉弟が再度顔を見合わせる。
「階段全体ってなると二人でも2、3秒が限界かもしれないよ」
「十分だぜ。せーのでいくぞ」
やじりと弦は頷き、両手を階段へ当てる。
三人の声が「せーの」と重なった。
その瞬間、階段が青白い光に包まれる。
六郎太はそれを見計らって跳んだ。
すると一歩目で傾斜の中腹に到達し、霊氣を纏った足が即座に二歩目を蹴った。
そして見事に二階へ着地を決めると、弦弓姉弟が「おー!」と感嘆の声をあげた。
「二人ともナイスだ。助かったぜ」
「うむ、いいチームプレーだった」
「さすがまんじ君だよ」
「床がまともならひとっ飛びなんだけどな」
「ふふ、そんなことをすればまた床に足を食われてしまうぞ」
「ああ、だから二人に協力してもらったわけだ。そんじゃ二階をちゃっちゃと見てまわろうぜ。もう外も真っ暗だぜ」
六郎太は人差し指に火をつけた。
「正直、とっくに目は暗闇に慣れちゃったけど、やっぱり明かりがあるほうがいいね」
「うむ、二階だからな。余計に足元には気をつけなければ」
やじりはそう言って辺りを見回した。
正面は窓。とはいっても四角い大きな穴があるだけだ。右手は廊下が真っ直ぐ伸び、下の階と同様に通路に面して複数の戸がある。ただし、壁が穴だらけなので室内は透けて見えている。わざわざ部屋に入って確かめるまでもない。
問題は左手側──短い廊下が伸び、その正面にこれまでとは明らかに風体の違う洋式の開きドアがぴたりと閉じられている。
木製の、見るからに頑丈そうなドア──まるでそこだけが息をしているかのようだ。
「姉さん、まんじ君」
「ああ、妙だな。あのドアとその周りだけ老朽化が大人しい」
やじりがそう言って眉を寄せる。
三人は引き寄せられる様にドアの前まで移動した。
「まあ妖気は感じねえけど、」
六郎太が先頭に立ち、ドアノブに手を掛ける。
軋む音もなく、ドアはするりと内側へ動いた。
そこは目も眩むような真っ暗闇の部屋だった。
火を翳しても窓は見当たらず──どおりで、と三人は思った。
広さも二畳ほどしかない。物置に使うには丁度いいサイズだが、ドアと同じで壁や床が応接間のようにしっかりとした作りになっている。
まるで、この場所が最も大切な場所だと言わんばかりに。
そして、入って左を向いた先には縦横1メートルほどの観音開きの戸があった。装飾こそ施されていないが、これまたいい作りをしている。
三人は無言で顔を見合わせ、それを開けた。
すると、そこにあったのは奥行80センチほどの四角い木張りの空間──
「空っぽだね」 弦が、まるで子供を慰めるみたいに言った。
続けて、やじりが「金銀財宝くらい出てきても、バチは当たらないのにな」と、小さく頭を振る。
しかし、六郎太は無言のまま戸の中を見つめていた。そしてふと「これ、なにを入れるためのスペースなんだ?」と、独り言のように呟いた。
「金庫とか」
そう、頭の上に電球を浮かべるやじりに、すかさず弦がツッコミをいれる。
「金銀財宝から離れようよ姉さん。昔の家屋なんだから冷蔵庫の代わりとかじゃない?」
「どっちもピンとこねえな」
「ほう。じゃあ行者様の意見を聞こうか」
六郎太は一瞬、口を横に結んだ。
「人間」
三人は家屋から出て十分ほど歩いた森の中で火を焚いていた。
夏間近でも夜になると肌寒さがある。島なので勝手に南をイメージしていたが、案外北の方なのかも知れない──
六郎太は星空を見上げて、そう考えていた。
「まんじ君、焼けたよ」
炒った木の実を斜め向かいに座る弦に渡され、なんとなく口へ放り込む。
予想通り不味い。山神しおりも、もしかしたら今このタイミングで来なければよかったと考えているかもしれない。
そう思うと、口元が自然と緩んだ。
ふと、視線を正面に戻すと、焚き火の向こうで胡坐をかいているやじりが、不満気な顔を覗かせていた。
「ところで、だ──もう休みをとる準備に入っているようだが?」
これに、六郎太は肩を竦める。
「バッジを狙う受験者がいるんだ、夜に動き回るのは得策じゃねえよ」
「まんじ君に賛成かな」
弦が同意すると、やじりは渋い顔になりながらも仕方ないと納得した。
「でもまんじ君、妖はいいの? 夜の方があいつらの活動は活発になると思うけど」
「よくねえけど、焦っても仕方ねえからな」
「それはいいとして、だ。あのぼろ家で言ったこと、あれは本気か?」
「小部屋のか? だったらまあ、半分な」
「半分?」と弦が訊き返す。
六郎太は木の実をひとつ口へ放り込んだ。
「ありゃ何か特別なことに使ってた部屋だ。金庫や冷蔵庫なんていう普通の使い方じゃねえよ。そもそも、窓もないんだぜ? あんな湿気がたまりそうなところに普通金庫は置かねえし、あの空のスペースだって内側は木張りだ。昔の冷蔵庫は氷を入れて冷やす。あれだとすぐに中が傷んじまうよ」
弦弓姉弟が「確かに」と口を揃えた。
六郎太は小さく息を吐き、話を続けた。
「あのサイズ感の観音開きに何を入れるかっつったら定番は仏壇だ──が、やはり湿気の問題がある。現代人よりも信仰心が強いであろう昔の人間が、あんなところに信仰物を置くとは思えない」
やじりの眉が寄った。
「だからといって何故人間なんだ? 他の、動物の可能性だってあるだろう」
「動物なら外でいいだろ」
吐き捨てるように言う六郎太に、弦が渋い顔で頷く。
「確かに。家畜なら普通は外だし、ペットだとしても外で飼うのが当たり前の時代──というより家で飼うにしても、あんな灯りもない、内側から開くのかどうかもわからない所に入れるわけがない」
「ああ、だから“閉じこめる”ためかなってな」
六郎太はもう一つ木の実を口の中へ放り込んだ。
「にしても、なんのために──」
やじりは心底理解しがたいという顔をしていた。
だが、それは六郎太も内心そうだった。
まだ座敷牢が使われていたであろう時代──その線が最初に頭に浮かんだ。窓のない、密閉された空間。外から中を見られることのない部屋──ただ、合点がいかない。
ドアの作り、壁の作り、床の作り、あの観音開きの作り──隠しておきたい者を閉じ込めておくという使用目的にしては、あまりにも作りが洗練され過ぎている。
縦横奥行き1メートルたらずのあの中に、なにかを入れておくのが目的だとしか思えない。
ただ、内側には空気穴すらなかった。それなのに中は綺麗だった。
考えても考えても、納得のいく答えが見つからない。
穴だらけの推論と直感だけが、あそこに“人間を入れろ”と言っている。
だから、半分──いや、本当は二割。
自分で言っておきながら、確信はない。
「まんじ君?」
そう言って、弦弓姉弟が不思議そうな顔をこちらに向けていた。
「本当は、こんなことしてる場合じゃねえんだけどなぁ」
「なんだ? 妖を狩りにいくなら手伝うぞ」
乗り気な姉弟を一瞥して六郎太は「ちげえよ」と、仰向けに寝ころんだ。
星空が綺麗だ。山神しおりも、これを見ているのだろうか。
心配は尽きないが、それでも……あいつなら上手くやる。
それだけは確信があった。




