“疑惑”
教室へ戻るとじろじろと見られた。野口はしゅんと小さくなって自分の席に着いている。意外とメンタルは強いのか――いや、しぶといと表現した方がよさそうだ。かわりに伊藤は居なかった。おそらく保健室だろう。
教師達からは以降なにも言われていない。永子の仕業なのは分かっている。自分には“力”を使うなというわりに、本人はさも当たり前のように使う。まあ、能力が違うのだから用途が違うのも当然だ。こちらも助かっているので文句は言えない。
昼休みが終わると、五限目の授業は体育だった。六郎太からすれば唯一の得意科目だが永子に体育だけはやるなと念押しされていたので休んだ。
今は改造学ランのまま運動場に面した外玄関に座って、男子のサッカーと女子の陸上を見学している。退屈だが仕方がない。普通の人間に混ざるには自分の身体能力は目立ちすぎるし危険すぎる。その自覚はある。
六郎太は自身の掌を見つめた。青白い光の粒が無数に現れては消えてを繰り返している。
行者にも色々な者がいるが、基本的には皆すべからくこの<霊力>の操作を心得ている。
人間は霊気という力を内包しており、無意識にそれを体外へ放出している。これを体の周りに留めて圧縮することで気は氣となり物理的な作用を及ぼすようになる。例えるなら霊気が湯気で、それを集めて霊氣という水を生むイメージが近いだろう。
こうしてつくられた高濃度の霊気、すなわち霊氣は肉体を強化したり、練度しだいではそれそのものに強度や硬度を持たせることも可能だ。そしてこの霊氣と霊気を合わせた総量を<霊力>と呼び、霊力のデカさはそのまま行者の身体的スペックの高さに直結する。なので体外に放出できる霊気の量と、それをどれだけ霊氣に変えられるか、変えた霊氣を何に、どうやって、どのくらい使うのか、という<霊気のコントロール>は行者にとって基礎であり奥義なのである。
ただ六郎太はこのコントロールがとにかく苦手だった。生徒達に混ざって体を動かすと怪我をさせかねない。そうじゃなくても自分は――
彼の掌で浮かんでは消える青い光が赤く染まり、炎へと変わった。六郎太はハッとしてそれを握りつぶした。視線を感じ、右手に目をやると、保健室の窓が見えた。永子がこちらに手を振っている。監視体制は万全のようだ。
そろそろ五限目も終わる。今日は六限目はないのでその後は帰宅だ。本当は初日のうちに業事を終らせたかった。
六郎太が楽しそうにしている生徒達を向く。
もしかしたらあそこに混じっていた自分もいたのかもしれない。
チャイムが鳴り、彼は振り返ると憂いの帯びた瞳を薄暗くがらんとした玄関へ向けた。
終礼は何事もなく終わり、六郎太は学校をあとにした。
彼の住まいは東京都北区の赤羽駅から足立区方面に少しいったところのモルタル住宅が並ぶ区画にある。
その並びには一軒だけやたら古めかしい瓦屋根の家が佇んでおり、それが六郎太と永子の住む家である。土地は50坪ほどで庭や駐車場はなく、めいっぱい家屋に敷地つかっている。永子曰く、築六十年以上とのことだが、材料も造りも相当質がいいのか、修理をしているところを六郎太は見たことがなかった。
玄関にはいると木造らしい風情のある茶色の通路が真っすぐ続き、途中右手のドアがトイレ、左手が風呂場となっている。古い家だが永子の希望でこの二つの水まわりだけは最新式のものに取り換えられている。
左手には風呂以外にも階段があり、六郎太はそれをあがって自室へ入ると着替えを持って風呂へ直行した。行者といっても基本的な衣食住は普通の人と変わらない。
風呂からあがりTシャツとスウェットパンツに着替えリビングへ行くと、部屋の中央に置かれた脚の低い長机の前で、すでに永子がカレーを食べながら寛いでいた。いつも通り襟の伸びたTシャツにショーパンで胡坐をかいている。
六郎太も鍋で温まっているカレーをよそい、彼女の向かいに座って無言で口にかきこんだ。
昔から、食事の時はお互いに一言も喋らなかった。多分、互いに向こうが喋らないからと思っているのだろう。でも、そんな空間も居心地がよかった。
彼女の手料理はというと、かなり美味い。レパートリーはカレーとハンバーグしかないが、この二つはプロのシェフにも負けていないだろう。何故その二つなのかは聞いた事がない。ただわかっているのは、彼女は自分を引き取るまでは料理をした事が無かったということ。
食事が終わると六郎太はスマホを弄っている永子に今日の総括を聞いてみた。
「なあ、学校って楽しいのか?」
彼女は液晶画面を眺めたまま「限りなく糞に近い」とあっさり述べた。
まあ、ほぼほぼ同意だった。
秀でた才に恵まれた者――例えば山神しおりの容姿は正当に評価されていない。評価を得るのは虚勢と上辺だけで強がる野口や伊藤のような人物か、周りと波長を合わせ画一的になった生徒達だけだ。
彼等の評価基準はいかに自分に近いか、いかに自分の敵にならないか、いかに敵にまわしたくないかに注視されている。山神しおりのように注目を集めながらも反撃をしない者は一方的に食いものされる。
彼女は何故それでも学校に通うのだろうか。苦しんでまで、何故――
六郎太は小さく頭を振り、これだけは永子に言っておきたいという事を述べた。
「なあ、よーこちゃんの教えてくれた算数、全然通用しなかったぞ」
永子は一瞬液晶から視線を外し彼を一瞥した。返事はなかったが、ばつの悪そうな顔を見れただけで六郎太は満足だった。
それから自室へ行きベッドで横になる。枕と対面の壁際に小さなテレビが置いてあるだけの殺風景な部屋だが、これは彼の希望だった。物が多いのは嫌いだ。見通しがいい方がいい。それに物には“モノ”が宿る。業事以外でその手のトラブルは避けたい。
六郎太は天井を眺め、溜息をついた。意識に残った感覚が彼に昼間の事を思いださせた。
霊感がまともな今だからこそわかる。山神しおりから感じたあれは間違いなく妖気だったと。彼女から何故……なぜなぜなぜ――か。
山神しおりは何かと自分の気を惹く。明日あらためて話しをしてみよう。
部屋の明かりを落とすと自然と睡魔が襲ってきた。
疲れた――普通の人間は毎日学校へ通うのか……それはそれでタフな人生だと思った。
二日目の学校は初日と何も変わらない、かに思えた。朝礼で安藤が出席をとり始めるまでは――
今日は教室の中央付近に空席がある。確か伊藤の席だ。あんなことがあったので欠席かとも思ったが、安藤は彼について一切触れようとはしなかった。
欠席者に対してはそんなものかと思っていると、彼は「よし、全員いるな」と告げて教室を出て行った。どう見ても伊藤が居ないのに――
「なあ、あの空席、伊藤は休みなのか?」
六郎太は一つ前の席に座る男子生徒に訊いた。名前は中村だ。眼鏡をかけ、眉下で切りそろえた髪を中央でわけた真面目そうな生徒である。彼は振り返り怪訝な表情で首を傾げた。
「伊藤? だれ? 今日は欠席はいないだろ」
今度は六郎太が首を傾げる。どう見てもひとり足りない。しかも目立つところに空席があるのだ。
「じゃあ、あの机は?」
顎で指すと中村はああ! と声をあげた。
「それな~、最近うちのクラスで流行ってる悪戯。犯人はわからないんだけど、机と椅子をさも誰かが居るみたいに置いていくっていう。最初は気味が悪かったけど、みんな二回目からは慣れちまったよ。今じゃ安藤先生も何も言わないし、席を外に出しておく係まで自然と出来てるくらいさ」
彼が言うように日直の女子生徒が空席を廊下へ運んでいくのが見えた。中村の表情が、さも当然と言っている。他の生徒も同様に、これをただの悪戯と本気で考えているようだ。しかも伊藤の存在が――……。
だからなのか、と六郎太は難しい顔になった。人が消えるだけではない。消えた人物に関する記憶までが周囲の人々のなかで無かったことになっている。つまり、彼等にとって茶髪のいじめっ子、伊藤という人物は最初から存在していないということだ。<神隠し>が騒ぎになっていないのも頷ける。
それによくよく思えば被害がでているのが二年A組だけというのも解せない。なぜこのクラスの人間だけが消えるのだろうか――
ん? と六郎太は山神しおりの方を向いた。また彼女から妖気を感じたからだった。青い顔をしている。戦慄いでいるようにも見える。しかもこれから授業が始まるというのに席を立って教室を出て行ってしまった。
「なあ、山神ってなんで嫌われてんだ?」
六郎太はもう一度、中村へ訊ねた。
振り返った中村は禁忌にでも触れたかのような表情をしていた。
「俺は別に嫌ってない。多分、野口とか一部の奴等以外は嫌っていないんじゃないか」
「でも、あいつ自分で言ってたぞ『私は嫌われてる』って」
六郎太が眉を顰めると中村の表情が一層と曇った。
「いや、俺は本当に嫌ってない。ただ、怖いんだよ彼女が」
言っている意味がわからなかった。山神しおりに他者を威圧するような要素はない。
中村はそんな六郎太の表情を見て声を落とした。。
「俺、小学校からあいつと一緒なんだけど、昔からあいつ、誰もいないところに話しかけたりするんだ。俺も最初は変な奴だとしか思わなかったけど、小六の時だよ……あいつクラスのボスみたいな女子に目つけられてさ、そのグループに呼び出しくらったんだ。どうなったと思う?」
まったく想像がつかない。そういう環境を知らないから当然だが。彼女が下異の妖に囲まれたと想定すればいいのか? いや、それだと確実に彼女が死ぬ。
「わからん。どうなったんだ?」
中村はゴクリと生唾を飲み込んだ。
「女子グループのメンバー全員病院送りさ。幸い軽傷ではあったけど、刃物できられたようなキズが複数あったってさ。中学の時にも似たようなことがあった。高校ではまだだけど、俺はその被害者にはなりたくないんだよ」
「そのとき山神は刃物を持ってたか?」
中村が首を横にふる。
それを見て六郎太は口を結んだ。
子供の頃に“見えないお友達”が出来る人間はままいる。大抵は脳がつくりだす幻想だが、なかには本当に霊がみえて対話している者もいる。
ただ、基本的に幽霊といわれる存在は、この物質世界においてはほぼほぼ無力といっていい。肉体を持たない彼等に、この世界で物理的な作用を及ぼす力は無いのだ。彼等が物理的に何かをキズつけるには媒介がいる。それは人だったり物だったり――
つまり、山神しおりが何か殺傷力のある道具を持っていない限りは、例え霊に憑りつかれていたとしても複数人の人間に切り傷を与えることなど不可能だ。
あるいは妖に憑りつかれている……。これならば道具が無くても人を殺傷することは可能だ。奴等は霊体、幽体、実体を自在に切り替えられる。実体であれば――
しかし、妖気を感じる瞬間こそあれど彼女に憑かれている兆候はでていない。そもそも霊にしろ妖しろ、そんな子供の頃から憑りつかれていたとしたら……特に妖に憑かれていたのだとしたら、物理的に殺傷されるか、もしくは内包している霊気が枯渇してとっくに死んでいるはずだ。
神妙な面持ちの六郎太を見て、中村がさらに続けた。
「あと、これはなんて表現すればいいんだろうな……わからないんだけど、なんかこうあいつからは嫌な感じがするんだ。ひとりで暗いトンネルを通る時みたいな、凄く嫌な感じ。とにかくあいつに関わると、よくない事が起こる気がする。嫌いじゃないのは本当だけど、俺は関わる気はない。例えあいつが崖から落ちそうでも助けないと思う。悪気はないけど、みんな自分が一番可愛いんだ。……お前も、あいつとは距離おいた方がいいぞ」
前に向き直った中村が小さく背中を丸めた。その後姿だけで怯えているのがよくわかった。
山神しおりに危害を加えようとすると、何かしらの被害に合う――か。六郎太は一際難しい顔になった。二年A組でだけ人が消える理由、茶髪が消えた理由。それはそこはかとなくだが山神しおりへ繋がる気がした。まさか彼女が神隠しの犯人なのか? だとしたら何故、野口は無事なのか。
確かめてみるか。人の居ない場所で――